皇子の推理
「はい?」
いまなんて言った?
不可解な台詞に首と身体が斜めに傾いたわたしを腕で支えつつ、ふむ、と皇子は頷く。
「呆けるさくらは可愛いな」
「理解が追いつかないんですけど」
「どうやら俺がやったのは召喚ではなく転移だったらしい。さくらにとってここは異世界ではなく、異国だ。全然気がつかなかったのか?」
「ひでえな。なら失敗したのは皇子じゃん。そんな、わたしが鈍いみたいな言い方──って。えぇ?」 文句を言っているうちに時差で理解が追いついてきた。「いや……いやいやいや、こんな時代遅れの国、わたしの世界にはありませんて。スマホとか知らないでしょう!? 無いじゃないですか」
「ああ。言ったろう? この城では伝統が重んじられているから新しい技術は忌避される。辺境の島国故、他国より遅れている事は否定しないが……城でなければ皆、普通にスマホも持っているぞ」
「えぇえ……?」
「前にさくらが口にした中国も紛らわしかったな。正式な国名は言えるか?」
「国の名ですか? ……中つ国の事なら中央国家群の総称なので国家ではないんですけど」
「ここと同じだ」
「え?」
「勇者の故郷にも中国と呼ばれる地はあるが、そこは国名なんだ。そして彼の祖国は日本という。知らないだろう?」
「日本は……聞いた事はあります」
ふ、と笑う皇子だが、その点には言及せずに台詞を続ける。
「なにより勇者のいた異世界とここが違う点がある。勇者が元いた世界の人の性別にはアルファもオメガも存在しない」
「はあっ!?」 皇子が気圧されたように仰け反る。それだけの大声が出てたらしい。だって吃驚した。「なにそれ羨ましい!」
わたしの反応に皇子は苦笑する。
「さくらはオメガだな?」
「……」
「さくら、教えてくれ」
何も考えたくない。答えたくない。でも腕を取られているから逃げられない。溜息が漏れた。
「わたしは死んで、その性別から開放されたんです」
「うん。ごめん。泣くな」
気付けばモモが側に来ていてしゃがむわたしの横に寝そべっていた。
「泣いてません」
「……どうしてさくらは亡くなったんだ?」
「それ聞きますか。今」
「聞くなら今だ。どうせ今さくらを怒らせている。ならついでにずっと気になってるんだ。少しでもあなたのことが知りたい」
なんでそんなぐいぐい来るんだ。片方の口の端を上げて笑う。
「……オメガの人生なんて聞かずともお察しでしょうに」
「そうなのか? 俺はこの通り、世間知らずで物を知らないから教えてくれ」
「……」
嘘臭い。箱入りの皇子なんだからその言葉は事実なんだろうけれどなぜか嘘臭い。全てを知ってそうな、瞳。
なんなん。
「……十三、四。丁度皇子ぐらいの歳だったかな。その頃に第二の性別がわかってくるじゃないですか。わたしは長男だったんですけどまあ、検査結果が出てオメガと解っては跡取りからは外されますよね。それで弟との関係も悪化しまして」
「弟」
「ちいさい頃はすごく懐いてくれて、何をするにもわたしの後をついてまわって来たぐらいのブラコンだったんですよ。けど、突然跡取りは押しつけられるは、兄の正体が気持ち悪いオメガだったわで少しばかり性格が歪みましたね。弟はアルファで──。……アルファ、だったんです。それが解ったときは正直ほっとしました。これであの子に任せられるから。けど弟は違ってたみたいで」
「……」
気付けば背中をとんとんと叩かれてた。
「……あれ?」
わたしの方が背が高い。小さくふくよかな手がそれより大きな身体を抱きしめるのも不格好で、無理矢理感がすごい。
だから、つい噴き出してしまった。
「笑うなよ」
「いやだってな……まさかちっこいアルファに抱きしめられて安心するとはな」
ツボに入ってくつくつ笑う
沈黙。見れば皇子は不愉快そうに目一杯眉を顰めている。
「アルファに何をされたんだ」
聞かれてもな。
「子供には秘密ですよ」
溜息が長い。何も言わずにいたら再びの沈黙の後、皇子が渋々口を開く。
「気付いてたのか」
「そりゃあね。皇子がわたしをオメガと見抜いたんですから、逆も然りでしょう?」
ぐぐっ。と途方に暮れたように唸る皇子。
「まだ誰にもバレてないんだがな」
「バレると困るんですか? 普通なら国の盟主の世継ぎがベータではなくアルファだったなんて、とても喜ばしいニュースの筈ですけど」
「操れない相手だと見做されるのは不味い」
皇子の返答は短い。
「……ああ」
それでも言いたいことは伝わってきた。
今までの皇子の扱いはベータと思われていたからこそ、なのだ。アルファと判明したなら宰相にしろ黒子にしろ、皇子への態度は変わってくる。
