第9話 母親の怨念
ロゼッタはすぐに馬車の手配に走った。アルバスまでは、馬車で十日かかる。瘴気の影響でいつ体調が悪化するかもわからない今は、付き添ってくれるというロゼッタの申し出は有り難かった。
俺は身の回りの持ち物を簡単にまとめると、レオを呼んだ。しかし、返事がない。レオはジークが俺の為に置いていったのだ、さっきまで確かにいたのに...。
「レオ…?!」
どこに行ったんだ?こんな時に…?
部屋の中を隅々まで探したけどいない。先ほどバルコニーに通じる窓を開けていたから、落ちてしまったとか?レオはジークの兄弟だが、瘴気の塊で魔物でもある。街に逃げたらまずい…。俺は急いで、一階へ降り外へ出て、バルコニーのちょうど下へと向かった。
「レオ!そろそろ出発するんだ!出て来てくれ!」
必死に名前を呼んでみたが見つからない…。
バルコニーの下は、少し斜めの丘のようになっている。転がって、落ちてしまったのだろうか…?更に下は林だ。あそこを探すのは大変そうだ。
俺が躊躇していると、かさかさ、と草を踏む音が聞こえた。振り向いた先に、立っていたのは…。
「エヴァルト…兄上?!」
何故ここに?エヴァルトはすでに、アートルムを立ちアルバスへ向かったはずだが…。
「エリオ!お前を探していた。さあ!行こう!」
「え…?」
「先触れを出したところ、アルバスに断られてしまったのだ。お前がいなければ、アートルムを受け入れないと!」
「ま、まさか……」
アルバスの旧王族たちもアートルムからの支援を待っていた。だから俺が単独で行った時、酷く落胆していたのだ。それなのに援軍を拒否するとは、なぜ?
「騎士団を率いてアルバスを武力で制圧する気なのだろうと言ってるんだ。アルバスのお前がいなければ、調査もままならない。来てくれ!」
「しかし今、ロゼッタ様が馬車を…!」
「そんなこと言っている場合か!」
「……」
エヴァルトの話はにわかに信じがたかった。まさか……。でも、直接行ってみるしかないだろう。俺はエヴァルトに促されるまま、教会の車寄せへと向かった。
車寄せにはエヴァルトが乗って来たらしい馬車が一台、止まっている。なんとなく薄汚れているような気がするのだが…。
エヴァルトは第一王子だ。みてはいないが、護衛の騎士団を大量に連れていったはずだ。それなのに馬車で待つのは御者、一人だけ。
「兄上、騎士団の者たちはどうしたのです?」
「急ぎ、私だけ引き返したのだ。大群を率いては、進行が遅れる」
エヴァルトは「さあ」と馬車の扉を開け、俺の背中を押す。
しかし、馬車の中に乗り込もうとした途端、馬車の扉に矢が打ち込まれた。その大きな音に驚き弓矢が飛んできた方向を振り向くと、後方からロゼッタが弓矢を構えて走って来ていた。
矢を打ち込んだのはロゼッタ…?
