第32話 前世の記憶
フェリクス王国暦百七十一年、十二月二十二日。
俺は十八歳、成人を迎えた。
ジークとはあれからずっと、会っていない。もともと約束はしていないのだから当然か…。そしていつも、誕生日の朝、目覚めると窓辺に竜王様からの贈り物が置かれていたのだが、それもなかった。翌二十三日…、やはり贈り物はなかった。
「エリオ殿下!誕生日おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「まさか本当に、来ていただけるとは思いませんでした!」
俺の誕生日の翌日午後、王城に俺を迎えに来たアシュはその美しい顔を綻ばせた。そんなに喜んでもらえるなんて。俺はどこかくすぐったい気持ちだった。
護衛を数人連れて、俺はアシュの馬車に乗った。
「エリオ殿下は、海を見るのは初めてだとか」
「ええ、危険だからと禁止されていたんです…。口うるさい、家庭教師がいて…」
「ふふ、随分心配性な方だったのですね?」
そう、ジークは心配性だった。だからあの後もきっと少し経てば俺のところに顔を出すと思っていたんだけど…。俺は相当、ジークを怒らせたらしい。
王都から南の、船が停泊する港までは二時間以上かかる。船に到着するのは夕方、夜は船に一泊する予定になっている。
馬車は順調に港へと向かって進んでいた。アシュはべルキアの話をいろいろとしてくれた。俺が知らない、竜王様の話も…。
話をしていたら二時間はあっという間だった。船に到着した後は、船の甲板の上で、晩餐会が開かれるという。一旦客室で正装に着替えてから、甲板へと出た。フェリクス大陸の南部は冬でも寒すぎず過ごしやすい気候だ。
しかし…甲板へ出て俺は驚いた。アシュ王子は薄手のドレスに豪華な毛皮で作られたボレロという格好だったのだ。ボレロは胸元がきっちり合わされており、体形から性別の判断はつかない。殿下は『王子』だよな?でも、ひょっとして…?
アシュ王子は俺を、自身の隣の席へと招いた。グラスには果実酒と思われる赤紫の飲み物がなみなみと注がれる。
「エリオ殿下、誕生日おめでとうございます。私たちの出会いに、乾杯…!」
俺は戸惑いながらも薄く微笑んで、グラスを合わせた。
「どうです、お酒の味は…?昨日は竜王様とも乾杯されたのでしょう?」
「いえ、昨日は特に…」
「いらっしゃらなかったのですか?毎年エリオ殿下の誕生日に降臨されていたと聞いています」
「今年はいらっしゃいませんでした。たぶん…」
「多分、とは?」
アシュ王子は首を傾けた。なんだかうっすら笑われているような気がする。
「毎年、お姿を確認してはいないのです。ただ、窓際に贈り物が置いてあって。でも今年はそれがなかったので、きっといらっしゃっていないと…」
「いつも窓際に…?それが今年はなかった、と……」
アシュ王子の口角が上がった。そして口を塞いで、吹き出した。
「それ、これまでも本当に竜王様だったのですか……?だって姿はみていないし、話してもいないんでしょう?それがとても、愛しい番への態度だとは思えないなあ…!」
アシュ王子は我慢できない、という風に笑いだしてしまった。確かに、そう言われてみればそうだ。俺はアシュ王子に馬鹿にされていることに気が付いて閉口した。
「ああ、申し訳ありません。あまりにもエリオ殿下が純粋なので!こんな純粋な、エリオ殿下を騙すなんで竜王様は罪なお方だ。いくら浄化魔法が必要だからと言って…。ねえ?」
そう思いませんか、とアシュは笑う。そしてアシュは俺の手を自身の胸元へと持っていく。ぎゅっと握られあっという間に俺の手はアシュのボレロの中に入ってしまった。ボレロの中には、豊満な、柔らかい胸……。
「アシュ殿下……!」
「番の誕生日を祝わない薄情な竜のことは、忘れさせてあげる…」
アシュはそう言って、美しい顔を近づけてくる。俺は驚いて飛びのこうとした。しかし、アシュの力が強く、離れられない。
「冗談はおやめください!」
「ふふっ、本当に初心だなあ……。よくそれで今日まで無事でしたね?いいじゃないですか。お互い楽しみましょう?」
「いやだ!離せ…!」
俺がもがくと、アシュは片手を上げて、誰かに合図した。やって来たのは、俺が連れて来たフェリクスの騎士だった。
「大人しくさせろ」
「は……」
「ま、まて…まさか…」
「その、まさかですよ、殿下!」
連れて来た護衛は、アシュの間者だったらしい。最悪だ…。今までは常にジークがいてくれたから、身辺調査を怠っていた!
