第2話 毒

「いつものこと、大丈夫だ 」

「はあっ?!」

「それよりお前どうやってここまで来た?俺は百年以上、この迷いの森からでられなかったのに…」

「そう言えばさっき、お前の母親が『そいつの瘴気のせいで人間の気配が分からなかった』って言ってたけど…」

 俺は恐る恐る、麻袋からはみ出している魔物を指さした。男はそれを見て、何か考え込んでいる。

「ってそれより、百年って何?!」

「俺はジークフリート。生まれてから百年以上、あいつとこの森を彷徨っている。ようやく、話が通じそうな奴に会えた……!」

 いや…俺は、お前と話が通じそうな気がしないけどな?だってお前、俺の質問に答えてないじゃないか。

 俺は自分の常識が足元から崩れていくような感覚がしたと同時に膝に力が入らなくなり、尻もちをついた。男は俺に近寄って、俺の顔を覗き込む。

「お前は?」

「エリオだけど… 」

「エリオ!俺を迷いの森ここから連れ出してくれ。もうこんなところには飽き飽きしてるんだ…!」

 その男…ジークフリートは俺の手を握って訴えた。顔の距離が近い……!あまりの美形に至近距離で見つめられ手を握られ懇願され、俺の胸はぎゅっと苦しくなる。


「待て!ジークフリート!」


 腕をバッサリ切り落とされた先ほどの巨大な魔物は、ジークフリートと俺に向かって、物凄い勢いで襲い掛かって来た。さっき腕、バッサリやられてたよね?!何でそんな元気に動けるかなあ!?

 魔物をチラリと見たジークフリートは俺を背中に背負って立ち上がると、腰にさした剣をすらりと抜く。


「俺は行く 」

「お前は分かっていない!外の世界の人間がどれだけ醜悪かを…!」


 ジークフリートの『母親』だという魔物は叫んだ。しかしジークフリートは聞く気がないようで、迫りくる母親に向かって剣を構える。

 ま…まさか、お前…?!


 その、まさかだった…!ジークフリートは大きな口を開け、俺たちに襲い掛かる魔物を、ためらいもせず剣で真っ二つにしたのだ。

 あまりに見事な切れ味に、魔物は叫び声を上げることなく大きな音を立てて地面に崩れ落ちた。


「大丈夫、いつものこと 」

「どんな日常なのっ?!」


 ジークフリートは、魔物のどす黒い血を振り落とし剣を鞘にしまい、落ちていた麻袋…『出来損ない』と呼ばれた小さな魔物を俺と一緒に担いで走り出す。


 小さい魔物を背負っているのは、コイツの母親に俺の匂いを悟られないためか?ジークフリートは「俺の匂いがする」らしく、俺が来た道を一心不乱に走って行く。

 このまま俺の匂いを辿って迷いの森を出ると、アルバスの農村に着いてしまう…。自分の母親を容赦なく切り捨てる魔物を、村へ行かせるわけにはいかない…。

 どうしたものかと思案するうちに胸が苦しくなって、俺はジークフリートの背中に胃の中のものを吐き出してしまった。

 さっきの、胸が苦しくなったの…ジークフリートの人ならざる美貌を見たからだと思ったけど違った…。身体の中も外も痛くて、力が入らない。

 ジークフリートの首に回していた手に力がはいらなくなり、俺は背中から落ちそうになった。俺の異変を感じ取ったジークフリートは落ちそうになる俺を抱えて立ち止まると、俺をその場に下して寝かせる。そしてはだけた胸の痣をまじまじと見つめた。

「これは?」

「コイツに肩を噛まれたあと、出たんだ 」

 麻袋からひょっこり顔をだしている小さい魔物を俺は指さした。ジークフリートがその魔物を見ると、魔物は麻袋に再び引っ込む。

「……こいつは瘴気そのもの。噛まれて直接体内に瘴気を取り込み、生きている動物を見たことがない 」

「はあっ?!」

 何だって…まさか…?!青ざめる俺をジークフリートは感情のわからない顔で見つめる。

「いいことを思いついた。試してみるか?」

「え?なに?助かるの?」

 ジークフリートは剣を抜くと、自分の指を刃先に当てた。指からは血が滴る。

「舐めろ 」

「……」

 フェリクスに魔物が出現するなど初めてだ。ましてや魔物に噛まれたものなど、聞いたことがない。王都に戻っても治療できるものはいないだろう。…それならこいつに、頼るしかないのではないか?

 意を決して俺はジークフリートの指に滴る血を舐めた。


 鉄のような味が口に広がるのかと思ったのだが違った。

「甘い…… 」

舌が馬鹿になってしまったのだろうか…?俺が呟くと、ジークフリードは先ほどと同じ無表情な顔で俺に言う。

「俺の血は感覚を麻痺させる毒だ。お前が生きている限り、死の瞬間まで痛みを麻痺させる 」

「なななな、何てもの舐めさせたんだっ!!!」

 俺は思わずジークフリードの胸倉をつかんで揺さぶった。ふざけんな…っ!怒りに任せて殴ろうかと思った、その時…。

「あれ?!」

 痛みが消失して、身体に力が入れられるようになったことに気が付いた。感覚は麻痺しても、運動神経には影響しないらしい。不思議な、魔法みたいだ。


「毒を持って毒を制す 」

「制されてない……。麻痺で痛みを感じないだけで、身体から瘴気…毒は消えていないんだから 」

相変わらず無表情なジークフリートだが、俺の返事を聞いた後の表情は少し、がっかりしたようにも見える。毒が消えた訳じゃないけど、コイツなりに、好意でやってくれたのに、否定するのはまずかったな…。

「でも、動けるようになった。ありがとう、嬉しい…!」

 俺が考えを改めてお礼を言うと、ジークフリートはすぐに聞き返してきた。

「『ありがとう』、『嬉しい』って何?」

 『ありがとう』、『嬉しい』を知らないのか?あの魔物、言葉は話してはいたけど…、魔物だから人間の感情は教えられなかったのだろうか…?

「『ありがとう』は感謝の言葉で…。感謝はわかる?」

 ジークフリートは首を傾げている。そ……そこから?!お前、百年間何してたんだよ?

「『感謝』はありがたいと思ってるってことで、『うれしい』は良いことがあってよかった~みたいな意味だよ。さっきまで身体が痛くて動けなかったけど、動けるようにしてもらって、ジークフリートに感謝してる、ってこと 」

『うれしい』と『ありがとう』は良い感情だから、俺はジークフリートに笑顔で説明した。その方が伝わりやすいと思ったのだが…。

「ふうん…… 」

ジークフリートは相変わらず無表情で返事をして、目を伏せた。そして、背中に付着した俺の吐瀉物を手で払おうとする。

「ああ、ごめん…!まって、この先に河原があるからそこで洗おう!」

 俺が指さすと、ジークフリートはまた俺を抱き上げた。背中は汚いから背負えなかったようで、お姫様抱っこの体勢になり、俺は恥ずかしくて顔が赤くなった。ジークフリートの顔も少し、赤くなっているように感じたけど、気のせいだろうか…。

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