「エリオ!行ってはなりません!そいつの言っていることはおかしい!エヴァルトはアルバスに向かう途中、魔物に襲われ瀕死の重傷を負い、魔物に連れ去られたと生き残った騎士から連絡が来たわ!」
叫んでいるロゼッタの顔は涙に濡れていた。目の前の『エヴァルト』は、そんなロゼッタを見てふっ、と鼻で笑う。
「あの女、どうやら気が触れたらしい…。急ごう、エリオ」
『エヴァルト』は飛んでくる弓矢など意に返さず俺を力尽くで、馬車の中に押し込む。そしてエヴァルトは指を鳴らすと馬車を走らせた。
「兄上じゃないな、お前……!」
「ふ……。兄上、なんていなければ良いと思わないか?なあ、エリオ…」
エヴァルトはそんな事、言うはずがない。それにロゼッタを何より愛しているエヴァルトが、無視するなんておかしい。やっぱりコイツ、『エヴァルト』じゃないな。
エヴァルトが魔物に襲われて瀕死の重傷を負い魔物に連れ去られた後、現れた『エヴァルト』…。この状況から考えれば、目の前の『エヴァルト』の正体は『魔物』だ。
『エヴァルト』の殻を被った魔物は俺を窓側に座らせると、隣に腰を下ろした。
「兄なんて血が繋がってるというだけだ。兄なんて死んでしまった方がいい。そうだろう?」
魔物は『兄』に恨みでもあるのか、俺に同意を求める。
「エヴァルトが死ねば良いなんて、思ったことはない。確かにアイツは嫌味ばっかりいうし、好きじゃないし気も合わないかも知れないけど…。それでもずっと一緒に育ってきたんだ。情はある」
「……偽善だなぁ…。ではどうだ?コイツは?」
魔物は馬車の中に無造作に置かれていた麻袋を手に取り、中を開けた。
「レオ!」
中には明らかにぐったりとしているレオがいた。俺はレオを呼んだが、反応がない。
「名前なんかつけても無駄だ。名は体を表さない。ジークフリートのようにな」
「ジークがなに…?それよりレオに何をした?」
「何もしていないよ。『レオ』に何かされたのはお前だろう?本当は『レオ』を恨んでいるんだろう?」
「恨んでない!確かにこの毒はレオに噛まれたからだけど、その前に人間の子供がレオを棒で突いたことが原因の、事故みたいなものなんだ!それに、ジークの血のおかげで、痛みは麻痺していて感じないから現実味がないっていうか……」
「……人間なら、必ず負の感情を持つはずだ。コイツのように」
魔物はエヴァルトの胸に手を当てた。
「お前を恨んでいた。お前を恨む気持ちが、私を引き寄せたんだ」
「確かにエヴァルトがアルバスに向かった原因は俺だ。恨まれても仕方ない」
「それでお前が兄に殺されても、『仕方ない』とその澄まし顔で言えるのか?」
魔物は俺の首に手を当てた。喉元に、親指が触れる。まだ力は入っていないが、魔法なのか、身動きが取れず、抵抗できそうにない。
「全然、澄ましてない!俺だってこの擬態を身につけるまでに十八年もかかってるんだぞ!」
「私の遺恨は、百年を優に超える」
「年数の問題?!」
「お前は自分の中で、まるで、浄化魔法を使っているかのように『闇』を浄化しているんだ…。やはり…また、産まれてしまったんだな?
「迷いの森の結界のこと……?でも、俺の前に、レオも…」
「『レオ』は瘴気だ。実体がない」
そう言えばそれは、ジークも言っていた。俺は魔力なしで産まれたけど、別の力があるとか…?でもそうなら、本当に死にかけたりしないよね?
俺の溢れ出る疑問を言葉にできなかった。魔物が俺の首を締め始めたからだ。
「しかしジークフリートに番は不要だ!アイツは完全体になれない、出来損ないなのだから!」
ジークが出来損ない?!そんなはずない。ジークはそこに存在するだけで……。
言い返したかったのに、出来ない。息が思うように出来ず、徐々に意識が遠のいていく。
また諦めかけた時、突然、魔物の手が離された。
「グルルル!」
「ぐう…!」
「レ、レオっ!!」
レオが魔物に噛みつき、応戦してくれている…!あんな小さい魔物のレオが…。しかも、レオは一度コイツにやられているはずだ。それなのに…!
