第31話 誘惑

 誰かが俺の、胸の音を聞いている。医者かも知れない…。

 でも、胸が何だか湿っている気がする。しっとり少し暖かいそれ、以前何処かで感じたような…。近くに誰かがいると気配は感じたものの、酷く疲れていて目を開けることが出来なかった。

 ほんの少しだけ微睡んでから、俺は目を開けた。

――はずだった。


「エリオ!あなた、一週間も寝ていたのよ…!?でも見事だったわ。北の山の魔獣暴走スタンピードを止めたばかりか、あの周辺一帯を浄化してしまうなんて…!王立魔法学校の卒業試験は見事合格よ!」

 母、ジェニファーは俺の手を興奮したのかきつく握った。「これで来年、卒業したら結婚式ね!」と嬉しそうに笑う。

 俺は何が何だか分からず、ぼんやりと、ジェニファーの話を聞いていた。あたりを見回すと、部屋の隅で腕を組んでいる、ジークの姿を見つけた。

 ――明らかに怒っている。


「ジーク、ありがとう!エリオが浄化魔法を使えるようになったのは貴方のおかげよ!よくぞ卒業に間に合わせてくれました!こうしてはいられないわ!陛下に報告して、ジークの報奨金についても準備をしなければ!」

 ジェニファーは嬉々として俺の部屋を出て行った。ジェニファーが出て行くと、部屋には重苦しい空気が流れる。


「エリオ様。ジェニファー様はああ仰っていましたが、決して勘違いなさいませんよう。貴方がしたことは褒められたことではありません」

「……何でだよ。ちゃんと、浄化魔法を使って…」

「そうじゃない!貴方はとんでもない量の魔力を使い、魔力枯渇を起こして死にかけたのです。貴方は私や、生徒たちを助けたと英雄気取りかもしれませんが……。もし貴方が本当に命を落としていたら、私や生徒たちはどうなっていたと思いますか?この先の長い人生を生涯、心に深い傷を負って生きて行かなければならない!」

 ジークの声は怒りで震えていた。

「貴方は生徒から聞いたはずです。私が結界を張ったと!」

「でも、ジークは…!」

「私を信用していないのですね?いつもそうだ、貴方って人は…!」

 ジークは髪を掻き上げると後ろを向いてしまった。そしてそのまま出口に向かって歩いて行く。

「……私の契約はあなたの卒業試験合格までです。合格おめでとうございます。私はこれで、失礼いたします」

「ジーク……!」


 ジークは振り向かずに、出て行ってしまった。

「英雄気取り、なんてそんなこと思ってない。確かに、浅はかだったかもしれないけど…」

好きな人を助けたかったんだ…。それなのに、あんなに怒らなくても…。


 その後、ジークは本当に俺の家庭教師を辞め、姿を消してしまった。



****


フェリクス王国暦百七十一年、十二月十五日。

今日は王城で、フェリクスの友好国の一つ、ベルキア王国、アシュ王女歓迎の夜会が開かれている。会場である大広間には、入りきれないくらいの貴族・有力者たちが集まっていた。


「エリオ殿下は知っていたの?」

「いえ、全くです。ロゼッタ様は?」

「私も知らなかったわ。エヴァルトも知らなかったんじゃないかしら?予定していたアシュ王子殿下のエスコートが急遽中止になったんですもの」

 俺とロゼッタは会場の隅で、ひそひそと話をしていた。そうなのだ。王女だと思っていたアシュ殿下はなんと、男で王子だったのだ!エヴァルトがアシュ王女殿下をエスコートすると怒っていたロゼッタはこの事態に苦笑いしていた。

「でも、予定通りすればよかったのよ!フェリクスもべルキアも同性婚は認められているわ」

「…そうは言っても、王子殿下となれば立太子される可能性もあるし、お立場が…」

フェリクスもべルキアも男性のみ王位継承権が与えられている。第一王子となれば、将来は国王の可能性が高い。それを女性的にエスコートするというわけにはいかないだろう。


「でも、男性だったとすると、すごくお綺麗ね。エリオより背は高いけど、細いし顔も整ってるし。素敵だわ~」

ロゼッタはアシュ王子と俺をちらちらと交互に見ている。わ、悪かったなあ~!

