わたしは幽霊



「……幽霊?」

「はい」

 皇子が理解できないって顔をしている。

「どうしてそうなる。あなたは生きてるじゃないか」

「でも残念ながらわたしには自分が死んだという記憶があるんですよね」

「飄々と言うなよ! 死んだなんて、そんな記憶あっても確かなものか。夢でも見ていたんじゃないか?」

「夢を疑うならわたしとしては今の方が夢じゃないかと思っていますよ? だってわたしはこの犬が亡くなった時の事も覚えています。わたしがちゃんと看取りました。火葬もした」

「まさか」

「この子が死んだのは確かなんです。この子がいるんですから私だって同じ幽霊でしょうね」

 丁寧に説明したけれど、皇子はもう聞いていないようだ。

「……まさか、今まで俺が召喚したのも死者だったのか?」

「ああなるほど、同じかもしれないですね。皇子は幽霊が見える方なんですか」

 皇子はがくりと項垂れる。

「……折角ちゃんと喋って会話が出来る人間が来たのに、はじめてなのに……幽霊だと?」

「大変そうですね」

「他人事か!?」

「他人事ですよ」

「ぐっ」

 まあ、皇子が悄気返る気持ちは少しわかる。

 他人事なりに。

 召喚した勇者候補の前で折檻されるのは精神的ダメージも大きいだろうに、今まで自分が召喚したのは勇者じゃなく幽霊だったという追い打ちだ。

 侍従を傷つけた罰だっていうなら無理矢理だけど自業自得と言えるかな? だけどあれ宰相の私怨だろうしなあ。


 手慰みに犬の背を撫でていると、毛並みが柔らかくなってる事に気が付いた。

 あれだけ緊張してたのに、いつの間にかリラックスしてる。

 宰相が出て行ったから? 皇子は良いのかよ。

 しっぽを振って、わたしを見上げてる。ご機嫌。

 ……不思議だ。

 毛並みに艶があるし、目にも力がある。幽霊のイメージからはほど遠い。

 こうして落ち着いて目の前にして、ようやく実感する。

 若返ってる。



「でも、でも数知れず召喚した中で、あなただけは俺を見てくれた。なら……間違えにしなきゃいいんだ」

 どこか狼狽えたような皇子の声。わたしも動揺している。

 だって、もう走ることも出来なかった。

 歩くのもやっとで、よろよろしてたのに。

「どうして?」

 耳もとっくに聞こえていなかった。あ──もしかして。

「わからない」

 と皇子。

「お手」

 とわたし。

 てし。と犬は嬉しそうにわたしの手を足を乗せてくる。

「わあ」

 自分で要求しておいて吃驚する。じわりと胸に広がるこの気持ち。幽霊でも感動するのか。

 ──聞こえてるんだ。

「凄い。お手が出来ましたよ皇子お手!」

「っは?」

 わたしの手のひらの上にふくよかな手が重なった。握りしめる。

「気が向いた時にしか言うことを聞かないこの子が、なんと一度でお手をしてくれたんです!」

「そ、そうか」

「ちゃんと聞こえてるよって教えてくれているんですよ。賢い!」

 この感動を動画で撮りたい。懐のポケットからスマホを探すが、持ってなかった。残念。

「いやちょっと落ち着け。もしかしてあなたは俺の話を聞いていないのか?」

「なんのはなしです?」

「だから召喚の話だってば! 過去と同じじゃなくたって、てっ、ひやいいっ」


 皇子のまるい指に犬がフンフンと鼻を寄せている。

 指先にぴとっと鼻が張り付いて、皇子はびっくりして手を引っ込める。


 見つめ合う犬と皇子。

 皇子は摺り足でずっ、ずすっ、と犬から離れてわたしの後ろに隠れる。

「ああそうか。皇子さまは犬が怖いんでしたね」

「怖い、わけでは、ない。見るのが初めてなだけだ」

