第6話 賭博場

 酒が影響したのか身体が弱っているのか…次の日は昼過ぎまで眠っていた。起きると、俺を覗き込んでいたらしい金色の瞳と目が合う。手は眠る前と同じ、胸に当てられたままだ。

「四万六千八百九十一回…動いてた 」

「そ、そう… 」

 あのまま一晩中数えていたらしい…。王都に来る間も野営続きでほとんど寝ていなかったのだ。俺が起きたと同時に、ジークは崩れ落ちるように眠ってしまった。

 ジークが眠っている間にレオを連れて食料と衣類を調達しに市場へ行った。買い物をして戻ってもジークはまだ寝ていたので、浴室で久しぶりに湯を浴びた。

 身支度を整えると、ジークがようやく起きたので遅めの昼食を取って、俺たちはまた、街へ行くことにした。今日の目当ては…。


「賭博場?」

「うん。賭博場は“大人の社交場”って呼ばれててな、成人しないと入れないんだ。おれ、この間成人したからさ…!」

 死ぬ前に行ってみたかった、と言おうとしてやめた。そんな事いうとまた、ジークが変な心配の仕方をするから。


「それで、服だけど、そのままじゃ入れないんだ。だからさっき、適当に見繕ってきた 」

 俺は有無をいわさずジークに買って来た服を着せた。


「ジーク!すごく似合ってる!かっこいい、驚いた!」

「『似合ってる』?『かっこいい』?」

「ジークにぴったりで、爽やかで、胸がどきっとする、っていうのかな…」

 正装姿のジークは王子の俺が霞むほど美しかった。俺だけじゃない、金髪碧眼の王子エヴァルトだってジークには敵わないだろう…。

「ジークの隣に立つのは、ちょっと恥ずかしいな」

「『恥ずかしい』って何?」

「『恥ずかしい』っていうのは、自分の欠点とか良くないところが分かって居心地が悪い、みたいな感じかな 」

「エリオが、今の格好を自分で良くないと思ってるってこと?…そんなことない。エリオはかわいい 」

「…いや、だから『かわいい』っていうのは、なあ…」

 ジークに言葉の意味を口頭で教えるのは難しい。実際、見て教えた方がいいだろう。賭博場には沢山女性もいるだろうから…。俺はジークを急かして、賭博場へむかった。


「動物は入れないんだって…」

 入り口で入場を断られたレオはしょんぼりとしている。でもレオは魔物だし、置いて行くのも心配だ。

「じゃあ、ああいうのに形を変えるのはどうだ?」

 ジークは女性のボレロの裾についたふわふわの毛皮の飾りを指さした。そして指をパチン、と鳴らすと、たちまちレオはイタチ型の襟巻になってジークの首に巻き付いた。

「…いま初夏だけど、暑くない?」

「こいつは怨念だから、涼しい 」

確かに、怨念なんてゾッとするもんね。背筋が冷えそうだ。

俺はもう面倒だから難しいことは考えないことにした。無事、賭博場の中に入ることができ、入り口で賭博用専用の貨幣を購入する。

 賭博場の調度品には少々上品さを欠くほど贅沢な装飾品・宝石がちりばめられていて、まず目を奪われた。内部は光沢のある飴色の木製の家具でまとめられており、テーブルの中央は、まぶしい青色の毛織物が張られている。そこでカードやルーレットなどのゲームが行われるようだ。

 

「ちょっと、邪魔よ!」

 俺は聴き覚えのある声に、思わず顔を背けた。声を掛けた女は大勢周りに男を侍らせて、俺の横を通り過ぎる。

「母様…」

「お前の?」

 王の側室という身分でありながら…夫から相手にされない鬱憤を晴らすためか、相変わらず遊び歩いているようだ。……呆れた。

「…すごい甘い匂い…」

「香水だよ、これ」

 俺がポツリとこぼすと、ジークは「気持ち悪い」と顔を顰める。

 俺はそう言ってもらって何だかホッとした。俺もあの匂い、ずっと嫌いだった。母親ならつけないだろうあの、きつい香水が…。

 母、ジェニファーは一番奥の、多分貴賓室へと消えていった。よかった…。きっとあの、選民意識の強い勝気な母のことだ、貴賓室からは出てこないだろう…。


「せっかく来たんだ。遊んでいこう!」

 俺はジークを貴賓室からは一番遠い、カードゲームのテーブルに誘導して、席についた。


「架空の客二人が行うカードゲームの勝敗を掛けるゲームです。どちらが勝つか、もしくは引き分けの三択ですから、簡単ですよ」


 確かに、それなら簡単そうだ。俺とジークは隣に座って、予想した勝者のところへコインを置いた。

 カードゲームの客席は、十席ほど。俺たちが座った直後は空いていた席が、ゲームが進むに連れて埋って行き、五ゲーム目が終わる頃には、テーブルの周りには人だかりが出来ていた。たぶん…多くの人はジークに引き寄せられるように集まったのだ。正装姿で頬杖をつきながらコインを置く姿は、蠱惑的に美しい。


