騎士
尾行するとは言ってみたが、皇子以外には見えないわたしは隠れる必要がないので対象の隣を普通に歩いている。
見上げた横顔は物思いに沈んでた。
歩き方もどこか気落ちした様子。
無言のまま辿り着いたのは騎士の詰め所。
だと思う。
──無骨な建物に、掲げられた紋章の意匠は剣と矛。
彼が扉を開けた途端、聞こえてきた複数の男の笑い声に思わず立ち止まってしまった。その間に尾行対象は中に入ってしまう。
……少し、緊張する。
いちど深呼吸して
視界の白さに面食らった。
騎士団には貴族と平民が混在してるそうだが……絶対ここ、平民専用の詰め所だ。
白の正体は煙だ。
目が慣れてきて、テーブルに積み上がった煙草の吸い殻を横目に考える。
騎士の詰め所……だよなあ? 自信が揺らいでくる。ヤクザの事務所か冒険者ギルドとか言った方がしっくりくる。
で、眼前で繰り広げられてるのが、
「アーサー、てめェ何処行ってた!?」
巨大な光頭男がアーサーの胸ぐらを掴んでがなり立ててるシーンだったから正直びびってる。
他の面子も居るのに我関せずで止める様子もない。むしろ指さして笑ってるのもいるし、五月蠅そうな顔で書類仕事をしている者、無視して筋トレしている者もいるカオス。
「私用だ」
「だぁから! それが! 何処かって聞いてんだよ!」
「俺が休憩時間に何処に行こうがわざわざ話す必要はないだろう」
「……水晶城からクレームが降りて来てんだが? オウジサマが平民の不敬行為に大層御立腹だとよ。陳情に来た騎士を『処分』しろとな」
首を傾げるアーサー。
「知っていて何故聞く?」
前触れもなく光頭がアーサーに殴りかかる。胸ぐらを掴まれて尚もあっさり躱したその、腹を目掛けて間髪容れず放たれた二発目の拳は鞘で受け流した。次に顔面に向けて放たれた大振りのアッパーは、避けずに手のひらで受け止めたからバシンと凄く痛そうな音がした。
「アーサーてめえ、馬鹿正直に陳情に行くとかお前馬鹿か? 馬鹿だろ!?」
「苦情を入れてきたのは皇子本人か?」
激昂する相手にアーサーは普通の調子で聞き返している。
「おうじだあ? んだお前、いつもみたくブタと呼ばねえのかよ」
「……」
気まずそうに光頭から目を逸らすアーサー。
後ろめたいんだ?
……へえ?
「へえ?」 わたしと同じように光頭が反応する。「まさか豚に絆されたんじゃないだろうな」
「そういうわけでは……ないんだが」
語気が弱い。てか剣呑に殴りかかった後に何事もなかったかのように会話を続けるなよ。何で誰も突っ込まないんだ!?
「カイウス、お前攻撃が単調すぎるから避けられるんだ」
いや、筋トレから光頭に突っ込みは入った。
「るせえよ!」 筋トレに怒鳴ってから光頭、腕を組む。「豚皇子が俺達に苦情なんて言う訳ねえだろ。アレはそもそも騎士団の存在すら認識出来てねえ馬鹿だ」
「……いや」
「水晶城からのお達しだよ。届けてきたのは黒子だから誰かわかんね。平民ごときが陳情してきたと癇癪起こした皇子が暴れて手が付けられなくて困ったってさ。皇子はあちらで宥めてなんとか内々に納めるようにするから以後、命を拾ったアーサーは皇城に感謝するようにだと。奴ら、騎士団を敵に回す度胸もない癖に恩着せがましい」
「……また黒子の告げ口ですか」 書類仕事を止めてボソッと呟く眼鏡。「胸くそ悪い話だ」
「……どっちが?」
煙草を銜えて火を付けながら聞き返したアーサーに向け、今度は方々から答えが返った。
「どっちもだろ? 豚も、その召使い共も糞だ」
「あァ? どっちもつーか全部だろ? 召使いも、豚もその飼い主も」
「ちっ……伏魔殿が」
「嫌だよねえ、皇城勤務」 そう肩を竦めたのは少年と呼んでも通るぐらい年若い亜麻色の髪の騎士。ふわふわの癖毛が厳つい騎士の中で浮いてる。「折角の皇都、憧れの水晶城に来て出世したかと思えば押しつけられるのは面倒事ばっか。華やかな式典には貴族騎士様の出番しかないし、平民騎士の皇都勤務が実質、左遷だなんてオレ知らなかったよ」
