エリオ・フェリクスのもっとも幸せな臨終~毒で死にかけたら何故か謎の美形に溺愛されました~

あさ田ぱん

一章

第1話 出会いは突然に

「ギャアア……ッ!」

 犬でもない、猫でもない…何か、獣の鳴き声が聞こえてきて慌てて俺はその方角に走った。鳴き声は川沿いを山へ向かって上がって行き、少し開けた河原から聞こえてきていた。その声の主…真っ黒な獣のようなものは子供たちに棒で突かれて、悲鳴を上げている。まずい…!

「よせ!危ないっ!離れろ!」

 俺は叫ぶと同時に子供たちの前に飛び出した。

「う……ッ!」

「グルル……! 」

 瞬間、真っ黒な獣は唸り声を上げながら俺の肩に嚙みついた。その生き物は、身体中に真っ黒なドロドロとした毛を生やしている。人型はしておらず、犬くらいの大きさだが、生えている毛のせいで形がはっきりしない。口は顔部分の身体の大部分を占めていて、俺の肩をガブリと咥え込んだ。明らかに異形のもの…これが王宮に報告のあった『魔物』に違いない!

 俺は魔物を掴んで力いっぱい喉部分を狙って殴った。殴ってはみたが不思議な感覚だった。毛のせいか、肉を殴ったという感覚が薄い。効いているか不安だったが、狙い通り魔物は咳き込み、肩から崩れ落ちる。

「何てことだ…… 」

 その昔、竜が住んでいたという清流のフェリクス川が瘴気に穢れて久しいが、まさか……本当に魔物が生まれていたなんて…!俺は信じられない気持ちで、気を失っているその獣を見つめた。

「大丈夫?!」

 子供たちが心配そうに俺に尋ねた。

「大丈夫だ…。お前達、怪我は? 」

「僕たちは怪我してないよ!それよりお兄さんの方が…すごく、血が出てる!早く魔法で、傷を治療して…!」

「…俺は魔法は使えないんだ。魔力がなくて…」

「え?!その恰好、騎士じゃないの?!」

 子供たちは騎士の格好をしている俺が魔法を使えないと知って戸惑っている。確かにフェリクス王国騎士団の入団条件は魔法が使えることだが、魔力がなく魔法が使えない俺は例外的に王国騎士団に所属している。何故なら俺は、フェリクス王国の第二王子エリオだからだ。

「怪我がないなら、自力で村まで帰れるか?」

「うん。でも、お兄さんは…?」

「俺はこの獣を、川上へ葬って来る。もう少し村から離さないと危ないからな… 」

「でも、この先は『迷いの森』って言われていて」

「大丈夫だ。『迷いの森』は結界で入れないし…川沿いに少し北上するだけだ」

 俺は、子供たちにもうこの辺りで遊ばないように約束させ、真っ直ぐ村へ帰るように言った。


 川上にはその昔、水神と呼ばれた竜が眠る山がある。

 水神と呼ばれた竜の涙がフェリクス川となり、その清流は肥沃な大地、鉱山を作り恵みをもたらした。しかし水神と崇められた竜はいつしか人を呪い、その身を闇に堕としてしまったのだ。竜は最期の良心で、『地獄の門』を作り自身を山へ封じたと言われている。地獄の門の周りは結界が張られ『迷いの森』と呼ばれており、その門を目にしたものはいない。しかしその結界も万全ではなく、川の方から瘴気が漏れでて年々流出量が増している。そしてついに、魔物が出現してしまった…!


 子供たちの後姿が見えなくなってから、地面に倒れている獣…魔物を観察した。そんなに大きくないからコイツは、ひょっとしてまだ子供なのかもしれない。魔物といっても、小さな子を殺めるのは憚られる。

 俺は魔物に噛みつかれた肩の傷を水筒の水で洗い、念のため持っていた包帯で簡単に傷口を塞いだ。それらの荷物を入れていた麻袋が空いたので、魔物をそっと麻袋にいれて背中に担ぐ。

 騎士団に魔物が出た、と報告があって調査に来たときから嫌な予感はしていたが…。


「仕方ないなあ…」


 俺はふう、とため息をついた。

 きっと魔物は瘴気が溢れ出てくる川上、『地獄の門』の方角からやって来たのだろう。村から離すためにも、俺は更に北へと重い足を向けた。



 “フェリクス”という大河の川上には百五十年ほど前、アルバスという独立した国家があった。アルバスは水神の守護を受け、農作物以外にも金など鉱石にも恵まれたのだが、上流に位置し流れ出る瘴気の影響を強く受け困窮し、川下の国アートルムに助けを求めた。両国は話し合いの上、統一し“フェリクス”と国名を改め今に至る。

 フェリクス王国の初代王妃には二つの国の平等な統一の象徴としてアルバスの王女が据えられた。しかし元々は資源を巡りアルバスを度々侵攻していたアートルムは、代替わりするうち、アートルム公爵家出身の妃を王妃に据え実権を手にした。アルバスからも側妃を迎え入れてはいるが、政治の中心はすっかりアートルムとなり、魔物が出たと言う状況にもかかわらず、王族達はアルバスを見て見ぬ振りだ。

 アルバス出身の側妃の子の俺以外、王族でアルバスの為に動くものはいない。そのため俺は仕方なく、援軍なしに、単独でアルバスに視察に訪れたのだ。

 しかし、単独でやって来た俺を、旧アルバスの王族たちは落胆を持って迎えた。それは魔力なしで生まれた時以来の落胆ぶりだった。生まれた時のことは覚えていないが、たぶんきっとあんな感じだったと思う。何せ王の側妃である母にも、後宮での地位が低いのは俺のせいだ忌み嫌われているくらいだから。

 こういう運命なのだと受け入れ、とっくに諦めて吹っ切ってはいるけれど……。王妃の子で優秀な兄、エヴァルトに『魔力なしの落ちこぼれでも調査くらい一人で出来るだろう』と鼻で笑われたことを思い出して、俺は思わず地面の小石を思い切り蹴とばした。


 蹴った小石は河原の茂みの中に飛んで行った。草がこすれ、木にぶつかったような音がする。そこまでは想定内。しかし、その後、想像だにしない音…いや、声が聞こえた。


「誰だ…… 」


 誰って…、お前こそ…誰っ!?


