第21話 母親

 竜の巣からほど近い神殿の周辺は既に瘴気が立ち込めていた。セルジュは上空に瘴気の塊と化したファーヴを見て直ぐにアルバスの城まで撤退することを決めたようだ。俺たちが戻った時、神殿に残っていたのはセルジュとアージュ、一部の兵とレオのみであった。セルジュには酷い扱いを受けたが…それもセルジュなりの、国を守ろうとする気持ちの表れだと思った。

 俺とジーク、それにレオも、セルジュが用意した馬車でアルバスの城まで戻ることになった。

 

 アルバスの城に戻り、通されたのは先日使用したジュリアスの離宮の部屋だった。しかし、その離宮に主の姿は見当たらない。


「セルジュ殿下…、あの、ジュリアス殿下は…?」

「…ジュリアスはアージュに付き添わせてアートルムへ戻しました。ジュリアスはもともと、酷い瘴気に侵されてアートルムで療養させていたのです。まだ万全ではなかった」

 セルジュは眉間に皺を寄せて、ため息を吐いた。

「ジュリアス殿下の身体は瘴気に蝕まれ、酷い状態だったのですか?」

「…ええ、しかも誰にも話さず、日々悪くなっていき…。半ば無理矢理連れ出しました」

「本当に、ただの瘴気だったのでしょうか?」

「……ジュリアスから聞いたのですか?まったく、馬鹿なことを…」

 セルジュは眉間の皺をより深くして目を細める。ーーセルジュも、子供のことを聞いていたようだ。

「まさかと思い、医師に確認させましたが……。その時腹には何もありませんでした。『何もない』と医師が診断した直後からジュリアスが回復していったので、竜王様と交合したというのも含め、想像妊娠であったという結論に達しました。…ですので、エリオ殿もご心配召されるな。あくまで精神的なものです」

 ジュリアスは突然、腹の子が消えたと言っていた。それが、医師が診察したタイミングだとすると…。腹の中の子供と一緒に、瘴気も消えたと考えられないか?

 俺はジークを盗み見た。ジークは目を瞑って、何かを考えている。


「竜王様、このまま少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 セルジュの問いかけに、ジークは答えなかった。俺が「どうする」と問いかけると、俺の方を見て小さく頷く。


「竜王様…。どうか、北の山に巣くう魔物を退治していただけませんか?そして、正式な王になっていただきたい」

 

 セルジュがファーヴを『魔物』だと言ったことで、ジークは顔を顰めた。


「今まで散々恩恵を受けておいて…。瘴気の塊になったのはその恩恵の見返りでもある。それなのに…。あまりにも酷い言い草だ」

「自分の罪は分かっております。この後、然るべき罰も受けるつもりです。しかし、今はそうするよりほかに、罪のない民を守る手段がありません。また瘴気が雨のように降るようなことがあれば、身体の弱い子供や年寄りから倒れ、あっという間に死地になるでしょう」

 確かに、セルジュの罪はともかくとして、今はファーヴを浄化するしかない…。それはジークの父親を消滅させることを意味している。

「ジーク、少し考えよう?」

 俺がジークの手を握ると、ジークは俺を見て頷いた。

「……瘴気の禍々しさを見るに、時間がありません。待てても、明日の夕刻…」

「分かりました…」

 俺はセルジュの問いに、頷いた。時間がないのは俺も、たぶんジークも分かっている。


 俺とジークは、黙ってセルジュが部屋を出て行くのを見送った。セルジュはアートルム出身の王妃の子で第一王子。俺の兄、エヴァルトと同じ立場だ。エヴァルトも責任感が強く、実は国を愛している。だから俺が魔物に襲われたと知って、アルバスに向かい『怨念』に襲われて瘴気を受けた。俺は知っている…。兄も、弟も…。そう、セルジュの背中にそっと語り掛けた。



 セルジュが出て行ったあと、簡単な食事をとって眠ることにした。抱き合って、暖かい体温が伝わっても、目がさえてしまう。こんな時、身体を重ねられたらいいのに…。


「エリオ、眠れないの…?」

「うん。ジークも…?」

 ジークは後ろから俺を抱きしめていたのだが、すり…と頬を寄せて来た。

「ね、久しぶりに見たらさ、レオがちょっと大きくなっている気がしない?食べ物がよかったのかなあ…?」

 俺の頭の近くで寝ているレオを見て、何気なく言ったのだが、ジークからはやや深刻な答えが返って来た。

「今、瘴気が近くにあるから、その影響だと思う。レオも、いつ正気を失うかわからない。エリオ…その時は覚悟してくれ」

「そ、そんな……」

 ジークはもう覚悟をしている、という意味だろうか?でもそれは聞けなかった。もしジークが迷ったとして…危険な目に合うことになるなら、俺がジークを守ろう。その時は、番の残した浄化の剣を使って、俺が…。