「違うわよ!エリオもかわいいわよ!本当よ!?ほら、いつもジークも言ってたわ。エリオ殿下はかわいいって!」

「いいんです、そんな慰めは!私はただ、聖痕があるってだけの男ですから…」

 ついついひねくれた言葉が口をついて出た。俺がかわいい、なんてさ…。ジークもそんなことを言っていたのにあっさり出て行ったきり戻っても来ない。俺は手に持っていたグラスの水を一気に煽った。誕生日は来週で、まだ成人しておらず酒が飲めないのがもどかしい。


「本当だ、かわいらしいお方ですね。エリオ殿下…」


 甘ったるい声と匂いに俺が振り向くと、いつの間にか会の中心にいたはずのアシュ王子が隣までやって来ていた。


「番様…。初めてお目にかかります。アシュ・べルキアでございます」

「あ、えっと…」

「ベルキアも『水神』を信仰しているのですよ?ご存じありませんか?」

「申し訳ありません…」

 ロゼッタは『何で知らないんだ』と俺の腕を肘で小突く。俺が慌てて謝罪するとアシュは柔らかく微笑んだ。

「ですから番様にお会いできるなんて…!感激です!先日ついにお力を顕現されたのだとも伺いました。おめでとうございます!」

 そんなことももう、知られているのか…。

「我が国に竜王様が現れたのは、百七十年ほど前と言われています。フェリクスで恋人を失くし傷ついた竜王様は、我が国でずっと泣き暮らしておられた」

「竜王様がフェリクスで恋人をなくした…?」

「ええ、ご存じないのですか?その恋人は番ではなかったから、亡くなってしまったといわれています」

「……」

 番ではない、恋人がいた?なんだそれ…。俺が眉根を寄せると、ロゼッタは気まずそうに「水を取って来るわ」と言って行ってしまった。ロゼッタの奴知っていたな……!?

 そんな恋人がいたと知ったら俺が悲しむと思ったんだろう。悲しむというより、結婚が前よりずっと嫌になった。恋人を忘れられなかった、会ったこともない浄化だけが目当ての男と、番になるなんて…!

「エリオ殿下…?」

「あ、いえ…。私は竜王様はフェリクスを恨んでいるらしいとだけ聞いていました。だからフェリクスには一年に一度しか現れないと。それは恋人が亡くなった原因がフェリクスにあるからなのでしょうか?」

「私も詳しくは存じ上げません。竜王様の悲しみは深く、流した涙により国土の三分の一が水没したと言われていますが…、代わりにその後、水神として数々の恵みを与えて下さったのです。現在は『水の都』として観光も盛んです。その恋人の方にも感謝しなければならない立場です」


 アシュは竜王様の功罪を、胸に手を当てうっとりと口にした。いくら恵みをくれても、三分の一も水没させたらだめだろう!?

 そんな俺の気持ちは顔に出ていたのかもしれない…。アシュはまた柔らかく微笑んだ。

「エリオ殿下、本当ですよ…。特に有名なのは…竜王様を泣き止ませたという果物です」

「果物?」

「ええ、プラムです。海の近くでは育てられないと言われていますが、不思議と甘いのです。それを恋人に食べさせると、機嫌が直る…。二人で食べればたちまち、両想いになるといわれています」

「……こじつけすぎではありませんか…?」

「ふふ、どうでしょう?食べてみませんか?私共の船に、果樹ごと積んでございます。」

「……」

 俺はジークに、真っ赤なプラムを食べさせるところを想像した。嫌われてしまったけど、ひょっとして…。

 それに竜王様も他に好きな人がいたのだ。俺にも好きな人がいたとして…仕方ないことではないか?

 俺はアシュの甘い誘いについ、頷いてしまった。

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