第22話 思念

 翌朝、セルジュは約束通り、剣を俺に返しに来た。


「エリオ殿、助かりました。ありがとうございます」

「いえ……」


そう、挨拶を交わした後、俺もセルジュも、ジークをチラリと見る。ジークは既に衣服を整えて、準備を済ませていた。


「神殿へ行く。瘴気を祓う」

「……!」

「かしこまりました…!」


 ジークの言葉を聞いたセルジュは準備をさせます、と言って走って出ていった。


「……ジーク、その…無理していない?」

「していない。それに、さっきの奴が昨日言った通りだ。今はこうするよりほかない。…俺はそのために、呼ばれたのかも知れない…父に 」

「…浄化の剣で、竜王様を助けられる可能性は?」

「残念だが…あの剣は瘴気を祓うだけで、命を回復できるわけではない。それなら瘴気は俺の力…炎で焼き切り、浄化の剣は温存した方がいい。先程のように怪我人も出るかも知れない…」

 ジークは伏せていた目を開いて、俺を見つめて微笑む。

「エリオは、ここに残ってくれ」

「駄目!一緒に行く!」

 俺が絶対、と付け加えるととジークは俺を抱きしめた。

「それなら、浄化の剣を離さないこと。なるべく、後方にいて…」

「うん…」

 ジークは俺に、軽く口付けた。その後袖口で、俺の唇を丁寧に拭う。そんなに、念入りにしなくても…。でも、ジークの毒を浄化できない俺には、言い出せなかった。



 その後、迎えに来たセルジュと僅かな兵士だけを連れて、馬車で神殿へ向かう。レオは瘴気の影響を受けやすい。しかしアルバスの城に置いて行くわけにはいかず、一緒につれていくことにした。


 俺たちは馬車の車内で、セルジュの作戦を聞かされた。


「竜の巣で戦っても、地底に隠れられてしまうと攻撃できません。ですからまず初めに、竜の巣を破壊しましょう」

「竜の巣を…?どうやって…?」

「竜の巣は強力な結界が掛けられているのですが、先日、エリオ殿が門扉を開けた時は無防備な状態でした…」

「扉を開けた状態で、竜の門を破壊する、ということですね」

 俺の問いかけに、セルジュは頷いた。

「竜の門を破壊し、結界を破れば地底には潜れないはずです」

「しかし…それだとエリオが危険にさらされる…」

 ジークはセルジュの案に難色を示した。俺が前線に行くことが嫌らしい。

「ジーク、大丈夫だよ。浄化の剣をもっているし…」

「エリオ…。門を開けた後は、神殿まで戻ってくれ」

「竜王様、エリオ殿は我々がお守りします」

 セルジュの申し出に、ジークは頷く。その姿は貫禄があって、本当に『竜王様』のようだ。


 ――そう、思ったのに、直後、ジークは俺の手を握り腰を引き寄せると甘く、俺を見つめてくる。

「エリオ、『剣』は道具で、永遠に使えるものではない。手入れする者もいない今、有限だ。だから、用心してくれ」

「わかった」

 確かに、そうだ。俺は番の血を引いているとはいえ、仮初の存在。力が弱すぎて浄化魔法を使えない、従って浄化魔法を使えるものがこの時代にいないのだ。今あるこの浄化の剣を大切に使わなければ…。



 神殿で馬車を降りた。レオは瘴気の影響を受けやすいから馬車に残していくことにした。レオは不安そうにこちらを見ていたので、頭を撫でてすぐ戻ると言い聞かせてから竜の巣へ向かう。


 神殿から北へ進み竜の門が見えてくると、緊張で呼吸が乱れる。セルジュも兵士たちもずっと無言だ。

 朝、アルバスの城を出て神殿を経由し、すでに正午。気温は今が一番高い。じっとりと額に汗がにじむ頃、ようやく竜の門へ到着した。


「竜の門を開けたら、エリオは直ぐに戻ってくれ。エリオが戻ったのを確認してから、門を破壊する」

「ジーク…。ジークも気を付けて」

 扉の前に立つと既に、瘴気の靄が漏れ出ている。ジークが頷いたのを確認してから、俺はそっとその扉を開けた。扉を開けた瞬間、流れ出てくる瘴気を感じる。ファーヴの身を隠すための結界だが、漏れ出る瘴気を抑える役割もあるようだ。瘴気が強すぎて万全ではないが…。


「口を閉じて、吸い込むな!」

 ジークは扉から俺を離した。そしてセルジュの方へ俺を連れて行く。

「エリオ殿、参りましょう…!」

 セルジュに手を引かれて、後ろ髪を引かれながらも俺は竜の門を離れることにした。一瞬見たジークは、俺を安心させるためか、少しだけ微笑んでいた。




 風が、強くなってきた。それによって、瘴気量も増えている気がする。当初ジークは、俺たちが神殿に戻ってから、竜の門を破壊すると言っていたが、その場を離れてすぐ、ジークが竜になった時の威圧に満ちた気配がした。


