おかげで自由に見学しています



 騎士を見ていたせいで置いてかれてしまったが、輿にはすぐに追いついた。


「皇子皇子、この世界にもカッコウは存在するんですね」

「は? 突然カッコウがどうした」

 わたしの突拍子も無い台詞に面食らいながら皇子はどこかホッとしたように息を吐く。

「?」

 ……ああ、その表情は。理由に思い至って口の端が上がる。騎士とのやり取りをどう突っ込まれるのかビクビクしてたな。

「この世界には至るところに勇者の名残があるのだ」

「……はい?」

 皇子こそ脈絡なく何を言うのか。

「だからな、故郷を懐かしんだ勇者が元の世界のカッコウに似た生物を見てカッコウと名付けたからカッコウははカッコウなのだ」

「……勇者がつけた名前なんですか? カッコウが?」

「うん。普段使う言葉や物の名前にも彼がここに生きた証は残されているんだ。実はそういった単語は黒子やカッコウの他にもっとたくさんある。……ただ言葉というのは日常生活の中で定着していくものだからな。勇者が由来、という事実などは皆はもう、知らないで使っている。面白いとは思わないか? この世界には本来交わる筈がなかった異世界の文化が根付いている。そして、それは今生きてる殆どの人が忘れてしまった真実だ」

「へえ?」

 生き生きした表情が珍しくて相手を見つめる。そこにいるのは第一印象で感じた尊大に構えた太った中年などではなく、憧れの英雄について語る子供だ。

 ああ……そうか。唐突に気が付く。これが素の顔か。

「どこの国にもひとつかふたつは勇者が立ち寄って国を救ったという伝説が残っている。世界中に勇者由来の神殿や社が建てられてるし、世界中の大祭の起源を辿れば大概が窮地を救ってくれた勇者を称えたものだったりする。そして皆、自国の伝承こそが本物だと言い張っている。真実は勇者は地上の瘴気を祓うために各地を訪れたから『縁の土地』も世界の随所にあるというだけの事なんだがな。中には別の人物の伝承も混じってしまっているのだろうが、真偽はどうでも良い。重要なのはそれだけ彼は多くの土地と多くの人を救ったし、この世界に与えた影響力は計り知れないという事実だ」

 ふうん。

「確かに面白いですね。大人が覚えてない真実を子供の皇子が知ってるってところが。妄想ですか?」

「違うわ! 資料を読んだから知ってるんだ」

「皇子が? 意外に読書派なんです?」

「ふっふふ……」 結構酷い言い様をしたのに皇子は不敵に笑っている。輿の上で揺られながらのハイテンション。「言っておくがな、我が国の逸話は勇者が立ち寄ったなんて生温い物ではないぞ。何と言ってもここは勇者が降り立った究極の聖地なのだ! だから勇者神話に関しては他の追随を許さない豊富な蔵書がある」

「究極の聖地、ねぇ? 良いと思いますよ。言うだけならタダですし、誰も不幸にならないし」

「馬鹿にしているな馬鹿だな。どうしてあなたの召喚が成功したと思っている? ここが聖なる地だからだ!」 誇らしげに言ってから苦々しげな表情をする。「……諸外国はそうと認めてくれないが」

「はあ」

「大陸から見れば我が国は最果ての辺境の島国で、異教徒の蛮族だ。資源が無いわけではないし、厳しい暑さもなく、凍てつく冬もない。なのに攻め入って領土にする価値もないなどと馬鹿にされている。けど『救いの地』はここなんだ。単一民族国家でありながら何故王でなく皇帝が御座すか、わかるか? ──この国がかつて世界の中心だったからだ」

