〈蝶の舞〉三、【蓮聯舟に風を待つ】その②
「旦那様!」と呼ぶ高い
「見て、みんな雨になるんだよ」
霖鵜はそうして蝶の巣を指差した。黄色い絹を被いた小雀が走ってそれを風になびかせているが、ふと霖鵜の方を見て、文飛と目があうと、ハッとして布を取り落としてしまった。
「
そう言って文飛が近づくと、小雀は頬をかっと赤らめた。
「小雀も上手なんだよ、ねえ」
小雀の横から得意げな顔をした霖鵜がひょっこりと顔を出して言うが、小雀は顔を俯けたまま静かに答えた。
「いや、そんな……」
黄色い曲裾の上着と橙色の裙を合わせて着ている小雀。肌は小麦色で頬にはそばかすも見える。動きやすいように着付けをしているのか、健康的な足首が裾から覗いていた。年は今年で十七、霖鵜よりも年上だが蝶の巣にきてまだ半年ほどのため霖鵜の妹分となる。
「あら、旦那様、こんなところでどうしました」
声の方を向くと、赤い着物を着た
「お前も雨になっていたのか?」
文飛は冗談っぽく言って目を細めた。芳梅は元は貴族の娘、文淑に嫁いでこの文家にやって来ている。奔放な他の蝶たちと違って悪く言えば堅物なところがあった。蝶たちが入ってきて、女性らしい食事作法や身のこなし、教養を教えるのも芳梅の役割だ。
「いえそんな。私には向きませんね」
芳梅は当然のことのように微笑んで、文飛は少しはにかんだ。芳梅は舞は舞っても、不用心に廊下を走り回ったりはしない。そのまましばらく芳梅と立ち話していると、横で騒ぎ立てている小雀と霖鵜の声を聞きつけて金檀も現れた。胸元に見えるのは鳳凰の金刺繍、小さな上着はその刺繍が見えやすいように開いて着付けしてあり、腰の細さを際立たせるようにしめられた帯と型をとってタイトに仕上げてあるスカートによって作られる尻にかけての曲線が見事で、金細工の施した付け爪をカチカチと鳴らしながら、しなる柳のような腰つきでこちらに歩いてくる。
「姉さんは、こういう子供っぽいことはしないでしょう、私は好きだけど」
金檀は文飛の腕を引き寄せて、顔を近くに寄せると、たちまち霖鵜が金檀だけズルいといって文飛に抱きついた。
「昨晩楽しそうなの、見てましたよ。霖鵜姉さんが走って私の部屋の前を通りすぎて行くのを……なんだかとても、きれいで美しい感じがしたもの。この世のものとは思えない感じ」
金檀はそういいながら文飛の肩に身を寄せた。
「幻想的というのよ。金檀」
芳梅が優しい声で答えると、金檀は目を細めて小さく笑う。
「あら、芳梅姉さんは難しい言葉を知っているのね。ふふ」
「金檀も一緒にしましょ」
霖鵜は文飛の胸に頬を寄せながら金檀の顔を見上げた。一緒に踊りましょう、そう誘う姉の声に金檀は甘い声で笑って、霖鵜の頬を金のつけ爪の背でゆっくりとなでた。
「あら、じゃあ紫翅姉さまも一緒に」
金檀が振り返り、文飛も振り向く。黒髪を一つにまとめて、肩に垂らしている紫翅が扉により掛かるように立っている。髪には紫の大きな房飾りの簪が飾られていて、襟を後ろにかなりひいて着付けているので真っ白な首筋が顕になり、対極に胸はあわせでとじられていて全く見えないが、襟にしている木蓮の刺繍が際立って見えて、それもまた奥ゆかしい。
「私は遠慮しておくよ。だって、もうそんな年じゃないからねえ」
紫翅は目を細めて腕組みをし、文飛の顔を見ると少し鼻で笑った。
「いいの、そんな事言わないで、ほら!」
霖鵜はそう言って強引に紫翅の手を引いて中庭まで降り、紫翅に絹布を渡すと「もっと腕を高く上げて」「風になった気分で!」等と言って紫翅を指南した。当人の紫翅は戸惑ってはいたが、かわいい妹の言うことには逆らえず結局絹布を頭の上に掲げてしまい。しばらくして「こんなことめったにするもんじゃない」と苦言をもらした。
だがそこに金檀が混ざると、子供のお遊びのはずだったものが一気に洗練されたものになる。風に絹布をなびかせながら優艶に歩くようすは、清流の中で泳ぐ鯉のようであり、金色の衣を着ている金檀の装飾品は鱗のように、水面のように、チラチラと光った。
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