最悪の巻き戻り



 普段優秀な人間が人としての理性を失えばどうなるのか。

 その答えが目の前に広がっている。


 狂ったアルファ十数人の同士討ち。


 台風の目にいるのは自分。控えめに言って最悪の光景だ。

 普段であれば、制御を失ったアルファたちの威圧にわたしは恐慌に陥っていただろう。けどいまは恐怖に直結する思考がひどく緩慢だ。状況を認めたくなくて。違う。まともな思考ができない。身体は快感だけを拾う。それが辛い。必死になってるのに指一本をのろのろとしか動かせない。なのに感覚だけは過敏で、殴られた瞬間に襲う、生身だという強烈な実感。苦痛すら快感と誤認される慈悲。

 ほんとうに身体の動かし方がわからない。身体に戻るのが久しぶりすぎて忘れてしまった。違った。薬のせいで動けないんだった。なにしろ使ったのは非合法、シロの王室秘伝の強力な薬。常に持ち歩いていたそれを自分の意思で、自分の腿に注射した。それは良い。──どうしてわたしは追体験している?

 死に行く運命をどうにも出来ず、思考だけが空回りする、これは二度目の体験。

 ほんともう、ちょっと待ってよ。

 なんでちょっとだけ巻き戻ってんだよ!? 

 まだ生きてる。生きてるけど、この後すぐ死んだんだよ!?


 すぐにとは言えないか。時間はもっとかかったかもしれない。けどその間ずっと輪姦されてた。そんで衰弱して死んだ。衰弱なのか出血のショック死だったか首絞められての窒息死だったのか、自分でも直接の死因はよくわからない。丁寧に殺されたわけじゃなかったから。過去から引き戻されるにしたって、このシーンって酷くないか?


 ひっでえな。どうやら前触れもなにもなく、わたしの過去への旅は終わってしまったらしい。


 あああもう……約束、破っちゃったよ。戻るって自信満々て告げたのに帰らなかったら嫌な大人だよな。

 それを考えた途端、胸の内を沸き上がる焦燥。

 蒼翔は生き延びたのか?

 不幸な結末を変えてあげたかった。

 あの子供が救われて欲しかった。

 もう、どうにも出来ない。手の出しようがない。あんなんで無事に手紙を届けられたのか、確かめる事は叶わない。せめて、蒼翔が無事に大人になるまでを見届けたかったのに……剛腹かあ。



「この、さくらの大馬鹿野郎!」


 ああ。そうだった。

 聞き慣れた主君の声に思考が現世に引き戻される。

 この慟哭を聞くのも二度目か。前回の時はもっと朦朧としていたけれども、今はまだ思考する余裕はある。救いはないけれど。無慈悲な現実と向き合わなければ。

 シロの国の次代君主であり、わたしの主君。護衛対象。

 そして、臣下に下った後は二度と名も呼びあえなくなったけれど、わたしの実の弟。


 軽蔑の眼差しが怖くて今回もあの子の顔は見られない。どうせ発情の影響で視野が極端に狭まっていて周囲もよく見えない。



 ──ヒトという種を区分けする方法は老若男女、国籍、肌の色と様々あるが、一番シンプルに『格付』をするのなら三つの分類が出来るだろう。即ちアルファ、ベータに、オメガ。

 主流の所謂一般人がベータで、オメガとアルファは珍しい。

 アルファは全体的に能力値が高く、優れた種として憧れの対象だ。対するオメガの特徴は発情──。男でもわざわざ子を宿すという機能がある為にオメガ、特に男性は劣化女性と蔑まれている。最大の忌みポイントは優位種のアルファを強烈に誘引するフェロモンだ。発情時のオメガが放つ、アルファを狙い撃ちする香りにアルファは抗えない。

 どれだけ堅い理性があろうともそれは砕かれ、どれだけ高潔な精神を持っていてもそれは脇に押し遣られ、ひとたび欲情したオメガのフェロモンに晒されてしまえばアルファはオメガに性を注ぎたいだけの腰振る低俗な獣と化す。

