南海快晴

 燦々と輝く太陽から、眩い日差しが降り注ぐ。

 太陽光は地球生命の源だ。太陽から放たれる光エネルギーが植物を育み、その植物を食べた草食動物、草食動物を獲物にする肉食動物を生かす。

 勿論人間も太陽の恩恵を受けている。農作物が育つのも、その農作物を飼料にして育った家畜を食べられるのも、太陽光のお陰だ。今でこそ人工的な光で農作物を育てる植物工場があるが、それ以前は太陽光なしに農業は出来なかった。いや、人工光のエネルギーをどうやって作り出すかと言えば、結局のところ太陽光で育った生物の遺骸である石油やバイオエタノール、直接太陽光から電気を生み出す太陽光発電などである。原子力や地熱など、太陽に依存しない発電は本当にごく最近の技術であり、尚且つ全てを賄うには全く足りない。

 太陽の光は恵みだ。人類は太陽に、最大の感謝をすべきだ。


「……なーんて言って暑さから逃れられたら、苦労はないのよねぇ。畜生真夏の太陽め」


 等々理屈を捏ねてみたが、綿摘わたつみめだかは結局太陽への悪態を吐く。

 時は西暦二〇二七年八月。

 夏真っ盛りを迎えたこの時期、太陽は途方もない光エネルギーを地球に送り届けていた。正しくは、めだかがいる北半球に、と言うべきだろう。地球は地軸が傾いているので、南半球と北半球で太陽光を浴びる時間が異なる。この時期は北半球側の方が長く太陽光を浴びる。この時間差が日の長さとなり、気温の高低を生む。

 無論気温は太陽だけでは決まらない。南極や北極からの冷たい風が入り込むか、海からの風の通り道に山があるか、土地は緑に覆われているか、大地が熱しやすい砂やアスファルトか……

 そして遮蔽物がない海か、街路樹ぐらいはある都市部か。こういった要素で『暑い夏』か否かが決まる。

 めだかが今いるのは、遮るものが何もない海に浮かぶ船の上。おまけに赤道に近い場所である。暑苦しいのは当然だろう。


「だったら船内にこもればいいだろう、綿摘」


 だからといって何もしないお前にも問題はある。そんな言い方で指摘する、一人の男がいた。

 身長は百七十センチ。男性としては一般的な背丈だが、その肩幅は広く、着ている迷彩服がパツパツに張るほど手足には筋肉が付いていた。鍛え上げられた男らしい身体付きだが、顔立ちはやや童顔な日本人男性のそれ。身体と顔のギャップが凄まじい。

 初見時は妙な笑いが込み上がってきためだかであるが、今ではもう見慣れた。大和やまと武彦たけひこという名も、ちゃんと覚えている。

 彼が自衛隊員である事だって知っていたが、めだかは親しく話す。まだ出会って二日ほどの関係だが、妙に気が合って、すっかり友達のように打ち解けたのだから。


「分かってないわねぇ。もしもなんらかの異変があれば、海の生物にも何かがあるかも知れない。その何かがソナーとか温度計だけで感じ取れるものとは限らないわ。だからこそ外に出て、肌で感じないとね」


「ふむ。理屈としては正しいし、その意見は俺も同じだ。それはそれとして、なんらかの成果はあったか?」


「現時点で異常は特に検出されず。私の目から見てもおかしな事は何もないわ」


 めだかが正直に話すと、武彦はそれを笑うでもなく成程と呟く。

 生来真面目な性格であるのに加え、武彦は知っているのだ。成果がない、なんの異変もない事だって一つの情報なのだと。「ここまでは異常なし」というのが分かれば、なんらかの異常が発生した時、その原因を特定しやすい。環境要因や人為的要因かも推察出来るだろう。

 とはいえ突拍子もない何かが起きている方が、めだかとしては仕事がしやすい。めだか達の仕事は、これから向かう先で『何』が起きたのかを調べる事なのだから。

 ――――事の発端は、五日前。

 太平洋沖に位置する小島ロードリオン。フィリピン領に位置するこの島には、百人程度の民間人が暮らし、その暮らしの傍にフィリピン軍の基地が存在している。軍基地といっても、大した設備もない、軍艦の補給基地といったところ。米軍にも使用権があり、当時は訓練のため米軍人とフィリピン軍人がそれぞれ五十人ずつ、合計百人が滞在していた。

