第30話 卒業試験

 フェリクス王国暦百七十一年、十二月一日。遂に、フェリクス王立魔法学校の卒業試験当日を迎えた。

 実施試験はフェリクスの首都、アートルムではなく、アルバス公爵領にある竜の神殿で行われる。俺たちは十日もかけて移動し、神殿で試験の説明を教師から受けた。


「今日は五人一組、審査役の教師一名で行動してもらいます。試験は単純明解。一人一体、魔獣をしとめること。魔獣をしとめたら試験終了です。魔獣はとても危険です。接近戦は不可。必ず魔法を使う事。結界も忘れずに掛けてください。いいですね?」


 生徒たちは皆、緊張した面持ちで返事をした。一方俺は深いため息をついた。

 何故なら俺の班だけ特例で、教師が二人つくのだ。たぶん一人は母上の息がかかった人物。俺のふりをして魔獣をしとめるのだろう。それは周囲も薄々感じているようで、ひそひそ声と視線が痛い。

 こんな不正までして、俺は結婚したくないんだけど…!

 逃げたしたい気持ちを飲み込むと、試験開始の狼煙があがった。


「あまり奥へは行かず、なるべく森の入り口で仕留めよう。北の、竜の門近辺は本当に危険らしい」

 竜の門近辺は、瘴気が濃く魔獣が多いらしい。近年は教会の聖騎士団も近づけないとか。班の全員がその意見に賛同した。

 

 しかし、森の手前あたりには魔物の気配がなかった。何故だ…仕方なく、もう少し奥まで行くことになってしまった。


「エリオ殿下…。殿下の装備、すごいですね。軽くて動きやすいけど、すごく物々しいっていうか…!」

 俺に話しかけてきたのはシリル・エンデルバンス伯爵令息。人懐こい笑顔で、俺の装備をほめちぎる。

 地獄の業火を浴びても燃えないというローブに、薄くて軽い、金の胸当て。鉄をも切り裂くという剣…。装備はジークが金に糸目を付けず用意したらしい。しかも仕上げに念入りにジークが結界を張っていた。絶対に脱がない事。そう、言いわれている。そのほかにも腕輪やらお守り…とにかくシリルが言ったことは的を得ている。実に物々しいのだ。

「ちょっと恥ずかしいんだけど…」

「そんな、お似合いです!」

「……ありがとう」

 ジークの装備をシリルに褒められたことが嬉しかった。あと、ジークに心配されたことも再確認できて俺は単純に浮かれた。


 俺たちは森の奥へと進んでいった。道がない、林の中を草を分け入って進むと、突然ぽかんと開けたところに出てしまった。なんだか不思議な場所だった。


「こんな場所、地図にありましたか?」

「いえ……ありません」

「先生、方位磁石が…!」

 

 地図を見ながら進んでいたはずが…地図にない場所に出てしまった。いや、この辺りは未開の地だ。地図に記載出来ていないだけかもしれない。方位磁石が効かなかったとして…太陽の位置を確認しながら進めばいいのだ。落ち着け…。俺は自分に言い聞かせながら慎重に周囲を見回した。


 開けた空き地のような場所には、大きな木がうっそうと茂っている。


「随分大きな木だな…」

 班の他の生徒や教師たちはみな、地図を見て話し合っていて、俺のつぶやきに応えてくれるものはなかった。

 木の葉が風に揺れ、まるで誰かが話をしているような音がする。


「エリオ…エリオ…エリオ…エリオ…エリオ…」


 葉擦れの音が次第に俺の名前を呼ぶ声に聞こえて来た。幻聴…?

目を凝らすと、大きな木の根元に小さい、拳くらいの大きさの黒い塊が蠢いているのが見えた。ネズミだろうか?


 俺はそっと、木に近付いた。木の根元にいる黒いものは、ふさふさの黒い毛を生やしている。ネズミではないようだが、なんだろう。

「エリオ…」

「え?なんで俺の名前知ってるの…?」

 地面にしゃがんで黒い塊を観察すると、黒い毛玉はぷるぷると震えながら俺の手に乗って来る。

「エリオ…」

 そういってまん丸の目から涙を溢すと、直ぐに消えてしまった。

「き、消えた…?」

 確かに、不思議な生き物だったけど質量も感じた…。それが消えた?なぜ…?

「エリオ!」

 また名前を呼ばれて振り向くと、木の裏側の根元から、黒い小さな毛玉が沢山飛び出してきた。俺の手を引いて、根元へと引っ張る。

「ちょ…、待って…!」

 引っ張られた先…木の根元には大きな穴が開いていて俺はそこに吸い込まれるように落下してしまった。



 木の根元に落ちた…。その中は真っ暗闇…いや違った。中はさっきの小さな毛玉が沢山いる、まるで海のようだった。中は俺が通れるくらいのトンネルで、滑り台のように滑り落ちて行った。

 たぶん、木の根の中をこの黒い毛玉たちが齧って穴をあけたのだろう。俺は滑り落ちながらそんな分析をした。長くて暗いトンネル…のような木の根を滑り落ちて行くと、徐々にその先が明るくなっていく。周りにびっしりいたはずの毛玉は大分、数が少なくなっていた。いったいどういうこと…?


