《裏》〈雪と飛影〉三、【楽園の真実】その②
二人は霞の室に戻ると互いに目を見合わせ、淡霞は赤い紅がついた淡雪の頬を指先で拭った。
「姉さん。私達、売られたときから、覚悟は決まってた。こんな豪華な着物を着れて、おいしい食べ物もある。この体が誰のものになろうと、見世物小屋に戻るよりかは、いいわよね」
その声に淡雪はゆっくりと目線を下げた。妹の言葉にはなんの誤りもないのに、ただ胸が重苦しく、目頭が熱くなった。ぐっと握りしめた手を胸に押し当てると震える声でいった。
「文飛様は、何も知らないの。珀秀様に裏切られていること」
口に出すと、余計に胸が苦しくなった。息が詰まって、喉が潰れていくように思えた。しかしそんな淡雪の顔をじっと見つめたまま淡霞はいった。
「姉さん。私達には関係ないわ。文飛様がどうなろうとここで暮らせるならいい。姉さんは自分の心配をしてよ。あの見世物小屋に戻ったら、もう犬死にするしかないのよ」
言いながら淡霞は淡雪の両腕を手で握ったが淡雪はしばらく言葉をつまらせていた。うつむくと肩に垂れた白い髪がみえ、昨晩自分に優しく触れた文飛の指先が思い浮かんだ。爽やかな乳香の香りと、文淑の前で子供のように笑った文飛の顔が思い浮かんだ。
「姉さん」
淡霞はうつむいた姉にいった。子供に言い聞かせるような優しい言い方でなく、責め立てるような棘のある声だった。
すんで淡雪は顔をあげる、淡雪の目には、焦燥を隠しきれない淡霞の表情が写った。自分は今まで妹に迷惑を掛けてきた。これ以上妹を苦しめたくはない。そう思うとずっとつぐんでいた口から、自然と言葉が出てきた。
「そうね。そうよね。淡霞の言うとおりだわ」
その声を聞いて、ゆっくりと淡霞の顔は解けていった。淡雪はその髪をなでつけて、手を取り合って、その日も二人は霞の室で抱き合って眠った。
✿✿✿
それから二人は蝶の巣の決まりを忠実に守るようになった。文飛が途中で室を出ようとしても、淡霞が呼び止めて古箏の演奏などをして、文飛を寝かしつけ、文飛が霞の室で眠りにつくと、姉妹は雪の室の寝台で眠り、文飛が起きる前に起きると、文飛のそばで座って起きるのを待った。
そうして一年が経つ頃、早朝から「今日新しい蝶が来る」と大騒ぎになった。二人は特別にめかしこんで、蝶の間に連れられた。足をぴったりと揃えて長椅子に腰掛ける。紫翅が追って室に入ってきて、二人の斜め前に腰掛けた。
「ふたりとも、調子はどうだい」
紫翅は釣り上がった目を細めてゆっくりと笑う。淡霞は紫翅を少しにらみ、淡雪をかばうように身を傾けた。しかし紫翅は自分を睨めつけながら言い淀んでいる二人の姿を見て側によると、二人の前でかがんで、手をゆっくりと重ねた。
「私はね。あんたたちに会えて嬉しかったよ。妹ができたような気分でね。よく決まりを守ってくれてるのも、こんなに小さいのによくできた妹だ」
紫翅は少し肉付きの良い白い手のひらで淡雪と淡霞の手を少し揉み込むように握った。
「今度来るのは、あんたたちの妹だ。貴族の娘ってわけじゃない。きっと身売りに出されてる娘だよ。恨まれてるかもしれないが、私は後悔していない。だって何よりも恐ろしいのは、また身売りされることだろう。芳梅姉さんはね、貴族の娘でそこら辺よくわかってないからね」
そう話している紫翅の声にはどこかぬくもりがあって、二人は何も口を挟めなかった。
「次、きた妹を守るのは、あんたたちの役割だよ。教えを守らなくちゃ、追い出されるってね。いいかい」
そう言って立ち上がった紫翅の姿を追いながら、淡雪は細い声でいった。
「どうして、かまってくれたんです。紫翅姉さん」
その声を聞いて、淡霞は不服そうに顔を歪めたが、紫翅は振り返って、明るい声色で言った。
「私にも、妹がいたんだよ。飢饉で死んで、その肉を家族で食べたんだ。私を売った金で、弟は生きてると信じてる」
それを聞いて、淡雪は淡霞の手をきつく握りしめた。
部屋には追って髪を結い上げた芳梅が入ってきて、今度は文飛、最後に文淑がはいってくる。淡雪は文飛にバレないように視線だけをそっと文飛に飛ばした。今日の文飛の衣は淡い桃色で絹の光沢が柔らかく春らしい装いに見えた。いつものように低く束ねてある黒髪と無邪気な笑み、しばらく見ていると淡霞に小さく袖を引かれて顔をそむけた。
「姉さん、見すぎよ。怪しいんだから」
そう妹に言われ、小さくうつむいて、肩をすぼめた。
程なくして蝶の間の前に小さな足音が聞こえた。扉は開けられていないが、透かし細工のある木戸から小さな影が見えた。淡雪は少し身を乗り出してその様子を観察した。背丈は自分と同じほどだろうか、ただ日の傾きもあるのでそうも言い切れない。ただ程なくして文淑の声に合わせ扉がゆっくりと開かれた。現れたのは自分よりも一回り小さな少女でクリクリとした大きな目と、桃色の唇が可愛らしい。体の丈に合わない白い着物を着ていて、足には布を重ねて縫い底を固く作ってある靴を履いていた。その少女はおぼつかない足取りで室に入ると、文飛の姿を見てゆっくりと頭を下げた。文飛が顔をあげるように指示するとその少女は勢いよく顔を持ち上げて手を後ろで組むと、今度はゆっくりとうつむいて「あなたが私の旦那様?」と小さな声で言った。
その少女は文飛に霖鵜と名付けられ、部屋は淡霞の隣、緑の室を与えられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます