義理の妹は私の推し

京野 薫

始まりは雇用関係

 私、仰木早耶香おおぎさやかには推しがいる。

 

 26歳にして初めて、そして最後になるであろう推しが。

 彼女以上の存在はいないと思うから、これ以上の推しは不要でしょ?

 

 誰でも大なり小なり推しは居ると思う。

 スポーツ選手だってアーティストだってアイドルやゲームのキャラも。

 でも、彼女……飯山理子いいやまりこちゃんに勝る存在は居ないと確信している。

 一切の私情を廃して客観的に見て言うと「彼女に比べればみんなモブキャラ」 


 だってさ、今時の高1女子にしては絶滅危惧種な黒髪おかっぱが殺人的に似合う可愛さ!

 まるでお人形のような整って、それでいて愛嬌のある顔立ち。

 吸い込まれそうな宝石のような瞳。

 背格好は小さいけど、それも彼女……理子ちゃんの魅力を全く損なわない。

 

 ああ……テンション上がりすぎ……

 いかんいかん。

 久々の休みで理子ちゃんの元に行ける喜びで、ブチ上がり過ぎてしまった。

 

 仕事で日々、カラッカラの乾いた粘土のようにひび割れている私の心は、彼女がマスターで経営者でもあるお姉さんの手伝いをしているカフェ「カンカン・グローニュ」に週末、足繁く通う事で崩壊を免れている。

 本当は毎日通いたいけど、我が職場である出版社を出る頃には営業時間外なのだ。

 転職しようかな……

 

 英国風の建物のお店を見回し、さらに気分を上げた私はワクワクしながらドアを開ける。

 すると、シックな店内のカウンターに立っていた、メイド服っぽい衣装の理子ちゃんが、パッと花が咲いたような微笑みの後、頭を下げた。


「いらっしゃいませ。お一人ですか」


「あ、は、はい。お一人様です!」


 いかん! またテンパっちゃった。

 毎回彼女に似合うクールなお姉さんに、と思いながらなんたる失態……


 だが、理子ちゃんは小さくクスッと笑うと「かしこまりました。こちらへどうぞ」と案内してくれた。

 ほんと、この黒いメイド服っぽい衣装を考案した人に、金一封贈りたいくらい。

 まさに理子ちゃんのために作ったかのように似合ってる。


 と、内心血圧爆上がり状態で浮かれているが、表面はクールさを継続する。

 そして、脳内ではキラキラした空想が…… 


●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●


(せっかくの休日の午後。素敵な時間を過ごさせてもらうわ。お願いね、理子)


(はい! でも私のサービス、早耶香お姉様に気に入ってもらえるかしら……心配で)


(ふふっ、気にしなくてもいいのよ。あなたと言う存在が私にとって極上のサービスなんですもの)


(お姉様、それって……)


(あら、察しのいい子。じゃあ、最初の注文は……目の前の可愛いメイドさんにしようかしら)


(嬉しい……お姉様)


(いいでしょ? 理子)


(……今ならランチメニューなので、私のハグもセットです)


(じゃあ、それも頂くわ。さあ、来て……)


●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 ふわあ……ああ……ヤバい。

 ハグ……

 

 席に座って理子ちゃんとの脳内ハグの幸せに浸っていると、丁度理子ちゃんの声が聞こえてきた。

 あ、注文しなきゃ……


「お客様、ご注文は後にしましょうか?」


「じゃあ、あなたのハグを」


「はえ? ……ハグ?」


 戸惑ったような理子ちゃんの声が聞こえて、ハッと我に返った。

 やばい! し、しまった!


「えっと……それって……」


「いや、違うんです! え、えっと……その……そう! ハムエッグの略です! 最近ポルトガルではハムエッグを略してハグって言うらしいです!」


 いや、知らんけど。


「そう……なんですね。ポルトガル……」


「そう! そうなんです。ほんと、紛らわしいですよね。今度仕事で行くからちょっと勉強しすぎちゃって」


 我ながら頭のネジが7、8本外れたようなデタラメだと思ったが、莉子ちゃんはニッコリ笑うと言った。


「勉強になりました。お客様、博識なんですね。ただ……当店、ハムエッグは扱って無くて。申し訳ありません」


 莉子ちゃんは済まなそうな表情で深々と頭を下げた。

 大丈夫だったか。

 あっぶな、通報案件だった…… 


 ……って言うか、申し訳なさそうにする顔も可愛い。

 ああ、スマホで撮りたい。連射機能で50枚くらい。

 

「あ、そうだったんですね。じゃあハムサンドを」


「かしこまりました」


 丁寧なお辞儀の後、理子ちゃんは奥のキッチンに消えた。

 このお店、住宅街の奥にある立地のせいかお客が少なく、週末でも今など私以外誰もお客がいない。

 

 まあ、どうやらこのお店はコーヒー好き、サンドイッチ好きのお姉さんの趣味でやってるらしく、売り上げにはこだわっていないらしい。

 ほんと、得意先回りの途中にたまたま見つけて以来半年。

 週末の土日、よっぽどの用事のあるとき以外通い詰めているせいか色々教えてもらえたのだ。

 

 ふふふ……後は理子ちゃんの個人情報を……いかん! 犯罪犯罪。ヤバいヤバい。


 そんな事を考えつつ、仕事場でもある出版社「ヨドカワ」主催のWEB小説サイト「ヨミカキ」のサイトで、ご贔屓の百合小説「夜の隙間に咲く百合の花」を読んでいると、理子ちゃんが来てハムサンドと……


「あ……」


 テーブルにはハムエッグが置かれていた。


「あの……これって」


 戸惑ったようにそう言うと、理子ちゃんは恥ずかしそうに微笑んで言った。


「いつも来て下さってるので、サービスのつもりで作ってみました。でも、あまり上手に出来なくて……お口に合わなかったらご免なさい」


 す……好き。

 

 そんな言葉が脳内にあふれ出して困った。

 いやいや、あなたの焼いたハムエッグなら消し炭……いや、ハバネロが入ってても笑顔で食べますよ。


「いつもタブレットを見てらっしゃいますけど、お仕事お忙しそうですね」


 うそ! 理子ちゃんが話しかけてくれた! 今日はいい日!

