《裏》〈雪と飛影〉四【新たな妹】

四、【新たな妹(あらたないもうと)】

 

 文飛と文淑が室から出ていくと、芳梅は立ち上がって蝶の巣の決まりを霖鵜に話した。まだ齢十二の霖鵜に芳梅が話したのは、初めに淡姉妹に話したのと同じく、演奏中は室の窓を開くこと、文飛を一晩中部屋に留めること、姉らのことを慕うことの三つだった。

「今日私のところに旦那様が来るの?」

 芳梅が決まりを言い終えてすぐ、霖鵜は小さな声で言って、顔を下に向けて袖口で隠れた指先を恥ずかしそうに小さく動かしていた。

「霖鵜。それに関しては、淡雪姉さんと、淡霞姉さんが教えてくれるさ」

 紫翅がそう言って芳梅と一緒に室を出る、淡雪は一瞬だけ紫翅に目配せされ、小さくうなずいた。室に静寂が落ちる。大きな黒目で二人を見上げる霖鵜はゆっくりと近づいてくる。近くで見ると頭一つ分は霖鵜のほうが小さく、首や足首などもまるで棒のように細かった。

「わかっているわ。私娼婦の子ですもの。言っていいのよ」

 自分たちよりも幼い少女のその言葉に、姉妹は顔を互いに見あわせ、まずは淡霞からゆっくりと話し始めた。

「このお屋敷では、温かい食事と、きれいな洋服に部屋まで与えられる、でも、そのためには守らなくちゃいけないことがあるの。秘密を守れなきゃ、ここにはいられないの、まず――――

 

 霖鵜は二人の話すことを一度で理解した様子で、ゆっくりとうなずき、そしてその夜、美しい歌声が蝶の巣を包んだ。


 ✿✿✿

 

 霖鵜ははじめのうちは内気で声の小さな少女だったが、ひと月もたつ頃にはすっかり蝶の巣に馴染んで、昼には文飛や他の蝶らと戯れる霖鵜の笑い声が響いていた。活発な霖鵜は子供用の胸当てと下着用のズボンを身に着けたまま廊下を走り回ったりすることもあり、纏足をした芳梅はそれを捕まえられず、こっぴどく叱られては紫翅がそれをかばってやるというのがお決まりの流れになっていた。

 

「淡雪姉さん!」

 霖鵜の声を聞いて、室の中にいた淡雪は廊下に出た。ちょうど淡霞が芳梅と一緒に弦楽の練習をしている頃合いで淡雪は室で横になっていた。

「霖鵜、いつも元気ね。今日はどうしたの?」

「すこし、姉さんとはなしたいな、と思って、部屋に入っても良い?」

 淡雪はニッコリと笑ってうなずくと、霖鵜もニッカリと笑って部屋に入っていった。

「うわあ、雪姉さんの部屋すごい。私の部屋にもこんなのがほしい」

 霖鵜は雪の室の中に入ると天井から吊り下がった絹の飾りに駆け寄っていって手で叩いた。飾りは大風に吹かれたように揺れ、飾りの先についてある鈴は今まで聞いたことのないような音を鳴らした。

「あんまり乱暴にしないでね」

「わかってるわよ」

 諫める淡雪の声に霖鵜は子供っぽく言い返しながらストンと椅子の上に腰掛ける。

「霖鵜を見てると、なんだか心が休まる感じがする。もうひとり妹ができた気分」

 淡雪もそう言いながら霖鵜の前にゆっくりと腰掛け、霖鵜が机の上においてある白磁の茶杯を手にとって手慰めにいじるのを微笑ましく眺めていたが、しばらくして霖鵜はポツリと言った。

「雪姉さん。文淑様の嫌いな女がどんなか知ってる?」

 言ったあと、霖鵜は顔を上げて、少し唇をつぐむようにして小さく笑った。淡雪は予想もしない質問に目を丸くすると無意識のままに首を横に振った。

「あの方、子供っぽいのが嫌いなのよ」

 霖鵜が落ち着いた口ぶりでいうので、淡雪は更に目を丸くして、霖鵜の顔をただじっと見つめた。

「雪姉さん、私が何言ってるのかわからないって顔してる。そうね。こんな格好して走るのも嫌いじゃないけど、こうしてれば変な諍いに巻き込まれなくて済むのよ」

 言いながら霖鵜は小さく鼻を鳴らす。白い茶杯を元の場所に戻すと体の前で手を組んで淡雪の顔色を伺うように顔を傾けた。だがそれを聞いた淡雪は少しの間黙って間の抜けた声でいった。

「変な諍い?」

「はあ、姉さん、気づいてない?今芳梅姉さんの機嫌が悪いこと」

「全然」

「こっちの棟、つまり東の棟に私達と芳梅姉さんがいるから、文飛様がこっちの部屋に来たときは紫翅姉さんがほとんど文淑様を独り占めってことなのよ。文飛様が紫翅姉さんの部屋に行けば芳梅姉さんのところに文淑様が来るってわけだけど、私がもし女の体になったらって、考えるだけでも怖いでしょ」