 もしそうなったらジークは俺を許すだろうか?ひょっとして、嫌われるかもしれないな…。でもその方がジークにとってはいいことだ。いつかジークはのジークの番と、結ばれなければならない。


「俺は母親が怖い、意気地なしだ。でも、エリオのことは絶対に守る。この世界で決着をつけたら…元の世界に戻る方法を探そう?俺はエリオの世界で一緒に生きていきたい」

 俺は後ろにいるジークに振り向いて、精一杯の笑顔で頷いた。うまく、笑えた…?

「俺も、母親が怖かったよ。同じだな…。でも、ジークがやっつけてくれた…」

「やっつけた…?そんなことした…?」

「うん。だからジークは意気地なしじゃないよ」

 ジークはふっ、と笑った。

「じゃあ、俺の母親…、『怨念』をやっつけたのはエリオだ。ありがとう」

「え?あの『怨念』をやっつけたのもジークなんだよ」

 あの怨念は『竜になったジークを見たい』気持ちだったのだ。だからジークの竜体を見て消えていった。

「そうか…。そういう気持ちだったなんて、知らなかった。人間の時は怖すぎて…全く戦えなかったし、会話にならなかった」

 人間の時は戦えなかった?それは母親と戦わなければならないことがあったということ…?それって…。そう言えば、怨念になった母親とジークは戦っていた。

「エリオ、ありがとう…。俺を迷いの森から、見つけてくれて。エリオがいるから、気持ちを保てている。そうでなかったら俺はあいつに、竜がが既に怨念だとは口が裂けても言えなかった…」

「あいつ……」

「……俺の、母親…」

 …やはりそうか。だからジークはジュリアスがいると、怯えるようにしていたし俺から離れなかったんだ…。小さいジークを折檻したかもしれない『母親』を許せない。しかしもし、『彼』が男の身で子を産み育てていたとしたら…、瘴気の影響を受けて病んでいたとしたら…。子の養育は困難を極めていた、と思う。ジークは自分の血の効能を知っていたが、それは…人間だったときの母親に飲ませて治療に用いていたとか…?

 ――ジークは先ほども結局、ジュリアスを助けた。

 色々なことが頭を過る。俺は向かい合って、ジークをぎゅっと抱きしめた。


 できれば俺が生きている間は、ジークの番には現れないでいてほしい。俺がいる間は精一杯、ジークを大切にするから…。そしてご褒美に、ジークに愛されながら旅立たせてくれ。




 ようやく微睡始めた正子。扉を叩く音で目が覚めた。


「エリオ殿、セルジュです。申し訳ありませんが、少しよろしいですか?」

 セルジュ?何故こんな時間に…?俺が起きると、寝ていたジークもレオも目を開けてしまった。俺は慌てて上着をとると。扉は開けずに、扉の前に立った。


「セルジュ殿下、どうなさいましたか?」

「エリオ殿、申し訳ない。アージュが瘴気の影響で体調を崩してしまって。申し訳ないが、浄化の剣を貸していただけないか?明日の朝、必ずお返しする」

「アージュが…?でもアージュはジュリアス殿下とアートルムへ…」

「…実はジュリアスは、アージュを振り切って行方不明になっておりまして…。アージュが振り切られたのも、瘴気の影響で体調を崩していたからでございまして」

 セルジュの声は酷く焦っていた。俺はその声に聞き覚えがあった。エヴァルトと、そっくりだったのだ。

「分かりました。少しお待ちください」


 俺は部屋に戻って、剣を取り出した。ジークも起き上がっていて、俺の腕を掴む。


「エリオ、それは…!」

「ジーク、大丈夫だ。明日の朝には返していただける」

 ジークはまだ何か言いたそうにしていたが振り切って、今度は扉を開けた。

「どうぞ、こちらです。剣先をあてるだけで効果がありますので…」

「かたじけない!」

 セルジュは深々と頭を下げて帰って行った。

 ジークはいつの間にか、後ろに立っていて、俺を心配そうに抱きしめていた。

「ジーク、起こしてごめん…」

「起こしたのはあいつだろう。エリオが謝ることじゃない」

 ジークは俺を抱き上げて寝台に連れて行くと、また一緒に眠りについた。



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