それは良い方向とは限らない。というか、不味い。
宰相はベータだろう。宰相に上り詰める位には有能なんだろうが、アルファを知っている身としてはあれは圧が違う。血統も高くはない。だからこそ皇子を楽な手駒にしようと考えている。無能な相手と信じているからこそ、何をしても放置されるし、ある程度の自由が確保できている。けど皇子がアルファなら──アルファにはベータを統べる力がある。アルファの能力は高い。お飾りが欲しい宰相にとってはとんだ計算違いだ。自分が虐げた自覚がある分、危険と考える。
黒子はもう少し複雑で、あの血統主義共はそもそもが庶子の破滅を願ってる。汚らわしい血が混じっているから。皇子がアルファと判明しても主と認める事はない、気がする。
「何をされるのか予測がつかないじゃないですか」
「一応、殺される心配は無いがな」
どうだか。
「……黒子の陰湿さはなんなんですかね? そもそもベータの世話をアルファなんかが出来るわけがないんですよ。皇子はベータじゃなかったですけど」
「さくら、相当アルファに恨みを持ってるな?」
「恨みだけじゃないです。傲慢なアルファが人の世話をするなんて、向いてないにも程があるんですよ」
「ボロクソだな……俺は
「ガキがナマ言ってんじゃない」
「だからさくらは一体どういう育ちなのだ!?」
「あー。そうですね」 立ち上がると、背中を抱いていた手が解かれて少し残念に感じた。前髪に手を突っ込んで掻き上げる。「跡継ぎから外されて、紆余曲折の後に『西の王』の護衛です」
「はっ!?」
「知ってます? 西洋にあるシロの国。あそこの次期王の通称なんですけど」
「わかるに決まっとるわ! 大国じゃないか」
「シロの次期王は公平で立派な方ですよ。って威張ってもわたし自身に取り柄はないですけどね。強いて言うなら権謀術数には多少の覚えがある位?」
今、はじめて自分が死んでしまった事を後悔している。好きで死んだわけではないけれど。
まだ生きてさえいれば、後ろ盾ぐらいにはなれたかもしれないのに。
「……いやそれより、オメガなのに西の王の護衛だと?」
訝しげにつぶやいている。いらんところに突っ込みを入れてくる皇子だな。
「馬鹿にしないでくださいよ。いくらオメガがベータやアルファに体力的に劣るったってオメガなりの戦い方もあるんですよ」
「でもオメガは守られるべきだ」
まっすぐで真っ当な言葉が眩しくて笑みが漏れる。
「ありがとうございます。わたしの国に連絡を取れないでしょうか。殿下は公平ですから力になってくれる……かもしれません……あちらの騒動がうまく収まっていれば、ですけれど」
「その騒動がさくらが亡くなった原因か?」
「……」
答えずにいたら、
「とりあえず座れ。落ち着かない」 木の板の上に促される。皇子がエンガワと言っていた場所だ。「有り難いが無理だろう」
「なぜ」
「俺が西の王の信用を得られるとは思えない」
バッサリと言うなよ。身も蓋もない。
「あ、次期王の秘密を知ってますよ。わたししか知らない弱みもわかりますから、わたしの知り合いだと伝われば」
「余計駄目であろう。怪しすぎる。さくらだってまるで自信がないって顔をしている。本心では思っているんだろう? 説得は厳しいと」
「うっ」
「それにこの国は鎖国しているから他国との連絡手段は限られている」
「鎖国ってなんですか?」
「殆どの外交を絶っている状態だ」
「なぜ」
「必要が無かったから」
それはあり得ない。国を保ちたいのなら外交は必須だ。
「やっぱりそんな国、心当たりが無いんですけど……そういえばこの国の名前は?」
「ニホン」 皇子が側に来たモモの背をさすりながら言う。「勇者がつけた。彼の帰れぬ祖国と同じ名だ」
◇ ◆◆◆ ◇
……また頭の整理が出来なくなった。
確かにその国の名は聞いたことがあるけれど。
「……わたしの知ってる勇者のおとぎ話が皇子のと同じなら」 確信に触れるのは怖くてつい別の話をしてしまう。「わたしはあの話、好きじゃないです。最後が悲しいじゃないですか」
──救い続ける旅に疲れて、ぼろぼろになった勇者はさいごに世界の果てにたどり着く。
「事実だから仕方ない」
事実……って。
「じゃあもしかしてこの国って、勇者が興した国なんですか?」
わたしの質問に皇子が首を傾げる。
「そう言っているだろう。最初から」
「勘違いしてました。勇者を召喚した方の国だと思ってましたよ。わたしを召喚したんですから」
じゃあ皇子の祖先が異世界人なんだ?
