〈蝶の舞〉ニ【初春に蝶と戯れる】その①

文飛はまた体に汗をかいたまま目を覚ました。父の死からすでに十五年の歳月が流れ、長男の環叡かんえいは文家の当主となり家業を継ぎ当主となり、文淑ぶんしゅくは成人し、字を珀秀はくしゅうといった。商売の才能にあふれる文淑は当主の補佐として文家の財政を担った。弟の文景ぶんけいは二十一になり、字を厳辰げんしんといった。文景は文家の家業は継がなかったが、商人となり自分の商隊を組んで商いにいそしんでいた。

 

 かくいう文飛ぶんひは、字を涼春りょうしゅんといい、その名の通り、春の暖かさと、爽やかな美しさを持った、男とも女とも言えぬような美貌を持った青年に成長していた。髪は柳の葉のようにさらさらと風に流れ、鼻はすらりとしていて、歯も白く粒揃っており、眉は美しく弧を描き生え揃う。切れ長の二重な目にはけぶるようなまつげ、そしてその中には珠のような瞳が宿っていた。

 

 文飛は起き上がって寝着を壁に掛け、流麗な手つきで部屋の窓を開けた。春の爽やかな風に李や桃の花びらが何枚か部屋の中に舞って入ってきて、まるで必然であるかのように文飛の手のひらの上にちらちらと降ってくる。まるで春が文飛を祝福しているかのような温かい陽光のもと、文飛は大きく息を吸いこんだ。きらめきをはらんだ春の麗らかな陽気が肺を満たし、体の中で花が舞うように感じ、文飛は手のひらの花びらに視線を落とした。不思議なことに文飛が視線を動かすだけで鈴のような清らかな音が聞こえてくるようで、ふう、と軽く花びらを吹けば、その寵愛に喜ぶように花びらは文飛の手の上で舞い踊った。

 すっかり春のようだ、そう思いながら、文飛は背中まで伸ばしてある髪を後ろで束ね、薄青色の上着を羽織り、廊下へ出た。すると廊下では、はっきりとした顔立ちをした黒髪の美女が文飛を迎えた。

「おはよう、芳梅ほうばい。今日も美しいね」

 芳梅という女性は髪を上半分だけ結い上げて、残りは垂らしてあったので、文飛は風にさらわれて流れた芳梅の髪をすき撫でてからゆっくりと歩み寄った。

「芳梅、美しい衣だ、でも、もっと君が美しいことを僕はしっているよ」

 そう言って文飛はゆっくりと芳梅を抱きしめた。芳梅は引き寄せられると俯いたまま少し震えて、金の髪飾りも合わせるように震えた。

「あら、旦那様。まだ朝ですよ。それに今起きたばっかり」

 恥じらいを持った表情の芳梅は顔を伏せたまま、文飛の胸にそっと身を寄せた。

 

「蝶は、朝に飛ぶ!」

 ただ、控えめな芳梅を見て、文飛その上着に手をかけ、するりと脱がせると、宙に向かって投げた。芳梅の真っ赤な衣が空を舞い、美しい春風に形を与えるようにはためきながら、金糸の刺繍部分が光を映して水面のようにきらめく。

 上着を剥がされてしまった芳梅は、柔らかく仕立ててある内衣を身につけていた。上着を脱がされても慌てるわけでもなく、顔を小さく伏せたまま、控えめに微笑んでいる。絹であつらわれている中衣は薄く、白く張りのよい碗型の胸、ほどよく引き締まった臀部が、細いくびれを一層際立てている様がよく見えた。

「芳醇たる紅梅を賛美すれば、漂う紅梅香」

 文飛の賛美する声に、芳梅はまた控えめに笑いながら落ちた上着をゆったりとした仕草で拾い、それを文飛にかぶせ、ゆっくりと抱き寄せるので、文飛は芳梅の髪に顔を寄せ、細い腰を撫でながら引き寄せた。

 

「まぁ、芳梅姉さんずるいわ!私も!」

 まるで絵画になってしまいそうな二人の戯れに割り込んでくるように、活発な声が響きなった。ふりかえると、小柄な少女が走ってくるのが見えた。彼女は霖鵜りんうといい、緑の上着を脱ぎ捨てると文飛に抱きついた。彼女の体つきは幼く、平坦であったが、活発に動くため、身体中にほどよく筋肉がついて引き締まっており、また耳の上ほどで二つにまとめた髪を三つ編みにして垂らしてあるので、走るたびによく揺れた。 

「旦那様がしたのよ、私でないわ、霖鵜」

 突然現れた霖鵜に芳梅はおちつき払った声で答えながら、文飛の首筋に接吻をした。

「とんでもないのね。旦那様、芳梅姉さんがいたずらしてきたら私に言ってね」

 ただ霖鵜も負けじと文飛の背中に小さい鼻を擦り付けてピッタリとくっついていた。

「こんなところにいたら、紫翅しし姉さんが怒るわ。怒ったら怖いんだから」

 霖鵜はそう言いながら文飛の背中を催促するよう叩き、くりくりした大きな目で文飛を見上げたので、文飛は少し笑って霖鵜りんうを抱き抱えて歩き始めた。ひょいと持ち上げられた霖鵜は楽しげに文飛の顔を見て髪を揺らし、芳梅は霖鵜の上着を拾ってその後について行った。

「旦那様、お目覚めですか?皆、待っていますよ。今日は珀秀はくしゅう様がいらっしゃるんでしょう」

 三人が進んでいくと、部屋から出てきたまた別の女性と鉢合わせた。彼女は金檀きんだんといい、血色のよい小麦肌と、文飛とおなじほどの背丈がある大柄な女性だった。優しげな垂れ目、肉厚の唇、乳牛のように大きく張った乳房が特徴で、亜麻色の巻き髪を軽く結い、左右に同じ金細工の飾りをつけているのが豪勢で、純白の絹に金糸で刺繍をあしらったきらびやかな衣装が、彼女の肌の色によく映えている。


「今日、珀秀様がいらっしゃるの?」

 霖鵜は目を輝かせながら、金檀を見つめた。

「そうよ、また姉妹が増えるわ」

 霖鵜のそばにいた芳梅は金檀より先に霖鵜の耳元で呟いた。 

「次は、霖鵜姉さんよりも背丈の低い子だといいわね」

 その様子をみた金檀は霖鵜の頭を撫で付けながら、文飛のそばに駆け寄った。

「私の方がお姉さんなのに、背が低いと決まりが悪いもの!」

 霖鵜は少し膨れた顔をして文飛の胸に顔をあてがうので、金檀は面白がって霖鵜の頬をつついていった。 

「そうね、霖鵜お姉さま」

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