「レ、レオ!もう、よせ…っ!」
俺はゲホゲホと咳き込みながら、何とか声を絞り出した。
「いい加減にしろ!」
魔物がエヴァルトではない、恐ろしい声を出すと、レオに噛まれていたエヴァルトは力を失って頽れた。すると次第にエヴァルトから、黒い靄が沸き立つ。エヴァルトから出る靄の量は瞬きをする毎に増えていき、ゆらゆらと揺れながら形を形成していく。
馬車は動力を失ったのか、ゆっくりと止まった。
黒い靄は、馬車の扉を開けると一気に巨大化する。そうだ。元々、二階建てくらいの大きさだった。小さなエヴァルトに入って、力も加減していたはずだ。
俺は倒れたエヴァルトを支えて、脈をとる。脈はある。それに…。
「息…も、あるな…!良かった!」
俺はひとまず安堵した。エヴァルトもレオに噛まれてしまったから俺と同じ目に遭うかも知れないが…。
レオはガクガクと震ている…。当然だ、俺だって恐ろしい。
魔物は外から、馬車の中をギロリと睨んだ。すぐに、魔物の手が、馬車の中に入ってくる。
俺は咄嗟にエヴァルトが持っていた剣で応戦した。俺の剣は確かに魔物を捉えたのだが…。
「私に物理攻撃は効かない。浄化魔法か、地獄の業火で焼くかどちらかしかないが、それがお前に出来るかな…?」
不気味な笑い声をあげながら、魔物は俺とレオを捕まえた。エヴァルトが捕まらなかっただけ、良かったと思うしかないのか…。
馬車の外に引きずり出され、魔物の指で二階建ての高さから吊されて、今の自分の位置を確認することが出来た。良かった。王都の街は既に通り過ぎている。
魔物はそのまま、森の中を歩き、どうやら川へ向かっているようだ。河岸に到着すると、魔物は俺を川に投げようとした。
「おい!よせ!この高さからだと助からない!しかも川…!」
「死ね!」
「嫌だ!自分の息子を出来損ない、なんていう奴にジークとレオを任せられない!」
「出来損ないを出来損ないと言って何が悪い!ジークフリートはあの方に名まで与えられたにも関わらず完全体にも成れぬ出来損ない!そのせいで私が、本当にあの方の子なのかと疑われ続けたのだ……!」
魔物はそういうと俺を川に叩きつけるように投げ捨てた。レオの悲鳴のような鳴き声が辺りにこだまする。
ジークは出来損ないじゃない!俺が魔物のコイツから逃げられたのもジークのおかげだし、瘴気の痛みを麻痺させてもらって、一緒に酒を飲んでゲームをして…いつも諦めてばかりの俺の心に火をつけたんだ…!
言い換えしてやりたかったのに、できない。放り出された身体はどんどん落下していく。
高さがある所から水面に落ちるのは、地面にぶつかるのと大して変わらないはず。だから川に落ちる瞬間はきっと激痛だと思っていた。
骨が砕けるほどの痛みを想像して目を瞑ったが、落下した時の音に反比例して痛みは感じなかった。そうか、感覚が麻痺してるんだった!でも、何故か骨が折れた感覚もない。まるで川に包み込まれるようだった。…不思議だ。
何とか泳げないものかと身体を動かしたが、服が体に吸い付いて動きを邪魔する。無駄に動いた分、身体の中の空気が沢山口から溢れ出た。
ゴボゴボと空気の玉が口から出ていくのと同時に水も飲んでしまい、身体が水の中に沈んでいく。
瘴気は水にとけないから、フェリクス川の水はとても綺麗だった。いや、川が綺麗だから瘴気が溶けないのか、どちらなのだろう。深いはずの川底もうっすら透けて見える。
底が見えるなら沈んでも割とすぐ見つけて貰えるかも知れない、という考えが一瞬頭をよぎった。
いや、駄目だ!一緒に生きていくと約束したんだ!だからもう、諦めない…!
俺がもう一度、力を振り絞って手で水を掻くと、今まで緩やかだった川の流れが、一気に早くなった。
嵐のような濁流にのまれ、もう手を動かすことさえ出来ない。
濁流と共に、水の底が急に真っ黒に染まった。
な、何だよこれ…!
力の限り、体を動かしたが流れに逆らえそうにない。底に見えたはずの真っ黒い何かは、物凄い勢いで俺に迫ってくる。しかし、巨大すぎて全体がよくわからなかった。まさか、魔物…?
