役職は「お姉ちゃん」

 神様……なぜ私はここに居るの?

 そして私の目の前に置かれている書類は何?


 理子ちゃんからの我が耳と脳を疑うような提案……

 雇用関係として自分の姉になって欲しい、と言う突拍子もなさ過ぎる話を聞いてポカンとしながら「はい……分かりました」と返事をして僅か30分後。

 私は「カンカン・グローニュ」の2階にあるリビングのソファに座っていた。


 理子ちゃんがシャワーを浴びている間、彼女が置いていったミネラルウォーターを飲みつつ、テーブルの上にある雇用契約書を穴が空きそうなくらい読み返していたのだ。


 一目で高級品と分かる家具。

 ソファも本革だろうと思われる感触。

 間接照明がグレーとベージュを基調とした部屋を照らし、品の良さと心地よい雰囲気を醸し出している。


 あのお店も品が良くて居心地良いと思ってたけど、2階の生活スペースの方が遙かに凄い。

 私の安アパートとはもはや同じ「住居」と言うのもおこがましい。

 

 そんな事を考えているとドアが開き、水色のパジャマを着た理子ちゃんが入ってきた。

 ふわあ……シャンプーとボディソープの混ざった上品な香りが……

 しかもパジャマ姿を拝めるなんて!

 何か神聖な後光が差して見えるよ。

 私みたいに下心満載な人間、灰になっちゃうんじゃないかと心配だ。


「すいません、お待たせしました」


 丁寧にお辞儀をした理子ちゃんは、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、グラスに注いで美味しそうに飲み始めた。

 

 凄いね、美少女って水飲むだけで絵になるんだ……

 そして私の向かいに座ると、まるで面接官のような営業スマイルで話し始めた。 


「さて、雇用契約書には目を通して頂けましたか?」


「は、はい。でも……こんな条件……」


「ご不満ですか? ご希望を言って下されば、契約書の修正を……」


「い、いえ! そうじゃなくて、あまりに……私に都合が良いというか……す、すいません変な言い方で」


 そうしどろもどろで言うと、理子ちゃんは両手で口を押さえるとクスクス笑った。


「そう言って頂けると何よりです。でも、私としてはこんなおかしな提案に対しての内容と考えると、申し訳ないくらいですよ」


 いやいや、彼女の書いた雇用契約書の内容ときたら……


 簡単にまとめると、理子ちゃんの希望に添いつつ彼女の求める「お姉ちゃん」として振る舞うことが業務内容。

 給与は時給制で1500円。


 姉で居る時間(労働時間)は2階の階段を上がったところにあるタイムカードで管理され、平日は私の本業が終わりタイムカードを押してから21時まで。

 これは理子ちゃんがいつも寝る時間が22時のためだ。


 休日もタイムカードを押してから、は同じだが基本は朝の9時から夜の20時まで。

 休日手当が1日あたり2千円つく。

 

 予定があるときは事前に申告すれば、お姉ちゃん業務はお休みとなる。

 夜勤業務もあり、こちらは時給2000円と割り増しだ。


 あと「その他、特別な行為に対しその内容に応じ別途手当有り」と。

 これ何だ!?


「あ、あの……内容は拝見したんですが、質問いいですか?」


「はい、もちろんです。その時間も設けるつもりでした」


「じゃあ……この『特別な行為』ってなんですか?」


「はい。それはお客様がお姉ちゃんとして、妹の私の望む事に対しお付き合い下さった際のものです。例えば『泊まりがけの旅行に行く』『一緒にお風呂に入る』『同じベッドで寝る』と言った、より密接な行為に対する物とお考え下さい」

 

 ……へ?

 いま、なんて?

 旅行とかお風呂とか……一緒に寝る!?

 ちょっ! そんなの今すぐにでもお願いしたいんですけど……


「ただ、これらの行為はお客様への信頼度……査定と表現しますが。これが一定以上になった際に提案させて頂きます。失礼な物言いですいませんが」


 うう……まあ、そりゃそうだよね。

 どこのウマの骨か分からない女とベタベタひっついたりとか流石にね……

 

「でも、お客様はすでにかなり関わった期間が長いので、雇用開始時ですでに査定は高いのですが」


 そう言って理子ちゃんは恥ずかしそうに微笑んだ。

 か、可愛い……ああ、思わず写真撮りそうになるけど、そんな事して査定ががた落ちになったらたまらない。


「さて、他にご質問は?」


「えっと……じゃあもう一つだけ。あの……この家に住んでいるのはあなただけですか? ご両親は」


「父は私が5歳の頃に亡くなっています。母は父の会社の経営を引き継ぎ、イギリスを拠点に仕事しているので日本には年に数回帰ってくるかどうかです。お客様の事は、すいませんが自宅の一室を貸し出している入居者様、とさせて頂きます。何卒ご了承頂ければと」