 うんうん、とうなずきながら淡雪は聞いていたが、それでもすぐに理解はできなかった。

「あ、そういうことね。霖鵜は意外と策士なのね」

 一拍おいて感心したように淡雪が言うと、霖鵜はさらに続けた。

「今は芳梅姉さんと、紫翅姉さんだけだけど、いつかもっと姉妹が増えたら、もっともっとややこしいことになるし、私はそんなのゴメンだから子供のフリしてれば蚊帳の外なわけよ」

 淡雪はその言葉を聞いて少し押し黙った。つまり霖鵜は姉たちから恨まれないために文淑を遠ざけているのか、と考え、ゆっくりと口を開いた。

「霖鵜は文淑様のものになりたいって思う?心まで捧げられるのかしら」

 そうまっすぐに言う淡雪に、霖鵜は少し顔をしかめた。唇を一瞬だけへの字にすると、早口に答える。

「なりたいも何も、前にも言ったけど、私は娼婦の子、買われたってことはそういこと。あそこから連れ出してくれただけでも全然感謝してるし、ここで長く暮らすなら大事なのは、へんな諍いを生まないこと。母さんも、男よりも女が怖いって言ってたから」

 聞いて、淡雪はしたにうつむいて、唇を尖らせた。

「そっか。で、でも、もし私が、怖い女だったら、どうするの。今のこと全部文淑様にはなしたら、大変よ」

 淡雪は少し霖鵜をからかってみようとして、負けじと早口にそういったが、それを聞いた霖鵜は一瞬目を丸くしたあと、すぐに笑いながら得意げな顔をして言った。

「姉さん、文飛様のこと好きでしょ」

 それをきいた途端淡雪の顔は茹でたタコのようにかっと赤くなった。情けないほど細い声が喉から漏れ、裏返った声で言った。

「な!なんてことを言うの!そんなわけッ……」

「図星だ、さては図星みたいだわ。いつも目で追いかけていて、嫌でもわかるわ」

 霖鵜は淡雪の様子を見て目を細めて笑ったが、淡雪は霖鵜をなんて恐ろしい子なのかしら、と思った。

「霖鵜、誰にも言わないでね。お願い。霞に知られたら、なんて言われるかわからないから」

 取り乱して、淡雪は膝の上においてある手を意味もなくパタパタと動かしてうつむく、霖鵜はまるで子猫でも見るかのような面持ちでその様子を見ていた。

「誰にも言わないわ。その代わり姉さんも私と話したこと秘密ね。まあ、姉さんは嘘つかない人だって、なんとなく分かるけど」

「ありがとう、霖鵜」

 淡雪がそう言うと霖鵜は椅子から立ち上がって淡雪のすぐとなりまでゆっくりと歩いてきて、人差し指を立てると小さな声で言った。 

「そしてここで、一つ提案。私は女の諍いに巻き込まれたくないから子供のふりを続ける。雪姉さんは文飛様のことが好きだから文淑様のものになりたくない。私達協力できるんじゃないかと思って」

 淡雪は一瞬ビクッとして霖鵜の方を見たが、すぐに小さな声で返事をした。

「うん。秘密を守ってくれるなら、頼りになる妹ね」

 淡雪の答えに、霖鵜が首を縦にふると、とたん束ねていた髪がするすると解けた。

「これね、仕方がないのよ。走り回ったらすぐに崩れちゃって」

 言いながら霖鵜は席に戻る、髪紐を引くと、艶のある黒髪が腰のあたりまで伸びていて大人びているように見えた。淡雪は一瞬その姿に見惚れたが、ハッとして立ち上がると部屋の箪笥から髪紐を持ってきて霖鵜の髪を結い上げた。耳の上で2つに分けて結び、束をみつあみにし、耳の上でまとめて輪っかにする。自分が見世物小屋にまだいた頃、身長の低い小套という役者が少女の格好をするときにしていた髪型だった。

「これだったら解けないと思うの」

 という淡雪の声に霖鵜は顔をブンブンと振った。垂れ下がったおさげが跳ねるように動くが解ける気配はなく、ニッコリと笑って淡雪の顔を見上げた。

「雪姉さん、ありがと」

 

 その日から霖鵜の髪型は耳の上で束ねた髪を編んで垂らすようになり、二人は時々話し合うようになった。淡雪は妹の霞に、自分の恋心がどうすればバレないように済むのか、他の姉妹たちに文飛に気があることを悟られぬ方法を霖鵜から受け、芳梅や紫翅の様子からどう立ち回れば諍いが少なくなるのかを話し合い、文飛を部屋に招いたり、文淑の帰省時は紫翅の室に行くようにと文飛を促したりした。

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