「かつて、ねえ」

 話は半分も理解できないが、突っ込んで聞くと長くなりそうなので止めておく。

 この国の言い伝えによれば皇帝とは王を統べる王らしい。けど栄華を誇った時代が本当にあったのかどうか怪しく思える光景が目の前には広がっている。


 召喚された広間から表に出て、輿と犬と散歩しながら眺める宮殿の様子はどこか寂しい。

 そこかしこには片付けそびれたような古い置物が点在し、過去の栄華の痕跡があるとすればその建築物だろうか。

 きらきらと色取り取りの光を反射する水晶の塔達。

 けれどそれが余計に廃墟を彷彿とさせる。見かける人影もまばら。緑が生い茂っていると言えば聞こえが良いが、木はボサボサしていてあまり剪定のハサミが入ってなさそうだ。

 皇子はふと遠い目をする。

「……案外、何処からも相手にもされていない今この国の方が勇者の望みに叶っているのかもしれないがな」

「そういうものですか?」

「そういうものだ」

「……よくわからないです」

「安心しろ。わからないのはあなたが異世界人だからではない」 皮肉に笑う。「現に、宰相などは大陸に取り入ろうと必死だ」



 勇者に関する話題になると途端に饒舌になる癖に、それだけ言って沈黙してしまった相手を横目に考える。

 なるほど。

 この世界について、いくつかわかった事がある。


 ここが過去に勇者召喚をした元凶の国だという事。


 前の勇者が居たのはどうやらすごく昔だという事。

 ──それは今となっては物の名の由来も覚えているひとも少ないぐらいの、遠い過去。


 勇者は実体で、わたしは幽霊。この違いはどうして出来たのだろう。

 短く息を吐く。時代が違う。較しても意味ないか。

 でも、本人の意志を無視して召喚されたって点は同じだろう。そこは確信を持って言える。

 だって召喚なんて捉え方を変えれば誘拐だ。

 しかも世界を巡っての浄化とか。

 随分な重労働を課せられていたんじゃないか。そんな非情な世界を勇者は好きになれたのかな?

 自分が同じ立場なら、祝福よりは呪うけど。


「……ところでわたしの姿って他の人に見えてないんですよね。皇子って独り言をブツブツ呟いている怪しい人に見えませんか?」

「見えるだろうな」

「良いんですか?」

「問題あるか? 俺の奇行など今更だ」

 そんな堂々と。

「……ただの開き直りじゃないですか」

 あきれるわたしに皇子はふん、と鼻を鳴らす。まるで気にしていない様だ。


 わかるけどさあ。

 そもそもが、輿では人とすれ違うということがない。

 鈴の音を聞けば誰も皇子の近くに来ないから。


 輿の姿が見えたら誰もが地べたに膝を突いて額ずき、皇子が通り過ぎるのを待つ。貴族も使用人も、城を守るべき衛兵までもが平等に平伏する。

 黒子も顔が見えないし、誰もが頭を深く垂れ、顔を見せない。


 きっと、のっぺらぼうが混じっていてもわからないだろう。

 きっと、嘲笑っていてもわからないだろう。



 とても薄気味の悪い光景に思えた。



   ◇ ◆◆◆ ◇



 遅々とした歩みでも、どうやら目的地に辿り着いたらしい。黒子が皇子を載せた輿を厳かに降ろしている。


 宮殿でも離れの一角。ここは建物の密度が少なく、木々の緑が多い。それだけに鳥の囀りが騒がしい。

 というか近かった。

 絶対に普通に歩いた方が早かったと思う。

 それでも時間がかかったのは歩く三倍の時間をかけて輿が進み足止めも食らったからだ。乗り心地も悪そうなあの輿の存在意義がわからない。

 アーサーの指摘は正しい。歩けや。


 皇子に続いて木造のこぢんまりした建物に足を踏み入れて首を傾げる。先程の召喚の間や水晶の塔とは打って変わってシンプルな内装。

 ……この貧相な小屋に用があるのか?

「使用人用の宿舎ですか?」

 にしては物が少ない。目立った家具はベッドとテーブルぐらいしかない。

「俺の自室だ」

「へえ。皇子様は地味な部屋も持ってるんですね」

「自室はここだけだが?」

「は? 何でです」

「何でもなにも、召喚の広間では落ち着いて食事も出来ないだろうが」

「そうじゃなくて……え。皇子ここで食事もするんですか?」

「あなたは豪奢な客間の方が良かったか」

「嫌ですよ。豪奢ってさっきの広間みたいのでしょう? 建物は兎も角、内装酷いじゃないですか。胸焼けがする」

「同感だ」

「同感って……誰の趣味ですかあれ」

「大体は宰相だな」

「やっぱり……じゃなくて、なんだって皇子がこんな窮屈なところを自室に」

「狭い方が落ち着く」

「同感ですけど……いや! にしたってここ何もなさすぎて何も出来ないじゃないですか」

「元より城の生活とは不便なものだ。全ての行動に黒子を使わねば立ち行かぬようになっているのだ。物などあってもなくても同じだ」

 聞き捨てならない台詞に口を挟む。

「城の方が不便っておかしいでしょ。庶民より贅沢で便利な生活してるじゃないですか」

「贅沢は否定しないが、便利ではないな。此処にはとかく古いしきたりが根強く残っている。格式を重んずるが故に、新しい技術は拒絶され、最新の設備の導入などは許されない。結果、何をするにも人の手が必要となる。全てが時代遅れなのだ」

