第3話 好き

 河原で洗濯するため服を脱いだジークフリートの裸体を見て俺は息を呑んだ。俺を担いで走り回るのだから当然といえば当然だが…逞しく、彫刻のように均整の取れた身体をしている。それに……下半身はとくに立派で…!魔物って、凄いんだなあ…。

 ジークフリートの前では貧相な体の自分が恥ずかしくなり、魔物に切り裂かれてはだけていた胸元を隠したくなった。

そういえば麻袋のなかに、麻紐も入れていた気がする。それで縛ればいいのではないか?そう思って麻袋の中を探そうとしたら、先客がいた。『出来損ない』の小さな魔物…。

 俺はそっとそいつを取り出して、中を探ると麻紐が見つかった。しかし魔物のどろどろとした体液でひどく汚れている。ダメかもしれないとは思ったが、麻紐と麻袋を川の水をかけて洗うと、すっかりきれいになった。


ということは…。


「なあ、こいつも洗ってみていい?」

「いいけど…」

 俺は怯えて小さくなっている魔物に何度も川の水をかけた。するとどろどろの体液が落ちて体毛が柔らかくなった気がする。初めて見た時、傷があったような気がしたが、いつの間にかそれもなくなって綺麗な丸い形になっている。その様子を見ていたジークフリートは感心したように言った。

「生まれた時は、ただの化け物だと思ったけど、そうしてみるとやっぱりちょっと似てるな?」

「え…?」

「ほら、俺の髪みたいだろう?そいつの毛 」

……つまり、お前達どちらもあの化け物が母親で兄弟だから似てるってこと?俺が顔を引きつらせると、ジークフリートはまたとんでもない話をした。

母親あいつがおえっと吐き出したときはただの瘴気の塊だったのにな 」

「吐き出した?!」

 そういう出産…?いやそれ出産なのか…?!ほんとにお前達、何者なんだよ~?!

 魔物ってジークフリートの母親みたいにもっと恐ろしいものだと思ってたけど、ジークフリートとこの小さな魔物はいまいちおぞましい感じがしない。最初に俺が噛まれたのは、子供が魔物を棒で突いたことが原因の事故のようなもの。コイツらのせいで死にかけているが、助けられてもいるし、この二匹の魔物はそんなに悪い奴でもない気がしてしまっている。

 ……とは言え、村人が俺の二の舞になったら取り返しがつかないから、コイツらを村には連れていけない。今日はここで野宿して、明日迷いの森へ返そう…。


「そろそろ陽が落ちて来た。今日はここで野宿しよう。まだ初夏だから夜は寒い。火を焚いて、服も乾かそう 」

俺の提案にジークフリートは頷いた。『百年もさまよっていた』ってことは百歳くらいのはずなのに、子供みたいに素直で拍子抜けする…。

 

 薪になりそうな木を集めた後、食べ物を探そうということになった。川の魚は瘴気の影響を受けやすいから、山で木の実でも採ろうと思ったのだが…魔物って木の実、食べられる?

「なあ、魔物って何を食べるんだ?」

「獣の生肉。生き血……」

「…… 」

いや、人間だって動物を食べるけど…言い方あっ!俺はジークフリートを無視して、木の実を探すことにした。

 少し森を歩くと、木苺を見つけた。

「これ、美味しいんだよ!これにしよう!」

 俺はさっき洗った麻袋に木苺を摘んで入れた。水分もあるから、喉の渇きも潤せるだろう。

 

 俺たちは河原で火を焚いて、服と体を乾かしながら木苺を食べた。残念ながら感覚がマヒしている俺は、味を感じなかったが。

 ジークフリートは生き血を食べるとか恐ろしいことを言っていた割に、木苺を次々に口に運んでいる。

「木苺、好きなの?」

「『好き』?」

「『好き』は、気に入るってこと。もっと食べたい、って思ったら気に入ったってことでしょ?気に入ったってことは『好き』ってこと 」

「じゃあ『好き』」

 ジークフリートはまた無表情で『好き』と言った。表情と、言葉が合ってない。魔物だから仕方ないのか?いや、俺の教え方が悪かったのか?