 音もなく、石が飛んで行った方角からゆらりと現れたそれは…人間ではない。見るからに魔物…!だって背は俺よりもずっと高く、二階建ての建物くらいありそうだ。ひょろっとしていて全身真っ黒、毛もびっしり生えている…口も、裂けそうなほど大きい。そう、背中にしょってるこいつが大きくなったらこんな感じだな。たぶん!

 ってことは背中の魔物、コイツの子供じゃないのか?!俺、この魔物の子供怪我させた?!ま、まずい…!


 俺は成人してまもない十八歳。まだ童貞だし飲酒も賭博も未体験!死にたくない!でもそんなこと言っても魔物だから俺に同情なんてしてくれないよね…?

 二階建ての魔物に勝てるはずもない。俺は諦めの気持ちが大きくなって足の力が抜け、その場にへたり込んだ。


「……そいつのせいで人間お前の気配が分からなかった」


 背の高い魔物は、俺の背中の麻袋をひょい、と取り上げると、地面に投げつけた。衝撃で麻袋の中から「ギャっ」という鳴き声が聞こえる。


「おい!せっかく連れて来たのに何すんだよ!これお前の子供だろ?」

「これは出来損ないだから捨てたんだ 」

 その大型の魔物は足を大きく持ち上げた。麻袋の中の魔物を踏みつける気だ!

 俺は立ち上がり麻袋を拾うと、魔物の足の下をくぐり後方へ逃げた。逃げた俺にその魔物は大型の生き物とは思えないスピードで振り向き、背中を摘んで持ち上げられてしまう。たった二本指で持ち上げられ、魔物の目の前にブランとつるされた。

「まだこんなに小さいんだから、出来なくたって仕方ないだろうが!出来損ないなんて言うなよ!」

 俺が精いっぱい怒鳴ると、魔物は表情のない目でぎょろりと俺を見つめ、もう片方の手で俺の服の前身頃を切り裂く。

「これは…まさかお前、アルバスの血が…?」

「え…?…そうだけど…」

 何でこの魔物、俺がアルバスの地を引いていると分かったんだ?たしかにアートルムの血が濃い王族たちはみな珍しい金髪碧眼に、その豊富な魔力からか、輝く美貌を持っている。対する俺は、アルバスの血が色濃く、生白い肌に茶色の瞳、茶色の髪をしているから、それで…?アートルムの王族と比べなければ、俺はごく普通の容姿…体格には恵まれていないものの中の上くらいだと思うのだが…。

 何だよ、魔物までアルバスの子と、馬鹿にするつもりか?!魔物は俺の質問には答えず、大きな指で俺の胸をなぞった。


「うわあ!何だこれ?!」

 魔物の指の先、服を切り裂かれてはだけた俺の肩から胸にかけて、見たこともない赤黒い不気味な痣が広がっている。

「この痣…まさかお前がジークフリートのつがい…?」

「こんな痣、初めて見た…!何だよこれ…っ!?しかもジークフリートって何?!」

 俺の言葉は魔物に届いていないようだ。魔物の目は先ほどと違い恐ろしい光を湛えている。そして魔物の口が、裂けるように開いた。さっきの、小さい魔物と一緒だ…!食いちぎられる…!

 俺は目を瞑って、衝撃に耐えるように身を縮こまらせた。すると…。


 ザン、と沢山束ねた紙を切るような大きな音がした。そして魔物の指は俺から離れ、俺の身体は宙に投げ出された。


 落ちる……!


 そう思った時、正面から降って来た人間にわき腹を抱えられ、そのままふわりと地面に着地した。


 同時に、切り落とされた魔物の腕が、地面に大きな音をたてて落下する。


「ジークフリートっ!!」


 魔物の呼ぶ声を意に介さず、俺のわき腹を掴んで、二階建ての高さから飛び降りたのは…確かに人間のようだが…。

 その人はこの大陸には珍しい、褐色の肌に漆黒の長い髪をした男だった。二重で少しつり気味の凛とした瞳に高い鼻という、整った顔立ちをしている。特に瞳は夜空に煌めく星のような金色で、美しい…。背は俺よりも拳一つ分くらい大きいが、歳は俺と同じか、少し下くらいだろうか…?着ているものはお世辞にも上質なものとは言い難い。麻で出来た薄手の貫頭衣に汚れた下穿き。しかし、それを補って余りある美貌…。王族の美形たちを見慣れている俺だが、あまりの美しさに眩暈がした。こんな人間がいるなんて…。俺は思わずその男に見とれてしまった。


 男は無言で俺を地面におろした。持っていた剣に付着したどす黒い魔物の体液を慣れた手つきで払うと鞘にしまう。


「お前、何者だ?」

「いや、お前こそ…しかも、さっきの魔物、あれ何だよ… 」

「あれは、俺の母親だ 」

「えーーーーツ?!」

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