「はじめて? この世界にこういう動物は存在しないんですか?」

「ここにはいない。動物なぞ菌の塊だろう。皇族が住まう城に有害な物の持ち込みは、許可されていない」

「……色々と言いたいことはありますが、わかりました。わたしと犬は皇子から離れた方が良いですね」

「いや、良い! 行くな! 俺は構わぬ」

「無理しなくても」

 言ってる途中で急に皇子がしゃがみ込む。

 視線が犬に釘付けだ。

「これは、可愛いのか?」

 くっくと笑い出したわたしに相手が目を見開いた。

「かわいいの概念を人に聞きます?」 子供め。一緒に犬の元に屈み、皇子と目線を合わせる。「外見だけは完璧に可愛いのが自慢です。嫌いな人には噛みつきますけどね」

 犬に伸ばしかけてた手をびくっと引っ込める皇子。

「見た目に反して凶暴だな!」

「勿体ないですよねえ。もっと愛想を振りまけば皆がメロメロになるに違いないんですけど」

「あなたも勿体ないな」

「?」

「ペットは飼い主と似ると聞く」

「よく言われます」

 犬は今度は皇子の足下の匂いを嗅いでいる。

 この犬がこうして無邪気に他人に興味を持つのは珍しい。


 この子にとって、わたし以外の他人は敵だったのに。


「……あなたはすぐに上の空になる。俺の声、聞こえてるんだよな?」

 膝を抱えて拗ねてるみたいな顔。

 うん……やっぱり最初の印象よりも幼い。

 第一印象で中年だと思ったのは黙っておこう。

「聞こえてますよ皇子」

 わたしの返事に皇子は息を吐いて、意を決したように口を開く。


「この国を助けて欲しい。幽霊だろうがこの召喚で喚ばれたからにはあなたは勇者だ」


「勇者って……」 わたしは首を傾げる。「わたしはあなたに外れだと言われた気がするんですけど」

「俺は外れとは言ってない」

「思い出しました。劣化してると言われたんでした」

「違うそんな、意味では、なくて」

「……」

 哀れな子供はわたしと目を合わさずに言う。

「ごめんなさい」

「……謝り慣れてる人の謝罪って軽いんですよね」

「え?」

 皇子が鼻白む。

「だってその謝罪は単なる反射でしょう? 悪いと思ってなくてもその場をやり過ごす為に謝る」

「う」

「要はうちの犬と同じなんですけども。反省なんてフリだけ。犬は可愛げもあるけど人は可愛くないので謝らないで下さい」

 すると犬がきりりと見上げてくる。『ワタシは謝ることはしてませんが?』 とでも言いたげ。いや知ってるから。

 犬の態度に和んだけれど、依然、気分は悪い。


 ──どうして皇子サマが謝り慣れしてんだか。


「ごめ……っ」

 皇子は言いかけてはっとして口を押さえる。

「……」

 ほんと素直だな。

 姿勢を正した皇子がぼそぼそと弁解をはじめる。

「ま、間違えたんだ。でも、あなたは当たりだった」

「当たりって。言い方」

「すまな……っぐ」

 また謝りかけて止めた。溜息が漏れる。

 ……一瞬、可愛いと思ってしまったよ。

「わたしは勇者じゃないです。ご覧の通り、立派な人間じゃないし、獣憑きで、おまけに幽霊です」

 皇子は頷かない。

「……。確かに、昔この世界に召喚された勇者は獣連れじゃなかった。幽霊でもなかった。でも、過去に居なかったから違うなんて考えは俺の浅慮な思い込みだと思う。これからは獣連れで、幽霊の勇者がいるかもしれない」

「ええ……?」

「未来は誰にもわからない。だったら俺は可能性に賭けたいと思う」

「……随分と前向きな考えをお持ちで? どうしてわたしに拘るんですか」

「少なくともあなたは今まで召喚した人間と全然違う」

「どこがです」

「他の人はすぐ消えた」

「消えた?」

 逃げるって意味か?

