第15話 災いの種

 振動と共に、身体が何か、固いものにぶつかった。ぶつかった衝撃で意識を取り戻したが、視界は魔封じの袋のせいで真っ暗だ。


「う…ぐ…っ…」


 声を出そうとしたが、口を布で塞がれていて、くぐもった声しか出なかった。どうやら助けも呼べそうにない。座らされている場所はガタガタと揺れていて、外からは馬の蹄の音も聞こえる。多分ここは、馬車の中だ。


「大人しくしていろ」


 静かな、しかし怒気を含んだ声。この声は聞き覚えがある、セルジュだ……。

 俺を何処へ連れて行く気だ?聞きたいけど、身動きが取れない。ジークはきっと心配しているだろう。

 もっと警戒しておくべきだった。せめて帯剣していれば…。


 馬車は道が悪いのか、ひどく揺れた。縛られていて踏ん張りが効かないこともあって、馬車の車内の背もたれや壁にぶつかると、面倒になったらしい誰かに押さえつけられてしまった。肉体的に酷い目にあっても、ジークの毒の効能でで痛みなどは感じない。しかし俺はジークを思って、ずっと涙を流していた。二人で一緒に過ごす未来を諦めない…そう決めたはずなのに。


 どれくらい走っただろう。馬車はようやく止まった。


「降りろ 」


 両脇を兵士らしき男に抱えられて馬車を無理やり下ろされる。兵士達は力が強い。しかも俺は縛られているのだ。なす術もなく馬車を降りると、風が吹いて身体を通り抜ける澄んだ音が聞こえた。視界が遮られて見えないが、きっと今は深夜だ。周囲は静まり返っている。


「竜王様の番と偽った罪は重い……。お前にはその命をもって償ってもらう」

 セルジュは極めて冷静に、告げる。

「兄上、しかしもし、竜王様に知れたら…!この者が竜王様の寵愛を受けている事は間違いありません!」

 焦ったような声でセルジュを止めたのはアージュだ。殺すのはやり過ぎだ、とセルジュを説得してくれている。

「寵愛を受けているからこそだ。此奴は必ず、真の番が現れ枷となるだろう。しかも、アルバスの血を引いている…。災いの種にしかならない!」

 目は見えないが、鞘から剣を抜く、金属音が聞こえた。多分、俺を殺すため誰か…たぶんセルジュが剣を抜いたのだ。

 俺は縛られたまま、兵士に両脇を押さえつけられて身を捩る事さえできない。


 息を呑む間もなく、頭上に剣が風を切る音が聞こえた。


 ジーク…!どうか、俺みたいな馬鹿な男のために泣かないでくれ…!


 ぎゅっと目を瞑った瞬間、キン…と、剣がぶつかる大きな音がした。誰かがセルジュの剣と打ち合ったようだ。


「それで、アルバスの街外れでコイツを殺して疑惑をアルバスに向け、竜王様の寵愛をアートルムに向けるおつもりですか?兄上…」

「ジュリアス!」


 今、俺を守ってくれたのははジュリアスのようだ。でも、なぜだ?ジュリアスは、俺を先日殺そうとしたはずだ。


 ジュリアスとセルジュが剣を撃ち合う音がしたが、一際大きな金属音と、剣が弾かれる音が耳に痛いくらい響いた。


「神殿の騎士団長とはいえ政治が主の兄上が、私に敵うとお思いですか?」

「チッ!」


 どうやら、ジュリアスがセルジュを打ち負かしたらしい。直後、俺の方向に人が近付いてくる靴音が聞こえた。そして隣にいた兵士たちも剣を抜く音がする。数回打ち合い、また剣が弾かれる大きな音が響いた。


「おい、聞きたいことがある」


 ジュリアスは俺に被せられた布を剥ぐと、剣で口を覆っていた布と身体を縛っていた縄を切った。


「……しかし、時間がない!随分早い到着だ…!」

「え……?」


 ジュリアスは俺の前に立つと剣を構えた。一体何が到着すると言うのだ?ジュリアスは空を見上げて警戒している。

 俺もジュリアスが見ている、空の方を見上げた。すると、禍々しい気配を感じる…。 


「ジーク?!」

「……来るぞ!魔法を使える者は結界を張れ!街が焼かれる!」

「街が焼かれる!?」


 まさか…?!


