第4話 瘴気の治療

「傷口は塞がりましたが、瘴気までは…。以前瘴気を含んだ魚を食べたものも、このような痣が出て、その後治療の甲斐なく…。以降アルバス公爵家より川魚を食べることを禁じられています 」

「そうか…… 」

 竜の山から漏れ出ている瘴気は水に溶けないようで、水は無事だが、直接瘴気を食べているかもしれない川魚は食べられないのだ。しかし、治療法がないなんて…!

 翌朝、俺はフェリクス川を下り、一番近い農村の治癒院へやって来た。ジークフリートと小さい魔物は置いて来ようとしたのだが、毒で息切れした身体で巻ける奴らではなかった。いや、毒で息切れしていなくても,巻けたかは怪しいが。


「で、これからどうするんだ?」

 ジークフリートはまた無表情で俺に尋ねた。

 お前の弟のせいでこうなったんだぞ、もっと申し訳なそうに言ったらどうだ!?と、思わなくもなかったが、そうは言ってもコイツらは魔物だし…。半ば諦め、ため息混じりに答えた。

「…俺は王都に戻る。瘴気を治療できるとしたら、聖女様しかいない 」

 それにもし…最後になるとしたら、一目会っておきたい。聖女様は魔力なしで出来損ないと呼ばれる俺にも優しく接してくれた、幼馴染であり初恋の人だ。聖女という位に着かれてからは、遠い存在になってしまったが。

「聖女…?」

「教会の神官で、珍しい光属性の魔法を使われるから『聖女様』と呼ばれている。水属性などの治癒魔法よりずっと、高い効果の魔法を使えるんだよ」

「ふうん……。じゃあ、行こう 」

 俺はぎくりとした。まさか、王都までついてくるつもりか?!それはいくらなんでもまずい!

「駄目だ!王都には沢山、人間がいて…」


 しかし俺が言い終わる前に、ジークフリートは俺と小さな魔物入りの麻袋を背中に背負って走り出していた。人とは思えない早さで、ジークフリートは村を駆け抜けていく。

 そうだ、こいつ人じゃない、魔物だった…!


 もう止められない…俺は仕方なしに、整備された道ではなく極力人のいない、森へ誘導した。俺がアルバスに到着するまで馬を使って十日も要したというのに、ジークフリートは俺を背負ったまま馬も使わず、何と一日でアルバスを越え、もう一日でフェリクスの王都、聖女のいる教会の治癒院に到着してしまったのだ。


****


 聖女ロゼッタは日も暮れて診療時間外だというのに、俺をすぐ二階の、治療用の個室へ通した。


「まさか私の魔法が効かないなんて…!」

 聖女様こと、ロゼッタは青い顔で俯いた。その表情から、最大限の治療をしてくれたことはよく分かった。

「聖女様…治療していただいた上に、服まで用意していただいて…。ありがとうございます。このお礼は必ず 」

 俺はロゼッタに深々とお辞儀をして立ち上がった。処置室の扉の前まで歩いて行くとロゼッタは扉の前に立ちはだかる。

「待って、エリオ…!もう少し瘴気の治療について調べます…。だから諦めないで欲しいの…!」

 ロゼッタの大きな瞳には涙が盛り上がっている。俺はロゼッタの反応に少し動揺した。痛みが麻痺しているから動けてはいるが…俺の命の残り時間は思いのほか少ないらしい。感覚が麻痺しているせいで実感が湧かない俺は曖昧に微笑んだ。

「分かりました 」

「本当に?エリオ…。瘴気は百年前の竜が原因よ。それを調べるなら古文書を読める人を集める必要がある…。だから私に二日頂戴?明後日…、またここにきて。必ずよ…」

 ロゼッタはそう言って小指を差し出した。俺も小指を出して彼女の指に絡める。

「約束… 」

俺たちは明後日、ここで会う約束の指切りをした。


「それ何?」

 ジークフリートは俺とロゼッタの指を差して、不思議そうに尋ねた。

「これは指切り。指切りげんまん、針千本の~ます!ってやつ」

「ハリセンボン?」

「約束を破ったら針を千本飲ませるから、約束は絶対破らないっていうおまじない…。約束は取り決めのこと。明後日また、ここに来るって二人で決めたってことだよ 」

「ふうん 」

ジークフリートは聞いた割に、興味なさそうな相槌をした。説明、分かりづらかったかな…?