 その基地から、緊急通信があった。

 通信状態が非常に悪かったため、把握出来た内容は多くない。だが、なんらかの『敵襲』と、重大な『天災』が起き、基地に『大きな被害』が出たらしい。

 最終的に通信は途絶。以降連絡が入らない。それどころか民間人とも連絡不能になってしまった。この時を『一次異変発生時』と命名する。

 直ちにフィリピン海軍の駆逐艦が一隻出動し、事態の把握を行おうとした。基地での異常事態ならば国防に関わる話である。また島には百人のフィリピン国民もいるため、災害や事故が起きているなら彼等を救助しなければならない。駆逐艦は大急ぎかつ慎重に向かった事だろう。

 ところが島に到着後、そのフィリピン海軍駆逐艦とも連絡が途絶えてしまう。今度はまともな通信もしないうちに。この瞬間を『二次異変発生時』と呼ぶ。

 民間船なら兎も角、フィリピン海軍の軍艦だ。搭乗した百名近い軍人達は相応の訓練をしてきた身で、駆逐艦の設備は民間のボロ船よりずっと高性能。ちょっとやそっとの事で通信途絶をするとは考えられない。また災害や事故など、様々な原因を想定した上でフィリピン海軍は向かっていた。不意を突かれたなら兎も角、ある程度覚悟した上で何故なんの対応も取れなかったのか。

 何か、異常な事態が起きている。そう判断するに足る状況だった。


「(だから米軍が動いた。中国の仕業かも知れないし)」


 現在フィリピンに最も『攻撃的』な国は中国だろう。様々な島の領有権を主張し、経済だけでなく軍事的な圧力を掛けている。

 ひょっとすると中国人民解放軍がロードリオン島に攻め込んだのではないか……ネット上や一部評論家から、そのような指摘が出ている。現実的に考えれば、その可能性は高くない。確かに昨今力を付けている人民解放軍であるが、それを考慮しても米軍の力はなおも強大だ。故に米国と本気で事を交える気は、恐らくない。米軍が駐屯していた基地に攻め込む可能性は、限りなく低いだろう。

 そしてロードリオン島は中国から遠く離れた位置に浮かんでいる。仮にここをピンポイントで占領しても、周囲をフィリピン領に囲まれた状態だ。ゲームならばこれも有効な作戦かも知れないが、現実で占領し続けるには弾薬や食糧の補給が必要であり、自国領から遠く離れた位置では受け取れない。遠からぬうちに飢えと乾きで部隊壊滅……これでは兵力の無駄遣いだ。挙句この島の資源なんて、豊かな漁場ぐらいなもの。『侵略者』の汚名と制裁を受けて得たものがこれでは、流石に割に合わない。

 いくらなんでも、そこまで中国もだろう。

 しかしこれらの考えは、あくまでも米国側の願望だ。中国が米国から見てとち狂っていないとは限らない。或いは米国がそう考えるのを見越して、大胆な行動に出たかも知れない。また過激な陰謀論者は、この理性的な考え方を「中国共産党の工作」と言っている。今は少数派の戯言だが、放置すれば流言を真に受けた者が大勢生まれるかも知れない。

 中国の仕業かどうか。確定させる動機が米国にはあるのだ。

 ……更に日本も、人命救助の名目で自衛隊を出している。日米連携を諸外国に示すための行動だ。中国政府から早速反発があるため、相当嫌がっているのは間違いない。だからこそやる訳だが。

 めだかが乗るこの船は、自衛隊から派遣された護衛艦である。海上自衛隊員百九十名と『調査員』が十名乗っている。少し離れた位置で米駆逐艦が並走しており、そちらには米海軍兵が百九十名調査員が十名と、自衛隊と同じ数だけ乗っているらしい。つまり合計四百人の大部隊が島に向かっている。

 めだかは日本側調査員の一人であり、本業は生物学者だ。


「(まぁ、政治的あれこれは偉い人に任せましょ。私は私の仕事をすれば良い)」


 三十代前半という若さながら、優秀な生物学者……と周りが評価してくれているめだか。今回の調査でも、生物学的な知見を求められる立場だ。

 何故領土侵犯が疑われる事例の調査に生物学者が加わったのかと言えば、一次異変発生時のロードリオン島からの通信に『化け物Monster』という単語があったため。果たしてそれが何を意味するのかは不明だが、なんらかの生物に襲われた可能性も考慮しての事である。