「……彼は故郷に戻りたかったんだろうな。書庫に遺された蔵書は召喚に関するあらゆる研究だ。世界中から資料をかき集めただろう事はわかる。だから俺はさくらを召喚できた」
「あー……それで。てっきり勇者を利用した側だとばかり思ってました。すみません」
「利用か。今は結果的にはそうなっているな」
もどかしげに空を見上げる、その瞳に唐突に腑に落ちる。
ああ。だから皇子の瞳と髪の色は黒なのか。
「子孫と言っても俺にはなんの力もない。子孫であるかどうかさえ怪しい。恩恵は失われてしまった。国に災害が起こるようになったのは俺が皇城に来てからだ」
「神の恩恵ならまだ与えられてるでしょうに」
「さくら?」
「ずいぶん弱くて儚くて消えそうになっているけれど、まだこの国は見捨てられてはいないですよ」
──其処は、神の国。
ある時期に突如出現した孤島──もともと生物の住める土地では無かったのだ。
通常の国の成り立ちは民がいて王が統べる。
けれどこの国は逆だ。世界の果て。
ひとりきりの王がいて、そこに人が、民が集まった。結局『彼』は孤独に暮らすなんて出来なかったし、慕う者は多かったし、そうして国が出来た。
「皇帝は『勇者』の正統な末裔なんですよね」 ──出来るだけ血を濃く、血統を絶やさぬように。神から戴いた恩恵を失ってしまわないように──そうやって、勇者の血は受け継がれてきた。そうして長い年月の内にいつしか在り方が変わってしまった。恩恵は誰にとってのものなのか。血に縛りつけられて。城に閉じ込められて。「……ねえ。恩恵を失ったって言いましたよね。でもまだ皇帝がいらっしゃるじゃないですか。けどなんだろ。この城の中、そういう偉い方がいるって気配がまったくないんですけど」
逡巡するような沈黙の後、口を開く。
「……俺はここに来てから父に会った事がない」
「来てからって。一度も?」 頷く皇子。「え。まさかの十年間の玉座不在? いやその前か……最初に塔が砕けたって時か!」
「公然の秘密という奴だろうな。俺は教えて貰ってはいないが、流石に察する」 父親が生きていない可能性を他人事のように話す。「一般の民衆にはバレてはいないのだろうが」
「はあ……」
つじつまが──合う、か……。
ふと思い出したのは、広く知られているおととぎばなしの一説。
──彼の末裔の側に病は寄らず、乾きは無く、飢えもない。
この国には神の恩恵が存在している。
長いあいだ甘い蜜を貰い続けて人は堕落した。だから恩恵が失われるなど、あってはならない事態だった。
恩恵のお零れを貰う条件が『勇者』の末裔の側にいる事ならば、黒子が『皇子』の側から離れないのにも理屈が通る。
皇帝の落とし胤かどうかもわからない怪しい子供を皇室に迎え入れた理由は、恐らくその時期に皇帝が崩御し、皇城での恩恵が消え去ったから。
皇城での恩恵が消えたのに下街の方は栄えていた──のだとしたら?