 俺がもう一言、付け加えようとすると、扉をノックする音が聞こえた。


「ロゼッタ様、エヴァルト殿下がお見えです」


 俺に嫌味ばかり言う、第一王子のエヴァルトがここに?!俺は咄嗟にジークフリートの手を引いて、窓からバルコニーへと出る。ここは二階だから飛び降りる訳にもいかず、しゃがんで物陰に隠れエヴァルトが出ていくのを見守ることにした。


「ロゼッタ!私はアルバスへ向かうことになった!」

「エヴァルト殿下、なぜ急に?」

「……エリオに魔物から助けられたという子供の親から騎士団に連絡があったのだ。その後エリオらしき男が魔物にやられたと言って治療を受けたらしいのだが…とても助かる状態ではなく姿を消したと… 」

「…… 」

「私も、魔物を放置してはおけぬ…。エリオの仇も討たねばならない 」

 俺の仇を討つ…?エヴァルトひょっとして、俺に『調査くらい一人でできるだろう』と言ったこと、気にしてるのか?そんなこと、気にしなくていいのに…。俺がアートルムの王子でも、エヴァルトと同じことを言ったはずだから。

 エヴァルトは静かにロゼッタの手を握り、手を額に押し当てた。その後、手を下ろすとポケットから何やら小さい箱を取り出す。

「本当は…ちゃんと婚約式を行ってからと思っていたんだが…。受け取ってくれ 」

「エヴァルト殿下…」

「ロゼッタ、愛している。待っていてくれ。必ず戻る 」

 エヴァルトは箱から指輪を取り出し、ロゼッタの薬指に嵌めた。ロゼッタは言葉を発せず涙を流している。

エヴァルトと俺、聖女候補のロゼッタはよく、一緒に勉強した幼馴染だ…。ロゼッタはアートルムの縁戚の娘だし、正式に聖女になった時から、きっとロゼッタはエヴァルトと結婚するだろうと、諦めてはいた。…初めから諦めていたから、この事実を知ったって、俺は平気、大丈夫だ…。

 ガラス越しに、二人が口付けを交わすのをぼんやり見つめていると、ジークフリートに肩を叩かれた。


「アレ、何?」

「アレってどれ…?」

「『愛している』…と、指に嵌めたもの、それに口を…」

「ああ…。“アレ”は求婚だよ。『愛してる』っていうのは『すごく好き』ってこと。好きだから結婚…生涯を共に過ごそうっていう確認をしたんだ。指輪はその印。水神の恵みの金で作った指輪を贈って、お互いの健勝を祈るとともに、お互いの唇を合わせて口づけすると、求婚を受け入れたってことになる」

ジークフリートは分かっているのかいないのか…俺をじっと見つめている。

「じゃあこれは?」

「え……?」

ジークフリートは俺の頬の涙を指で拭った。平気だと思っていたのに、いつの間にか涙を流していたらしい。

「これは涙…。悲しいと出るんだ。出したことないの?」

「『悲しい』?」

「悲しいっていうのは、心が暗くなるような気持ちのことだよ。ロゼッタは俺の初恋の相手だったんだ。でもロゼッタは今、エヴァルトと結婚の約束をしていただろう?だから俺は失恋しちゃって、『悲しい』ってわけ」

「『失恋』って何?」

ジークフリートは俺をじっと見つめて、早く説明しろと無言の圧をかけてくる。ああもう、めんどくさいなぁ!

