殺戮者

 それはとても細長い身体をしていた。

 ただしウナギとは違い、縦に伸びた体型をしている。反面幅はかなり薄くて平べったい。タチウオのような体型、という表現が一番適切だろうか。

 目測ではあるが、体長五メートルはあるだろうか。身体は半分ほどの位置でもたげているため、魚というよりヘビのような姿勢だ。細長い三角形をした胸ビレは長さ一メートル近くあり、背中から長さ三メートルもあるヒモ状の(恐らく背ビレが変化したものだろう)突起が二対、合計四本生えている。

 身体は美しく輝き、イワシやサバなどの青魚を彷彿とさせる。とはいえ赤や黄色の斑点もあり、食用と見做すには些か毒々しい。あまり美味しくはなさそうだ。

 ……頭部を見れば、そんな考えなど一瞬で失せるだろうが。

 アジやイワシに似た(身体同様平べったくはあるが)流線型の頭部だ。しかし半開きの口には、無数の鋭い歯が生えている。相手を切り裂くというよりも、突き刺し、逃さないためのもののようだ。そして魚らしい大きな目玉は、感情もなくめだか達を見つめている。

 奇妙な外見だ。めだかが知る限り、こんな形態の魚は聞いた事もない。だが何よりも奇妙なのは、その身体の表面が薄い『ゼリー』のようなもので覆われている事だろう。目測だが、ゼリーの厚さは一センチぐらいあるだろうか。


「……念のため聞くが、ありゃあ新種の化け物って事で良いか?」


「ええ。生物学者として、断言していいわ」


 武彦の問いにも、迷わず答える。あれが既知の生物だとは到底思えない。

 そして今の状況からして、友好的な存在とも思えなかった。


「……ゴォオオオ」


 現れた巨大な怪魚は、唸り声のようなものを出しつつめだか達を観察するように見つめる。武彦達自衛隊員は銃を構えつつも、ゆっくり後退していく。

 恐らく宮内はこの怪魚に殺されたのだろう。

 武彦がそう思っている事は、彼の鋭い眼差しが物語っている。めだかとしても異論はない。宮内が覗き込んだ部屋から現れたという状況からして、他の可能性は考えられない。

 しかし、何をしたのか。

 噛み付いた訳でもなければ、尻尾を振った訳でもない。宮内が殺された瞬間、攻撃らしき行動は確認出来なかったのだから。

 相手の手の内が分からず、故に迂闊に攻撃出来ない。安全を確保するためにも、まずは距離を取ろうというのが武彦達の作戦なのだろう。人間側は銃で武装している。射程距離に関してはこちらの方が有利な筈だと、めだかは思う。


「……コォ、ココココ」


 すると怪魚は鳴いた。まるでこちらを嘲笑うように。

 続いて細長い身体を、上半身側の宮内の死体へと伸ばす。器用に身体を巻き付けて死体を手許まで持ってくると、怪魚は大仰に身体を左右に揺らした。


「ゴプ、コププ」


 そして大きく開いた口で、宮内の身体の断面部分に噛み付く。

 噛んだ内臓を咥えたまま、怪魚は大きく仰け反った。ゆらゆらとまた身体を揺らす。

 だが動きに機敏さがない。内臓はずるずると飛び出し、だらんとぶら下がるだけ。怪魚は口をもごもごと動かしていたが、咀嚼と呼ぶには弱々しく、実際咥えた内臓は全く噛み千切れていない。

 弄んでいる。めだかの目にはそう映った。


「(な、なんなの、これ……!?)」


 ゾワゾワとした悪寒が、めだかの背筋を駆け巡る。

 一般的に、魚類は頭の良い生き物ではない。

 何故なら脳の構造が、哺乳類や鳥類と比べて原始的だからだ。反射など本能的行動・感情を司る脳幹が大部分を占め、運動機能を調整する小脳や、情動など高度な精神活動を司る大脳が未発達。このため人間のような高度な思考は、構造上持ちようがない。

 だがこの怪魚は、遺体を弄び、それを人の前で披露するという『醜悪さ』を見せている。単に食べ物で遊んでいるだけなのか? それともこちらの反応を楽しんでいるのか? どちらにしても魚類とは思えない知的行動だ。