 そういう、最悪の種がオメガなのだ。

 でもそんなアルファの弱点が放置されるわけもなく、古くから開発に開発を重ねた抑制剤があるから現在アルファの安全は確保されている。

 で、オメガの護衛である。


 弟がアルファと判明した時点でわたしは弟の護衛に任命された。近い親族でオメガであるわたしにしか出来ない仕事だ。

 近親交配を回避する生物の本能の働きにより、彼はわたしのフェロモンの影響を受けない。

 うちの殿下は若さ故か強引な手法で政策を推し進める事が多く、敵が多い。ただ救いなのは、アルファを暗殺するにはアルファを使わないと不可能だという点だ。

 ベータがアルファに勝てないのは常識。

 だが汚れ仕事でアルファを雇うのは難しい。

 そういうわけで我が主は、自分で自分の身を守れる。

 ぶっちゃけこの任務についてから今まで、危険を感じたことは一度も無かった。西の王の護衛は楽な仕事だと、嫌味を囁かれる程度には。

 追い詰められて形振り構わない相手が現れない限りは。


 ──ざっと確認した刺客数は十人以上。目が合った中のひとりが嬉しそうに笑う。アルファで金にも苦労してない筈なのにこんな底辺の仕事を受けるってのはヤバいんだよな快楽殺人の気がある可能性が高いんだよ。だからその時点で、強制的に発情を促す注射器を使った。


 プライドの高い殿下はアルファの自分がオメガに守られるなんて事実は許せない。わたしが嫌いだから。兄のわたしが臣下に下り護衛に付く事を許しておきながら薬の所持は禁止した時には本末転倒を感じたものだけれど。

 そもそもこれは王から託された物だ。

 隠し持っていて良かった。

 発情で敵のアルファの理性を失わせ、状況を立て直すきっかけをつくる捨て駒。

 それが最弱の護衛騎士のわたしが存在する理由。



 きっと、あの子は嫌悪をもってわたしを見ているだろう。

 反抗期には暴言を吐かれ続けた。

 折角は最近大人になってやっと仕事の時だけは無視されず話してくれるようになったのになあ。……駄目だ。泣けるから考えない。人一倍潔癖なのに、嫌なものを見せて悪かったなあ。トラウマにならなきゃいいけど。

 理性を失ったアルファの中、ひとりだけ正気を保っているのだって拷問だろう。

 エリアに続く隔壁が閉じられ逃げ道を塞がれたのは好都合。狭くなった空間には時間が経つ毎に濃厚な香が満ちていく。敵にも自分にも、八方塞がりだ。

 誰かの手が伸びて来ては、その誰かが他の誰かに殴られる。ほんの少し、触れられただけで漏れる喘ぎ声。また頭を押さえつけられ──その身体が吹っ飛んで別の腕に髪を掴まれ、そいつが刺される。もみくちゃの同士討ち。ぼやけた視界で自分の身体を見下ろせば軍から支給された制服が破られて見る影もない。


 あーあ。


 淫乱だとか陰口言われるのが嫌でずっと着崩した事なんてなかったのに、それが悔しかった──事を思い出す。

 繰り返しの二度目だからなのか、今は、少しだけひとごとに感じるのが救いか? 

「殿下。にげて」

 必死に声の出し方を思い出して、何とかがんばって声を出して、


 なんの返事も無かった。

 ……って、逃げ延びたか。もうここに居ないのか。寂しさと共に思い当たる。だめだな。折角、一度経験しているってのに、こういう同じ思考は繰り返してしまう。もうだいぶ朦朧としてきたみたいだ。


 でもだいじょうぶ。あまり先の心配はしていない。怖いけれど、怖くない。モモに逢えるし。

 次こそ、虹の橋だろうか。


 この後の展開を知っている。同士討ちでバタバタと減っていく敵。これで逃げられるかも、なんてちらりとでも思った自分を嘲りたくなるぐらい、勝ち残った数人はタチが悪かった。

 血を見て興奮したアルファが獲物を逃すわけもなくて、射されて、善がって、挿されて善がって、括られて善がって。


 暗転。


 そのうちに均衡が崩されるだろう。懐のナイフを手で探り当てる。自害の為ではない。生き延びる為でもない。悪あがきはしなければ。少しでも時間を稼がなければ。


 ピー、ガッ。

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