 目を凝らすと、夜空に竜体のジークを見つけた。ジークは俺にがついていないのか、身体がびりびりと震える程の、恐ろしい咆哮を上げる。

 空にはジュリアスやセルジュ達が魔法で結界を展開した。しかしもの凄い速さでやって来たジークは口から炎を吐き出し、結界を一瞬で消し去った。竜体のジークの目は以前見た、獰猛な獣のそれだった。再度あげた咆哮は雷鳴のように街を震撼させる。


 まずい…!街外れとは言っても…どの程度離れているかわからない。罪のない市民が巻き添えになってしまったら取り返しがつかない…!


 俺はセルジュの前に立って両手を広げて手を振った。ジークに見てもらえるか、自信はないけれど…。


「ジーク!俺だ!止まれ!俺まで焼き殺す気か?!」


 ジークは勢いを止めずに、大きな口を開けてまた鳴き声を上げた。そしてそのまま俺に向かって突っ込んでくる。


「逃げろ!」


 ジュリアスは俺や、周りの兵士に向かって叫んだ。でも俺は動かなかった。動けなかった、とも言う……!


「エリオ!」


 ジークは地上に降りる寸前で、人型に戻り俺に飛び掛かって来た。もの凄い勢いで抱きつかれて、俺は地面に倒れ込む。


「おいジーク!俺を殺す気か?!」

「エリオこそ、俺を殺す気だろう?!俺がどれだけ心配したか…!もう嫌だ!こんな事は!」

 ジークはそう言って俺を抱きしめて頬擦りする。抱きついて、離れないジークを何とか宥めて起き上がると、ジュリアスが近付いて来るのが見えた。


「止まれ、近付くな。これ以上近付けば容赦しない」

 ジークは俺に抱き着いた格好のまま、ジュリアスを威嚇する。


「ジーク、この人は俺を助けてくれたんだ。だから、そんな事言わないでくれ」

「コイツが……?」

ジークは信じられない、と言うように目を見開いた。それは俺もそう思ってる。ジュリアスはつい数時間前、俺を襲ったのだから。けれど確かに、先ほどジュリアスは俺を助けた。


「本当だよ?」

「そう、本当ですよ、竜王様……。私はアートルム王国第二王子、ジュリアスと申します。そこのセルジュとアージュとは違い、アルバス出身の側妃の子です」

ジュリアスは、ふふん、とセルジュを見て言った。

「アルバスについて、誤解なきよう…」

「ジュリアス、お前…!」

セルジュはジュリアスに駆け寄って、胸ぐらを掴んだ。ジュリアスはその腕を静かに振り払うと、俺たちに話しかけた。


「これからアルバス領にある私の邸にいらっしゃいませんか?神殿は『二つの国の平等』を掲げているが、アートルムの者で溢れている。そんな所に戻りたくはないでしょう?他に行く当てがあればべつですが。それに…」

ジュリアスはゆっくり、俺に向かって近付いてきた。

「番様に話があります」

「話す事などない」

ジークが俺の代わりに答えてしまったのだが、ジュリアスはジークを見る事なく、俺の返事を待った。

「……貴方の所へ行きます」

「エリオ!」

「ジーク、大丈夫だ。今度は別行動しないし、俺も帯剣する。ジュリアス殿下も、それでいいだろうか?」

「ええ。問題ありません」

 ジュリアスは頷くと、「ではこちらへ」と俺たちを手招いた。セルジュは唇を噛んでジュリアスを睨んでいたが、ジュリアスは気にも止めずに歩いて行く。



 視界を覆われていたので気が付かなかったのだが、ここ一体はジュリアスが言った通りアルバスの街外れの森のようだ。ようだ、というのは…ジークが放った周りの影響で辺りは木々が倒され、一部火が上がっているからだ。