「何より、あなたとは言葉が通じるんだ。わかるか? これは凄い事だ。やっとだ、やっと神が」

「あァ、そういえば言ってましたよね」 神とかやばい演説が始まりそうだったのでぶった切って問う。「今まで召喚した人とは意思の疎通が出来なかったんですか? それ本当に人ですか? 獣じゃないんですか? 人を獣憑き呼ばわりしておいて」

「根に持つな!? れっきとしたと人間だったからな!?」 言ったあと、小声で付け加える。「……ちょっと、声が聞こえなかったりしただけで」

「どういう意味です?」

「……良い質問だな」 こほん、と咳をひとつ。「そもそも召喚とは世界で唯一、我が国だけが残す古の術だ。秘匿され続けたおかげで手順も誰も覚えていないがな。俺は春宮の奥に埋もれた文献からどうにかここまでこぎ着けた。文献によれば単純に人を顕現させれば成功というわけではない。先があるのだ。界渡りでは光が先に届き、次に音という通常とは逆の手順」

「ちょっと待て待ていきなり深い解説を始めないで下さい。長い上に分かり辛いです」

「だ、だから……相手が口をパクパクしてるのが見えても音が聞こえない、というのはよくあるパターンで、だな」

「召喚の仕組みは知りませんけどそれ普通に失敗ですね」

「うむ。恐らく次元がズレていた。だが此の頃は進歩して十回に一度は声が届く召喚が出来る。だが、言葉の問題だけはどうにも出来ん。だからあなたは別格なのだ」

「はあ……言葉が通じるだけで別格って」

「だけではない。考えてもみろ。異世界からの召喚だぞ? 世界が違うなら言語の成り立ちも全く違う。言葉が通じる方が変だろう」

「……言われてみれば、確かに」

「それはあなたが勇者と同じという証だ。過去の勇者は言葉が通じたのだから──この凄さがわかるか? 俺が思うについに神が力を貸してくれたから」

「つまり、今まで皇子がしてきた召喚は姿のみで完全な召喚は出来なかった。稀に音声付きの召喚が出来るけど、言葉は通じなかった。わたしは言葉が通じるから勇者だ? 少々短絡的では?」

「あなたは性格がキツいな」

「知ってますよ。わたしで何度目の召喚なんです?」

「いちいち数えているわけがなかろう」

「……皇子が何度失敗しても懲りない性格というのは理解しました」

 呆れて貶すと胸を張る。

「うむ。俺が出来るのはこれだけだからな」

「褒めてないです。もっと他にやることがあるでしょうが皇子様なら」

「無いが?」

「……無い?」

「無い」

 沈黙が耳に痛い。フォロー、せめて何か別の話題を、

「えっと。わたしの姿って皇子にしか見えないんでしたよね。もしかして皇子が召喚した他の方々も同じですか?」

 苦々しげな顔して頷く皇子。

「それ、周りの人からは皇子の召喚って全く成功してないように見えますよね」

 目を逸らされた。

「大事の前には周囲の視線など瑣末な事だ」

「なるほど」

 多少の奇行は皇子だから放置されているのか。


 散々嫌味を言っていた宰相を思い出す。ちょび髭正しい。

 コレは子供の遊びにするには危険だ。むしろ見逃すなよ。

 召喚された身として思う。周囲は皇子を侮っているのだろうけれど……実際は召喚は成功している。だっていうのにコントロールが全く出来ていない。鬼か蛇か、何が出るか分からない状態で死人の魂召喚って。