「エリオ、見てくれ。また勝った!」

「そ…そうか。凄いな… 」

ゲームが始まって、ジークは全勝…。まだ五ゲーム目とはいえ、三択のでそんな正答率って、ある?かなり神がかってないか?ひょっとして…。

「エリオ、これ勝つと『命令』出来るんだろ?このコインで…」

「いや、このゲームは酒屋のものとは違って命令は出来ないけど…。コインを換金すれば買い物は出来るよ?なにか欲しい物ある?」

もしジークがこれから人間として暮らすなら、金がいるだろう。だからこれは取っておいた方がいい。でもこの場でそういう事もできず、俺は曖昧に微笑んだ。

「じゃあ俺、エリオが欲しい。エリオを買う 」

「え…? 」

「コインは全部やるからエリオ、俺と結婚してくれ 」

「はあ…?!」

 俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。周りの客も、俺たちのやり取りを興味津々で聞いているような気がする…。

「ジ、ジーク…!結婚は、男同士はできないんだよ。フェリクスではそういう決まりなんだ。男同士だと子供ができないから…禁止されてる」

「なんでだよ。『すごく好き』で『生涯を共に過ごす』っていうのが結婚だろう?」

 しまった。エヴァルトとロゼッタのことだな?あの二人はたまたま身分が釣り合ったから結婚できるわけで、必ずしも貴族は好きな人と結ばれるわけじゃない。あー!俺の説明が悪かった!何よりお前の『好き』っていうのは、その『好き』じゃあないだろう…?

「ジーク!一個ずつ整理しよう…!まず『好き』には色々な『好き』があってさ、おれもジークのことは好きだけど、男同士だとその『好き』は友情、になるんだ。それに『かわいい』も…普通男は『女』に対して言うし『結婚』も男女でする決まり…、フェリクスで同性愛は禁じられていて…」

「フェリクスは関係ない。俺は、おまえが死んでも一緒にいると決めた!」

 おい、何勝手に決めてるんだよ!貴族の、特に王族の結婚は政治なんだぞ?!それに俺、死ぬ前提かよ…!感覚は麻痺しているはずだが、なんだか頭がくらくらしてきた…。

「次、俺が勝ったら結婚しよう 」

ジークは山のようなコインを、全てかけるつもりらしい。賭ける方へ、コインを並べ始めた。ジークの奇想天外な賭けに、賭博場の客たちはざわざわと騒ぎ始める。俺たちの賭けの行方を見ようと、テーブルの周りには更に大勢のが押し寄せた。


 進行役はゲーム開始の合図をしようとしたのだが、なぜか手を止める。誰かがこちらに来るのを待っているようだ。一体、誰だ?

 強引に人をかき分けてやってこようとしている人影を見て、自然と眉間に皺が寄る。


「まったく、男同士で結婚なんて馬鹿げた騒ぎを起こしているものが誰かと思えば、エリオじゃない!」

「……母様 」

現われたのは母、ジェニファーだった。どうやら騒ぎを聞きつけて、貴賓室から出て来たらしい。ジェニファーは周りに若い男を侍らせ、酒に酔っているのか真っ赤な顔をしている。…何てみっともない…。


 ジェニファーは無理矢理、ジークの隣の客を立たせると、空いた席に腰かけジークにしな垂れかかる。


「魔力なしの出来損ないのエリオが、とんでもない美形を捕まえたものね?でも、こんな出来損ないより、女にしなさい?貴方ならよりどりみどりでしょう…」

 ジェニファーはジークの顎を指でなぞる。まるで淑女らしからぬ誘い方だ。


「いや、俺はエリオと結婚する 」

「まあ…呆れた…!!根っからの男色家なの?エリオ…、まさかお前も本気ではないでしょうね?!どこまで私に恥をかかせれば気が済むのかしら…?!」

「何訳の分からないことを言ってるんだ、お前の方が『恥ずかしい』だろう。エリオは『かわいい』!」

「……!」

 ジークの反論にジェニファーはわなわなと肩を震わせた。確かに…いい年をして若い男をつれて酔っぱらって…恥ずかしいのはジェニファーの方だ。おれは思わずくす…と笑ってしまった。周囲の観客からも、笑い声が漏れる。


 ジェニファーは真っ赤な顔でテーブルをバン、と叩いた。


「分かったわ、賭けましょう。私が勝ったらお前を男色の罪で罰します!」

「よくわからないが、いいだろう 」

ジークはコインを黙々と並べている。ジェニファーも負けじと、コインを置く。

「ビギナーズラック、って長くは続かないのよ?」

 ジェニファーは不敵に微笑んだ。確かに…これまでジークはとんでもない確率で勝ち続けている。と、いうことは…。まさか、これってやっぱりジークを餌に客を集めたい賭博場側の如何様イカサマ…?