「ご心配には及びません。この辺りは人も住んでいないし、消化はセルジュが行うはずです」

 立ち止まって辺りを見回していた俺に、ジュリアスは声を掛けた。

「エリオ……俺は嫌だ…」

 ジークはかなり嫌がっていたが…俺はジュリアスについて行くことに決めていた。ジュリアスに助けられたし、それに聞きたいことも沢山あるのだ。

「ジーク、大丈夫だよ。もう、離れないから」

 俺はジークに抱きしめられた腕の中から、ジークを抱きしめ返した。安心させるように「大丈夫」と囁きながら背中を撫でる。そんな俺たちのやり取りを見ていたジュリアスは、何処か呆れたように言った。


「その竜王様は、まるで子供のようですね…」

「子供じゃありません」

 確かに、俺もジークは百年以上生きている割に子供みたいな所があると思っていたけど…。それは怨念に育てられたから精神性が乏しいだけで、人型も竜体も、身体 的には立派な大人のはず。

「何もしませんよ…」

今の所は、とジュリアスは笑った。ジークはまだ嫌がっていたが、絶対離れないと約束して、ジュリアスの用意した馬車に乗り込んだ。

 馬車は森を抜けて、街に出る。まだ夜は明けていないが、森の騒ぎを聞きつけたのか兵士や自警団などが街を見回っており少し騒がしい。馬車は街を通り抜けて奥の城へと入って行く。


「ここは…」

「アルバスの城です。もともと私の母がいた離宮を、使わせてもらっています。今日はそこへ」

「ジュリアス殿下のお母様は、アルバス出身なのですね…?」

「そうです。アートルムがアルバスの血を引くものから竜王様の番が生まれるのは不公平だと言い出して…。竜は番を大切にする生き物だ。同じ大陸で同じ水神の竜を信仰していながら、番が生まれるアルバスが天候・資源に恵まれるのが不公平だと考えたのですよ。それで、アルバスの王女を一人、側妃としてアルバスに嫁がせたのです」

「なるほど……」

 確か…、百五十年前といえばアルバスは資源に恵まれており、停戦を挟みながらも度々アートルムからの侵攻を受けていた。停戦交渉中に平和的解決策を模索して政略結婚を行っていた、ということだろうか。

「しかし、側妃の母が産んだ私は男で、勿論竜王様の番ではありませんでした。番は結局、今代も、アルバスの姫だったのです」

 ジュリアスは「どれだけ失望されたか…」と、自嘲気味に笑った。

 そうか…。俺も魔力なしで生まれ、母に失望された。いや、忌み嫌われていた。ジュリアスの境遇を想うと、子供の頃の記憶が蘇って鼻の奥に鼻水が垂れた。感覚があれば鼻の奥がツンとする、あれだ。


「さあ、つきました。今夜はもう休みましょう。明日、迎えに上がります」


 離宮は王宮とは違い、大理石で作られた美しい宮殿だった。内装は木で作られており、ほんのり暖かい。いろいろあり過ぎて、通された部屋で俺とジークはすぐに眠りについた。



****


 俺たちは控えめなノックの音で目を覚ました。窓から見える太陽は既に高く上っているからきっともう昼だ。ジークは俺を抱きしめて心臓に手を当てたまま眠っていたのだが、俺が起きると一緒に目をさました。

 用意してもらっていた服を着て、部屋をでると食堂へ通される。食堂にはジュリアスが待っていた。


「驚きました…寝ながら、あんな威圧的な結界を張るなんて…」

「結界……?」

 魔力なしの俺は結界など張れない。昨日結界を張ったとするとジークだが…。ジークを見上げると、何のことか分からないようで、首を傾げている。

「無意識ですか…。それはそれは…」

 ジュリアスは俺たちを見て、苦笑いした。食堂の上座に俺たちを座らせると、食事を用意してくれ、自身は下座に腰を下ろす。


「先日は大変失礼しました……。しかし、申し上げたことについてはおおよそ間違っていないと思っています」

「ジークと私が、『偽物』だということですか…?」

「そうです。貴方様は確かに竜で、姿かたちはそっくりだが、私が知る竜王様ではありません…。あなたも、番ではない。その痣のこと、アージュから聞きました」

 アージュから……。アージュとセルジュはアートルムの王妃の子だと聞いたが、アージュはアルバスの側妃の子、ジュリアスとも交流があるのだろうか。


「……確かに、私たちはジュリアス殿下達が言うところの『竜王』と『番』ではありません。騙すつもりはなかったのですが、ここに来た時に間違われてそのまま言い出す機会を失くしてしまって…」