「エリオ!掴まれ!」
ジーク?!
ジークの声は確かに、その黒い何かから聞こえてきていた。俺はジークの声がする、その黒いものに必死に捕まった。俺が捕まると黒い巨体は川の水を掻き分けて一気に浮上する。
水から上がり顔を上げると、ようやくその生き物の全体を見ることができた。俺が捕まっていたのは背の部分らしい。そこには硬い鱗が生えている。ジークの髪と同じ、漆黒の闇のような鱗…。蛇のようでもある長い身体には翼が生えており、優雅に空を飛んでいた。
頭部は鰐のようでもあるが、角があり、口には鋭い牙が沢山生えている。その頭部についている金色の目は背中にいる俺をチラリと見た。恐ろしい顔に付いている瞳は、まさに闇夜に煌めく星のようだった。
ーーあの瞳…忘れるはずがない…!
「ジ、ジークって、竜だったのかよ?!」
「そうみたいだ」
「知らなかったの…?!」
俺は思わず、背中から落ちそうになった。本人も知らなかったってことは、あの魔物が「完全体になれない」って言ってたのは、ずっと竜の姿になれなかったってこと?しかもそれをジークに教えていなかったと…。
教えられていないのに、できるわけないじゃないか!それで『出来損ない』なんてひどすぎる!俺は憤った。
「エリオを助けないと、と思ったらこの姿になって川を泳いでいた」
「そ、そうなんだ…」
俺を助けないとと、思っただけで…?魔法とかじゃなく、そんなことで変身できるものなのだろうか?
「ありがとう、嬉しい…」
そんなこと言われて、喜ばない訳ない……。俺はジークの背中に頬擦りした。ちょっとひんやりした硬い鱗が気持ちいい。
良かった、また会えて…。よかった、諦めなくて。
「竜のこと、瘴気のこと…。
「え……?」
ジークが向かう先を見ると、ジークの母親だと言う魔物が、森の中に立ち尽くしていた。表情は読めないが魔物の目からは涙のようなものが溢れている。
「ジ、ジークあれ…!」
魔物の身体が、砂のようにさらさらと崩れ始めた。魔物に捕まっていたレオが、手から落ちる。
ジークはさらさらと空気に溶けていく魔物の側まで飛び、落ちそうなレオを背中で受け止めた。俺はジークの背中に落ちてきたレオを抱き止める。
「レオ!良かった!」
「キイ…」
レオの表情は読めないけど、怖かったらしい。レオの方から俺に擦り寄ってきた。
魔物は風に流されて、今にも消えそうだ。ジークの完全体を見たことで、この世の未練が消えたからだろうか…。
でも俺は納得がいかなかった。ジークをは完全体にならなくたって出来損ないなんかじゃないのに…。
「俺はジークが出来損ないなんて思わない。竜でなくても、なんでも。ジークは何度も俺を助けてくれている…」
「エリオ…ありがとう…」
ジークは消えゆく母親の周りを一周、優雅に飛んだ。ジークなりの、見送りだったのだと思う。
怨念だった母親が消え、竜のジークとレオが残った。ということは、レオも実は、竜なのだろうか?
それとも、何か別の怨念で消えないとか…?
「エリオ、俺は自分のこと何も知らないんだ。竜だってことも知らなかった。お前の瘴気、毒を身体から抜く為にも、それを知らなければならないと思ってる。そして、それを知るためには…」
「ジーク!俺も行く!エヴァルトも毒に侵されてるんだ!助けないと…!」
「『エヴァルト』を助けるために…?」
「…それもあるけど、一緒にいたいんだ。離れたくない…」
もっと、ジークと一緒にいたい。離れたくない。もう、諦めない。
「エリオ、わかった。……じゃあ、行こう。竜の墓…『地獄の門』へ!」
ジークは大きく旋回して、北のアルバス領、竜が眠る墓へ向かった。
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