「……それな。地方に帰りてえ」 と筋トレ。「俺は揉め事の仲裁の為に鍛えてるんじゃねんだよ」
「腕振るう機会があってもオレ、嫌だよ? 民衆の反乱を制圧しろとか命令されんの」
「やめろベディヴィア、笑えん冗談だ」 年若の騎士を諫めた年配の騎士が溜息を吐く。「……昔は平民の皇城勤務も充分花形だったんだがなァ」
「ハハ、今は違うね。バンじいちゃん時は良かったんだ」
「じいちゃん言うな。俺ァまだギリ四十代だ糞ガキ。ガキと言や、宮様のご落胤だってガキが皇城に入ってからこの国はおかしくなったんだよ」
バンの言葉に同じくらいの歳の誰かが続ける。
「十年前だろ。皇国歴六百年。キリが良いから覚えてる」
「その前の年に水晶の塔が崩れたろ? あの一番高くてでかい金色の、最初に砕けた塔」 とベディヴィア。「凶兆の前触れか、って散々言われてたらしいけど、あん時はうちの地方は豊作だったんだよな。三年間ぐらいずっと豊作続きだったんだ。でも六百年になってから急な旱魃で、その翌年は洪水ってコンボ。蓄えのお陰で飢えはしなかったけどさ。以降ずっと、不作続き。結局食い扶持が足りなくなってオレは出稼ぎ。騎士にはなれたけど。それって運が良かったのかなあ? ……国の殺戮兵器にはなりたくないなあ」
すると他の騎士も放っておけなかったようで口々に言う。
「なあ。見つかった当時で皇子サマは三歳だったんだろ。んなのが急に出てくるのはおかしいだろ。なんだって宮様はそんなのを皇室に迎え入れたんだ?」
「確たる証があったんじゃないの」
「いやいや明らかに怪しいだろ。だって豚を連れて来たのは奴だぜ? 今の宰相」
「……嘘くさ」
「だから『皇子は帝ではなく宰相の隠し子』なんて噂が消しても消しても絶えないんだろ」
「全然もみ消せてねえところが笑える」
「あの野心家があんな取り柄も無い醜いガキを推すのは自分の子だからだ、って誰もが思うさ」
「……宮様は俺達からすりゃ神様だ」 そう口を開いたのは年配の騎士バン。「神を騙るなんて不届きな」
「もう宮様も血族が死にすぎておかしくなってんのかもな。お可哀想に」
「嫌だね。ほんと年寄り共は皇族狂いが多くて、っ痛あ」
「口が過ぎる」
バンに拳骨を落とされたベディヴィアが、それでも言い募る。
「若い世代は皇族信仰がないんだよ!? 皇族なんて貴族の親玉だろ。なんにもしてくれないよ」
「俺だって貴族って単語聞いただけで虫唾が走らあな。だが宮様は別だ」
「どうだか」
質問を投げておいてアーサーは口を挟まず、俯いて煙草の煙を吐く。
「お前なに考えてる」
そのアーサーに光頭のカイウスが聞く。
「……一括りにするのは間違いかもしれない」
「あ?」
「皇宮は一枚岩じゃないだろう」
「あのな? おめえはもっと馬鹿にも解りやすく伝える努力をしろよ」
「上流貴族の黒子と、成り上がりの宰相は水と油だ」 甘いマスクに似合わない位に眉間に皺を寄せて煙を吸って、ゆっくりと吐く。「皇子は宰相が連れてきた偽物──それが真実なら、黒子は直ちに皇子を排除していた筈だ。何故黒子は出自の怪しい皇子を放置している?」
「ああ? 考えたこたねえが」 とカイウス。「黒子ってのは宮様の狂信者だろ。宮様の決定には従うだろ」
「難しい話はぜんぜん解らないけどさ。オレにだって解る事はあるよ」 とベディヴィア。「黒子も宰相も皇子サマも、結局あの人タチ、民衆の苦境には興味がないんだ。城に仕えている騎士でもこの理不尽な災害の被害者だって事を知らない。ほとんどの騎士の故郷が困窮している事を知らない。騎士の姉がパンを買う金の為に売られてるって事も知らないし、騎士の親が、子が、流行病で死んだって事も知らない。知っても気にしない」