「……皇子のイメージが壊れていくなあ」

「俺のイメージ? どんなだよ」

「とても不敬で口には出せません」

「その時点で既に口に出してるような物だろうが。はっきり言えよ」

「えー……室内なのに滝が流れていたりギラギラで品のない宝石やら光る像が飾ってある部屋で、道化師みたいな室内着で寛いでいるのかと?」

 皇子は顔を顰める。

「中々ひどいな」

「第一印象はそんなでしたよ」

「……それは良いな」 貶したのに皇子はふっと笑う。「だがそんなもの自室では見たくもない」

「自室以外に溢れてますもんねえ」

 皇子を見下ろしながら言う。

 彼の衣服にはいくつもの重そうなぎょくがぶら下がっている。ごわごわした生地は着心地が悪く、派手なだけで実用的でもない。

 つまりその服装もこの子の趣味ではないと。


 でも、それは余計に悪い。

 どうして皇子がこんなものを着せられているんだか。


「何だその顔は。文句でもあるのか?」

「文句しかありませんね。流石に殺風景でしょここ。皇子ならせめてベッドぐらいは天蓋付きでいて欲しかったです。趣味の物とか置かないんですか? あ、勇者の功績を偉そうに語っていた癖に蔵書らしいものは一冊も無いじゃないですか。博識ぶったのは口だけですか。吃驚したじゃないですかもう」

「ちょっと待てはっきり言えと言ったのは俺だが口を挟む間も無くまくし立てるな」

「それは失礼しました」

「全く……」 と溜息。「あなたはどうでも良いことを気にする。そもそも書物は国の物で俺の所有物では無い。保存状態を良好に保つ為に資料室に置くのが最適なのだ。食事の油が飛んで書物が汚れたらどうする」

「……皇子に正論言われた」

「だからあなたは俺をなんだと思っているのだ」

「わたしは悪くないです。横暴な暴君のイメージから逸れた言動をする皇子がいけないんです。やめてください混乱するじゃないですか」

「うるさいな」

 我ながら支離滅裂だ。だって本当に動揺している。

 けど突っ込みはなくて、流石に呆れられたのかなと見れば皇子はベッドにうつぶせに突っ伏していた。

「皇子?」

「待て……水と肉は、少し待て」

「……それは全然、構いませんが」

 そういえば犬の水と餌を貰いに来たんだ。

 勿論忘れてたわけじゃ、ない。けれど。

「まさかあの輿の移動で疲れたんですか? ひ弱ですね。皇子と違ってこっちは歩きだったんですけど? って別に、一緒に歩きたかったってわけじゃないんですけど」


 返事が無い。


 ちなみに犬の方はちょっとした散歩をした気分でご機嫌だ。

 今もふんふんと部屋の中を探索しつつ、辺りの匂いを嗅ぎまくっている。わたしはそんな犬をぼーっと眺める。愛らしい。

 この離れは匂くない。でも犬は鼻が敏感なのだ。

 そういえばいつも、わたしの不調に一番に気付いてくれたのはこの子だった。

 良かった。ただでさえ目にうるさい城なのにキツい香とか焚かれて匂いもうるさかったら耐えられなかったし。 

 ……。

 本当、良かった。


「あー駄目だ!」

 がしがしと頭を掻く。

 別の事を考えて気を逸らしてみたけれど、どうしても無視できない。ベッドの上が動かない。

 不安が胸に広がってくる。胸って何だよ。おかしいよな。

 わたしは幽霊なんだから。

 肉体なんてもう無いし、いらない。

 身体に振り回されて情緒不安的になるのはもう、嫌だ。

 誰かを心配して振り回されるのも、うんざりだ。

 ──大丈夫だ。

 ちゃんと動いてるし。息はしている。

 でもそれは見てわかるくらいに呼吸が荒いって事で。

 そっと寝ている皇子に近付く。

 うつ伏せで顔だけ横を向けた不自然な体勢。……ホント、心配する必要なんて無いんだよな。額に汗をかいているのは太っていて暑いからだろうし。


「ってモモ待て待て。落ちてる顔を舐めるなストップ!」

「……う……ん?」

「んな粉だらけの顔を舐めてどうすんだお前、白粉の匂いなんか嫌いな癖に……あれ。そういえばモモは触れるのか……って、皇子?」

 疑問を持ちかけた思考が霧散していく。犬を自分に引き寄せて、皇子の顔を覗き込む。

 なんで暴言に反応が無いんだよ。

 ……息苦しそうなのは本当に体型のせいなのか?

