寝耳に水



「浮かない顔だな」

 皇子は庭で待っていた。


「……戻ってきた人の顔見て第一声がそれですか? 余計にうんざりするんですけど」

 八つ当たりをしてから後悔した。

 なんかな。なんか、駄目だ。わたしはなんか、皇子の顔を見ると気が緩むらしい。こんなんじゃないのに。普段のわたしはもっと理性的だのに。皇子が悪い──違う。

 絶対に、違う。

 だって皇子は全く、ぜんぜん悪くない。 何で皆して皇子ばかり叩くんだよ……ってなにこの支離滅裂。しゃがみ込んでモモを撫でる。ぐりぐりと手加減なく撫でているってのに、腹を出してだらしない。

 ぐるぐるする。

 ぐるぐるしてるのは胸の内に渦巻く不満だ。

 

「どう迎えて欲しいんだ?」

「え?」

 予想外の台詞にぽかんとしていると皇子は首を傾げて、ふむと頷く。

「では俺の勝手にする。おかえり。さくら」

 犬を撫でている上から頭を撫でられる。

「た、ただいま」

 ぼうっと返事をしてからはっと我に返って赤面する。なぜわたしが照れる羽目に!?

「うん」 と皇子。「嫌なものを見せたな。すまない」

 静かな表情で言う。鏡のような瞳に一瞬、魅入った。

「……謝るなよ。それより、知っているんですか? わたしが見たもの」

 聞くと皇子は肩をすくめる。

「大方予想はつく」


 ……色々と、予想外と言うか。計算違いと言うか。

 このひとは地頭は良いのだ。

 だから孤立無援の中で自分の身を守る為にある程度虚けを演じているのだろうとは思っていたけれど、思っていたけれども!

 今になってじわじわと素を見せられて動揺している。

 そして余計に不思議になる。

「……皇子はどうして勇者召喚なんてやろうと思ったんですか? 理由じゃ無くて、動機の方ですけど」

「動機?」

「どうして民なんか救おうとするんですか?」

 相手は意味がわからないって顔で首を傾げる。

「理由が必要なものか?」

「だってそれ、今の皇子には関わり無い話じゃないですか」

「……」

「幼い頃に貧民街にいたから身近に感じるとか? 今、自分が民にどう扱き下ろれてるかも知らないでしょうに」

 相手に認められないのに守ろうとするなんて、ただの自己満足でしかない。ほんと、おこがましい。──恥ずかしい。


 ──思い出すのは拒絶されておしまいだった、わたしの最期。


 皇子が同じようになるのは嫌だ。

 報われなくて可哀想で見ていられない。

 実際──この皇城で皇子の側にいるエライ方々に飢饉だの病への恐怖や切迫感は皆無だ。いくら貴族といえど、いつ自らに飛び火するかもわからない事態だっていうのに、ここではそれが、まるで遠い国の出来事のよう。

 それが貴族というものだ、と言うならそうかもしれないけれど。

「俺の評判など別に構わないが……でもそうだな。さくらには俺は自分の気持ちを話さなくてはいけないんだな。召喚した責任がある」

「責任。そうですね。責任を果たしてくださいよ」

「なぜ怒る」

「言い方です。突き放した言い方、止めてください」

 くくっ、と笑い出す皇子。なんなん。

「悪かった……いちばんは憧れかな。憧れてた勇者に教えを請いたかった」

「あこがれ?」

 何その子供みたいな理由……いや、子供だったな。

「……母が教えてくれるおとぎ話が好きだった。楽しい物語は好きだ。報われる話には力が貰える。醜いアヒルの子には耐える気力を貰えたし、でも人魚姫のような悲しい話も切なくて美しくて、心に残った」

「不思議なタイトルですね」

「勇者の冒険談にはたくさんの希望をもらった。お話の中の勇者は強くて、正しい。……ここにいると正しさがわからなくなっていくんだ。勇者に、俺はどうしたら良いのか聞きたかった」

「……求めたのは正しさ、ですか?」

 そもそもが勇者が存在していて、国を救ってくれる、なんて考えからして甘えてる。馬鹿げている。けど子供なのだ。子供の考える勇者ってどんなだ? そりゃ答えは単純だ。

 強くて、正しい。

 でも彼が欲していたのは強さじゃない。──正しいことを成せる力が欲しかったから。

「……すごい召喚の理由ですね」

 勇者にしてほしいだなんて。

 妙な行動力に感心してしまう。が、皇子はどんどん浮かない顔になっていく。

「すまん! 駄目だ」

「あ? だめ?」

「今のは駄目だ。白状すると……さくらに格好つけた」

「へ?」

「もっともらしく理由をつけて、自分に言い訳をして、儀式を強行してた本当に本当のところは……ただ、俺は同胞に会いたかっただけなんだと思う」

「……同胞?」

 あ。

 答えはもっと単純なものだ。ちゃんと皇子の気持ちを考えてあげるべきだった。


 孤独なんだ。


 ──そう。

 数だけなら、皇子は身の回りにたくさん人を侍らせている。

 今だって声が届く距離には黒子が控えているだろう。逆に、皇子がひとりきりになる事はない──なれない。

 黒子の本来の役目は監視なんだと思う。根拠はないけど状況がそう語ってる。決して味方ではない相手が四六時中側にいるのはキツい。幼い頃から続いてるのだろうから、皇子にはキツいって自覚すら無いだろうけれど。