「……皇子」

「なんだ改まって」

「召喚は禁止です。二度としないように。喚ばれたのがわたしと犬程度で良かったんですよ。悪いモノが出たら危ないでしょうが」

「わかった」

 あっさり頷く。

「……やけに素直ですね」

「あなたがいるからもう必要ない」

「……けっ」

「なんだその反応」

「会ったばかりの他人をすぐ信用するのは良くないですよ。騙されます」

 溜息をついて犬の耳元を撫でてやると、犬は堪らなさそうに足をばたつかせる。

「そういうところだ。あなたは口は悪いが善良だな」

 無視した。ガキがほざくな。


「しかし……ここ本当に異世界なのかな?」

 基本に立ち戻って考えてみる。

 正直自分が幽霊って事実より、そっちの方が納得できない。

「信じられないのか。あなたは頭が硬いな」

「ちょっと黙って待ってな。考えて整理するから。言葉が通じるわたしと勇者は同郷で異世界人って事だろ? ……そもそもこんな国、わたしは知らない。西洋風なのか中国風なのかもはっきりしない統一感の無い文化に、宰相はセンスが酷い。あの人の中途半端に周回遅れの現代風装束って国の顔としてどうよ? やっぱり異世界なのかなあ」

「……異世界だと納得する根拠が宰相のセンスなのか?」

 皇子が首をひねっている。ひねるほどの首も無いくせに。

「酷いセンスは皇子も入ってますけど、まあ良いです。お水ください」

「うん。は? みず?」

 急に立ち上がったわたしをぽかんと見上げる。

「うちの犬に水をあげたいんです。出来れば味をつけてない肉もお願いします。この子は鶏肉が好みです。鶏肉、通じます? わかります?」

 トリニク、という単語に先に犬が反応した。

 耳がぴんと立ち、しっぽがぶんぶんと振られる。

「でも幽霊が食事出来るのか? ……いや」 皇子は鷹揚に頷く。「わかった。用意させよう。戻るぞ!」

 なんで急に怒鳴る。

「……ってうわっ!?」

 どこかから、わらわらと湧き出てきた人影に仰け反った。犬も逃げた。

 不審者がいる。

 黒の装束、黒いベールで顔を隠した集団が、屋根のついた神輿を背負ってる。

「え。何ですかこれ。どこから出てきたんですかこの黒子」

「知らぬ」

「知らぬて、怖いじゃないですか何なんです!?」

「何ってあなたも黒子と呼んだではないか」

「あ、え。黒子で通じるのかよ」

「己の存在を殺し、顔を隠し影となり皇族を支える者を黒子と呼ぶ。起源は古く、この世界に降臨した勇者の御言を起源とする」

「はっ?」

 情報量の多さに思考がついていかない。

「由緒正しき職業だぞ」

 と神妙に解説する皇子。

「そ、そう、なんだ。えっ……と。えーと。どの世界でも勇者の伝説って好まれるんですね」

 つい無難な返答をしてしまう。

「そうか。やはりあなたは勇者と同郷の異世界人なのだな。本物の黒子を見たことがあるのだろう」

「いや、わたしだって実物は見たことないですよ」

 黒子のせいで気が散って思考がまとまらない。

 皇子はわたしと話をしている。

 いいのか? 黒子達から見れば皇子が独り言をブツブツ呟いている状態なのでは?

 だが黒子らは皇子を無視して黙々と自らの仕事を遂行する。

 皇子の左右にふたりづつ、その両手の脇と両足の脇の下に手を通し、四人がかりで肥えた身体をかつぎ上げる。

 見る間に皇子は輿の上に乗せられていた。

「……なにをしている。ついてこい」

 声をかけられてはっとする。

 口開けて眺めてたわ。

「なんで輿」

「歩けないからだ」

 短い返答。

 そりゃあそれだけ太っていればな、と納得する脂肪量だけどさ。歩かなければ余計に太るのでは?

