重なったから
「帰ってきてくれたのか!」
部屋に戻るとぱっと笑顔を見てられて内心仰け反る。
「……ちょっと席を外していただけですよ」
なんなんだ。あまりにもほっとした顔をするから毒気を抜かれた。
「戻ってこないかと思った」
しょんぼりと言われてしまい、
「あー」
首の後ろを掻く。
忘れてたなあ。
そっか。今まで召喚した者たちは皆、いつの間にか消えてしまったんだったか。
「……ところで皇子ってやっぱり脂っこい食べ物が好きなんですか?」
「好きではないな」
「へえ」
机の上の皿からはまだ湯気が立っているが、手が付けられていない。
「何故聞いておいて嫌そうな顔をする」
「別に。普通の顔ですよ」
自分の耳を信じたくない。
あんなにタイミング良く陰口を叩くものか?
普通に仕事しててくれたらわたしも盗み聞きみたいな真似する羽目にもならなかったのに。よっぽど日常的に不満を口にしてるのでない限りは……と。
ここまで考えて嫌な気分になる。あれが日常なのか。
「食事内容は俺が言っても変えられぬ。威厳を保つためには詮無いが、弱ったな。結局、水が用意できていない」
「はあ!?」
ワン、とわたしの声に釣られて犬が吠える。
「す、すまん。水はすぐに用意しないと駄目か!? すぐ死ぬか!? 消えるのか!?」
「威厳つけるために太るって何故です?」
無意識に詰め寄っていたのか、皇子がたじろぐ。
「何故って……君主が貧相では民を不安にさせるだろう。俺には威厳が足りないから黒子も満足に使いこなせない」
「へええ? じゃあ輿で移動するのも威厳のためですか?」
「それもあるが、皇子たるもの軽々しく歩いてはいけないのだ。そうしていれば自ずと威厳も増えていくから一石二鳥だと」
「体重増えても威厳なんざ増えませんよ。馬鹿ですか?」
きゅうう、とわたしの剣幕にびくっとする皇子と犬ふたり。
「え。ごめんモモには怒ってない」
怯えた犬を捕まえて撫で倒す。
強ばりをほぐすように撫でてやると緊張した身体から徐々に力が抜けていき、ぐでんと短い足を伸ばした。
毛並みがふかふか。肉球がみえる。
いやリラックスするの早いな。
皇子がぼやく。
「俺には怒っているのか」
「……」
犬の背中に顔を押しつけて息を吸う。……あ。この世界に来てはじめて感じる匂いかも。
落ち着く。
「なぜ怒る」
「別に、皇子にも怒ってないですよ」
「……別に、俺だって本気で信じているわけじゃない」 ぽつりと呟く。「大人の言うとおりにしていた方が角が立たない」
溜息をつくともぞりと犬が身じろぎをした。
「ねえ皇子。勇者を召喚するよりも良い方法がありますよ。言ったら怒るかもしれませんけど、ひとつ真実を教えましょうか」
「教えてくれ」
「王にとって容姿なんて大して重要じゃないんですよ。確かに支持したくなる外見は武器にはなりますけどね。人は見た目で判断しますから。──それはそうとして、わたしの皇子の第一印象は怠惰な中年です」
「……ちゅぅねん」
「痩せて下さい。多分、皇子の場合はそれで物事は良い方向に進みますから。皇子、元は悪くないですし」 顔を上げず、犬を撫でながら言う。嫌だな。偉そうに、説教なんかできる人間じゃないだろうわたしは。「召喚なんてあやふやなものに縋るより、格好良くなって、圧倒的に強くなって周囲を見返したら良いんです」
「……」
「駄目ですか?」
言わなきゃ良かったかも。
癇癪で怒鳴られるのなんて別に怖くもないが、ただ自分の感情をどうしようも出来ず、怒るしかない皇子が可哀想だ。
「宰相は良い顔をしないだろうな」
「え?」
肩をすくめる皇子。
「彼にとっては俺がまともじゃない方が都合が良いんだ」
どこか諦観したような答えに眉を上げる。
「……凄いですね。こんな環境でそう考えられるなら皇子は頭が良いんですねって照れないで下さいよ」
煽てたわけじゃないのに皇子は顔を赤くする。
「初めて言われた」
再び溜息が漏れる。