「『失恋』は恋が実らなかったってこと。『恋』っていうのは会うとドキドキしたり、そのひとのことがもっと知りたくなって会いたくなって胸がこう、切なくなって…『好き』ってこと… 」

 俺が言うことを、ジークフリートはいつもの無表情でじっと聞いていた。魔物に恋は難しかったかなあ?

「じゃあ俺、エリオに恋している 」

「はあ?!」

「だってもっとエリオが知りたいし、会いたいし、『好き』だ」

「だ、だめだめ!フェリクス王国で同性愛は禁忌なんだ!」

 そうじゃないだろ、俺!多分ジークは言葉の意味を取り違えてる。魔物や獣以外、初めて見た人間が俺なのだ。ジークが俺に興味を持つのは当然のこと。好意はあるだろうが、それは『恋』とは違うはず。それはわかってたはずなのに俺は思わず大きな声を出してしまった。声は部屋の中まで聞こえてしまったらしい。エヴァルトが「誰だ!」と叫んで、窓の方へ向かってくる。

「まずい、行こう!」

 俺はジークフリートの手を取って、バルコニーから庭の木を伝って降りようとした。でも、毒が回っているからか、足がもつれてしまう。そんな俺をジークフリートは抱きかかえて二階のバルコニーから飛び降りた。

 ジークフリートは羽根でも生えているみたいに軽やかに飛んだ。

 この治癒院は王都の街を見下ろせる丘の上にありジークフリートが飛んだ瞬間、街の灯がキラキラと輝くのが見えた。


「綺麗だな 」

「『綺麗』?」

「美しいってこと。美しいっていうのは…この景色とか…ジークフリートの髪も…」

俺は『ジークフリートが』と言おうとして『髪』と付け足して誤魔化した。男に面と向かって言うのは照れ臭い気がしたのだ。

「じゃあこいつも『美しい』ってこと?」

ふわりと着地したジークフリートは背負っている麻袋の中から顔を覗かせた小さい魔物を指差した。

「こいつはどっちかっていうと『かわいい』。ほら、小さくて、俺が作った耳に、つぶらな瞳!」

「ぜんぜんかわいくない。眼はおどろおどろしいし、口も裂けてる… 」

ジークフリートが不服そうな顔で言うと、何だか小さい魔物もしょんぼりした気がする。

確かにコイツは毒を持った魔物だが、出来損ないと言われて母親に捨てられた子供でもある…。そう思うと、魔力なしアルバスの子だと邪魔者扱いされていた俺はコイツを責める気にも『かわいくない』と否定する気にもなれなかった。

「なあ、コイツだと呼びにくいから、名前教えてくれよ」

「コイツに名前なんかない」

「……じゃあ、俺がつけていい?『レオ』なんてどう?かっこいいしかわいいだろ?」

「……いやだ」

「ええ?なんで…?」

 レオも、俺も首を傾げた。まさか兄であるジークフリートが名前を付けたかったとか?!

「コイツだけエリオに名をもらえるなんて…嫌だ!俺にも名前を付けてくれ!」

「はあ?!そんなこと?でも『ジークフリート』って立派な名前あるじゃないか!」

「その名は父親がつけた名前だから…。俺もエリオがつけた名前がいい…」

でも名前ってそういうものなんじゃないか?第一今までジークフリートって呼ばれていたのに別の名前は違和感があるだろう,

「じゃ、じゃあジークフリートは長いし…『ジーク』にする?」

ジークは黙って頷いた。ちょっとだけ、笑顔になっているような気もする…。


「なあジーク、レオ…。街の方に行ってみないか?俺、最近十八歳の成人になったばかりで、酒を飲んだことがないんだ 」

「酒…?」

「そう、良い気分になる成分が入った飲み物だよ。ジーク、知ってる?」

 しらない、とジークは首を振った。

「じゃあ決まり!行こう!」


 王都に魔物なんか連れて行けるか…と思っていたのに…、俺は魔物を二匹も連れて、繁華街へと向かった。


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