恩恵持ちの捜索は難しくはなかっただろう。例えば近年豊作になり、病気の減った地域を捜せば良い。そこには末裔がいる。
貧民街にいたというのに幼少時の生活は豊かだったと言う目の前の子供を見る。
……。
勇者の子孫であることが恩恵を受ける条件だと言うなら皇帝の子供と考えるより、母親の方が勇者の血筋だった可能性もあるんじゃないか? 歴史の中で市井に流れた血筋だってあるだろうし。
「ぐちゃぐちゃと考えているな、さくら」
「……そりゃ考えますよ。君はこの事をどう思ってるんですか?」
「きみと呼ぶな」
「……え。暴言は聞き流すのにキミ呼ばわりは駄目ってどういう基準?」
見れば相手は思いの外むっとしている。
「さくらには認められたい」
認めるとは。
と言うかさ、ぐるぐる考えていたらこの子を皇子と呼ぶのは違う気がして、モヤモヤして、縛り付けて利用してる人たちと同じになった気がして、だからそっと呼び方変えてみたんだけどそこまで食いつかれるのは予想外。
「構いませんけど、わたしは貴方を我が君とか呼べないですよ。わたしが殿下と呼ぶ人間はひとりと決まっているので」
「……あなたの主君。西の王か」 苦々しげに呟く。いや何で対抗意識を燃やすかな。「どう思うか、だったな。俺は生まれてきてはいけなかったと今でも思ってる」
卑屈な台詞も今なら理由がわかるけど。
彼は存在したという、それだけの理由で母の死のきっかけとなったのだから。
その癖、彼の存在を皇室は絶対に認めない。
十年もの空白の玉座が物語っているのはそういうことだ。どこにも行かないよう城に縛り付けながらも、後継者とは認めない。虐げてその破滅を願いながら、離れようとはしない支離滅裂。
「……わたしは蒼翔と出逢えて良かったです。あなたが生まれてきてくれなきゃ困ります」
「……こまる?」 意外な言葉を聞いたように顔をあげる皇子の前に、「わ!?」
犬を抱えてずいと突き出した。
「わたしにとってはこの子と再会できた事が第一なんです。その裏に思惑や陰謀があったとしても全然許せるくらいには嬉しい。ねえ、蒼翔?」
「な」
呆然とする相手に笑う。
「わたしをここに喚んで、引き合わせてくれた蒼翔は恩人です。だから蒼翔の願いは叶えたい。出来るかどうかは別ですけど」
「……羨ましいなモモは」
「なんて?」
ぼそりと小声で呟くから聞こえない。
「なんでもない」
ていうか名前呼びには突っ込んでこないのかよ。
良いのか? まあいいか。
「とにかく、わたしは蒼翔の運命を変えます。変えて見せます。それがわたしをここに呼んだ神の意志でしょうから」
「それ、は。ありがとう?」 相手はあきらかに戸惑ってる。むしろ神とか言ったせいか、引き気味だ。「急にやる気を見せてくれるのは良いが、具体的にどうするんだ?」
「これから考えるんです」
ぷっと噴き出す蒼翔。
死んだわたしはもう自分の過去の運命を変えられない。変えられるのは過去ではなく未来だ。わたしではなく、この世界に生きている蒼翔だ。
わたしはここに来たからモモと逢うことができたし、あのまま消滅してもおかしくなかったわたしを無理矢理引き留めたのは召喚だ。
恩返しがしたい。というのもあるけれど──不幸な結末はもう見たくない。
「……わたしはおとぎ話ならハッピーエンドが好きなんです」
「ならいくらでも教えてやろう」
「人魚姫とかですか?」
「それはお勧めしないぞ」
「ふうん?」
蒼翔はわたしの知らない物話を知っている。
それを聞ける未来はないだろうけれど。
「まず味方が必要ですよ。で味方に引き込むならアーサーが適任だと思うんですよね」
「あ? わからん」
「覚えてませんか? 蒼翔に陳情してきた騎士なんですけど」
「覚えているが、あいつは無理だ。俺は恨まれている。シロの国に協力を求めるのと同じかそれ以上に無謀だろ」
「シロの事は一端忘れてください。考えたらあそこは無理ですね」
「オイ」
「でもアーサーは無理じゃないですよ。恥と面子は捨てて、わたしを相手にする時と同じように腹を割って話せば良いだけじゃないですか」
「監視がある」
「じゃあ黒子がいなければ腹割って話すんですか? そこで眉間に皺を寄せない」
「……あいつは苦手だ」
「はっ。アルファ同士はこれだから」
肩を竦めて嘆いてやるとムッと睨まれた。
「でも我が儘は駄目です。絶対にちゃんと話をするように。約束してください」
「嫌だ」
「駄目」
「……いつになく強引だな。どうしてもか?」
「どうしてもです」
見つめ合い続ける。と相手が折れた。溜息を吐いて、
「わかった」
「ありがとうございます。問題は連絡手段ですよね」
と、唐突にモモが腕と胴の間からずぼっと顔を出した。
「……」
二人で熱心に会話してるから仲間に入りたくなったのだ。
「……モモに手紙でも送ってもらいましょうか?」
「さくら。何を急いでいるんだ?」
思ってもなかった指摘をされた。
「急いでる? わたしが? ……そう、なのかな?」
「いや。なんでもない。もう考えるな」 首を振って何か考えを打ち消すように手を振る。「モモはおつかいが出来るのか。すごいな」
「出来マセンヨ?」
「うん?」
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