「それにしても……何が起きたんだろうな」


「分からないから、私みたいな生物学者もいるんでしょ。ま、色々考えてはいるけど」


 広範囲が急な音信不通になる原因とは何か。

 真っ先に思い浮かぶのは、巨大かつ急激な災害だ。災害といっても嵐や地震ではない。隕石や火山噴火などである。例えば二〇一三年のロシア連邦チェリャビンスク州では、直径十七メートルの隕石が空中で爆発した。爆発位置は高度十五キロ以上とされているが、それでも建物数千棟の窓ガラスが割れる、ドアが吹き飛ぶなどの被害が生じている。

 もしもこれが地上に落ちていたら、広島型原爆の三十倍ものエネルギーが炸裂していた筈だ。小さな町なら跡形もなく吹き飛ぶだろう。

 そんなものが小さな島を直撃すれば……島が丸ごと消し飛んでもおかしくない。当然通信は途絶だ。火山噴火などでも原爆の十数倍の威力というのは珍しくもなく、『星』の力であれば人間を抗う暇もなく消し飛ばす事は容易いと言える。


「(ただまぁ、それだと通信の意味が分からないし、救援に向かったフィリピン海軍が消えた二次異変も説明出来ないけど)」


 NASAなど各国宇宙関連組織でも、フィリピン近辺に隕石が落ちたという情報はない。火山噴火にしても、噴火時の衝撃波などが観測されていないのが実情である。

 或いはもっとシンプルに、中国からの核攻撃ではないか。かつて人類は、百メガトン級(広島型原爆の三千三百倍)もの水爆を作っている。小さな隕石を遥かに上回る威力だ。今の中国ならば、やろうと思えばそれぐらい作れるだろう。

 しかし巨大水爆というのは、それこそ島ごと吹き飛ばしてしまう。おまけに大量の放射性物質も撒き散らす。これでは占領地として使えない。世界的批難、報復核攻撃の危険を侵してまで爆破して、何一つ得るものがない……最早意味不明な行動だ。それに核爆発だとしても、やはり衝撃波が出るため、なんらかの形で検出可能である。

 情報が何もない事が、それら大規模災厄の発生を否定する。


「ま、行けば分かるだろう、きっと……あと二十時間、つまり一日経たずに島に着く。あまり無理はするなよ。本番はあくまでも島での調査だ」


「ええ、分かってるわ。体調管理も大人の仕事だものね」


「そういう事だ。じゃ、俺も本業に戻る」


 そう言うと武彦は、さっとめだかの傍から離れていく。どうやら本当にめだかの体調を気にして、そのためだけに声を掛けたらしい。


「うーん。気障ったらしい」


 武彦は妻帯者の身。仕事仲間とはいえめだか独身女性相手にあんな立ち振る舞いをしては、奥さんとしてはハラハラするのではないか……会った事もない相手の心配を、めだかはちょっぴりしてしまう。

 そんなつまらない感想は、すぐに打ち止めとした。

 ぽつん、ぽつんと、雨粒が頭に当たったからだ。


「あら。雨?」


 この辺りで雨が降るという予報はなかった筈だが――――そうは思えども、現実に雨は降っている。

 空を見上げれば、どす黒い雨雲が急速に広がりつつある。ただの通り雨、というにはあまりにも大きく、何より黒い。相当激しい雨、更に落雷がありそうだ。

 雨だけなら、この暑さの中では心地よいかも知れないが……雷は命に関わる。遮蔽物のない洋上ではこの護衛艦が最も高い場所だ。その上に立つめだかは、一層高い『場所』である。雷が落ちるとしたら、自分の頭の上でもおかしくない。

 今はまだゴロゴロという雷の音は聞こえないが、聞こえた時には何時落ちてもおかしくない状況だ。成果も何もない野外観察を、意地を張って続ける理由もなかった。


「(あと二十時間ほどで到着って話だし、調査道具の準備とかしときましょうかね)」


 安全と今後を考え、めだかは船内へと戻る。

 気象学は専門外とはいえ、曲がりなりにも科学に携わる身。一学者として常識的な判断をしたというのがめだかの思うところだが、結果的にこの行動は英断であった。

 何しろ数分もしないうちに、天気は急変する。

 雷や大雨どころではない、あまりにも苛烈な大災厄へと……

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