 彼の身の回りは彼を利用しようとする人間ばかり。彼の周囲に常に渦巻いているのは悪意だ。


 友人など望むべくもなく──だから気を許せる仲間が欲しい。それは、まっとうな願いだ。

 民を救いたいなんて曖昧な理由よりもわかりやすい。思わず笑みが漏れる。そっちなら、

「じゃあわたしは君の同胞になれました?」

 皇子の反応は微妙だった。困ったように眉を下げる。

「……さくらは同胞というより」

「?」

「たぶん俺の……う、うん……いや希望と推測は別か」

「ごにょごにょとなんです」

「言えぬ」

 なんか言葉を濁された。 

「失礼だな。選り好みかこの野郎」

「や。好みだ! いや違う! そんな、これは邪な意味では、その、こういうのは俺の想定外でだな」

 あわあわと取り繕いはじめる。

「……ふうん。わたしは頼りにならないですか」 卑屈な台詞が口から漏れてしまった後で考える。いや幽霊の身でどうやって役に立つってんだ? 魔物とか倒せないし生身だとしても、「普通に頼りないですね。すみません」

「大丈夫だ。さくらは頼りにしてない」

「……。あ、そうですか」

「うん」

「……」

「……」

 えぇ? この白けた空気をどうしてくれる。

 そうか。わたしは必要ない、と。

 良いんだけどね別に。

 ……結構ショックを受けてる自分にびっくりだ。


「……それにしてもここ、あまり異世界って感じがしなくなってきました」

 話を変えてどうでも良い話をしてやるとあからさまにほっとした顔をする。むぅ。

「この世界は模倣されているからな」

「模倣?」

「召喚した勇者の影響が強く出すぎていて、ここはもう彼の故郷に似せた世界になっているのだと思う」

「だからわたしの世界と似ていると?」

 至る所に残る歪んだ痕跡。

 ひとりの異邦人に書き換えられた世界。それは最早、勇者の残した呪いなのかも。

「ただ、いくら似せて寄せたところで成り立ちからして異なる世界なのだ。違和感がないと言えるほど似ている筈がないんだが……」

「もっと解りやすく」

「同じ名前がついていてもオリジナルとは全く違う。例えばこの世界のカッコウは鳥ではなく四つ足の獣だぞ」

「? カッコウは四つ足でしょう?」

「……は? それはどういう」

 皇子が目を見開いて何事かを言いかけるが、わたしは目に止まったモモに釘付けになった。


「えっちょっとあれ?」 猛烈に地面にじゃついている。というか背中を擦りつけている。「モモ、泥だらけになるよ? え……ちょっと……ちょ 洗うのたいへんなんだけど?」

 ずるずる地面に背中つけたまま移動していく。待って。

「モモはなにをしてるのだ?」

「ああしてどこかに身体を擦りつけている時は匂いを付けてるんですけど……あー上書きしてんのか!」

「匂いをか?」

「さっき、煙草の煙が充満してる部屋に入ったんです。身体にまとわりつく匂いが気になるんですよ」

「煙草」

「うちの犬、煙草嫌いで……犬は大体嫌いですけどね。わたしも嫌いですが。今は匂いがわからないから助かりました」

 モモには悪いけど、あの反応を見るに相当臭かったんだな。

「さくらは煙草嫌いか。……わからない、とは?」

「生身じゃないからでは? わたしとモモで違う点があるのは不思議ですけど。幽霊で良かった」

「……。無神経な事を聞いてすまない」

「嫌だな。困ってませんよ。匂いに関してはむしろ開放感に浸ってるんです。……本当に嬉しい。モモの匂いしかわからないって最高じゃないですか?」

「……さくら、お前」

「お前?」

「口が滑った」

「良いんですよ別に、無理に敬わなくても。皇子の方が偉いんだし、年上の威厳など無いんでしょうし」

「何故拗ねる」

 問いかける視線から目を逸らす。

「……。さくら、あなたに触りたい」

「急にどうした?」

「確かめたい事がある。触れても良いか?」

「断る理由は無い、ですけど」

「やはり怖いのか」

「怖いわけあるか」

 やはり、ってなんだよ。勢いで手を差し出すと両手の二の腕を取られた。太っているけれどひとまわり小さな手のひらは暖かい。なぜ二の腕?

「動けるか?」

「皇子に手を取られているので無理ですね」

 なんなんだ?

「……さくらが俺にだけ触れられるのは、俺と縁が深いからなのだと思う」

「縁?」

「さくらはアルファとオメガを知っているか?」


「……。なんでそんな事を聞くんです」


 今までで見たことのない強ばった表情をした相手を睨みつける。こちらの顔も強ばっていたかもしれないが──それはわたしにとっての地雷だ。

「そうか」

 返事をしなかったのに、皇子は息を吐く。

「さくらは異世界人ではない。俺と同じ世界の人間だな」


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