「『好き』って、『嫌い』とは逆で良い感情だから、『好き』っていう時は笑った方がいいんだ 」

俺は子供に言葉を教えてるみたいにちょっと責任を感じて、ジークフリートに「好き」と言って笑いかけた。

「…エリオの今の顔『好き』」

「ええ?いや、さっきのはさあ… 」

「だって『もっと』って思ったら『気に入った』ってことで、『気に入った』ってことは『好き』ってことなんだろ?」

「そ、そうだけど……。まあ、いろんな『好き』があるからな… 」

好きの種類を説明しようとして、俺は面倒になってやめた。くすぐったい気持ちを誤魔化すように、焚火の前で丸くなっていた小さい魔物を呼ぶ。

「なあ、毛、かしてやるよ。櫛がないから手だけど。だからもう噛むなよ?」

 獣は小さく頷くと俺に近寄った。手櫛で梳かしてやると、毛は艶やかな光沢を帯びる。

「なあ、この辺、絡まって解けないからすこし切ってもいい?」

 獣が黙って頷いたので、俺は溶けない部分をナイフで少し切った。少し切ると…悪戯心が湧いた。本体部分の形がはっきりしないほど毛が生えているので。頭の所を耳のような形に切ってみたのだ。

「犬にしか見えない!かわいい!」

「『かわいい』?」

「『かわいい』は、愛らしい…って意味だよ。小さかったり、弱かったりとかそういうものを見た時に感じる気持ち?」

「じゃ、エリオも『かわいい』」

「いやいやいや…確かに俺、おまえより小さいけどさ…」

 かわいい、なんて男に言う事じゃない。きょとんとするジークフリートに俺は言い返そうかと思ったのだが。言葉の意味を教えるって難しいなぁ…。簡単な言葉ほど難しい。結局どう説明していいか分からず何も言えなかった。ジークフリートが初めて出会った人間が俺だから今はそう思っているけど、いずれ別の人間、女に会えば本当の意味を理解するだろう…。

何も言わない俺の顔を、ジークフリートはじっと見つめていた。

「だってエリオは、小さいし色も白いし弱いし…。茶色の髪、さらさらで、目もくりくりしてる…。木の実を口に入れると栗鼠みたいで、唇、ピンクで柔らかそうだ。たぶん、食べられると思う…。」

「た…食べるなよっ!それに俺、男だから…!」

「男だから何?」

 何って言われるとまた、困った。フェリクスでの『同性愛禁止』なんて常識はジークフリートには通じない。俺がため息をついている間に、ジークフリートは俺に背を向けた。


「エリオ、俺にもやってくれ 」

ジークフリートは結んでいた髪を解いた。自分の髪も梳かしてくれ、ということらしい。

 さっきの会話が続くことも避けたかった俺は、ジークフリートの髪を梳かした。ジークフリートの髪は、梳かす必要もないくらい、滑らかで上質な絹糸のように美しい髪だった。

俺がしばらく黙って髪を梳かしていると、ジークフリートは俺を振り返って微笑んだ。


「エリオ、『好き』」

「……! 」


 エリオは呼びかけ、好きなのは髪を梳かすことな!ジークフリートお前、言葉足らず過ぎるだろ…。

やっぱりちゃんと『好き』の種類を教えないと、まずいことになりそうな気がする。

 

「そろそろ寝ようか…。俺、火の番をしているから、ジークフリート、先に眠って? 」

 俺の申し出にジークフリートは首を振った。乾かしていた服を、俺に掛けるとまた微笑む。

「俺、一晩眠らなくても平気だから。エリオ、寝て?」

「でも…。」

でも、と言ったものの、身体に入った瘴気のせいか、身体が温まったからか、俺は抗えずに眠ってしまった。浅い眠りの中、ジークフリートの大きな手が髪を梳かす感触を何度か感じた。


ジークフリート、俺もこれ、好きだよ。

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