〈修羅と淑男〉二、【青の蝶】 その②


 

 青黛が蝶の巣にやって来た日、蝶の巣には当然青い提灯が灯されている。文飛が青黛の部屋にいるので、文淑は向かいの芳梅の室に訪れた。蝶の巣の西棟は紫翅を筆頭にし、青黛、小雀、金檀、東棟には芳梅を筆頭に霖鵜、淡姉妹がいるが、芳梅以外には文淑は興味がなかった。淡姉妹は十八になるものの月のものが始まっておらず、堕胎ができないため気が置けない。そして霖鵜に関しては、蝶の巣に迎え入れたときにはその成長を期待していたが、まだ十六の段階でその女らしい魅力を感じることはなかった。平坦な胸に引き締まった尻、凹凸のないまっすぐな脚、どれも自分好みではないため、西棟に文飛がいるときは芳梅のところに顔を出すことにしていた。

 

 真っ暗に静まり返った部屋の戸を叩く、中から芳梅が顔を出して部屋に入った。その日の芳梅は梳った髪と肌の色が生々しく映える赤色の内衣、深みを持った甘い麝香の香りをまとい、まるで自分が来るとわかっているように寝具は整えられ、タバコの筒まで用意されていた。

 

 文淑は芳梅のこういうところが好きだった。他の女どもは皆身分の低い顔と体だけが取り柄の女だが、芳梅の所作はしつけが行き渡っていて、恥じらいの残っている上に、十分に尽くしてくれ、気をきかせることもできる。文淑はそのまま芳梅を引き寄せると、上着をゆっくりと脱がせ、そのままなだれ込むように寝台に押し倒した。


 

 月の白い光が差し込む中で、文淑はふと淡姉妹のことが頭に浮かび、鏡台の前に座って髪を梳かしている芳梅に尋ねた。

「淡姉妹はどうだ?もう女になったか?」

 芳梅の顔は月光で白く浮かび上がっているように見えた。その目はおぼろげで、手も力なく、返事は返ってこなかった。

「芳梅?」

 文淑がそう聞くと、芳梅ははっと気づいたふうな顔をして文淑の方に向いた。少し目を伏せ、口は少しだけ開いていた。

「いいえ、そういう話は聞いていませんね」

 と、ポツリと言うと、また髪を梳き始め、文淑の方に向いた。

「もし私と結婚してくださったら、毎晩でも抱いてくださる?」

 芳梅の茶色い瞳が自分の背に向けられているのがわかる。気だるそうに髪をなでつけて文淑は体を起こした。

「いや、それはない。億劫になるだけだろう」

 寝台の上に落ちている服を拾う、ふと芳梅の方を見ると視線はもう鏡の中にあり、すぐにまた目を逸らした。

「珀秀様は、やはり私を愛してくださらないのですね」

 芳梅はそう言ってうつむき、文淑は顔を歪めた。この女は物わかりがいいことと自分に忠実であることが取り柄であるのにと、ため息をついた。愛す、愛されるなどバカバカしい。

「愛されたいのか」

 文淑はそう吐き捨て、寝台から降りて上着を羽織った。鏡越しに芳梅がゆっくりと首を横にふるのが見えて、戸に手をかけるが、すんで芳梅に名を呼ばれて、手を止めた。

「明日は、青黛のもとに行くんでしょう。私か霖鵜が、涼春様を引き付けますね。」

 芳梅は落ち着いた声で言った。

 

 芳梅は信頼のできる女だった。文淑がいない間に蝶の巣を取り仕切ったり、女達が好き勝手なことをしないように監視したりする役割も担っていた。

「ああ、頼んだ。そう、蝶の巣に変わりはないか?」

 文淑がそう言うと、芳梅はゆっくりとうなずいた。

「ええ、何も」

 それを聞いて、文淑は部屋を出た。向かいの青黛の部屋にはまだ提灯が灯っている。他の女達は器楽に長けているため、いつも流麗な音色が聞こえてくるはずなのだが、青黛は舞のためその限りではない。これでは間違って文飛が室から出てしまった時に、確認するすべがないと文淑は少し眉根を寄せた。足音を立てないように歩き、青黛の部屋を正面から眺め見る。中では、黒い影がなめらかに動いているのがみえた。

