第11話 結婚指輪
その後は締め出されていたレオと一緒に風呂に入って清潔な衣服に着替える事ができた。川に落ちて身体が濡れていたからありがたかった。
俺に用意されていたのはアートルムの騎士服だった。フェリクスのものより、幾分華美な気がする。着替えて浴室を出ると、少年が待っていた。たしか、ジークについて行った少年だ。
「アートルム王国第三王子のアージュ・アートルムと申します。竜王様の神殿の警護をしております。今後、番様の警護を担当いたします。なんなりとお申し付けを」
先ほどセルジュが言っていた『信頼できるもの』とは自身の弟だったらしい。俺がジークの番…多分妻のようなものだが、男であることを考慮して、女より男…しかも成人男性ではなく少年の方がいいと判断したのだろう。そして、彼が第三王子ということは…。
「第二王子が、ジークについたのですか?」
「ジーク…?」
「あ、えっと、竜の…。あなたが第三王子と仰ったので、順番的にジークには第二王子がついたのかな、と思ったのです」
「……いえ、竜王様には第一王子のセルジュがつきました」
アージュは話しながら、プルプルと小刻みに震えている。一体何…?
「どうしたの…?俺の担当は嫌だ、とか?」
アートルムもアルバスも、宗教的に同性婚は認められていないのだ。だから、俺に対する嫌悪感かと思った。
「ち、違います!恐れ多くも、竜王様の御名を呼んでしまいました!」
「え?!それが、何?!」
「竜王様の御名前を口にできるのは番様だけです。竜王様も、他のものに名乗りませんから存じ上げませんでした。申し訳ありません!!」
そういえば教会に竜が祀られていたが名前は聞いた事がない。そういう理由だったのか…。
「私の方こそ、そうとは知らず申し訳ありません…。そんなに畏まらないでください」
今は年上だが、本当はアージュは俺の、ひいひい…爺さんいや、叔父さんなのだから。俺の返事を聞いたアージュはもう一度頭を下げると、俺を食堂へ案内した。
食堂は天井の高い部屋だった。長いテーブルの正面には、アートルムの国旗とアルバスの国旗が並べて飾られている。やはり今、二つの国はまだ統一していないらしい。国旗と同じ、向かって左側がアートルムで右側がアルバスのものが座っているようだ。すでに席は埋まっている。
俺は国旗が飾られている、中央の席に案内された。隣は言わずもがな、ジークの為に空いている。
ジークは俺より少し遅れて食堂にやってきた。既に日は暮れていて室内はシャンデリアと蝋燭で煌々と照らされているが、正装姿のジークはそれ以上に室内を明るく照らした。真っ白のフロックコートには金糸で刺繍が施されている豪華なもの。ジークの褐色の肌に黒髪とは正反対の色ではあるがそれがむしろ際立った格好で…。
「似合ってるよ、素敵だ。ジーク…」
「ありがとう、嬉しい。エリオもかわいい…」
ジークは俺の顔を見て少し頬を染め、素早く隣に座ると、俺の手を握った。
ジ、ジーク…!
周りに大勢人が居るのに、ジークはお構いなしだ。
俺の正面に座っている、年配の人物…。アルバスの要人であろう男は咳払いを一つすると、ジークに話しかけた。
「竜王様…。御戻り頂き、感謝の念に堪えません。しかしながら…まさかその、番様が男性とは…。数千年の歴史の中でも全く記録がなく。それに男では子が…」
「アルバス国王陛下、竜王様と番様の御前です。それに先程、私は番様の証を確認いたしました。陛下も部下から報告を受けたはずでは?」
反対側の席にいたセルジュは『アルバス国王陛下』に向かって忌々しげに吐き捨てた。『アルバス国王陛下』と呼ばれたこの男を、俺は古い絵姿で見た事がある。やはりここは、百五十年ほど前のフェリクスなんだ…!