「竜の門を破壊する前に、門から瘴気が溢れ出たのかもしれません…」

「予想以上ということでしょうか?」

「…相手は腐っても水神の竜ですから……」

 ジークに危険が及べば俺が援護するつもりだったから、頃合いを見て、ジークのところに戻るつもりだった。思ったよりそれが早まってしまったが…。


「…セルジュ、ここでお別れです。俺は、ジークの所へ戻ります!」

「エリオ殿…?」

 ジークのもとへ行く、と言うとセルジュの顔は直ぐに曇った。


「戻ってどうするというのです?そんな細腕で…竜と戦うと?」

「大丈夫です。俺には浄化の剣があるから…」

「そうは言っても…相手は竜だ。竜王様も仰っていた。その剣は道具で、有限であると…」

「それでも行きます…。想定外の相手なら尚更、ジークは俺が守ります」

「…仕方ありませんね。分かりました…。では、私も参ります。但し、無理だと思ったら、直ぐに引き返しますよ」

「え、セルジュ殿下には…!」

「竜王様から貴方のことを頼まれているんだ…。致し方ありません。」

 セルジュは動揺する兵士たちに神殿へ戻るよう命令した。セルジュ一人で着いてくるつもりらしい。

「第一王子が自ら?よろしいのですか?」

「この結果次第で国は滅びます。行くとするなら私が適任でしょう」

 セルジュは恐ろしがったりする気配もなく、こともなげに言う。セルジュはきっと、どう行動するか決めていたのだと思う。

 俺たちは兵士たちと別れて再び、竜の門を目指した。



 引き返した直後、竜の門の方角にジークの竜体が見えた。

「ジークだ…!」

「ちょうど、竜門を壊すところのようだ…!」

 開いた竜の門からはとめどなく瘴気が溢れ出ている。たぶんジークは本体を先に消滅させて早く終わらせることにしたのだろう。竜門を破壊して、本体を誘き出す作戦だ。

 ジークは前足で竜の門を掴み鋭い牙で噛みつくと、上半分を破壊した。

「結界が……!」

 俺は魔力がないから結界が今どういう状況なのかはわからないが、セルジュは結界が破壊され力が弱まるのを感じたようだ。竜の門が破壊されたことでより一層瘴気の気配が濃くなっていることだけは俺にも分かった。たぶん、間もなく結界は完全に破壊されるのだろう。


 竜の門の上半分を破壊したあと、ジークはさらに炎を噴いて残り半分を一気に消滅させようとした。しかし炎を吐きだした後、後方からファーヴの、瘴気の本体が現れた。

 ファーヴは昨日と比べて更に形を崩しており、より不気味な形になっている。形が崩れるとともに、たぶん理性もほぼなくなっているのだろう、ジークに後ろから襲い掛かり、ジークの美しい鱗に噛みついた。

 

 噛みつかれたジークは身体を捩っていとも簡単にファーヴを振り払う。そして振り向きざま炎を吐き、ファーヴの身体の中心に大きな穴を開けた。


「ギャァアッ!!」


 耳をつんざくような悲鳴が上がる。圧倒的な力の差…!たぶん危なげなく、ジークが勝利するだろう。そう思った。


 しかし、瘴気の量がすごい…!


「セルジュ殿下!ここを離れましょう…!竜王様…ファーヴ様の身体はもう、もたない。崩れ落ちる瘴気で、逆に私たちの身体が危うい…!」

「……いいえ、もっと近くに行きましょう。竜王様にエリオ殿が見えるところまで…」

「え……?」


 セルジュは素早く詠唱すると、俺に魔法を放った。セルジュの動きを読めていなかった俺は、魔法をかけられ動きをとめられた上、飛びかかって来たセルジュに後ろ手に拘束されてしまった。セルジュはもう片方の手で剣を抜き、俺の喉元に刃を突き立てる。

 

「何するんです?!」

「……竜王様には相打ちで死んでいただきます」

「な…?!」

 セルジュは信じがたい事を口にした。この地で竜王とは水神である。その神を、殺すと言うのか…?


「地の利があり番が産まれるアルバスが優遇され…大きすぎる力はいつでも二国間の争いの種だった。水神による恩恵があったとして、結局戦争で人が死ぬ。神不在で資源が枯渇して人が死ぬのと、何が違うと言うのだ。人を恨まなくて済む分だけ、いない方がいい!」

「極論です…!戦争は話し合いで回避出来るはずだ。そのために神殿を共同運営したのではないですか?」

「確かに…政治的に解決しようとしたこともあった。番をアートルムに誕生させようと政略結婚をして…しかし結局、番はアルバスに産まれた。人の力は及ばない…。政治など無駄だった」