「ゴップェ」


 更には、ようやく噛み千切った内臓を食べもせず――――ぽいっと投げる。

 米軍兵士の頭にぺちゃりと、肉片が叩き付けられた。


「グェプェップェー」


 止めに、怪魚は楽しげに。宮内の亡骸を、下半身側の身体でびたんびたんと叩きながら。


「――――このケダモノが! 人間を嘗めんじゃねぇ!」


 その事に、ついに自衛隊員・笹原が切れる。

 武彦も怒りで一瞬我を失っていたのだろう。笹原の声に反応するのが僅かに遅れた。待て、と言葉に出したのは、笹原が引き金を引いた直後。

 笹原の構えた自動小銃が火を吹く。

 めだかが知る限り、その自動小銃のカタログスペックは秒間十発。人間を一発で死に至らしめる弾丸が、一呼吸する間に十も撃ち込まれるのだ。いくら相手が大柄の動物とはいえ、まともに喰らえば一溜まりもない。

 まともに喰らえば、だが。


「なっ、に……!?」


 武彦が驚きの声を漏らす。めだか含めた他の者達は声こそ出さなかったが、誰もが唖然とした表情を浮かべる。

 放たれた弾丸が、怪魚の体表面にあるゼリー部分で止まっていたがために。

 そう、止まっていた。あと一ミリでも進めば肉に食い込むであろう位置で、弾丸がぴたりと止まっている。

 人間達がその光景を目にして唖然としていると、弾はゆっくりと動く。ただし人間が望んでいるのとは反対側。怪魚から離れる方に向かって。

 ぽとり、ぽとりと、弾丸は床に散らばる。

 傍から見る限り、怪魚は何一つダメージを受けていない様子だ。表情筋のない顔はぴくりとも動いていない筈なのに、怪魚がこちらを嘲笑っているとめだかは感じてしまう。

 ――――銃。

 人類が獣に対し、圧倒的に『強く』なったのは、この武器のお陰だろう。あまりの強さ故に、銃で狙える大型獣は次々と乱獲・駆除され、絶滅した種も少なくない。道具の良し悪しは使い方次第なのでその是非は問わないが、自然への影響が特に大きい発明品の一つなのは間違いない。

 その銃が効かない。それは人類が動物に対して持つ攻撃面でのアドバンテージが、失われた事を意味していた。


「(アルマジロが銃弾を弾いた、なんて話は聞いた事があるけど……)」


 アルマジロは防御に特化した進化を遂げた生物種だ。頑強な表皮は肉食獣の牙すら通さない。それほどの頑丈さに加え、銃撃の角度や距離が噛み合ったがために起きた珍事である。

 だがこの怪魚はどうだ?

 体表面にあるゼリーで全ての弾丸が止まったのだ。当たりどころ云々なんて関係ない。何か得体の知れない、人間の知らない力がその身には宿っている。

 まともに戦いを挑んでも恐らく勝ち目はないだろう。ならば人間の得意技である知略を用いるしかない。めだかはそう考え、自衛隊員や米軍兵士達も同じ考えだと彼等の冷徹な眼差しが物語った。

 だがこの方法も上手くいきそうにない。

 怒りで頭がいっぱいになっていたとはいえ――――背後からやってきたに気付かず、奇襲を食らっているザマで何故知恵比べに勝てると言えるのか。


「ゴブッ!?」


 突然の生々しい呻き。

 全員で後ろを振り向けば、そこには口から血を吐く米軍兵士の姿と……その後ろにいる、怪魚の姿が目に入る。

 米軍兵士は、胸から透明な『棘』のようなものが突き出ていた。棘はべったりと血肉を纏い、それが趣味の悪いハロウィンの仮装でない事を物語る。

 位置からして、恐らく棘は心臓を貫いている。間違いなく致命傷であり、米軍兵士の目からも生気が急速に失われていく。

 もう助けられそうにない。

 サム達米軍側が表情を強張らせつつも攻撃しないのは、手遅れだと分かっているからだろう。同時に、ここで単独行動してもろくな事にならないと分かっての冷静さか。

 冷静になったところで、めだかには勝ち筋など見えないが。


「(挟み撃ちをしてきた……こ、この魚達には、知性がある……!)」


 恐らく最初に出会った一体は、めだか達の気を引く役目を担っていた。

 だとするとあの惨たらしい死体の食い方は、こちらの意識を向けるための策略か。もしこの予想が正しければ、怪魚達はただ賢いというだけではない。個体ごとの役割分担を理解し、どうすれば他種人間の気を引けるかを考え、そのための演技までしている。