「では、『男』を番として、婚姻の儀を行うと?子が出来ないからと同性婚を禁じて来られたのは、他でもない水神である竜王様だというのに…」
「しかし番様がおられなければ、竜王様の身体はもたない…。身体が持たなければ……それは陛下が一番ご存じでは?」
「……」
アルバス国王は口を閉ざした。それより、番がいないと、竜の身体がもたないというのはどういうことだろう?それって、ジークも?ジークは百年以上、生きているというけど…。
口を閉ざしたアルバス国王から視線をジークへ移したセルジュは頭を下げた。
「竜王様、この後最短で婚姻の儀の準備を整えます」
「婚姻の儀……」
『婚姻』が分かっていないジークは俺を見つめる。俺が「結婚のことだよ」と小声でいうと、ジークは頷いたのだが。
「婚姻の前にすることがある。少し待て」
「竜王様、『すること』とは…?」
セルジュは眉を顰めた。ジークは至極真面目な顔で、セルジュの問いに答える。
「まだエリオに『求婚』して受け入れてもらっていない」
「『求婚』でございますか?番様であらされるのに…?」
「金の指輪が必要だ」
「金の指輪…?それは庶民のすることですが…。必要とあればこちらで用意いたします」
「俺がエリオに用意しなければ意味がない」
ジークはあくまで俺に『求婚』するつもりらしい。その態度に俺は大いに戸惑った。真剣に求婚されたら、俺はなんて答えたらいいんだろう。ジークと一緒にいたい、と思っているのは間違いないけど、それは…。
「…畏まりました。では明日、商人を呼び寄せます」
セルジュが視線を送ると、アージュは立ち上がり部屋を出て行った。その後は特に会話もなく、食事を終えた。こうしてたぶん、百五十年前のフェリクス初日はあっという間に終了した。
****
翌日、宝石商だという男に引き合わされた俺たちだったが、ジークは用意された指輪を見たものの、納得がいかないようで眉を顰める。
「これは誰がつくったんだ?」
「私どもお抱えの、職人でございます。経験は豊富な技術を兼ね備えたもので、当然人気も…」
「……もう良い」
ジークは俺の腕を掴んで立ち上がった。俺を引きずるように部屋の扉へ向かい、出て行こうとする。
「竜王様、どちらへ…?!このあと、番様はご衣裳も…」
アージュが俺たちの前に立ちはだかると、ジークは舌打ちした。くるりと踵を返すと、また俺を引きずって、窓の方へ向かう。
「竜王様!」
アージュが叫んだ時にはもう、ジークは俺とレオを抱え窓から飛び降りていた。ここ、二階だけど…!ジークは窓から飛び降りるとあっという間に竜へ姿を変え、俺を背に空へと浮かび上がる。俺は必死に、ジークの背中にしがみついた。
「おいジーク!どこに行くんだよ…!」
「エリオに『求婚』するんだ」
ジークはどうやら、フェリクス川へ向かっているようだった。迷いの森の上空を飛んで、川を目指す。
上空から川を眺めて俺は言葉を失った。
「フェリクス川が、枯れている…!!」
なぜ…?!信じられない…。俺はジークの背中から、その様子に驚愕した。フェリクスの歴史は学んできたはずだったが…。ロゼッタ様は「竜に関する記録がない」と言っていたが…こんな大規模な旱魃があったことも教わっていない。ここは、俺が知らなかった『フェリクス』だ…!
ジークは上流の河原にに降りると、人型に戻りまた俺を抱えて歩き出した。歩けるけど…ジークが無言なので、俺も大人しく抱かれていた。
「このあたりだと思う」
ジークはそういうと、枯れた川へ歩いて行く。丁寧に俺を下すと、岩の上に座らせて自分は川の石の下や間を何やらごそごそと探している。
「ほら、あった」
ジークは手のひらを俺に見せた。
「砂金だ…!」
砂が混じっているが、キラキラと輝きを放っている。間違いない。
「ここが迷いの森なら、あるはずだと思って…」
ジークは俺の手を取りひっくり返して「受け止めて」と言った。俺の手のひらに向かって、ジークは先ほどの砂金を手に握ると、砂時計の砂のようにらさらさらと砂金だけを落としていく。砂が混じっていたはずなのに、一体、どういう魔法?
俺は手のひらの砂金を見てため息をついた。
「きれいだ…」
「知らない奴が作った指輪をエリオにつけさせたくない…。だから俺がこれで指輪をつくる。エリオ、どうすれば指輪は作れる?」
「え…?」
そんな理由?独占欲みたいなのをジークにぶつけられて、俺は戸惑った。俺にそんな魅力あったっけ?いや、大してないはずだ。ロゼッタにも選ばれなかったし、他の女性に告白されたこともない。
ひょっとして俺、本当に、ジークの番だったりする?運命でもなければ俺がこんな美形に愛されるなんて説明がつかない…。
「じゃあ、そうだな…。アルバスの領都には鋳物工業があるからそこに持って行って加工してもらおう」
「加工…?」
「熱で溶かして、輪にするんだ。普通の火じゃダメなんだ。金を溶かすには千度以上ひつようだから」
俺がそう言うとジークは頷いた。分かってくれたと思ったのだが…。
俺の手のひらの砂金が空中にふわりと浮かんだ。あっという間に、頭上の高いところまで登るとジークは詠唱でもなく独り言のように呟く。
「
地獄の…?聞き間違い…?確認するより先に、頭上には恐ろしい炎が上がり、ゴオゴオと禍々しい音を立てている。
「お、おいジークっ!」
「溶かして丸くした…。エリオ、受け取ってくれ」
「地獄の業火で焼いた指輪を…?」
ジークはいつもの何を考えてるのか分からない顔で頷いた。
地獄の業火で焼いた結婚指輪なんてめちゃくちゃ縁起悪そうだけど、…いいんですかね?て言うか、金が溶けたって事は千度以上の高温だよ?そのまま指に嵌めたら、俺の指、千切れるんじゃないの…?