「誰に否定されたっていいじゃないですか。相手にしなければ良いんです。だって皇子様は偉いんですよ」
「そう簡単に思い通りに出来るものか」
拗ねたような台詞に笑う。
「そう言わず。がんばってください。誰が否定してもわたしだけは皇子を肯定しますから」
「……。そうか」
皇子に怒っているのかと聞かれたが、確かに怒っている。
この状況を仕組んだ誰かに対して。
一緒にいる時間はほんの少し。それでもわかった。
皇子の周りに味方は一人もいない。
太りすぎの癇癪持ちな世継ぎ──こうなった原因は幼いうちからの徹底した『教育』の結果だ。
──虐待するのではなく、肥え太らせるのはうまいやり方だと思う。
簡単で卑怯だ。
この異世界の事情はまだわからない事が多い。
わからないなら聞けば良いのだろうけど、どこまで踏み込んで良いのかがわからない。
自分自身に地雷が多いから余計考えすぎるんだろうけども。
──カワイソウに。
耳に蘇る嘲りの言葉に口の端が上がる。
だって言うなら、守ってやろうじゃないか。
この子は似てる。
「わかった。痩せよう」
ぐるぐる考えていたら、そんな返事が耳に届いた。
腐った気分で相手を睨め付ける。
「あっさりいいますけど皇子、ダイエットって意思が強くないと無理ですよ」
「やるさ」 予想外にまっすぐに見上げられる。「あなたが言うなら俺は努力する」
「……わたしを信用するんですか?」
「あなたは俺が呼んだ勇者だ。俺が信用しなくてどうする」
「勇者じゃありませんて」
否定したのに、
「関係ない。実際のところ、あなたが神の遣わした勇者じゃなくても俺は構わない」
「はい?」
「俺はあなたが良い。ああ、でもひとつだけ」 皇子は一度口籠もってから、意を決したようにこちらを見る。「あなたの名前を教えてくれないか?」
「……名前?」
皇子は溜息。
「あのなあ……この期に及んで『どうして教える必要があるんだ?』 って不思議そうな顔をするな」
「表情を読まないで下さいよ。モモです」
「それは犬の名だろうが。本当、あなたは秘密主義だな!」
「だって、わたしだって皇子の名前知らないですし」
「俺は隠してない。俺の名など誰も呼ばないし、自分から名乗った事が無いだけだ」
「ああ。この国って世継ぎはもう皇子ひとりきりでしたっけ」
「何処で聞いた」
「ん?」
「俺は教えた覚えがないぞ……まあ、それは良い。あなたはモモの名前すら意図的に言わなかった。あなたは自分の事を聞かれるとすぐにはぐらかす」
「……」
「あなたはそのモモ以外、周りにある全てを警戒しているような気がする。俺とこの世界が信用出来ないのは当然だったから初めは気付かなかったが……なにか、あるのか?」
「なにかって何です?」
「俺が聞いてるんだが……すまん。言いたくないなら強要しない」
「さくらです」
「は?」
「わたしの名前」
「……そうか」 さくら。皇子は噛みしめるようにひとこと呟いて、まっすぐにこちらを見上げる。「俺の名は
「異世界風、ですね?」
「古来からの決まり事に沿って付けられる名だ。名を付けてくれたのはそれを知らなかった母親だが」
また複雑な事情がありそうな。
「今も幼いじゃないですか」 突っ込まずに無難な返事をしたのに何故か嫌そうな顔をされて苦笑する。「おかしいですね。いまさら名乗り合うなんて」
「幼くはない。今年もう十四になる」
「つまりまだ十三なんですね。わたしの方が十も上です」
「ぐ」
くつくつ笑う。
「今はまだわたしの方が年長です。精々敬ってください」
最初は中年と勘違いした。けど不思議と今は目の前の子供が、正しく子供にしか見えない。
本人は大変不満そうだ。むすっとした顔も隠さない。
「くそ……年なんて絶対に追い越せないじゃないか。それより、どうして急に俺への警戒が解けたんだよ?」
「わたしは死んだと言ったでしょう? 幽霊は年を取らないんだから追い越せますよ。 蒼翔は質問が多いですね」
「……死んだなんて言うな。名前を呼ぶのは卑怯だ」
卑怯か?