 その顔も、声も、体つきも、自分の好みの女。文淑は明日が楽しみでならず、そのまま本殿の方に渡った。

 

 

 そして待ち望んだ次の日の夜、提灯の光を消す侍女が歩いてくるのを見て、急いで蝶の巣に渡った。蝶の巣では蓮の刺繍がしてある緑の提灯が光っているのを確認し、青黛の部屋に入っていった。ろうそくを消した真っ暗な部屋の中、月明かりだけがかすかに足元を照らす。昨日選んだ孔雀柄の西方風絨毯の柄を目で追いかけると、その上に芍薬の花弁のような淡い色の衣の裾を捉えた。青黛は昨日文飛と選んだ黒檀の寝台の前にひざまずき、初めて会った日の夜と同じように、強かな面持ちで、静かに頭を下げていた。何重にも重なる裙裳の繊細さが針金のような黒髪と奇妙に混じり合い、その半身だけが月明かりに白く照らされている。

「覚悟はできています」

 そう言ってゆっくりと顔をあげる青黛、その目線の鋭さに、文淑の体は電気が走るようで、そのまま体の中の熱に任せて、青黛の衣を剥ぎ取った。若く弾力のある乳房を揉みしごき、唇を重ね、寝台の上に押し倒す、青黛は枕の綿を噛んで声を押し殺し、しなやかな体は脈打つように疼くので、文淑はただ夢中になって青黛を抱いた。

 

 ✿✿✿

 

「もし、子が宿ったら」

 ゆっくりと体を起こしながら、青黛は言った。帯を締めていた文淑は一度その手を止め、振り返り、青黛の顔をじっと見た。

「話は聞いただろう。子ができたら流せ。医者に言うんだ」

 文淑はそう言って、また帯に手をかけた。

「文淑様。私は、子を残すことが女の女である所以と思っております。女はそのために体を傷つけるのだと思います。」

 その青黛の声に、文淑はため息を付いた。昨日この蝶の巣の決まりごとについては、芳梅から教わっているはずなのに、物わかりが悪い女だ、と青黛の顔を睨み、すんで、冗談めかすように笑っていった。

「お前は、つまり、他の女達が女でないと言いたいのか?」

「いいえ。そういうわけではありません。ただ私は、子供を生みたいのです。私は……」

 青黛は寝台から降りて文淑のもとに駆け寄った、文淑の手は青黛に掴まれ、そのまま、固く張った青黛の胸元に押し付けられ、文淑は勢いよくその手を振り払った。

「話を聞いただろ?」

 振り向くと、衣も身に着けず、髪が乱れたまま、青黛が立ち尽くしていた。

「はい、姉さんから聞きました。ただ、私は、私はそれでも」

 そう言って、青黛はまた文淑の手をつかもうと腕を伸ばしたが、文淑はその腕を手で叩いた。

「女というのは、だから嫌いだ。お前は私が金で買ったんだ。私の言うことが聞けないのか」

「お願いします。私は、子を持つ母が一番美しいと思うのです」

 そう言って今度はひざまずく青黛。腹を両手で押さえ、深く俯いたかと思えば、潤んだ目で文淑を見上げた。

「いい加減にしろ!子をうみたいだ!情欲に顔を歪める女が、我が子を愛せると思うのか?お前たちは私に従順なことにだけ価値がある」

 文淑は感情に任せて声を荒げた。しかし青黛はまっすぐに文淑を見つめ、芯のある声で言った。

「男とて、情欲に顔を歪めるでしょう!」

 その瞬間、文淑は頭の中で堪忍袋の切れる音を聞いた。手のひらは風を切り、勢いよく青黛の頬を打った。

 鈍い音が室に響き、青黛は床に倒れる。生身のまま床に転がる女の醜態に、文淑は気分が悪くなった。しびれた手のひらは毛虫に刺されたように鈍い痛みがずっと這いずっていた。

「お前のような物わかりが悪い女は初めてだ。次戯言を言えば、娼館に売ってやる」

 文淑はそう吐き捨てると、そのまま室を出た。そうして次の日には屋敷を離れ、次に戻ってきたのは六月頃だった。文碧から夏の宴会の話を受け、7月には豪勢な宴が開けるように準備した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る