 ……顔がやけに青白いのは本当に厚化粧のせいだけか?


「……ねえ、皇子?」

 呼びかけに、眠りから引き戻されたのか皇子ははっとしたように身体を起こす。

「おい水を持て! 味のついていない鶏肉もだ」

 急に大声を出す。元気か。

 ほっと安心して、そのあと心配した自分に腹が立つ。

「……せわしないですね。わたしは別に急かしてないですよ」

 具合が悪いなら寝ていれば良いのに、と素直に言えない自分にも腹が立つ。


 苛立ちを犬を撫でて紛らわせていると、黒子が水差しを皇子に差し出した。

 ……いつの間に沸いて出た。

 この連中、名称に反して全然隠れてないけど仕事は速いんだよな。 


 などと感心したのはそこまでだった。


 億劫そうに起き上がって、コップに注がれた液体をひとくち口に含んだ皇子が怒鳴る。

「果実水が欲しいんじゃない! ただの水だと言っただろ!」 すると無言で水差しとコップが取り下げられる。新たに差し出された水差しを一瞥しただけで皇子が怒鳴る。「味のない水だって言ってるんだ! 砂糖を入れるなって聞こえないのか!?」

 顔を赤くして立ち上がり駄々っ子のように腕を振り回す皇子。

 ……?

 こちらが首を傾げて考えてる間にすぐ新しい水差しが運ばれてきた。

「だ、か、ら! 砂糖が駄目だからって蜂蜜入れるって馬鹿か!?」

 その次は生クリームに蜂蜜がたっぷりかけられたパフェが出て来た。

 ……ええ? それは砂糖と蜂蜜のダブルがけでは。異世界にもパフェがあるのかという衝撃と、最早飲み物ですらないという衝撃で訳がわからない。

「そっちの鶏も! 味をつけるなと言ったはずだ!」


 まるで出来の悪い喜劇を見せられているようだ。

 黒子が壊れた。次々と高カロリーな料理を運んでくる。


 最初の鶏肉はたっぷりと濃い色のソースがかかっていて、いかにも味が濃そうだった。

 即座に却下されて次に届いたものは下味をしっかりつけてカリっと揚げられた色濃い唐揚げ。山盛りのフライドポテトが添えられている。ほかほかの湯気が実に美味そうだけど、それじゃあない。

 皇子がどう止めようが喚こうが、次々と『それじゃない』料理がやってくる。

 広いテーブルがみっちりと埋めつくされてから、ようやく運ばれる皿が止まった。

 見てるだけで胸焼けしそうな量を前に皇子は長々と溜息を吐く。

「……」

「……」

 かけるべき言葉が見つからない。

 気まずい沈黙を破って皇子が聞く。

「モモはなぜあなたの後ろに隠れてるのだ?」


 あきらかに話を逸らしてるよな。


「どうして皇子がモモの名前を知ってるんです?」

「あなたがそう呼んでいただろう。そもそも、俺はあなたの名前も教えて貰ってないんだが」

「モモはわたし以外の他人が嫌いなので黒子が怖いんですよ。臆病のビビりって可愛いですよね」

 間。

 何か言いたげな顔で睨まれるけど無視した。

 また沈黙に耐えられなくなったのは皇子の方で、溜息を吐いてから口を開く。

「……モモは輿と一緒に歩いていたではないか」

「散歩の時は平気なんです。でも密閉空間で他人が近いのは苦手なんですよね。おかげで良い不審者避けになってくれましたよ。躾けてないのに賢いんです」

 そのモモだが、黒子の数が減ったのでちょっと余裕が出て来た。後ろに隠れながらも食べ物は気になるらしく、ヒクヒクと鼻を鳴らして匂いを堪能している。

 ……あれ?