「皇子は弟と似てるんです」
「弟」
「そこまでぽかんとしますか。わたしにだって兄弟はいますよ」
「……どこが似てるんだ?」
「んー……そうですね。生意気で傲慢で反抗期が長くて」
「性格悪いな」
「ただ皇子と違うのは暗愚を演じていない所です。真面目ですよ」
「あなたは貴族か王族か!?」
「まさか。ただの雇われ人です。ああ。だからこの城の使用人には似たような立場として言いたいことがあるんですよね。あれは仕事に向き合う態度じゃない」
「ちょっちょっと待て。整理させろ。俺が暗愚を演じてるだと? どうしてそう思ったんだ」
「皇子って乱心してるように振る舞うけど一応正気じゃないですか」
「本当にあなたは言葉が悪いな」
「生憎、育ちが悪いんですよ」
「一体どんな環境で育ったんだ」
「……」
わたしの無言に皇子は勝手に納得したように頷く。
「しかし、俺と似てる弟か……あなたは姉か」
「おい目ん玉かっぽじってよく見ろ。ボケてんのか?」
ふむ、と片眉を上げる皇子。
「ではあなたは男か」 と言ってにやっと笑う。「……正直なところ、どちらかわからず聞きそびれていた」
「しれっと情報を引き出そうとするなよ油断がならねえな!」
「なんだ。性別ぐらいで大袈裟だな」
「ああ、ああ、ですよね。てかそこからかよ」
「普段の言葉使いはもっと悪いんだな。さくらは誰かの臣下で」 くっくと笑う。「我が儘な弟がいて、育ちは悪い」
「なに笑ってんですか」
「すこしだけさくらのことがわかった」
くっそ。
してやったりって顔がむかつく。
「元気そうで良かったです。お尻、少しは回復はしたんですね」
「っは?」
「お尻ですよ。鞭で打たれた場所……って痛みますよね。すみません。気が付かなくて。わたしは鞭って今まで生きてきた中で見たことがなくて」
皇子の顔が瞬時に朱に染まる。
「うるさいな! 気が付いてもそこは見てみないフリするのが大人の対応だろうが! あなたは常識も知らないのか!?」
「知りませんが?」
「な」
わたしの強気に怯む皇子だ。
「この世界の常識なんて知りません。異世界人ですし。自分の身の回りの、手で掴める程度のごく小さな世界の
「わ……わからない」
「そうですか。良いです。とりあえず傷を見せてください」
「い、嫌だ」
「どうして」
「見せてもさくらにはどうせ何も出来ないだろう!?」
「……。せめて医者を呼んで手当を受けて下さい。放置しておけば夜に熱が出るかもしれない」
「必要ない。熱などいつも二、三日もすれば収まる」
「いつも?」
皇子がびくっとする。
「鞭打ちされるのが、日常なんですか?」
「そ、それが躾というものだ」
「皇子に鞭打つのが、躾」
「……必要な事だ。宰相の指摘はいつも当を得ている。俺が道を誤れば民が苦しむ。上に立つ人間は間違えてはならないと。おいまた怒ってるか?」
「だから怒ってませんよ。皇子には」
「それなら良いが」
「あの時、暢気に眺めてただけの自分に腹が立ってるだけなので」
──宰相を胡散臭いと感じていたのに『私は優しい』なんて台詞をまともに聞いてた自分がお目出度い。
自称優しい人間なんて一番信用ならないんだった。
「どうしてあなたが悔やむんだ? あの時さくらは召喚されたばかりで戸惑っていた。俺の事どころではなかっただろ」
「……皇子に慰められたら余計に情けないんですけど」
「さくらがやさぐれてるからだ。良いから涙目になるな。それよりほら、犬に餌をやるんだろう? 結局水が無いが……水か……いっそ召喚するか?」
「……いえ。大丈夫です。そこのミルクをいただきます」
「ミルクでいいのか?」
「はい。お皿に注いでください。モモが飲みやすいように」
「俺がやるのかよ」
文句を言いながらもいそいそと動いてくれる。
皇子が皿にミルクを注いでいると、犬のテンションが上がってきた。
たし、たし、と皇子の足にお手をして急かしてる。
懐いてる……。
「だってわたしはここの物に触れないですし」
「? なんて言った?」
「わたしは幽霊なので物に触れる事が出来ないんです。けどモモは触れるんですよね。皇子の顔だって舐めてたでしょう」
皇子の手が止まる。
「なんだと?」
「なぜでしょうね。わかりません」
「でも俺はさくらに触れる」
「へ?」
「お手しただろう」
「お手? 皇子がわたしに?」
覚えてない。
「はあ……上の空なのは知ってたがな」
と不意に目前に伸びてきた手に血の気が引いた。
耳の奥がキーンとして誰かの声が聞こえる。かつての、誰かの声。
──兄さんなんて死んだほうがいいよ。
──俺に口出しするな! ■■■の分際で。
──この、さくらの大馬鹿野郎!
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