「い、一旦冷やそうか…。冷却の魔法は使える?」
「やった事がない」
「じゃ、じゃあ川の水で冷やそう…。って、あー…」
川は枯れているんだった…。すると、どうしよう…。俺が考え込んでいると、ジークは俺を後ろから抱きしめた。
「エリオ、受け取らないつもり…?」
「え……?」
後ろを振り返ると、ジークは静かに涙を溢していた。俺が返事をしなかったから…?
「ち、違うよ…!高熱で焼かれた指輪を嵌めたりしたら、人間は怪我するから。冷やそうっていっただけ…。ちゃんと受け取ろうと思ってるよ?」
俺がそう言うと、ジークは俺の頬に顔をすり寄せる。
「あいつらもお前も『男』だからダメだ、って言ってたろ……?」
「う…。それは、そうなんだけど…」
ジークは俺の頬に顔を寄せて目を伏せたまま、瞼を上げない。ジークは俺と『結婚する』と言い切っていたけど、俺がちゃんと返事をしていなかったから不安に思っていたんだろうか?ちょっと、可愛すぎないか…?
「ジーク、不安にさせてごめん。俺もこんな気持ちになったのは初めてなんだ。いつもならとっくに諦めてるのに、ジークとずっと一緒にいたいって思ってる…」
「エリオ、それは竜の謎を解いて、お前の身体から瘴気を取り除いて……俺が必ず叶える」
ジークは頭をあげて、俺をまっすぐ見つめた。涙は頬を伝ってまだ、流れている。俺は涙を拭って、ジークに口付けた。
ジークは瞬間、目を見開いて服の袖口で俺の唇をゴシゴシと拭う。
「ダメだ!俺の体液は…!」
「でも、触れるだけだから…。それに…!」
俺は赤くなって俯いた。ジークは俺がした『求婚』の説明を忘れているらしい。
「口付けしたら、求婚を受け入れたってことだろ…」
「エリオ…!」
ジークは俺をもう一度抱きしめて、口付けた。
触れるだけなのがもどかしい。唇を離した後も、名残惜しく俺たちは抱き合っていた。
ジークに抱きしめられて、その背中を抱きしめ返すとその熱に俺は浮かれていた。しかし徐々に、冷水を浴びせられたように、身体が冷えてきた。
「あーーっ!」
「エリオ…。指輪、受け取って…?」
「ジーク、それどころじゃ…!」
慌てる俺の指にジークは指輪を嵌めた。ジークはもう泣いてはいなかった。俺の指に指輪が入った事を確認して、うっとりと微笑む。平時ならその美しすぎる微笑みに見惚れているのだが…。
「ジ、ジーク…!川の水位が…!」
そう、俺たちは本当に『冷水』を浴びていた。レオが、俺の胸の方まで上がって来て不安そうに震えている。既に膝くらいまで水が来ていた。
「竜王様!番様…っ!」
河岸に俺たちを追ってきたアージュ達、騎士の姿が見えた。俺たちに向かって何かを叫んでいるが、ジークは彼らを冷たく一瞥する。
「邪魔をするな」
ジークはまた、竜に姿を変えると、俺とレオを背に乗せて一気に浮上し、フェリクス川の上流へと飛ぶ。ジークの影に合わせるように、フェリクス川の上流から下流に向けて枯れていた川に水位が戻っていく様子が見えた。
「す、すごい…」
ジークの涙で、川の水位が戻っていく…。まるでその昔、水神である竜の涙がフェリクス川になったと言う伝説と、同じだ…。
ジークは本当に『竜王』なのかもしれない。魔物を母だと言っていたからてっきりジークも魔物だと思っていたのだが…。いや、ジークは母親を魔物ではなく『怨念』だと言っていた。すると母親は『怨念』のまま、ジークを産んだのだろうか、それとも産んだ時は、別の、何かだった…?それに、この地にもジークが間違われるほど似ている、『竜王』が確かに存在したようだ。その竜王は人を見捨て、地底に籠ったと言われていて……。
「ジーク…。一度屋敷に戻らないか?俺も色々気になる事があるんだ。ジークと俺は確かに、この門を通ったけど…ここは元いた場所とは同じようで違う。多分アルバスとアートルムが統一される前の、百五十年ほど前の世界のようだ」
口に出すと、余りにも信ぴょう性がない話に聞こえる。自分でも俄かに信じられない。でも…。
「この時代の竜王は『地底にお隠れに』なったと言っていた。実際、竜の墓の入り口、地獄の門は閉まってる。それに、竜王が番をなくした、というのも気になる。もう少し、探ってみよう」
「わかった」
ジークは短く答えると、俺を抱えて邸の方に走り出した。
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