セルジュは苦しげな表情で俯いた。セルジュは第一王子として、神殿の警護をするという名目でアルバスとアートルムの戦いの最前線にいたのだ。その苦労が表情に滲む。

「そして、神の力が暴走すればこの有様…!人の手に負えない!そうなっては神なのか、悪魔なのか…。そんなものはいない方がいい!」

「し、しかし…、川が満たすほどの力を失ってしまっては…!それに、力を暴走させたのはセルジュ殿下の責任でもあるのでは?!」

「フン…。もとは竜王のせいだ。ジュリアスにうつつを抜かし、番を蔑ろにした…。理性などない、ただの獣だ。アイツは!」

「それだけジュリアス殿下を愛していたのかも…。貴方がクリスティーナ様を愛していたように…」


 セルジュは目を見開いた。そんなに、驚くことだろうか。

「あれは同情だ。…クリスティーナには自由がなかったのだ…。私のようにな…」


 セルジュはそう呟くと、俺の喉元に刃先を付けたまま、歩き出す。


 竜の門に近づくと、ファーヴはジークに追い詰められて既に虫の息だった。

しかし最後の力を振り絞っているのか、瘴気を身体に集め、傷を修復している。


 俺たちが門に到着したのは、ジークがファーヴの修復を阻止し、止めを刺そうと襲いかかる、直前だった。


「竜王様!それを滅ぼしてはなりません!」


 セルジュはジークに向かって叫んだ。ジークは目だけを動かして、こちらを見ると俺たちの方を振り向き咆哮を上げる。

 その振動に耐えながら、セルジュは俺の首元に剣をあてていた。


「竜王様、言う通りにして頂かないと、エリオ殿の命はありません」

 ジークは俺を目にすると、グルグルと低い唸り声を上げた。

「貴方が滅ぼされれば残るのは瘴気の塊のみ。浄化の剣で、瘴気の塊は私が、打ち払う!…そして、アルバスとアートルムを統一する!」

セルジュは悲壮な覚悟で叫んだ。アルバスとアートルムの統一、それが、セルジュの願い…。


 セルジュと対峙している間に、ファーヴは瘴気を集め身体を再生させていた。また、唸り声をあげて、ジークに襲いかかる。


「竜王様!動くな!!」

セルジュが叫ぶと、ジークは動きを止める。ファーヴはまた、ジークの首筋に噛みついた。

「ジーク!!」

 俺が捕まっている限り、ジークが危険に晒される!もっと訓練を積んでおけばよかった!いつも、エヴァルトに叶わず、訓練も少し怠けがちだったことを悔いた。

 

 しかし、ファーヴがジークに襲いかかった振動と瘴気が此方にも流れてきて、セルジュは体勢を崩した。俺はその好機を逃さず、セルジュの腕からすり抜ける。


「チッ!動くな…!」

セルジュはまた、詠唱を開始した。また拘束の術をかける気だが…俺は今、魔法は効かない。腰にさしている、剣を抜いて構えた。


「セルジュ殿下、無駄です。今、浄化の剣を持っているから魔法は効きません…!」

「浄化の剣は昨夜、すり替えたのだ!それにさっきも魔法が効いただろう!」

「そんな事だろうと思って、あの時はジークの剣を渡しました。さっき捕まったのは、不意を突かれて剣を構えていなかったから」

 情けない話だが……そうなのだ。セルジュは目を見開いて、俺を信じられないものを見た、と言うような顔で見つめている。

「なぜ分かった?まさか、アージュが…?」

「アージュは関係ありません。私は、貴方によく似た人を知っているから……。その人も、心からこの国を愛しているんだ。だからあなたも国を守る武器を得ようとするだろうと、思っていました」

「……」

 セルジュは唇を噛んだ。そして、剣を構える。俺も剣を握り直して、セルジュに向き合った。

「ジーク、守るって言ったのに怪我させてごめん!俺は大丈夫だから…!」


 俺が叫ぶと、ジークはまた大きな咆哮を上げた。首に絡みついたファーヴに逆に噛みつき引き剥がすと、上空に放り投げる。


 ジークとファーヴの争いで風が巻き上がる中、セルジュが俺に切り掛かってきた。俺も浄化の剣で応戦する。いつもエヴァルトに負けていたけど、今日、負ける訳にはいかない。


 俺たちが打ち合っている上空で、これまで見た中で最も大きく灼熱の炎が上がった。俺たちは、その炎を見て思わず、打ち合うのをやめ見入ってしまった。


 灼熱の炎はファーヴの雄叫びも掻き消すほどの轟音をあげる。


 ファーヴが燃え尽きて霧のように消滅する瞬間、ふわりと優しい風が頬を撫でた。


『ジュリアスを頼む…』


 風なのかファーヴの思念なのか…俺の耳には確かにそう聞こえた。


 ーー今のこの世界と前の世界との違いはジュリアスが瘴気に侵されたまま、子供を産まないと言う点だ。ひょっとしてファーヴはジュリアスを助けるために、俺たちをこの時代に呼んだのかもしれない、と思った。

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