《怨嗟封印画『最後の楽園』》後編

「もうやだ……」


 顔色があまりにも悪かったので早退を勧められた彼女は帰ってきた家の中で一人、クッションに向かって本音を吐き出す。

 あの出来事は間違いなく自分のせいだろう。


 ……早く寝たい。寝て忘れてしまいたい。


 あのモンスターに今夜直接会う、と言われたが手段は不明。ドアや窓から物理的に侵入してくると大騒ぎになるだろうしない、と信じたい。

 というか、今私は自宅にいる。住所をどこで知るつもりなんだ……?


「…………そろそろいい? いいわよね多分」


 通学カバンの中からあの男の声がした。

 反射的に視線を向けると、既にカバンのチャックの隙間から黒が溢れ出していた。


「来ちゃった♡」


 黒は人の形に、カードイラスト通りの姿へ変化する。


 どうやって会いに行くのか――答えは簡単、彼女の持ち物の中に潜むこと。


 その手に自身のカード《怨嗟封印画『最後の楽園ラスト・リゾート』》を持って満面の笑みを浮かべる男と、無表情になる女。


「それじゃ、お話を聞かせてもらおうかしら」


「………………おかえりください」


 彼女は姿勢を正し、土下座で懇願した。


「切に、切に」


「ちょちょちょちょっと! そこまでされるほどアタシおっかなくないわよ!?」


 大丈夫だから、傷つけたりなんてしないから! と優しく床と体の間に腕を差し込まれ、そのまま上体を起こされる。彼女の青白い顔を見て、男はこんな対応をされている理由を知った。


「あー……アナタ、もしかして自分のデッキを持ってないの? だから軽いパニックになるまで精神がダメージを受けちゃった……うん、責任を取ってアタシがアナタのカードになってもいいわよ?」


 多分それだけではないが、男が気付いた理由はそれだけだった。彼女へ黒の中から取り出したカードの束を渡そうとしてくる。


 デッキをただのカードの集合体と侮るなかれ。カードゲーマーの魂に等しいデッキは、持っているだけで精神攻撃の緩和や精神安定に貢献してくれる素晴らしいものなのだ。

 ……この世界では、という但し書きは必要になるけども。


 差し出されたデッキに対して彼女は手のひらを向ける。しかしそれは床と水平な受け取る手ではなく、手首を曲げて手を床と垂直にしやんわりと押し返すためのものであった。


「使ったら死ぬカードはいやです……」


「……そう。やっぱり、当てずっぽうとかじゃなくて知っていたのね」


 拒否のために放った言葉を聞き、男はすうっと目を細める。


「……大丈夫よ、憎かった奴らはみーんな死んで、腐りきった国は勝手に滅んでるし。今のアタシの望みは、あの人が描きたかった美しい世界をこの目で確かめたい――それだけ」


 隠すべきか明らかにするべきか、どっちが正解なのかはわからない。

 変に誤魔化して怒りを買うよりは、と彼女が選んだ対応はどうやら正解だったようだ。


「だとしてもあんなことあったカードを使ったデッキ使いますとか目立つからヤダ……」


「そこはほら……持ってても使わなければいいのよ。ね、意思疎通できて実体化も可能なカードがそばに居るだけで安心感が違うでしょ?」


 基本的にカードがひとりでに実体化することはない。実体化とは、カードの力を十全に使えるマスターとそのマスターを認めたモンスターの絆が極限に高まって初めて成し遂げられる事象だ。

 目の前のこの男のように力任せに実体化する、というのは本来あり得ない。……無理やり実体化するほどの力を持つカードが野放しになっていたらカード災害として警察や特殊部隊の出番が来るだろう。


 ――いくら態度が柔らかくとも、男はトンデモカードなのである。


「負けちゃった時に相手に仕返ししそうで怖い……」


「だから無関係の人に手は出さないわよぅ!」


「というか一人で実体化できるならデッキをこっちに持たせようとしなくてもいいじゃないですかヤダー!」


「一度は誰かの指示の下でバトルをやってみたいと思うのがカードってものよぉー!」


「なんで……なんで前世で知ってるだけなのにこんな危険物を携帯しなきゃいけないんだぁー!」


「…………前世?」


 隠し事を避けてオープンに会話し続けた結果、自身のトップシークレットをぶちまけるという大失態を犯す。

 あ、と気付いて口に手をやるも、出した言葉を無かったことにはできない。


「まあ、そういう事もあるわよね」


「…………あれっ」


 一世一代の告白はとてもあっさり流された。



 そう――カードゲームの世界はかなりなんでもありの世界。転生だってそう変なことではない!



