〈蝶の舞〉十七、【蝶の諍い】その②
✿✿✿
「そんなはずは、ありません。だってそれは淡雪お姉さまの衣ですもの」
「金檀」
と、文淑が声をかける、まるで蛇のような鋭い眼光で睨めつけ、金檀はその前にひざまずいて、頭を下げて必死に訴えた。
「淡雪姉さまが、私に罪をなすりつけようとしています」
必死で訴える金檀、後ろから淡雪が声を上げた。
「この衣と簪は昨晩からなくなっていて探していたものです。旦那様。金檀が私に罪を着せようと準備したものでしょう」
「旦那様、これはなにかの間違いですわ」
金檀は跪いたまま、頭を下げているのを、芳梅がゆっくりと立たせた。
「そんな、情けないお顔では、旦那様に嫌われますよ。金檀」
芳梅は紅梅が咲くような笑みを浮かべ、憔悴している金檀を支えながら立った。
文飛の頭は混乱しきっていた。なぜ淡雪の血がついた衣が金檀の部屋から見つかるのか
「もし仮に、淡雪が犯人だとして、なぜそれを金檀の室に隠す。悪あがきにしても横暴すぎる」
文飛はそう言って金檀の顔を見た。
「そんな事ありませんわ。淡雪姉さんは、私のことをよく思っていなかったんです。もしかして、私のことをお疑いになってなんて……」
「金檀、お前が犯人だとしても、なぜ自室に小細工までした衣を置いてきたのか、まだ部屋の外に放り出したほうが得策だ。誰かに頼んで裏切られたのか。結託して、花衣を殺そうと?」
「旦那さま。そんなこと……」
金檀がそう言って深く頭を下げると、髪に飾った孔雀型の金細工がジャラジャラと音を立てた。場の空気は一旦静まった。文飛にとって今の一番の支えは、蝶の巣の女達の純粋さだけだった。だがそれさえも危うく崩れ去ろうとしている。文飛がゆっくりと立ち上がると、淡雪が前に躍り出て、文飛の前に跪いた。
「旦那様、聞いてください。私、全てお話申し上げたいのです。花衣は芳梅姉さんに、緑の部屋に住まわせてやると言われたと。申していました」
そう必死に訴えかける淡雪、突然のことに面食らっていると、後ろから淡霞が飛び出してきて淡雪に後ろから抱きついた。
「姉さん、なにを言ってるの、違うでしょ。嘘だと言って」
「淡雪、そんな突拍子にないことを言ってもだめよ。どうしたというの」
芳梅は気にもとめないようにして言った。手を組んだまま、流麗な足さばきで淡姉妹のそばまで寄ってくる。芳梅は赤く化粧下目元で淡雪のことを睨みつけたが、淡雪は身を捩って霞の腕を振りほどき、声を上げた。
「ただそれなのに、いつまでたっても部屋が空かないと、花衣は―――」
「姉さん、それ以上は言わないで。私達、ここにいれなくなる」
淡雪の声を遮るように淡霞の声が響いた。腕を振りほどいた淡雪の半身をつかむように抱きつくが、淡雪は抵抗してその腕を解き、勢いよく床の上になだれ込んだ。鶴の刺繍がされた真っ白な衣、背中にはじんわりと血が浮かび上がってきていたが、地面に押し付けるように、その細い喉が潰れそうな声で淡雪は叫んだ。
「花衣は、蝶として推薦してやるという芳梅姉さんの条件をのんで、嘘の告白をしたんです。霖鵜も金檀と紫翅姉さんがやったのです。芳梅姉さんは金檀をかばって、花衣に嘘の供述をさせました!文景様は濡れ衣なのです!」
「いま霖鵜のことは関係ないでしょう。なにを言い出すの。淡雪」
芳梅は腕を組み直していった。
「そんなに大きな声が出たのね」
金檀はそう言うと、淡雪の衣の裾を靴で踏んだ。
「どういうことだ。なぜ金檀と紫翅が霖鵜を殺さねばならない」
文飛はそうつぶやいた。すでに頭は蝶たちの話についていけなくなっていた。
「それはっ」
と短く淡雪はいい、言葉をつまらせた。
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「やはり口から、出任せだったようね。淡雪。旦那様。お気になさらず」
押し黙ってしまった淡雪に、芳梅がそう吐き捨てると、今度は部屋の端で控えていた紫翅が前に出てきた。
「それは、金檀が、珀秀様を狂おしいほどに慕っているからです。霖鵜はあの日、毎日のように、環叡(かんえい)様のところに行っていました、金檀はそれを珀秀様のもとに行ったのだと妬み、珀秀様が来ないのは、霖鵜のせいだと。私は金檀の言うことに背けばッ」
紫翅が言い終える前に、金檀が声を上げた。
「紫翅姉さん、一体何のつもりかしら。淡雪はあなたも霖鵜姉さんを殺したと言っているじゃない!抜け駆けするつもり!」
その口調はもはや緩やかというよりも、激しく、金切り声のような叫び声を帯びていて、文飛は唖然とした。だがなんとか意識を引き戻し、紫翅の言葉を頭の中で追いかけ、言った。
「淑兄上が、来る?どこにだ。私の蝶の部屋に?なぜ?」
文飛は半分上の空のように言った。蝶たちは押し黙り、ストンと静寂が落ちた。
「兄上?蝶たちは一体何を言っているんです。」
文飛はゆっくりと文淑の方を見ると、文淑は深く椅子に腰掛けたまま言った。
「お前たちはどうしたいんだ。全部、壊したいのか」
「淑兄上」
文飛はまた、文淑の名を呼んだが、文淑は文飛の方に向きもせず、立ち上がって言った。
「聞いてるんだ。全部、壊したいのか?」
その声色は、どこか重圧的で、文淑らしくないと文飛は思った。鉛玉を腹に打ち込むような重たい声に、後ずさって、文飛は口をつぐんだ。蝶たちは何も答えず、文飛は自分がこの場所にいるべきではないと感じた。海水に放り込まれた淡水魚のように、空気を吸う度に体が蝕まれていく感覚があった。もうこの場所にはいたくない。と思った瞬間、ガタン、と扉が開いた。
「旦那様!大変です」
呼ばれて文飛はそちらに向く、急いだ様子の下男。感情に任せて上ずった声で叫んだ。
「今これ以上に、大変なことなんてあると思うのか!」
すると下男は答えた。
「千泰円(せんたいえん:青黛の室)の女、いや、蝶が、妊娠しています」
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