第5話 心臓

 俺たちは繁華街の、吟遊詩人も歌う一番賑やかな店に入り、その店で一番高いという酒を注文した。酒は琥珀色で、グラスの中で氷と溶け合うと、ゆらゆらと光る。すごく、綺麗だ…。

「でも味がしない!」

 そうだった…俺はジークの血で感覚が麻痺しているから味がしないんだった!この分だと酔ったりもできないな…?!

 ジークをちら、と見ると、何やら不満そうな瞳と目が合う。

「これがエリオが飲みたいと言っていた『酒』…?辛いし苦いし…これ、美味いのか?」

「味は分かんないけど…飲むとふわふわしたいい気もちになるはずなんだ… 」

 ジークの血が感覚を麻痺させる効能があるから、ジーク自体も酒では酔わないのかもなあ…。味も分からず、酔いもしないのは残念だけど…。街の、酒屋の雰囲気は気に入った。見知らぬ人同士も気安く話したり歌を歌ったり。形式ばった貴族の夜会なんかよりずっといい。


「ねえねえ、今ね、ゲームが始まるところなの。簡単なものだし、人が多い方が楽しいから。」

 俺たち…いや、ジークに店の従業員らしき女性が声を掛けてきた。

 ジークはかなり目を引く美形だ。遠巻きに秋波を送っていたが、ジークが見向きもしないのでついに女性の方から声を掛けてきたようだ。

「ゲーム?」

「そう、最後まで勝ち残った人が一番初めに負けた人に命令できるのよ!例えば、お酒を奢るとか、歌を歌わせるとか。どう?楽しいでしょ?」

「ふーん…」

 ジークはいつもの無表情だったが、少し考えた後「エリオがやるなら」と答えた。そんな言い方されたら、俺だけ嫌とは言えないじゃないか…。でも、参加する客の中には女性客も数人いる。これで女性と知り合えば、ジークの『エリオに恋している』という妙な誤解も解けるかもしれない。そう考えて気は進まなかったのだが渋々、了承した。

「逆さ言葉ゲームにしましょ!順番に何か言葉を言ってそれを逆さまに答えるの。”逆さ言葉”なら”ばとこさかさ”ね!リズムに乗って言えなかったら負け!」

 言葉の意味をよくわかってないジークにも、それなら出来そうだ。


…なーんて、余裕ぶっていたのがよくなかった。


 何回やっても、俺の負け…!ショットグラスで強い酒を何回も煽る羽目になり、感覚がなくなってるとは言え…明らかに視界がゆらゆらと揺れる。


「今回は私の勝ちだわ!」

 何度目かに勝ったのは、俺たちを誘った店の従業員の女だった。また酒を飲まされたらどうしよう…。俺の不安を察したのか、女性はいたずらっぽく笑った。

「じゃあここに、接吻キスして!」

 従業員の女性は慣れているのか、自分の頬を指さす。周りに囃し立てられ、仕方なしに頬にキスした。

 でもこれ以上はもう嫌だ!早く横になりたい!俺は自分の窮状をジークに訴えた。

「も、まうやめよ…」

 ほら、舌も回らなくなってる!

「まだ勝ってない…勝つまでやる」

 はぁ?!何言ってんだ!勝つまでやる、なんて駄々っ子か!しかしジークは前のめりに椅子に座って俺の言うことを聞く気がないようだ。興奮しているのか少し頬も赤い。本当に、百年以上生きてるのか…?なんだか小さい子供みたいで可愛らしくもあるが…。それに、ジークがが辞めようって言わないと抜けにくいんだよ、俺は…!

 客たちは上機嫌でまたゲームを再開した。案の定、呂律が回らなくて、俺はまた最下位。もう、どうなっても知らないからな…!

 たぶん次、酒を飲んだらひっくりかえると思う。さっきの様に察してくれる人じゃなかったら、次の命令は歌でも踊りでも金でもいい、とにかく酒以外にしてくれと頼もうと俺は勝敗の行方を見守った。

 その回、最後に勝ち残ったのはなんとジークだった。ジークは「やった!」と言って拳を突き上げる。どうやらさっき、他の連中が喜んでいるのを見て、その動作を覚えたらしい。いつも無表情なジークが珍しく興奮しているようだ。…やっぱりお前、子供か?


「よかったー!ジークが勝って…。俺もう飲めない。一気するなら水にしてくれよ!」

「エリオ、ここに、……接吻キス!」

「え、いや…さっきの真似しなくていいんだよ?普通の『命令』で。出来たら『エリオ水を飲め』って言って欲しいけど…」

ジークはルールが良くわかっていないのかも知れないからなるべく分かりやすく説明したつもりが、伝わらなかった様だ。ジークは俺に近づくと頬にちゅっと接吻キスした。慌てて俺はジークの顔を押し除ける。


「なななな…!そんな罰あるかっ!しかも逆だろ、なんでお前が俺にキスするんだ!」

「罰じゃない、『命令』だよ。アイツとはしたじゃないか… 。俺にもしてくれ!」

ジークは「ずるい」と小さく呟いて頬を少し膨らませた。さっきのを見ていて、『ずるい』と思ったってことは、自分も俺にキスして欲しかったってこと?

「よ、よせ!」

更に近づいてこようとするジークを俺は必死で押しやった。俺たちを見ていた客達は、罰ゲームでふざけていると思ったらしく、手を叩いて笑っている。…それはそうだ、これは遊び。でも、ジークが何となく真剣な顔をしているような気がして、俺の胸はドキドキと鳴った。


「もう飲み過ぎたから、ゲームはやめよう!」

「…もう一回…」

 ジークは俺の頬にもう一度ちゅっと口付けた。もう一回って、そっち……!?