 どうしてそこに気がつかなかったのか、と過去の自分を問い詰めたい。張り詰めていた気がほどけてへにゃへにゃぺたんこに力が抜けていく彼女を慌てた様子で男は支えるのだった。


「……つまり、前世で知っていたからアタシのこともわかった――ってコトでいいのね?」


「は、ハイ。それで考えてたんですけど、この知識をカード研究所にも共有したほうがいいんじゃないかな、と思ってて」


 彼女はあれだけの騒ぎを起こしてしまって何も思わないひとでなしではない。一般のお客さんに迷惑をかけたうえに学校行事を途中で中止させた申し訳なさは当然ある。

 前世知識に動じなかったモンスター相手に相談するも、彼はいい顔をしない。


「やめなさい。そんな組織、必要な知識だけ吸い取ってサヨナラぽいがオチよ。不特定多数に公開も論外。あんなに優しく見えていた人が実は……な残酷な真実を公開して世界がひっくり返っちゃうのは嫌でしょ?」


「そ、そこまで変わる?」


「変わるわよ。今のところはモンスターの暴走とか何事も起きてないでしょう? 知らなくてもなんとかなっているのが現状。アナタがヘタにつついて世界のバランスを崩すほうが危険よ。知らないことが一種の安全装置になっている……理解が足りてないから使いきれてないカードがある。それ即ち、理解してしまえば誰でも使えるようになってしまう。それがたとえ世界を終わらせられる存在だとしても、ね? …………どう、怖さがわかった?」


「トテモヨクワカリマシタ」


 呪いから作られたモンスターによる、ほんの少しダークなオーラを込めた忠告。それは、まだデッキを受け取っていないただの一般転生人間に受け止め切れるものではなかった。恐怖でぷるぷる震えている。


「あっ……ごめんなさいねぇー!」


 ギュッからのナデナデヨシヨシ攻撃。追い討ちのように背中ポンポンもクリティカルヒット。

 はじめましての時点からずっと距離感がなんだかおかしい彼へ、ふと気になったことを口にする。


「…………ねえ、もし私がそのデッキを使うの嫌だって言い続けたらさ。《『最後の楽園ラスト・リゾート』》はどうするの?」


 男が彼女を抱きしめるために手放し、横に置いたカード達へと目を向けた。その中には当然、彼の本体であるカードも含まれている。


 彼女以外の人間は彼が作られるまでの真実を知らない。

 受取拒否で別人の手に渡り、召喚口上とか扱われ方で地雷を踏みぬき、怒りのままに大暴走――はあり得る。


 出会ってからずっと、危害を加えたくなさそうな言動をしている彼はどうしたいのか。気軽だが、重い質問に男は口をもにょもにょ動かした。


「持っていたほうがいいのは間違いないわ。……でも、嫌がってたのに無理はさせたくない。前世の記憶で目覚めさせたのがアタシだったからよかったけど、話の通じないモンスターが出てきたときに対抗手段がないのは絶対駄目、なんだけど……」


 彼の口から出たのは、どこまでいっても心配だった。


「――うん、わかった。大丈夫」


 これまでのやり取りの中で確信した。

 彼は信頼できる。


「大丈夫、って……」


 先ほどの質問の影響でその後に続くのは否定だと思っているのか、目に怯えの色が混じる。

 伸ばした手の先がどこに向かうのかを見たいけど見たくない、あやふやのまま終わってほしい――そんな願いは当然叶わない。彼女の心は決まっている。


 彼女はカード達を丁寧に手の中へと納めた。

 一番上に置かれていたカードは、もちろん。


「これからよろしくね、《『最後の楽園ラスト・リゾート』》」


「え、あ…………いいの?」


 もう彼を否定する理由はない。頷く。

 すると彼の顔が一気に赤く染まった。照れている。


「ありがとう、アタシのマスター……えっと、そういえば、名前聞いてなかったわ……」


 こんなに話し続けておいて、大事なことを聞いていなかったことにようやく気付いた彼の姿がおかしくて思わず笑いが溢れる。


「私は須鳥つむぎ。改めてよろしく!」


「つむぎちゃんね……ええ、こちらこそよろしくお願いするわ!」


 本来ならば目覚めることのないカードは、ここに使い手を得た。この出会いはきっと世界に大きな影響を与えることになるだろう。後悔する時が来るかもしれない。


 ――でも、わからない未来のことなんてこの場で考える必要はない。


 今を楽しむように、二人は笑った。

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