「あー、な。お貴族サマは皇族の腰巾着してるだけで代々恩恵受けてきてるからな。奴らの危機感は退化してら」
「……こうしてる間に弱い者から死んでいくんだ」
ベディヴィアが手の上でナイフを回しながらつぶやく。
「アーサー」 とカイウス。「お前は平民だがアルファだ。本来ならこんなとこで使い捨ての騎士で終わる人間じゃねえ」
「……何が言いたい?」
「平民出身のアルファってのは貴族から見りゃ馬鹿にする要素しかねえが、平民にとっちゃ同じ目線でいてくれるアルファってのは希望だ。お前がその気になりゃこの都──いや、この国の民衆を纏める事が出来る」
「なにを──」
「なあベディ」 光頭はアーサーの返答を聞くのを避けて、年若い騎士の方にに話かける。「アルファの数十人と、アルファひとりが纏めた民衆と、どっちが強いか知ってるか?」
「何言ってんだよ。考える間も無くアルファが多い方が勝つだろ。ベータがどれだけ集まったって、アルファには絶対に敵わない」
「不正解だな坊や。アルファ同士は仲間割れすんだよ」
「え?」
「纏まらない。あいつら個人主義だからな。アルファが纏めたベータ集団のが強えぞ? うちの団みたいにな」
掛け合いを聞かされる、アーサーの眉間に更に皺が寄っていく。
「……俺に民を煽動しろと言うのか? カイウス、口を閉ざせ。それは俺のした陳情より愚かな行為だ」
「でもアルファって今は貴族にも少ないらしいよね」 畳みかけるようにベディヴィアが笑う。「反逆するならオレ付いてくよ。いつでも付いてく」
「遠足じゃないんだベディ」
「だあってさあ。年寄りはどうよ?」
「年寄り言うな。オラァ宮様以外に従う気なんざねえよ。皇族はずっと、民衆にまで恩恵を分けて下さった慈悲深い方々だ」 その言葉に明からさまにチッ、という顔をしたベディヴィアに、ニタリと笑うバン。「だから偽物に従う義理は無いんだよなあ?」
「……」
「ま、ただの与太話さ。忘れてくれ」 カイウスは話を終わらせるようにひらひらと手を振る。「お上の反逆者になれだなんて本気で薦めはしないから安心しろ。……だが何れ必ず起こる暴動を鎮圧するのは俺たちの仕事だ。視野を広げておけば何か活路を見いだせるかもしれないだろ? 退っ引きならなくなった時には思い出してくれ」
──そんなシリアスな会話の中、わたしはこの部屋から出て行きたくて必死なモモと静かな攻防を繰り返していた。
足に張り付いてわたしの顔を見上げてくるし、集中して騎士の話を聞く態勢になるとタシタシと足と鼻で促してくるし、それでモモに注意を向ければめちゃくちゃ目で訴えかけてくるし、騎士に注意を向ければ身体で人の視界を遮ってくる。
地味に、地味に邪魔をしてくる。
煙草がケムいのはわかるよ!? でもひとりで外に出ていればいいのになんでわたしも一緒に出そうとするかな。寂しいですかそうですか。
煙草の煙に不快感を表しながらも逃げてはいかないから黒子の時と比べると、騎士には怯えてないらしい。騎士の方が厳つくて怖いじゃんよ。もー。
結局モモに負けて、詰め所を出る。
帰り道を機嫌の直った犬とほてほて歩きながら考える。
皇子の自己評価と世間の評価には決定的なズレがある。
皇子は自分に卑しい血が流れているから民から忌み嫌われていると感じてる。
けれど、庶民の信じる真実の方はもっと辛辣だ。
宰相が自らの息子を皇帝の座に就けようとしている──なんて。
……ああ。だからカッコウか。
託卵をする動物の代名詞だ。他人の巣に自分の卵を産み付け、孵った雛を育てさせる寄生の獣。
足取りが重くなって、モモに引っ張られる羽目になった。
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