「わあ…!」

 俺はついに外に出た。滑り台を滑って出た、その勢いで身体が投げ出されたのだが、黒い毛玉たちが「エリオ!!」と叫んで落下地点に先回りすると緩衝材になってふわりと包んでくれる。おかげで落下した痛みは全くない。

 その後、緩衝材になった毛玉たちは俺を抱きとめるとすぐに消えてしまった。後からトンネルから転げ落ちてきた毛玉たちも、俺に触れると消えてしまう。

 しばらくするとあんなに俺を呼んだ声は聞こえなくなっていた。一体あれはなんだったんだ?


 改めて辺りを確認すると、投げ出された場所は、神殿の裏手、ちょうど出発した辺りだった。


「戻ってきてしまった…」


 みんな無事だろうか?急にいなくなって、心配しているだろう。


 残っている教師なら探知魔法を使えるはずだ。訳を話そうと思い集合場所に戻ってみると、辺りが異常に騒がしい事に気がついた。戦争を始めるのか、と言うくらい兵士が大勢集まっている。


「エリオ殿下!何故ここに!?ご無事ですかっ?!」


俺を見つけた教師が駆け寄って来た。ひどく、慌てている。


「あの、この騒ぎは一体…」

「森の奥で魔獣暴走スタンピードが発生したのです!今、騎士団総出で生徒たちを救出に向かったのですがエリオ殿下だけ発見できず、という報告を受けたところでした」

「申し訳ありません。あの、森の木の穴に落ちたら何故かここに戻って来てしまって…!他の生徒たちは?!」

「こちらに向かっている所です。追いつかれなければ良いのですが…。ああ、それと…殿下の家庭教師の方が、森へ!」

「ジークが?!何故?!」

「探知魔法を使ってもエリオ殿下が見当たらないと、お止めしたのですが血相を変えて行ってしまわれて…!」

「そんな…!」

ジークの奴、俺に誕生日の贈り物さえしないくせに、なんで、魔獣暴走スタンピードが起こっている危険な場所に自ら行ったりするんだ!


 その時だ。森の奥でドオン、と言う音がして火の手が上がるのが見えた。


 俺はそれを見て、制止も聞かず森に向かって走り出していた。



 森の中に入ると、木の焦げる匂いがした。煙も風に乗って流れてくる。しかし躊躇せず俺は森の奥へと走った。


 ジーク、何処に行ったんだよ…!?


 俺はとりあえず、先ほど、班の生徒や教師と別れた所まで記憶を頼りに向かう事にした。ジークが俺の気配を探知できなくなったのだとしたら、方位磁石が効かず地図にないあの場所だと思ったのだ。

 走っていると、先ほどの黒い毛玉たちが並走しているのが横目に映った。相変わらず、「エリオ!」と俺の名前を呼んでいるが構っている暇はない。さらに走っていくと、正面から、別の班の生徒と教師が走って来るのが見えた。


「エリオ殿下!ご無事でしたか!一緒に戻りましょう、ここは危険です!」

「俺の班の生徒達は戻りましたか…?!それに俺の家庭教師が俺を追って森の奥へと向かってしまって!」

「殿下の班の…?多分、まだこの奥に…。でも、戻って来ていると思います。ですから…」

俺はそれを聞いてすぐ、走り出した。俺の班がまだ森にいるなら、ジークも戻ってはいないはずだ。


 ジーク!無事でいてくれ!


 更に奥に入っていくと、地面がブルブルと震えてきた。この地響きに、蹄の音は……。


 また森では、大きな爆発音と炎が上がった。


 俺は遂に、先程の森の、少し開けた所までやって来た。


「エリオ殿下!」

「シリル!!」


俺の班のシリルだ。教師達、それに他の班の者もいる。


「シリル、ずっとここで俺を?」

「違います。あまりにも魔獣がいないし、殿下も先に行ってしまったのかと思って、この少し先まで進んでいたのです。けど急に魔獣が増えて来てしまって…。一人転んで足を…」

「シリル、ジークを見なかったか?!褐色の肌の…俺の家庭教師なんだ!」

「その方でしたら、ここにいろと、結界を張って出て行きました。エリオ殿下を追うと仰って」

「そんな…!」


 俺はまた、森へと飛び出した。ジーク、なんでそんな無茶するんだよ…!


 走っていくと、どんどん地響きも獣の声も大きくなっていく。


 しかし遂に、目的の…ジークの後ろ姿を視界に写した。俺を振り返ったその人の瞳は大きく見開かれている。


「ジーク!危ない!!」



 俺の声は届いたのだろうか?そのくらい大きな音を立てて大型魔獣達が集団で押し寄せていた。そいつらはまるで波のように大きく盛り上がっている。このままではジークが押しつぶされてしまう…!


「ジーク!」


力の限りその名を呼ぶと、身体中に鳥肌が立った。心臓がドクンとなって、血が一気に外に噴き出すみたいな感覚が起こる。


 気づけば俺は魔法を放っていた。


 辺りを覆っていた煙、瘴気の靄は一瞬で消え失せ、魔獣は動きを止めて次々に倒れ込む。


 ジークの目は、俺を凝視したままだ。


「ジーク、無事で……」


良かった。そこまで、言葉が続かなかった。だって全身から血が噴き出すのかと思ったのだから…。

 俺は立っていられず、膝から崩れ落ちた。

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