〈修羅と淑男〉四、【憫笑】
四、【憫笑(びんしょう)】
その次の日の晩。本殿で書類の整理をしていると、箜篌の音が蝶の巣から響き鳴っているのがわかった。文淑はこの日のために用意した2つの箱を持って蝶の巣に渡った。1つ目の箱には鶴の銀細工がついた額飾りと真珠を連ねて作ってあるつけ襟状の装飾品で淡雪のために用意したものであり、雪のように白い肌と髪に合わせたものだった。2つ目の箱には光に当たると水色っぽく艶の出る真珠をはめてある簪が入っていて、細く繊細な黒髪をもった淡霞のために選んだものであった。
蝶の巣には藤の刺繍がしてある紫の提灯が灯されていて、文淑はそのまま淡姉妹の室の前までやって来て、雪の室の前で足を止めた。扇子の尻で戸を叩くが、中からは何も音が聞こえない。
文淑はまた戸を叩いた。今度は少し強く叩くが、淡雪は出てこない。
もしや寝ているのかと、戸をゆっくりと開いた。室の中は真っ暗だが、天井から垂らされた絹布が月明かりを受けて光っている。文淑は手に持った箱を置き、その絹布を手でめくった。寝台の前にも天井から垂らされた絹布が一枚垂れている。
文淑の胸は高鳴った。本当ならば、駄賃で手に入れた女など、いつでも抱くことが出来るのに、蝶の巣に入るまでは我慢して、そこでまた体が女になるまで置いておく、そしてこの女達は体を他の男に預けながらも、昼間や、文飛が室に来たときには、文飛のものであるかのように振る舞う。淡雪や淡霞も今日から、体を自分に預けながら、文飛の前で笑顔を取り繕わねばならないのだ。
文淑はゆっくりと絹布をめくった。奥の寝台の上には淡雪がいる。その真っ白な衣を血に染め、白い髪を振り乱す姿を文淑は見たく、体の奥はうずうずとしていた。
しかし、文淑が絹布をはぐった瞬間、細い影が寝台から飛び降りて、逃げていくのが見え、文淑は手でその影のはしを捉えた。その影は小さな声でうなり、文淑の手には折れそうに細く、消えてしまいそうに白い腕が握られていた。
「淡雪。贈り物を持ってきた。きっと似合うだろうから、おいで。」
淡雪は何も言わなかった。ただその指先は震えていて、冷たかった。文淑は自分に逆らう女を初めてみて、無理にでも手に入れたくなった。こんな細腕は折ることも容易く、力でねじ伏せてしまうことなど造作もない。文淑はその震える腕を強く引いて、腕の中に引き込んだ。淡雪の抵抗は、まるで罠にかかったスズメが怪我をした翼で抗っているようで力なく、文淑はそのまま寝台の上に淡雪を押し倒し、その衣を引き剥がそうとした。
「珀秀様」
とたん、落ち着いた声がして、振り向く。居住まいを正した淡霞が立っていて、淡霞は文淑がこちらに向いたとわかるとゆっくりと頭を下げた。
「姉はまだ、日が浅いです。私を先に」
淡霞は言い終えてゆっくりと顔を上げた。その目は月明かりに照らされ澄んだガラス玉のような美しい水色に見えた。
「お前のところにも、後で行ってやる」
文淑は淡雪の手を離し、淡霞の方に向き直った。細い黒髪は一つに結われていてまだあどけなさが残るものの、その顔貌は大人びていて、唇に薄く紅を塗ったような艶もあった。
「私を先に。私は、早く姉さんたちみたいになりたいと思いながら。芳梅姉さんの言いつけで、ずっと黙ってきたのですよ。この体が誰のものでもないことの、なんと苦しかったか。どうか、そんな姉より、私を先に」
とたん、その目の奥に文淑は自分好みのきらめきを見つけた。心が惹きつけられ、目を細める。淡霞のその姿は心の奥から嘲笑できる女そのものにみえた。
「姉の先を越したいと?」
文淑がそう言うと、淡霞は顔を上げた。
「ええ、絶対に。姉より私のほうが満足いただけますよ」
その声を聞いて、文淑は失笑した。淡雪から手を離し、立ち上がって隣の淡霞の室に入った。
淡霞の白い体は肋骨が浮くほど細く、その肌のキメもまるで霞の粒のように細やかで、指先で撫でるとじんわりと溶けたようになめらかになる。少し膨らんだ胸には桜色の乳頭が、いつも弦をつま弾く細い指先は自分の体の上で力なくわななく。腰を引き寄せる度に息をかみ殺すように声を上げ、頬は桃色に染まり、細い黒髪は汗と涙で濡れた。
淡霞は寝台の上でぐったりとして、その目だけでうつろに文淑を追いかけていた。文淑は霞の黒髪をゆびですき、頭を優しく撫でた。
「贈り物をしようね」
文淑はそう言って淡霞の髪に銀の簪を刺した。顔を撫でると冷たい水が指先に伝う。
「辛いのか?」
文淑はそう言いながら、淡霞の肩を撫でた。月光に艶めく白い肌。先程まで汗ばんで陶器のようになっていたその体は、今は汗で濡れた寝台の上でゆっくりと体を冷やしている。
「いいえ。これでやっと。認められたと」
震えながら、淡霞は言った。文淑は少し笑ってその体を引き寄せた。
女達は裏で、自分の取り合いをしている。抱かれていない女はそのいさかいの蚊帳の外。順当に愛されてもいないくせに、そのつかの間の熱のために競い合う女達。考えるだけでたまらなかった。耳に入る美しい箜篌の音。美しい音色と、その着飾った見た目が、その蝶たちの歪んだ内面を一層際立たせる。
これが自分が作り上げた蝶の巣。文淑は滑稽でたまらなかった。
✿✿✿
夜も深まり、月光が降り注ぐ蝶の巣の中で、文淑は箜篌の音に合わせて少しだけ舞い踊った。袖口から取りだした白檀の総木づくりの扇子を孔雀の尾羽のように華やかに開き、それを手の上で弄びながら蝶の羽のように動かす。月明かりに透かされる薄い木片は脆く、それでいて香気を帯び、繊細な彫刻の形をした複雑な影が文淑の洒落な顔立ちの上に落とされていた。
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