 フェリクスで同性愛は禁じられている。だから周囲もそんなに堂々と、男同士で口付けするのは冗談だと思っている。当然、俺も遊びだと思っているけど…。ジークのせいだ。言葉の意味がよくわかっていないとはいえ、恋しているとか好きとか、めちゃくちゃ美形に言われた挙句、頬にキスされたりしたら、危うく誤解しそうになる…。


 冗談だと思っている周囲は囃し立てるように楽器をかき鳴らした。客達も、歓声を上げる。

 

 俺はジークの手をとった。もう、歌って踊るしかない。俺達は仕方なしに、吟遊詩人の歌に合わせて踊った。仕方なくだったけど、次第に楽しくなっていった。ジークも初めは戸惑っていたが、最後の方は一緒に歌を口ずさんだ。

 

 楽しい空間に、耐えきれなくなったレオが麻袋の中から飛び出す。レオは音楽に合わせてくるくる回って…愛らしい犬にしか見えない。やっぱりレオはかわいいな!口を開かなければだけど!

 周りの客からもレオは好評だった。しかし、そこは飲食店…。動物は立ち入り禁止だと言われて、俺たちはつまみ出されてしまった。

 でも、来てよかった。ゲームはともかく…賑やかな酒の場は楽しかった!


「ジーク、付き合ってくれてありがとう。すごく楽しかった!あ、『楽しかった』ってわかる?『悲しい』の逆で気分が良くて、明るい気持ちになるってことだよ!」

「エリオ、俺も『楽しかった』!……ありがとう。嬉しい! 」

店を出たジークは無表情ではなく、微笑んでいた。

ジークお前、ひょっとしなくても酒によってるな?お前の血は感覚を麻痺させるって言うのに不思議だ。自分には効かないのか?顔がちょっと、赤くなってる。


「俺はずっとあの迷いの森で…生きる怨念と共に彷徨い歩くしかないのかと思っていた。でも、エリオに出会えて…… 」


 ジークお前…、生きる怨念って、自分の母親のことか?そんな呼び方でいいのかよ…。俺の母親も魔力なしの俺を恨みながら生きてはいるけどな。流石にそこまでこき下ろさないぞ!しかもその笑顔、眩しすぎるだろ…!


「でも、レオは外に出てたよ?必ずしも俺のおかげってわけじゃ…」

「レオは、『怨念』だから…。体がある俺と一緒にするなよ…」


 確かに…。多少結界で守られているのかもしれないが、北の山に眠ると言う竜王様の瘴気も徐々に漏れ出ている…。俺はジークの答えに関心していたのだが、ジークは不満だったようでいつもの無表情に戻ってしまった。失敗した…。もう少し、笑ったところ見たかったのに…。


 話を中断したジークは俺にそっと近づいて来る。

「『悲しい』の?エリオ…涙が… 」

 ジークは俺の頬の涙に触れた。たぶん感覚が鈍っていて、俺は涙が流れていたことに気が付かなかったのだ。

「涙は悲しくなくても、嬉しいときにも流れるんだよ 」

「嬉しい時も?」

「うん。さっきのジークに感動したのかも。俺、死にそうだからさ、涙もろくなってるんだ、たぶん…」

俺はせっかくの楽しい雰囲気を壊したくなくて、精一杯おどけて笑って見せた。ジークは相変わらずの無表情で俺の涙を手の甲で拭う。

「大丈夫だ。ずっと目をあけて起きていれば死なないから 」

「ええっ?」

 いやそれが出来ないから死ぬんだろ!ジークは百年も生きているというし、魔物と人間では死生観が違うのかもしれない…。説明するのも大変そうで、俺は断念した。

 酒の効果か死期が近いのか…、足がもつれて俺はジークの胸に倒れ込んだ。もう横になりたい…でも、魔物を連れて、王城には帰れない。


「宿をとろう…。ジーク、連れてってくれよ 」

ジークは返事もせずに、麻袋にレオを入れると俺と一緒に背中に背負って歩き出した。


 俺たちは別の酒屋の二階にある宿をとった。ベッドは二つある。俺は到着してすぐ、手前のベッドに倒れ込んだ。眠気に襲われて目を瞑ると、突然頭に水をかけられて飛び起きた。


「げほ…っ!!」

「おい、起きろ!寝るな、死ぬぞ!」

「えええ… 」

 ジークは飲み水として用意されていた水差しの水を、全部、俺にかけやがった!感覚が麻痺しているから冷たくはないが顔に水をかけられ咽せて咳き込んだ。しかも結構な量の水で、ベットがびしょ濡れ。当然、俺も…。

 やっぱりジークには人間の死…言葉の意味をきちんと教える必要がありそうだ。しかし、酒に酔っているし、今は物凄く面倒……。

「人間はさ…心臓が止まった時に死ぬんだよ 」

「心臓…?」

「魔物ってひょっとして心臓ないの?」

「……分からない。食べたことしかないから 」

 おいジーク、お前!何、食べてるんだよ…!いや、今はいいんだ、そんなことは……。

 俺はそっとジークの手をとり、自分の左胸に当てた。

「ここだよ。動いてるのわかる?ここが動いているうちは、寝ていても生きてるから。止まりそうになってたら起こしてくれよ 」

ジークが素直に頷いたので、俺たちは濡れてしまったベットから、まだ無事な隣のベッドへ移動して一人と二匹、一緒に眠ることにした。


 ジークは俺を後ろから抱きしめる格好で、胸に手を当てている。どうやら、本当に止まりそうになったら起こす作戦らしい。俺は大きな手のひらに包まれて安心して眠りについた。


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