 室内をクンクン嗅いでみた。

「どうして不審者が……ってあなたは何をしているのだ」

 皇子は思い切り不審そうな顔。

「犬の真似をしてるんですが?」

「……」


 目の端には最後の黒子が退出していく姿が見える。

「あ、おい」

 思い立って、後ろをついていってみた。

 犬もトコトコついてくる。


 戸惑う皇子は置き去りに。



   ◇ ◆◆◆ ◇



「くふっ」


 建物から一歩出た途端、誰かが噴き出した。

 ここには黒子しかいない。


「ぷっく、見たかよあの間抜け面」

 応えるように、くすくす笑いが湧き上がる。

「でぶ皇子」

 くすくす。くすくす。

「豚、今日も飽きずにブヒブヒ喚いてたな」

「誰も言うこと聞いてくれないよ。かーわいそーに」

「今日はいつもより独り言多くて気持ち悪かったな。餌やりも大変。うんざりするよ」

 忍び笑いの出所は一人、二人ではない。

 複数の、布越しのくぐもった嘲笑は風の囁きのように密やか。


「お前達、馬鹿な話をするものではない」

 年配らしきひとりが苛立たしげに手を振り、笑っている仲間をたしなめた。

「我らは本来高貴な方方に仕える為に此処にいるのだ。各々その為に犠牲にしてきた物も多い。可哀想なのは穢れた血の世話をさせられる我らの方だ。御隠れになられた皇家の方々の無念を思えばこそ、笑うなぞ出来ぬ」

「そうですね……失礼致しました。でも悪いのは豚です」

「あんな不細工を晒してよくも生きていられるよ。私達の方が血統も性別も能力も数倍優れているのにこっちが顔も姿も隠さなくてはいけないなんてな」

「数倍? 千倍の間違いだろうに」

 また忍び笑い。

「本当に理不尽。ベータの癖して」

 潮が引くように笑いが収まり、重ねて誰かが吐き捨てる。

「皇族騙りが」

「……ねえ。私の主君になる筈だった方は生まれる前に亡くなってしまった。何人もよ? 豚だけが生き残ってるなんておかしいでしょう」

「あはは。全部あいつが殺したんじゃないかな」

「君、出鱈目はよせよ。流石に豚も自分が生まれる前には殺せない」

「関係ないよ。存在が許せないんだよ豚の。早く死ねば良いのに」

「滅茶苦茶だな」

「焦るな焦るな。アレが行く行く自滅するのは解っている。見せ物と思えばここは、特等席さ」

「当然だ。ベータの、しかも穢れた血が王冠を戴くなど……させるものか。あってはならぬ」

「いつ破滅するんです? そう言われ続けてどれだけ経ったか。まるで進展が無いじゃない」

「焦れるなら君が直接ヤレば良いじゃないか。きっと豚なら毒も残さず食うさ」

「嫌だわ。アルファが毒なんて姑息な手段。そんなゲスな発想が出てくるなんてあなたベータにでも落ちたの? 人間が豚みたいな卑怯な真似を出来るわけがないじゃない」

「偉そうに。保身の癖に」

「なんですって?」

「まあまあ。その点、僕は偉かったな。信徒の前で良い感じに殴られてふっと飛んでやったんだから。あれでまた豚の悪評を稼いだ」

「貴方は側仕えを辞めたかっただけでしょうに。……さっきまでの侍従が黒子になって側にいたって気がつきゃしないのは傑作だけど」

「誰かあの騎士を焚き付けてきなよ」

「とうにやってる。涙ながらに訴えてやったさ騎士団に。だから直談判に来たんだろ?」

「あの騎士は駄目だな。豚を諭そうだなんて生温い」

「豚には言葉が通じぬと知らぬようだ。いつ腰の逸物を抜いて料理してくれるかと楽しみに待っていたのに」

 くすくす。

 またさざ波のように笑いが広がる。

「腰抜け」

「逸物も抜けない、腰抜けだ」

「無駄口も大概にしないか。暇つぶし程度は構わぬが、呉々も妙な気は起こすなおまえ達。金水晶の塔が砕け散った時の事を忘れたか」

「忘れませんよ皇国歴五九九年」

「もう十一年前だな。だが九年前にもあの塔はひとつ砕けたろ」

「黒水晶の塔ね。粉々だったね」

「アレは迷信では片付けられぬ。凶時の再来は許さぬ」

「はいはい。妙な気なんて起こしませんよ。面倒ですから」

「全く……」


 不意に会話が止まる。建物の出口に溜まっていた黒子達はこの場に残る者、撤収する者、二手に分かれるらしい。


 いまだ話を続けている半分の足音は遠ざかっていくが、追いかけて続きを聞く気にはなれなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る