「エリオ、俺は絶対勝つ 」

いや、勝ったら結婚だから、それはそれで駄目だろ!俺の心配を他所にジークは首に巻いたレオの毛を一本抜き、ふわりと風に泳がせる。

 何…?どうするつもり…?

 

 このゲームは進行役がカードを配り、カードの合計枚数で勝ち負けが決定する。配られたカードを客役の二人が開いたところで、騒ぎは起こった。


「う…うわぁぁッ!」

「きゃあっ!」


 テーブルに無数の、不気味な黒い毛が落ちていたのだ。それはカードと手に付着して、客役の二人は驚いてカードを放りだした。


「も…、申し訳ありません!すぐ掃除いたします!」

 進行役はあわてて、カードケースからカードを取り出し、カードを新しく入れようとした。


「まったく、早くして頂戴!時間の無駄だわ!」

 ジェニファーがイライラとして怒鳴ると、進行役の男は真新しいカードを取り出してジェニファーに見せる。

「これでしたら、間違いありませんから」

 そうジェニファーに猫なで声で言う。

 ――どうやら、ジェニファーは太客のようだ。進行役は慣れた手つきでカードをシャッフルしてカードゲーム用の専用ケースにしまう。このケースは賭博場専用で、カードを正確に一枚ずつ配ることができる仕組みになっている。

 仕切り直しで再度カードが配られ、客役の二人はもう一度、カードを開く。


「きゃあっ!」

「ま、またっ…!」


 また、先ほどの毛がカードに絡まっている。確かにカードケースには真新しいカードを入れたはずだが…。


「ちょっと、一体どうなってるの?!」

 ジェニファーは金切り声を上げ、テーブルを叩いた。ジークはと言うと、いつもの無表情でカードについた毛を摘んだ。


「ああ…これ、私の物だ。ほらこの毛」

ジークはそう言って首に巻いている、レオを指差した。やっぱり、それお前の仕業かよ…。でもさ、レオの毛が取り替えたはずの、カードについたと言うことは…?


「ちょっと待て、ジークの襟巻きの毛が、なぜ取り替えたはずのカードについているんだ?さっき確かに、ケースの中には真新しいカードを入れたじゃないか。なのにこの毛がカード自体にまとわりついてる、ってことは…!」

 俺がそこまで言うと、周りの観客が「カードケースの中で、カードが差し替えられたんだ…」と口々に話し始めた。

 やっぱり、おかしいと思った!ジェニファーもきっと、一枚噛んでいる!


「母様!どう言うつもりです?!イカサマ師の片棒を担ぐなんて!」

「まあ!母になんて口を聞くんです!?魔力なしの出来損ないが!」

 ジェニファーの言葉を聞いたジークはテーブルをバン、と叩いてカードを指差す。

「黙れ、この勝負は俺の勝ちだ 」

 確かに、カードはジークの勝ちのようだ。ジェニファーはその勝敗とジークのあまりの迫力に、口をつぐむ。


 ちょっと待て…。母様と賭博場は共謀しているはずでジークを勝たせるはずがないのに、カードの勝負はジークの勝ち?…と、言うことは、さっきのカードについた毛…。カードをすり替えたのはジークじゃないのか?!

 周囲は水を打ったように静まり返った。しかし徐々に、一連の出来事を見ていた客達が「俺たちのゲームもイカサマだったんだろう」と騒ぎ始めた。   

 客達が言うように賭博場側がイカサマをしていた可能性は高いが、さっきのゲームはジークがやったわけで…。


 俺がその事実に困惑していると、客達の抗議を抑える為、賭博場の従業員が大勢集まり場内は大混乱となった。


 多分イカサマをしたと思われるジークはそんな事お構いなしに、無表情のまま俺の手を取り立ち上がる。


「コインはお前達にくれてやる!さあ、結婚しよう、エリオ! 」


 ジークがコインはくれてやる、と言ったことで、客達からは一斉に歓声が上がった。同性婚は認められていないけどまるで、俺たちの結婚を祝福しているかのような歓声だった。


 しかしジークはいつもの無表情な顔で、俺の手を引く。ジークの力は強くて、俺は引きずられるように席を立った。


「待ちなさい!エリオ!貴方、私にどれだけ恥をかかせるの?!」

「エリオ、母親怨念の言うことは聞かなくていい!」

「怨念?!何ですって…!」


 確かにジェニファーはジークの母親と同じこと言ってるけど、だからって『怨念』って…!ジークお前なあ……!


 今度は俺がジークの手を引いた。


「ジーク、行こう!」

「ま、待ちなさい!エリオッ!」


 いくら呼ばれても、もう、俺たちは振り返らなかった。


 外へ出ると、初夏の風が頬をなでる…。麻痺していて感覚はないけれど、なんだかとても、胸がすいた。

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