第8話 ジークの涙(7話「覗き部屋」R18 のため非公開)

 ジークは娼館で気を失った俺を昨日の宿屋に連れて帰ったようだ。ロゼッタのところに連れて行って欲しかったけど…そう言えば俺は人間が病気の時、治療院に行くとは説明しなかった。俺が目を覚ますとジークはまた心配そうに、俺の胸に手を当てて顔を覗き込んでいる。

 ベッドサイドのテーブルが一つだけつけられた室内はまだ薄暗い。まだ、夜が明けていないらしい。薄暗い室内でも、ジークの瞳は爛と輝いていた。俺がその瞳を見つめると、ジークは顔を歪める。

 それもそのはずだ。胸のあざが更に広がっている。麻痺のせいで痛みは感じないが、身体も動かせない。


 俺、やっぱり……もう…?


「エリオ…俺のせいだ。俺の体液は人間とって毒だったのを忘れていた… 」

 そっか…凄く、甘くて美味しかったけど…。ひょっとして、猛毒って甘いのか?

ジークは俺を真剣な顔で見つめた。

「エリオ…大丈夫だ。死んでも、一緒にいよう。大丈夫。お前から大量の毛が生えたとしても、俺はお前を好きだ。ちゃんと梳かして整えて、エリオの形にしてやるよ」

 ええ?!何だよそれ…!ひょっとして、ジークは人が死んだらジークの母親みたいに『怨念』になるとでも思ってるのか?と言うことは、ジークの母親も元は人だった?

 でも俺は怨念になるほど、この世に未練がない。いつも自分の運命は受け入れて、仕方ないと飲み込んできたから。


「じ、ジーク…俺は怨念にはならないよ?」


ジークに期待だけさせて、がっかりさせるのも申し訳ない。なんとか声を絞り出して伝えると、ジークは目を見開いた。

「じゃあ、心臓が止まったら?」

「さよならだ…」

「さよならって…」

ジークの問いかけに、答えようとしたができない。せめて、『お前のせいじゃない』って言いたかったけど、言えそうにない。

「教えてくれよ…」

ジークの質問にも、やはり答えられなかった。

「…このまま『さよなら』したらもう、エリオと話せないってこと…?」

…そうだよ。俺はなんとか、頷いた。

「……エリオ、いやだ。いやだ…!」


 ジークの目から大粒の涙が溢れ落ちた。すごく、綺麗な涙だった。透明だけど、ジークの瞳の金が反射したのか溶け出しているのか、キラキラと輝いている。

 夜空に煌めく星みたいに金色の瞳から溢れた涙は次々と俺の胸に落ちた。ジークは不思議な男だ。百年以上生きていると言うのに、素直だしこんなに泣いて…。

 ジークお前、子どもかよ…。泣きすぎだ。このままだと、涙が流れ過ぎて川になるかもしれない…。


「な…かないで…」


 なんとか声を絞り出して、手を伸ばしジークの頬に触れる。


 その時、いつもとは違う感情が込み上げるのを感じた。今まで何でも、仕方ないと受け入れて、諦めてきた。昨日だって、このまま逝ったら幸せなんじゃ無いかとさえ考えていた。

 でも……この終わり方だけは、受け入れられそうにない。ジーク、お前を悲しませたくない。お前の心に傷を作りたくない…。


 俺はこの世に、どうしても受け入れられないこと、諦められないことがあるということを、たった今、知った。怨念にはなれないと思っていたけど、そうすると俄然、なれる気がして来るから不思議だ。


「ジーク…」


 俺たちは見つめ合い、どちらからともなく、触れるだけの口付けをした。

 少しずつ、意識が遠のく……。


 今際の際、俺は確信していた。多分、俺は怨念になるはずだ。間違いない。良かった……そうすれば、ジークの望む通り、死んでも一緒にいられる…。


***



 この次目を覚ませばきっと、俺は怨念になっていると思っていた。しかし、怨念にはなっておらず、教会の治癒院のベッドの上で思いのほか元気に目を覚ました。身体も動かせるし、かなり広範囲に広がっていた痣も、完全に消えてはいないものの目に見えて小さくなっている。一体、何故…?

 それに、昨日俺を抱きしめて泣いていたはずのジークが、ここにはいなかった。ほっとしたような、がっかりしたような…。

 いや、やっぱりいなくてよかった。あんなに泣いて、口付けまでしたのに、元気になっちゃってさあ…。ちょっと、いやかなり恥ずかしいんだけど…!!ジークにどんな顔して会えば良いのか、全く分からない…!


 それにしても、なんで元気になったんだ?昨日は確かに、身体も動かせないし、痣も酷く広がって瀕死だったはずなのに。

 昨日のことは夢ってことはないよね?まさか、そんな…。それに俺、なんでここに?