「…そうですか…。薄々セルジュも勘付いているいるのかも知れませんが、フェリクス川を癒したその力も我ら『竜王様』と遜色がないので、見て見ぬふりをしているのかもしれません。しかし、それが分かって良かった……」

 ジュリアスは、目を伏せて少し震えている。


「私が貴方を…」

「ジュリアス殿下、私のことはエリオ、と。それと彼はジークです。私たちは竜王と番ではありませんので、名前をお呼びください」

 ジュリアスに名を告げると、ジュリアスは頷いた。

「私と似た境遇のエリオ殿にだから言うのですが…私がエリオ殿を襲ったのは、半分嫉妬です。いや、半分以上かもしれない…。信じたくなかったんだ、竜王様が、また新たに伴侶を迎える…なんて…」

「それは…ジュリアス殿下が、竜王様の恋人だった、ということでしょうか…?アートルムもアルバスも、同性愛は禁止で…。元々は竜王様が、子孫を残すために禁じられていたと聞いていますが?」

「私の気持ちは兎も角…。私たちは『恋人』ではありません。番様が浄化の力を失い、竜王様は体に溜まった瘴気を発散する必要に迫られていた。私は男だし、女より丈夫ですから。それで、身体を繋げただけです。勘付いたセルジュに引き離された時も、竜王様は私を探してはくださらなかった…」


 そう言えばセルジュが俺に魔封じの布を被せた時、以前竜王様もその布のせいでジュリアスを探せなかったと言っていたが…。その事実をジュリアスは知らないのだろうか?俺はセルジュが言っていた話を、ここで言うべきか迷って、黙り込んだ。

「だから私はエリオが羨ましいし…。あなたを必死の形相で追って来たジークを見直しました」

 俺が顔を上げると、ジュリアスは柔らかく微笑んでいた。しかしすぐ、真剣な顔をする。


「しかしエリオ…。貴方は私と同じように竜の精を受けて身体を蝕まれていますね…?」

「それは…。私もそのことについて、ジュリアス殿下にお伺いしたかったのです。アージュが私の胸の痣を見て、この痣を知っていると言っていました。それは…?」

「…私にもありました。しかし、ある時跡形もなく、消えてしまったのです…」

「ある時、跡形もなく…?」

 ジュリアスは苦し気に俯くと、そっと腹を手で摩る。そこにあった痣が、跡形もなく消えた、ということ…?俺は『痣が消えた』という言葉に気分が高揚して、ジュリアスに質問を投げかけた。

「どうやって痣を消したのですか?私の痣は今も進行していて…!私たちがここに来たのはこの痣を、身体に入った瘴気を取り除くためなのです。光属性の回復魔法でさえ、効果がなくて…!」

「私の痣が消えた理由は分かりませんが……。一般的に竜の瘴気…毒を取り除くことができるのはその番が操る『浄化魔法』のみと言われています」

 だから竜は番を大切にするのです…と、ジュリアスはまた、俯いてしまった。そう言えば、竜王様の番はどうしたのだろうか…?アルバスの姫が番として生まれたと言っていたが、セルジュは『番を失う悲劇』があったと言っていた。ひょっとしてアルバスの姫は亡くなったとか…?そしてそれは、ジュリアスが関係している…?


「今代の竜王様の番様というのは今、どうしていらっしゃるのですか…?」

「……会いに行ってみますか?」

「え……?」


 番を失った、と聞いていたが、生きているのか…?俺は訳が分からなくて、目を瞬いた。

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