 なんて考えてる間に神輿が動き出す。

 犬がおそるおそる戻ってきた。

 黒子には近付きたくないが、わたしから離れるのも怖いのだ。ビビり可愛い。

 犬を連れて一緒に歩く。

 皇子を載せた輿はしゃらんと鈴を鳴らして黒の石の建築物から外へ出て長い回廊を進む。

 そこから見える景気が不思議だった。

 城の敷地の木々の濃い緑の間、奥の山脈を背景にしていくつかの透明な尖塔が見えている。透き通ったピンク色の塔があり、茶色っぽい透明な塔があり。その他にも黄色、紫、様々。

 それぞれすべてが透き通った石で出来ている。

「あれって何ですか?」

「水晶の塔だ。皇帝と、皇族達の居城も彼方にあるから水晶城と呼ばれている。皇城の通称にもなっているな」

「……へえ」

 まんまだなあ。


 しゃらん、しゃらん。


 中庭に面した通路に零れる木漏れ日に空を仰いでみれば、空が高く、抜けるような青空。

 ──ここは元の世界と比べて太陽の光がやわらかく降り注いでいる。

 鈴の音を聞きつけた臣下なのだろう、色とりどりの装束のひとびとが作業の手を止め、大袈裟に道を空け、跪いてぬかずくのが遠くに見える。


「痛い! もっと慎重に運べよ!」

 輿の上の主がずっと喚いているが、黒子は慣れたものなのか頭上の苦情に構わず黙々と任務を遂行している。


 ……わたし、何をやってんだろ。


 輿の横を誰に見咎められることも無く、飼い犬と共に歩きながら遠い目になる。

 お天道さまの下で我に返った。


 そもそもがこの状況、幽霊として正しいのか?

 他の幽霊、知らないけどさあ。

 死後の世界なんて誰も知らないけれどこれは流石に特殊な気がする。


 と──視界に入った異物に首を傾げる。


 すべての人が額ずくものかと思っていたけれど違った。

 輿の進む先にひとりだけ、脇に退かずに不動の男がいる。

 皇子を載せた輿はその佇む男に向かって進んで行く。


 しゃらん、と鈴の音が一際大きく響き渡る。


 輿の歩みは嫌味なぐらい遅い。

 追い越して先に男に近付いてみた。


 まず顔を見る為には顎を持ち上げなければいけなかった。

 背が高い……謎の屈辱感。大丈夫、わたし別に負けてない。

 隙の無い立ち姿からしてただ者じゃ無い事はわかる。

 纏っている硬質な空気は軍人のそれだ。

 帯剣しているし、革製のホルスターから銃らしき物体も覗いている。

 じっくりその姿を眺めて、そして自分が本当に皇子以外に見えてないんだなって痛感した。

 要人の居住区で武器の携帯を許されてる程度には腕が立つのだろうけれど、不躾に近づくわたしにも犬にも注意を向けてこない。顔の前で手を振ってみても全く視線が動かない。


 しかし──あの宰相や皇子やらを見た後ではまともな身なりというだけで立派な人間に見えるな。

 実際、色男だ。

 清廉な美貌とでも言おうか。金髪碧眼な垂れ目、甘いマスクってこういう顔を指すんじゃないかな。知らんけど。

 優しい顔をした方が似合いそうなのに彼は厳しい表情で輿の上を睨んでいる。

 その顔が記憶にひっかかって首を傾げる。……前にどこかで見たような。異世界なのに? 思い出す前に輿が男の目前で止まった。

 輿の進行方向に騎士が立っているからそれ以上進めなくなったのだ。


「聖騎士アーサー、お退きください」


 びっくりした。黒子が喋った。喋れるのか。いや喋るよな。

 ──でもアーサーって。異世界にも同じ名前があるんだな。

 騎士王と聞くとその活躍よりも悲惨な末路の方を思い出してしまうけど。


 輿の上の皇子はただただ億劫そうな表情。騎士と黒子のやりとりには関心が無い様子。騎士のいる方を見ようともしない。

 それでも騎士は綺麗な動作で膝をつき、顔を上げて皇子をしかと見据える。

「奏上仕る。一介の騎士の身分での拝謁の無礼をお許しを。聖上を信仰対象とする我が神国の皇室は特殊です。神国の深奥は閉じた世界である故、風通しが悪く光は鈍り澱みを育む──映し鏡である下界の惨状から拝察するに、其処は澱みを住処とする蟲の巣窟。個々は矮小であろうと見過ごせば蟲はいつか獅子を殺しましょう。黙して見過ごせば後顧の憂いを残す」 淀みなく一気に言い切る。「近く暴動が起きるでしょう」