 なるほど……それでこんなに高級感満載な室内なんだね。

 ガチ金持ちなのか。


「また明日以降お話しをしたいのですが、住居についてはこの2階の一室を使って頂く事も可能です。いわゆる『社員寮』と言う感じですね。その際は私がお客様の食事も提供させて頂きます」

 

「あ……また、検討します」


 ちょっと情報量が多すぎでうまく処理できない。

 でも、流石に女子高生とひとつ屋根の下は事案だよね……


 に、しても自分の義理の姉を雇用なんてぶっ飛んだ発想も、親が会社を経営してるからと思うと理解……は到底出来ないけど、それはどうでもいい。


「他にご質問はよろしいでしょうか?」


「はい。もう……大丈夫です」


「かしこまりました。では、最終確認をいいですか。この雇用契約書に基づいて私の義理の姉となる雇用関係を結んで頂けますか? 了承であれば一番下の署名欄にご署名をお願いします」


 私は頷くと、理子ちゃんの気が変わらないうちに素早く署名をした。

 彼女はそれを見届けると薄く微笑んで言った。


「これで契約成立ですね。では、早速今日からよろしいですか? 初日だし時間も中途半端ですが、実習という形で。良ければタイムカードの方を。後、給与は契約書のこの部分に書かれているように、毎月15日締めの28日払いにて手渡しとなります」


 私はタイムレコーダーに駆け寄ると、タイムカードをガチャリと打刻した。


「は、はい! よろしくお願いします。飯山さん」


 すると理子ちゃんはニンマリと笑って言った。


「違うよ、お姉ちゃん。妹に敬語なんて使わないでしょ?」


 理子ちゃんは私に駆け寄ると、腕に手を回してソファに座らせた。


「私は理子だよ? 理子って呼んでくれなきゃヤダ」


 そう言って理子ちゃんは私にギュッとしがみ付いた。

 

「お姉ちゃん。理子、一緒に見たいテレビがあるんだけどいい?」


「は、はい……じゃなくて、うん……もちろん。何見る? ……理子」


 そう答えながら声がヤバいくらい上ずっているのが分かる。

 ちょ……理子ちゃん、パジャマだから……その……お胸が。


 なんなの、この時間は……

 頭がクラクラするような時。

 私は思わず理子ちゃんの肩に手が伸びそうになったが、必死に理性で食い止めた。

 

 落ち着け、早耶香。

 手を出したら懲役だ。

 ネットニュースのいい養分になっちゃう!

 それもだけど、そんな事したらお姉ちゃんを一発解雇。

 そんな事になるくらいなら、刑務所の方が100倍マシだ。

 

 そんな事を考えながら1時間ほどくっついてテレビを見ているとスマホのアラームが鳴り、理子ちゃんが私の方を向いた。


「終業時間ですね。明日からの正規の勤務では残業も可能ですが、今日は定時で終わりましょう。お疲れ様でした」


 そう話しながら私から文字通り「パッと」離れた理子ちゃんは、普段の営業スマイルに変わながら淡々と言った。


 あ……ドライ。

 

 その変貌ぶりに若干の寂しさを感じたが、さきほど言ってた「残業」と言う言葉通りなら、延長も可能と言うことだ。

 ふふふ。

 ま、まあそれも雇用主である理子ちゃんの胸先三寸なのだろうが……


 私はタイムカードをガチャリと押し「それでは明日からよろしくお願いします」とペコリと頭を上げる理子ちゃん……雇用主に頭を下げるとお店を出た。

 

 夜風が気持ちいい。

 その心地よさも相まって、先ほどの時間がまるで夢のようだ。

 本当に現実なのかな……

 でも、バッグの中には実際に雇用契約書が入っている。

 

 ってか、あれでお金をもらう……何だか申し訳ない。

 それに若干の寂しさも感じる。


 文字通り「お金目当ての付き合い」と言う感じ。

 理子ちゃんへの気持ちがお金目当てのように感じて、悲しくなる。


 私は、ホッとため息をつきながら夜空を見上げた。


 まあいいや。

 それはまた追々考えよう。

 それに金銭はいらないなんて言ったら、あの様子だと私をお姉ちゃん業務から外しかねない気がする。


 とにかく、今はこの信じられない機会をしっかりとつかみ取ろう。

 後のことは後で考える。


 そう思っていると「お客様」と背後から声がかかったので振り向くと、2階の窓から理子ちゃんが顔を覗かせていた。


 笑顔で手を振ると、理子ちゃんもニッコリと笑いながら小さく両手を振っていた。

 可愛い……


 ま、いいか!

 今はあの世界一可愛い義理の妹に満足してもらえるようなお姉ちゃんになって見せよう!

 後のことはそれから考えるんだ。

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