【単発】夕暮れのバス停

ゆうすけ

冷たい風。

冷たい風が頬を撫でる。秋も深まり、木々の葉が赤や黄色に染まり始めた。バス停のベンチに座る亮太は、首をすくめてコートの襟を立てた。寒さがますます強まり、周囲は静寂に包まれている。日はすでに沈みかけ、空はオレンジから紫へと色を変えつつあった。


亮太がこのバス停に来るのは、今日で三日目だ。特に予定があるわけでもない。ただ、ここに来て、何も考えずに夕暮れを見つめるのが彼の日課となっていた。最近、仕事が忙しすぎて、時間が空くと気が抜けてしまうような感覚があった。だからこそ、こうして無為に過ごす時間が心地よかった。


「また、同じ時間か…」


亮太はつぶやきながら、スマートフォンを取り出して時間を確認した。夕方の5時30分。ちょうど、バスが来る時間だ。しかし、亮太はそのバスに乗るつもりはない。なぜなら、彼が待っているのは「バス」ではなく、「人」だからだ。


千夏——彼女の名前が頭に浮かぶ。二週間前、亮太はこのバス停で彼女に出会った。偶然にも同じ時間にここでバスを待つ千夏と何度か顔を合わせた。最初は、ただのすれ違いだった。しかし、ある日、彼女が小さな落とし物をして、それを亮太が拾ったことから会話が始まった。


「ありがとうございます!ちょっとした思い出の品で…助かりました。」


そう言って、彼女はにっこり笑った。亮太はその笑顔に一瞬、心を奪われた。彼女の明るさと温かさが、何か特別なものに思えたのだ。それから数日後、彼らは偶然再びバス停で会い、軽い挨拶を交わすようになった。


その後、千夏とは何度か話す機会が増え、亮太にとって彼女との会話は楽しみの一つとなった。仕事で疲れているとき、千夏と話すことで気持ちが和らぐのを感じた。しかし、そんな日々も突然終わった。先週、彼女は急に現れなくなったのだ。


亮太はその理由を知りたかった。なぜ彼女はバス停に来なくなったのか。何かあったのだろうか。それとも、ただタイミングが悪かっただけなのか。彼は答えを求めて、ここに来ているのだ。


遠くからエンジン音が聞こえ、亮太は顔を上げた。バスが近づいてくる。いつもと同じルートを通るバスだ。彼はため息をつき、目の前を通り過ぎるバスを見送った。乗客たちの顔が窓越しに見えたが、千夏の姿はなかった。


「やっぱり、今日もいないか…」


心の中でそうつぶやくと、亮太はもう一度スマートフォンを見つめた。ふと、千夏の連絡先を登録していなかったことを後悔した。彼女がどこに住んでいるのか、何をしているのか、実はほとんど知らないのだ。たった数回の会話で、彼女のことをもっと知りたいと思った自分が不思議だった。


「もしかして、もう二度と会えないのかもしれない…」


そんな不安が彼を包み込む。しかし、同時に「待つ価値がある」と感じていた。何も確信はない。ただ、心のどこかで彼女がまたここに現れることを信じているのだ。


冷たい風が再び吹き抜け、木の葉がカサカサと音を立てる。亮太は立ち上がり、少し体を伸ばした。もうすぐ6時になる。帰ろうかと考えた瞬間、彼の視界の端に小さな影が映った。


そこに、千夏がいた。


彼女は少し息を切らして、走ってきたようだった。彼女の頬は赤く染まり、少し恥ずかしそうな表情を浮かべている。


「遅くなっちゃって、ごめんなさい!」


亮太は驚きと安堵が入り混じった表情で彼女を見た。言葉が出てこないまま、彼はただ彼女を見つめ続けた。


「ずっと来れなくて、仕事が急に忙しくなっちゃって…でも、また会えるかなって思って、今日もここに来たんだ。」


彼女は少し緊張した様子で笑う。その笑顔を見た瞬間、亮太の心に溜まっていた不安が一気に消え去った。


「全然大丈夫だよ。俺も、君が来るんじゃないかって思ってたから。」


千夏は少し驚いたように目を見開き、その後、嬉しそうに笑った。


「そうだったんだ。良かった…」


二人は夕暮れのバス停でしばらく話し続けた。仕事の話や、好きな映画の話、どこに行きたいかなど、取り留めのない会話が続いた。亮太は彼女との時間がとても心地よいと感じた。そして、ふと思った。


「このままずっと、こんな風に話していたい。」


やがて日が沈み、あたりは暗くなってきた。千夏は最後のバスを待つため、亮太と別れる準備をし始めた。


「今日も話せてよかった。じゃあ、またね。」


彼女がバス停に歩き出そうとしたその瞬間、亮太は意を決して声をかけた。


「千夏!」


彼女は振り返り、彼を見つめる。


「今度、ここじゃなくて、一緒にどこか行かないか?」


亮太の声には少しの緊張が含まれていたが、彼の気持ちは明確だった。彼はただ、もう少し彼女と一緒にいたい。それが自然な感情だと感じた。


千夏は一瞬驚いたようだったが、すぐに柔らかい笑顔を見せた。


「うん、行こう!楽しみにしてる。」


その答えを聞いた瞬間、亮太の胸は温かく満たされた。


バスが到着し、千夏はそれに乗り込む。亮太は彼女が乗ったバスが遠ざかるのを見つめながら、自分の中に湧き上がる期待感を抑えられなかった。


「また明日、ここに来よう。」


亮太はそう決めて、もう一度夕暮れの空を見上げた。今日はただの夕暮れではなく、新しい始まりを告げる色に見えた。

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