 恐らくその知能は人間並、どう低く見積もっても類人猿以上だ。

 武器が通じない身体能力に加え、知能面でも人間に劣らない。それは現代人の持つ自然に対する強みが、どちらも失われたに等しい。

 このまま戦うのは危険を通り越して無謀だろう。よって態勢を立て直すためにも一旦逃げた方が良い。


「(って、心の中で思うのは簡単だけど……)」


 問題は、どうするかだ。めだか達は既に挟み撃ちに遭っている状態。しかも廊下という、左右を壁に挟まれた場所である。隙を突いて迂回するのも、この状況では困難である。

 廊下に窓があれば破る事も出来たかも知れないが、生憎自分達の近くにはない。或いは、そういったものがない場所をこの怪魚は選んだのか。

 なんにせよ作戦なしではどうにもならない。だがどんな作戦ならこの化け物に通じるのか……


「コォォオオオオ」


「ゴォポォォォ」


 考えても答えは出ず。その間に怪魚二体はめだか達との距離を詰めてくる。米軍兵士は無造作に投げ捨てられ(その際透明な棘も消えてしまった。何処にしまったのか?)、食べるために殺した訳ではないとハッキリ物語る。

 こうなると命乞いぐらいしかめだかには思い付かないが、流石に言葉は通じないのではないか。それでもやらねば殺されると、とりあえず頭を下げようと思う。


「綿摘! 目と耳を閉じろ!」


 瞬間、武彦がそう叫んだ。

 何故? そんな疑問が過ぎり、思わず武彦の方を振り向く。

 彼の手には、手榴弾が握られていた。

 まさかこんなところで手榴弾を使うつもりなのか。自分諸共吹き飛ぶとめだかは恐怖し、反射的に目を閉じ、耳を両手で塞ぐ。

 結果的に武彦の指示に従った彼女は、その手榴弾がどんなものか知らない。

 それは炸裂時に衝撃波や破片を撒き散らし、敵を殺傷する事が目的の武器ではない。大きな音と強烈な閃光を放ち、直撃を受けた相手の無力化を試みる武器……

 スタングレネードだ。


「コポッ!?」


「ギッ!?」


 知恵はあっても、知識はなかったのか。炸裂したスタングレネードの眩さを前にして、怪魚達が呻き、そして大きく仰け反って怯む。

 めだかも爆音と閃光に(言われた通り耳も目も塞いだが)怯んでいたが、彼女の傍には武彦達がいる。恐怖とショックで固まった身体は荷物のようにあっさり持ち上げられ、そのまま素早く運ばれていく。

 数秒後我に返っためだかは、武彦達と共に怪魚の挟み撃ちから脱していた。


「ギボ、ボボボ……!」


 怪魚達はまだ怯んでいる。咄嗟に目を閉じれためだか人間と違い、魚である奴等は瞼がない。これにより閃光が直撃した状態だ。そう簡単には立ち直れまい。

 その意味では、確かに好機である。


「この、化け物がぁ!」


 米軍兵士の一人が怪魚の傍に残り、その口に銃口を突っ込むチャンスなど、今しかなかっただろう。


「!? 何をしている! 早く退却を――――」


 サムが大声で止めようとするからには、その行動は兵士の独断専行らしい。

 ここでサムの言葉に従えば、めだか達との合流も出来たかも知れない。だがここまでやって今更退けるほど、人間というのは素直ではない。大勢の仲間を殺したであろう化け物が、目の前にいるとなれば尚更に。


