〈蝶の舞〉七、【紫双弾の主】
七、【紫双弾の主(しそうたんのあるじ)】
「よくきたねえ。旦那様。久しぶりに私の演奏が聞きたくなったのか」
紫翅の部屋は大きな紫水晶が映える部屋で、藤の花の掛け軸や、紫檀で作ってある調度品が多くあり。紫色の翡翠で作ってある香炉からは伽羅の香が細く煙を上げていた。
「紫翅。昨日の舞は見事だった」
文飛は部屋に入ると、すぐに寝台に腰掛けた。思わぬ言葉をかけられた、という様子の紫翅は、少し顔を赤くしながら、照れくさそうに答える。
「そう。旦那様に気に入られるとは嬉しいね。案外なれないことでもやってみるものだね」
「少女のように、走り回って……可憐だったよ」
紫翅は蝶の巣にやって来たときは十八、今の青黛と同じ年頃だったが、その翌年には淡姉妹が入ってきて姉という立場になってしまった。芳梅は姉というより、蝶の巣の管理人という取り仕切り的な立場として蝶たちに「お姉さま」と呼ばれている部分もあり、実質紫翅は長い間、長女として尊敬され、それに見合うようにしっかりとしているという印象が文飛にはあった。なにか物事があるときはいつも妹たちを優先させて、自分のことはいつだって後回し、そんな謙虚な紫翅のことを文飛は気に入っていた。
「こらこら、少女のようなんて、あんまり言わないでおくれ、恥ずかしいじゃないか」
「また、あの舞を見せておくれよ」
「そんな、無理さね。あれはお姉さんもすると言うから、しただけで……」
「紫翅、素敵だったよ。もう一度」
「滅多なことを、言うんじゃないよ。もう」
「ほら、早く」
「しないったら、しないよ」
紫翅は少し押され弱いところもあるが、今回は一向にしてくれそうにない。文飛は箜篌を弾くように頼んで寝台の上で横になった。紫翅の箜篌は音の粒の一つ一つが手から流れ落ちる小石のように細やかで耳に心地良いい。危うく寝てしまいそうになるが、文飛は目をとじて狸寝入りを決め込んだ。きっとなんだかんだ言って、優しい紫翅は自分が寝た後になら舞を披露してくれると思ったからだ。しばらくして、「寝てしまったのかい」と呼びかける紫翅の声がして、文飛は心のなかで笑った。紫翅が椅子から立ち上がる音が聞こえ、絹が擦れる音がしきりに聞こえたため、薄く目を開けた。紫翅が箪笥の中から紫の絹布を取り出して、頭に被ってるのが見える。顔をうつむけてゆっくりと歩き、少しだけ絹布がなびいて紫翅の白い肌を隠す。香炉の煙が風に揺られ、紫翅の黒髪が月光に透かされて薄く光る、鏡台を開き、鏡の前でゆっくりと微笑む紫翅。まるで顔の上で、白い小花が咲き誇るような、夏の朝露を身に着けた花のような淡い少女の笑み。それは普段の紫翅からは考えられない表情だった。
「紫翅」
文飛はその横顔を見ていると、抑えがきかなくなってつい声に出してしまった。紫翅は紫の絹布を頭から取ると、顔を真赤にしてうつむいた。
「今のは、その……何だ、旦那様。私だって、時には、その。いいだろう」
「別に誰も、咎めたりしてないじゃないか」
文飛は寝台から起き上がって紫翅のそばまで歩いていき、ゆっくりと紫翅を抱き寄せて肩をなでた。紫翅は震える指先を文飛の体に押し付けて、照れ隠しするように笑った。
「たまには、いいかもしれないね」
紫翅はしばらくして文飛から離れると、また箜篌の演奏を始めた。蝶の巣には美しい箜篌の音色が響き渡っており、眠たくなると紫翅に膝枕を頼みそのまま眠りについた。
その次の日、昼に中庭で追いかけっこしている
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