 まあ、百合漫画を読むのにはタブレットの方が大画面で愛でられるから、ってだけなんだけど。

 私はテンパりそうになるのを押さえながら、クールなバリキャリを意識しつつ答えた。


「はい、お陰で出張も多くて……でも、今はひと段落ついたので、息抜きに外国文学などを読んでるんです」


「そうなんですか。私も小説読むの好きで……どんなの読まれてるんですか?」


「えっと……古今和歌集とかフィッツジェラルドとかを……」


 本当は百合物のラノベやマンガばっかりなんだけど……


「えっ、凄い! 私、新古今和歌集が大好きなんです。まさか身近に好きな人いらっしゃるなんて……」


 え! うそ……ヤバい。


「私、特に西行の歌が好きで……『よられつる 野もの草のかげろいて 涼しく曇る夕立の空』みたいに、嫌がられがちな天気の急変も美しく感じる感性がいいな、って」


 ……何言ってるかさっぱり分かんない。


「うん、そうですね。私もその歌好きです。お陰でにわか雨も大好きになっちゃいました」


「やっぱり! ですよね。藤原定家や藤原家隆にも影響を与えただけはあるな……って」


「そ……そうですよね。お二人もいい感じの書きますよね」


 やばい、そろそろボロが出そう……


「あ、すいませんお邪魔しちゃって! でも、イメージ通りです。凄く知性や品がおありなので、多様な本をいっぱい読まれてそうだな……って勝手に思ってたので」


「は、はい。本は大好きで毎日読んでます。本の虫です」


 百合物ばっかだけど。


 理子ちゃんが店の奥に消えてから、早速ハムエッグをアチコチから5枚ほど撮影した。

 いつか理子ちゃんの写真が撮れるまでは、このハムエッグ待ち受けにしよ。


●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 そんな幸せな気分で迎えた日曜日。

 今日も今日とて、理子ちゃんのお店に行きたかったのだが、幼なじみで担当の作家でもある前川香苗まえかわかなえとアウトレットモールに出かけたので、見送りとなった。

 とほ……


 そのため、夕食とその後の飲みの後に解散した私は、その足で「カンカン・グローニュ」に向かった。

 せめて、お店を一目見て帰ろ。

 明日からまた5日間はお預けなんだからね……


 そう思うとテンションダダ下がり……ああ、虚無。


 そんな重い気持ちを抱えてお店に着いた私は、思わず目を見開いた。

 あれ?

 お店の入り口の階段……あそこに座ってるのって……


 Tシャツとジーンズと言うラフな格好ではあったけど、一目で分かった。

 そう、理子ちゃんだ。

 

 テンションの上がった私は駆け寄ろうとしたが、すぐに足を止めた。

 

 ……泣いてる?


 理子ちゃんは夜空を見上げていたけど、しきりに目をこすり顔を両手で覆っている。

 どうしようかとしばらくオロオロしていたけど、彼女の様子が何というか……あまりに……まるで世界で独りぼっちになっているような気がした。


「あの……」


 私はおずおずと近づくと声をかけた。

 すると理子ちゃんはビクッと身体を震わせると、顔を上げて私を見た。


「あ……」


 理子ちゃんは気まずそうな表情になると、また顔を伏せた。

 私はその姿を見ていると、なぜだか自分の子供の頃を思い出した。

 児童養護施設に居た頃の自分。

 香苗と肩寄せ合ってた頃の自分……

 気がつくと私は言葉をかけていた。


「何かありました?」


 すると、理子ちゃんは私の顔をじっと見て……ポツリと言った。


「お姉ちゃんが……出て行ったんです」


「え……」


 お姉さんって……ここの店主? え? でもなんで?


「出て行ったって……」


「だから……一人になっちゃった」


「そんなのって……そんな」


 混乱する頭でやっとそれだけ絞り出した。


「すいません、お見苦しい所を。でも、今は業務時間外。多少の無礼はお許し頂ければ……」


「そ、そんな! そんなのどうでもいいです! だって……大変な事じゃ無いですか。酷すぎます」


「私が悪いのです」


「いいえ! あなたは悪くないです。事情は分からないけど、でもどんな理由があったって、身内を平気で捨てていいはず無い!」


「そう……思われますか?」


「もちろんです! 何があっても家族は絶対家族で居ないと行けないです!」


 そう……家族は家族を見捨てちゃ行けないんだ。

 私の親のように。


 私は話している内、自分の事を思いだして涙が出そうになった。

 だめだめ、今は理子ちゃんに……

 

 理子ちゃんはそんな私をじっと見ていたが、やがて何かを決心したような表情で言った。


「お客様、無茶は承知で言います。驚かずに……ああ、それは無理ですね」


「え? だ、大丈夫! 私に出来ることなら何でも」


 その途端、理子ちゃんの瞳がキラリと輝いたように感じた。


「それ……信じてもよろしいですか?」


「も、もちろんです! この仰木早耶香、女子に二言はありません!」


「じゃあ、私と雇用関係を結んで下さい」


「……はへ?」


「私がお客様を雇います。姉としての業務を行って頂くために。お客様は正当な報酬にて、私のお姉ちゃんになって頂きます」

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