「死ねぇえッ!」


 殺意の言葉と共に、米軍兵士は銃の引き金を引く。

 銃は正常に作動。毎秒十発の弾丸が、怪魚の口の中に撃ち込まれた。

 口に銃口を突っ込まれた怪魚は、自動小銃の猛攻を無抵抗に受ける。もう一匹の怪魚は唖然としたかのように、撃たれる仲間を見つめるだけ。

 銃撃はほんの三秒程度で終わった。装弾数が三十発程度なのだから、引き金を引きっぱなしにすればこの程度の時間しか続かない。

 だが三十発全ての弾丸が、間違いなく怪魚の口内に叩き込まれた。外皮が銃弾を弾く生物は(アルマジロのように)いるが、体内を攻撃されて平気は生物はいない。何故なら頑強な組織を作るにはコストが掛かり、柔軟な動きが出来ないなどの欠点もある。体内を攻撃されるなんてケースは滅多になく、コストなどの欠点を考えると、そのコストを別のものに割り振った方が合理的だ。ゲームで例えれば、もしもに備えて使いもしないステータスを高めるぐらいなら、他のステータスに少しでもポイントを振った方が有利に戦えるのと同じである。

 口の中を撃たれた怪魚は、しばし棒立ちしていた。だが突如、その口から何かを吐き出す。

 果たしてそれは血反吐か、はたまた傷付いた内臓か。無謀にも思える攻撃の成果を、めだかは無意識に凝視。何が吐き出されたのかを目にする。

 それは、透明な液体だった。

 血ではない。臓物でもない。まるでゼリーのような、半固形物にも思えるものが怪魚の口から溢れ出す。しかし完全に流れ出てしまう事もない。口から垂れ下がるぐらい出たのに、ぶらぶらと揺れるだけ。


「ゴブェ、ブェッブェ」


 そして怪魚が笑った。

 笑いながら身体をぶるりと震わせる。すると口の奥から、何かが出てきた。何かはゼリーのような液体の中を漂い、正体をめだか達人間に見せる。

 それは、弾丸だった。

 一発だけではない。何十もの弾丸が、ゼリー状の液体の中に浮かんでいる。怪魚がわざとらしく身体を左右に揺らし、液体も揺すって、弾丸をじゃらじゃらと動かす。

 ――――めだかの脳裏に、『答え』が過る。

 怪魚が口から吐き出したのは、全身を覆っているゼリー状の粘液なのではないか。それがどんな仕組みで、どんな機能を発揮するかは分からない。だが間違いなく言えるのは、その液体は弾丸を通さないだけの防御力がある事。

 そして表皮だけでなく体内も粘液に守られている。ならばその身体を、銃弾で倒す事は可能だろうか?

 めだかには不可能としか思えない。


「く、クソったれ……!」


 怪魚の口に銃口を突き付けた、勇猛果敢な米軍兵士の口からも悪態が漏れ出す。


「ゴップェ!」


 その言葉が聞きたかったと言わんばかりに、怪魚は嬉しそうに鳴き――――身体から透明な何かが伸び、米軍兵士に向けて振るわれた。

 めだかの勘違いでなければ、それは恐らく怪魚の纏うゼリーのような粘液。

 まるで鞭のように放たれたそれは、米軍兵士の胴体を直撃。一瞬身体がくの字に曲がった、直後、米軍兵士の身体が腰の辺りで

 あまりにも呆気ない、致命的な一撃だった。米軍兵士の顔は驚愕で染まり、けれども床に落ちる頃には目から生気が失われる。身体の断面から臓物と血が溢れ出し、生命の終わりを物語る。


「ゴポポォォ、ギポポ」


 怪魚の一匹はその内臓をわざとらしく咥え、食べもしないのに咀嚼する。

 次はお前達だ、と言わんばかりに。


「に、逃げろ! 早く!」


 最早歯向かう意思は誰にもない。武彦の合理的な叫びは、今や恐怖に染まっていた。

 めだかも異論はない。あんな化け物とまともにやり合うのは自殺行為。今は逃げるしかない。他の兵士達も同じ考えのようで、もう怪魚に立ち向かおうとする者はいない。

 全員でこの場から走り出す。この危険な基地から逃げるために。

 だが、その目的を果たすには一つ大きな問題がある。


「ギィゴォポポォォ!」


 勝ち誇るように笑う怪魚が、逃げるめだか達の後を悠然と追い駆けてきたのだから。

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