「……」

 ……え。いま何言ったんだ? ちょっと理解出来ないんだけど、皇子を煽ってるのは雰囲気でわかった。良いのかこれ? 普通、不敬罪で引っ立てられるぞ?

 けれど騎士の発言が止められる事はなかった。反応も無い。全く無い。──誰にも認識されないわたしと違い、彼の姿は皆に見えてるし、声だって届いている筈なのに。

「畏くも皇室におわす方なら御存じであらせられるでしょうが」 それをどう感じたのか皮肉のような前置きをして騎士は淡々と述べる。「現在、市井では十年に及ぶ飢饉に伴う流行病の蔓延、更に相次いだ災害の追い打ちにより、民は日々の生活にも窮しています。民の不満が向かう先は重税を課すばかりの皇室──此度の異常は皇族に咎があるとの風潮が強いのです。聖上が宮中にも御姿を現しにならない事は今や塵石広いの子供ですら知る噂となっております。殿下に至っては異様な儀式を繰り返し、御徒歩で玉歩されることも無くなって久しいと」

「は? 無能が五月蠅いんだよ。民衆が騒ぐなら箝口令でも敷いておけよ」 ここで苛々と口を挟む皇子だ。「暴動の兆しがあるならその火種を消すのが軍人の職務だろうが」

 無視を貫けなかったらしい。

 まあ、子供に煽り耐性は無いわな。

「無駄ですね。皇族が義務を放棄なされば直ちに下界に反映されるが世の仕組み。故に隠しきれない事実となるのです。ですから申し上げる。神の座に最も近い彼の方に進言が出来るのは唯一の血縁であらせられる殿下のみ」

「俺に、俺から父上に意見しろと言うのか? 知るか!」

 唐突に激昂する皇子に、騎士は動じない。

「殿下」 どこまでも冷えた声音で続ける。「ひとつ承ることをお許し下さい。御身にオラクルは降りたのですか?」


 ここに来て異世界の会話がわからん。


「……先に進め」

 しばらく黙ってた皇子が黒子に命じる。えー……?

 ここで再びの無視とか。


 結局、輿は皇子の号令を受けて騎士を避けて進みだした。

 ゆっくりと、鈴を鳴らしながら。


 しゃらん、しゃらん。


 蟻の行列が障害物を避けるように、騎士の存在などはじめから無かったように輿は進む。


 しゃらん、しゃらん。


 その間、わたしは後方に取れ残された騎士をずっと見てた。

 ぎりっと奥歯を噛む音が聞こえるぐらいの憤怒の表情。

「……郭公の豚が」

 ぼそっとつぶやいた。


 こっわ。


 思わず腰が退けて身体が下がったよ! そして犬に躓いたよ。根性で踏むのは留まったけれど迷惑そうな顔された。

ごめんて。

「……まあでも。ここまで聞いておいて無視って、わたしもどうかと思うよアーサー君」 相手の耳に届いてない事は百も承知で頷いて同意してみる。「ただ罵倒したいのはわかるけどカッコウもブタも動物で被ってるよね。何よりその二つを合わせたら結構怖い動物になると思う」

 やはり返事はない。

 ふと思いついて騎士の頬をつついてみた。

 ある程度予想はしていたのに少し驚いて……いや、結構な衝撃にしばらくの間、その場で立ち竦んでしまった。


 指はずぶりと頬の中にめり込んだ。



 ──さわれないのだ。



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