「エリオ!良かった!気がついたんだな…!」

「ジーク!それに…、ロゼッタ様!」

 俺がベッドの上で身悶えていると、ジークとロゼッタが部屋に入って来た。


「エリオ、本当にすまない…!俺、分かっていなかったんだ。『人間の死』が……」

「ジーク、仕方ないよ。お前のせいじゃないし、それにレオのせいでもない!だから気に病まないでくれ…。それだけは言わないと逝けないって思ってた」

 ジークは俺に駆け寄ると、俺をぎゅと抱きしめる。


「エリオを昨日、ジークフリートが連れて来てくれたのよ。先日見た時より回復していたから驚いたわ。」

 ロゼッタはニコリと微笑んだ。その笑顔に嘘はないように見えた。


「ありがとうジーク。運んでくれて」

「だって約束を破ると、針を千本飲まされるんだろう…?それは困るから」

 ジークは眉を寄せている。おまじない、言葉のままに受け取っていたらしい。俺よりずっと、ジークの方が、かわいいじゃないか…。俺は思わずジークを抱きしめ返した。ジークはそんな俺の髪を優しく撫でる。


「エリオ、ロゼッタが言うには、お前の症状は少し良くなっていて、今すぐどうこうと言うことではないらしい。だからこの間に、俺は怨念ははおやのところに行ってくる。レオがアイツから生まれたのは確かだ。だから…」

「で、でもお前の母親は、お前が真っ二つに…!」

「アイツは『怨念』だから…、燃やさない限り切ってもつながる」

 なるほど、怨念だから見えてはいるけど実体は無いんだな?それであの時、大丈夫だといったのか。


「でも、無理しないでくれよ…。俺は…」

 俺はいいんだ、と言おうとして、口をつぐんだ。本当にいいのか?このままで。昨日、あんなに後悔したのに…。 

 ロゼッタがいつのまにか、俺のベッドの側まで来ていた。ロゼッタも、俺の顔を優しく覗き込む。


「昨日、ジークフリートから話は聞いたわ。エリオ、彼に調べてもらいましょう?瘴気を身体から取り除く方法を」

 ロゼッタの問いかけに、俺は静かに頷いた。


 俺が頷くのを見たジークは、手を握って、俺の額に自分の額を押し付ける。目を瞑って祈るような姿は、美しいを通り越して神々しい。

 ジークはゆっくりと目を開けて、俺の目を見ると囁いた。

「本当はもっと早く俺が母親と決着をつけていれば良かったんだ。それをお前に頼ったから、こんなことに…」

「そんな…」

「でも、もう逃げない。エリオ、俺と生きよう。そのために、俺は行く」

「じゃ、俺も行く。でないとまた、ジークが迷いの森から出られなくなる」

「あいつは、エリオに危害を加えるかもしれないから、エリオはここにいてくれ。俺は大丈夫。エリオの匂いを覚えてる」

 俺の匂い…?しかも俺が歩いてから、かなりの日数がたってるけど。俺の心配を察したジークは少し笑った。


「遠くにいても、エリオの方角が分かる。大丈夫だから。念の為レオを置いていく。エリオを守らせる」

 ベッドの隅にいたレオも、こくこくと頷く。


「……わかった。待ってる」

俺の返事を聞いたジークは少しイタズラっぽく笑った。

「絶対、エリオを死なせたりしない。…もし、エリオが怨念になったら……毛が邪魔して昨日の続きも出来なくなってしまうだろ?」

「な……!」

おい、ジーク!お前の真の目的はいやらしいことするためなのか…?!魔物っていっても結局、男なんだな!?俺が赤くなるとジークは唇にちゅっと口付けた。


「行ってくる!」

 ジークは先日俺たちが出ていった方法で…、二階のベランダから飛び出していった。慌てて追いかけたが、もう、姿は見えない。


ジーク、俺…、もう諦めなくて良い?お前と過ごせる、未来を…。


 バルコニーからジークが消えた方向を見つめていると、ロゼッタが隣で遠慮がちに、咳払いした。ロゼッタは俺たちの関係に気がついたのか、「わ、私は好き合う二人の邪魔はしないわ」と言いながら、少し頬が赤くなっている。でもすぐ、真剣な顔で俺に向き合った。


「エリオ、聞いて。私も瘴気について調べたのよ。…瘴気の源、竜について」

 ロゼッタは俺の隣に立つと、眉を寄せる。その顔を見ただけで結果はおおよそ予測がついたのだが、俺はロゼッタの答えを待った。

「なかったわ…。正式な国の文書として、竜の記述が残されていないの。まるで抜け落ちたかのように…」

「もともと竜なんて、存在していなかったのでしょうか?」

「こんなに…伝承が残っているのに…?教会だってそうよ、祀っている水神というのは竜のはずなのに…!」


 瘴気を撒き散らすに至った竜の記述が、何故残っていない…?

 俺たちは、顔を見合わせた。


「アートルムにないなら、アルバスにはあるかもしれません。アルバスの方がより、竜に近い、北側にある」

「私もその可能性を考えたわ…」

ロゼッタも、俺の意見に同意した。それなら…。俺はバルコニーから部屋に戻り、上着を掴んだ。

「待ってエリオ!まさかあなたそんな体で、アルバスへ向かうつもり?!」

「ロゼッタ様…!俺はもう、諦めたく無いのです!自分の、未来を…!」

「エリオ…!」

ロゼッタは俺のところまで走って来た。俺の肩を掴むと、涙をこぼした。

「……いつの日か脅威になると知りながら私はずっと瘴気問題に目を瞑って来た。でも…私も、エヴァルトと…、この国の未来を諦めない。私も行くわ!」

ロゼッタがいてくれるなら心強い。俺はロゼッタに力強く頷いた。


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