「竜王様は男がお好きだというから、男に化けてたぶらかそうと思ったのだけど、全く姿を現さない。仕方ないからお前をと思ったけど…。ちっとも竜王様に愛されていない番なんて、使い道がないわ…!」
アシュは可笑しそうに笑う。その間に俺は後ろ手を縛られ拘束されてしまった。
「番が生まれて以降、竜王様はべルキアを去った…。それじゃ、困るのよ。竜王様はべルキアにいて、泣き暮らし、恵みをもたらしてくれないと。だから…残念だけど、エリオ殿下、死んで?死ねばさすがに、悲しむでしょうから…」
「な……!」
アシュはそう言うと、兵士に命令して俺を船首に連れて行き、甲板の手すりに押し付けた。ここから落とすつもりだ…!
「よせ、辞めろっ!」
「ここにいるのは全員べルキアの手の者。騒いだって誰も助けにはこないわ。でもうるさいのは耳障り…!」
アシュはまた手を挙げて合図すると、召使から丸い果物を受け取った。そして俺の顎を掴むとそれを口にねじ込む。
「う…、ぐ…ッ」
「ははっ!どう美味しい?それ、べルキアの名産のプラムよ…。二人で食べると両想いになれるって『まじない』は本当!今度は生まれ変わって、愛し愛される人生になるといいわね!」
確かに、甘いプラムだ…。これジークが好きそうだな、と思った。赤い甘酸っぱい木の実もジークは好きだったから。
アシュはまた笑いながら「やれ!」と号令をかけた。兵士はその号令で手すりから、海の下へと俺を投げ捨てた。手、縛られてるのに…!このままじゃ逃げられない!俺の魔法は瘴気を祓うとかそういう種類で縄を切ったりは出来ないんだぞ…!
真っ逆さまに、夜の海に落ちた。しかも入水する衝撃を緩和する体勢が出来ておらず、海の水面にたたきつけられる。
痛い…!プラムは何とか吐き出したが、水を飲んでしまった。手も縛られていて水を掻くことができず、どんどん身体が海に沈んでいく。
もう、ダメだ…。
最後に会いたかった、ジーク。
諦めて目を瞑りそうになった時、急に水の底が真っ暗に染まった。
何だ……?何かがいる!魚?もっと大きい、鯨じゃない、鮫、魔物…?
次の瞬間、渦のような濁流に身体が持ち上げれる感覚がした。海の中から、何かが上に向かって浮上しているんだ!
もう一度、海の中を見ると、暗い海の中を泳ぐ夜空に煌めく星のような金色の瞳と目が合った。その目は俺を見つめて睨んでいる。
「また死んだりしたら許さない」
竜だ…!俺はこの竜を知っている…!
竜が海上へ駆け上がる、その勢いで海には渦が巻く。その激流のように、俺の中に遠い記憶が一斉に流れ込んで来た。
俺がもう一人の俺であった時の記憶。
何故今まで忘れていたんだろう…。あんなに、愛した人のこと。
――いや。俺は今も変わらず、彼を愛している。
「ジーク!」
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