年齢不詳



「おうさま」

「ひっ?」

 ヒステリー男の肩がびくんと上がり、わたしを振り返ると飛び上がった。そこまで吃驚しなくても良いと思うんだけど。話しかけられると微塵も考えてもいなかった辺り、完全に舐められているよな。

 メタボな中年の癖して意外に俊敏な動きだけれども。

 ……?

 自分の思考の何かが引っかかって、でもその理由がわからなくて首を傾げる。

 ヒステリー男は贅肉の中で精一杯目を見開いている。

 太っている上に厚化粧で年齢不詳だが、よく見れば首から覗く肌は厚みがあるのに張りがある。

 ……あれえ?

 もしかして中年じゃ、ない?

 瞳を覗いてみる。髪の色と同じ珍しい色で、光彩が綺麗。白目が白い……しまった二十代か。

 いや下手すると十歳半ばでは?

「な、なんだよ? 俺の事なのか? 王って」

 わたしは胸に手を当てる。

「おうさま。これだけ大勢の中にいてもわかります。あなたからは素晴らしく輝かしい王気を感じます。わたしはあなたが王と確信しています。間違いはないですよね」

 間違えたあ。

 社長サンって雰囲気じゃなかったから王さまって呼んでみたけどガキじゃん。

 呼びかける地位なんざ高く見積もっときゃ間違いない。

 困った時はいちばん地位の高そうな人を持ち上げておけ。

 多少わざとらしかろうが外野に蔑まれようが、そうすればやりたい事は円滑に運ぶ。

 ってのはわたしの処世術だ。


 ……仕方ない。

 中年だと思い込んだのは誤算だが、勢いで押し切ろう。

 ヒステリー男は不審そうに眉を顰めたけれど、口元がぴくぴくと緩みそうになっている。

 あ……この人、褒められ慣れてない。

 歯の浮くような台詞でも頬を赤くして視線を逸らされた。

「俺は王ではない」

「違うのですか。てっきり」


「──ああ。なんという惨い事を」


 新たに広間に響いた声に、ヒステリー男の顔が何故か絶望に歪んだ。


「皇子、貴方はまた無分別な暴力を為さったようですね。近侍を杖で殴ったのですか」

「……宰相、違うこれは、」

「私は悲しいです。皇子が虐げて怯えさせてしまった近侍はもう貴方の傍に置く事が出来ません」 新たな声の主は大袈裟に肩を上下して溜息をつく。「彼は我が国が誇る名家の中でも二十三位の尊い家柄なのですよ。不始末には家格に応じた償いをなさねばなりません。皇族の財源とて無限ではないのですが?」

 芝居がかった仕草の方に目が吸い寄せられてしまったが、人物をよく見て噴き出しそうになった。

 偉そうな口髭を生やしてる。ちょび髭だ。

 髭はわたしの方は視界にも入れず、ヒステリー男こと皇子を冷たく見下ろしている。

「俺は殴って、ない」

「嘘を言わない。それは上に立つべき者の態度ではありません。貴方はどこまで情けない態度を取るつもりなのですか」

「う」

 皇子は蛇に睨まれた蛙状態。

 真夏みたいに汗を流し、顔を赤面させて視線を彷徨わせる相手にちょび髭は目を細める。

「……それに貴方はまたおかしな遊びをしてらっしゃるようですね」


 しかし……皇子か。

 王ではないけど、当たらずとも遠からず。

 つまりさっき吹っ飛んだのが近侍か。

 暴力ねえ……。短気な皇子に高貴な身分の付き人を付ける方が間違いだと思うけど。その近侍を目で探すけれどいつの間にか消えている。

 素早いな?

 頭に疑問符を浮かべている間に皇子がしどろもどろに言い訳を始めた。

「あっ、遊びではない。俺は、かつて国の危機に顕れこの地を救った英雄召喚の再現を成そうと」 

 はあ、とうんざり溜め息をつかれて皇子の言葉が止まる。

「世迷い事を。遊ぶのならば教会に迷惑をかけずにおひとりでなさい」

「け、けど、この方法は枢機卿から許可と協力を取り付けたものだ」

「聖職者にも本来の仕事があるはずですが? いい加減、貴方は国庫の貴重な財源を教会に巻き上げられているだけだとお気付きなさい」

「だが、このままでは我が国は滅びる」

「あちらには私の方から厳重注意をしておきましょう。国の政に教会が口を出す権限など欠片もございません。全く……腐れ坊主共が。古狐だけでも面倒なのに赤の狸も油断がならぬとは」

 ──派閥争いってのは何処にでもあるものだな。

 ここが何処かもわからんのだけど。

「くれぐれも御自嘲下さい。皇子が問題を起こす度に私が呼び出されるのです。私は皇子のように暇ではないのです」

 やり込められてへこんだ皇子はビクビクうろうろと視線を彷徨わせたあげく、こちらに視線を戻して、

「そ、その獣は俺を殺すのか?」

 小声で聞いてきた。

「へ? ……ああ」

 髭に怯えているだけじゃなく、犬も怖かったのか。

 前門の虎、後門の狼というか。

 前門のちょび髭、後門のわんこ。

 あんまり怖くないぞ。

 まあうちの犬、めっちゃ唸ってるけど。

 歯を剥き出した顔は、可愛くはない。

 なだめるように頭を撫でてやるけれど意地でも口を閉じてくれないから頭を撫でる度にぶふ、ぶふふ、と音が鳴る。やっぱり可愛い。

「怖がらないでも大丈夫ですよ皇子さま。わたしとこの犬は好みが同じなので」

「こ、好み?」

「はい。わたしが嫌だと思うと犬の方が先に態度で示しちゃうんですよね」

 ちょいちょいと手招いて皇子を呼ぶ。皇子はびくびくと、それでも逃げずに近寄ってきた。

 意外に素直。

 犬は皇子が傍に来ても前方を睨んだままで、態勢を変えない。

「俺に反応しないな?」

「そうですね」 犬の視界に皇子は入ってない。 有り体に言えば、無視だ。背後からそっとふくよかな耳に口を寄せる。「ほらご覧。この犬は皇子を嫌ってるんじゃない。あの陰険説教髭爺に唸ってる」

「いんけんせっきょうひげじいって」

 ぷはっと吹き出しかけて慌てて口を押さえた皇子に髭が眉をしかめる。

「……今、何とおっしゃった?」

「な、なんでもない」

「言いましたよね」

「な、なにも言ってない」

 髭が苛立たしな溜息を吐くと皇子は硬直する。


「人払いを」


 鶴の一声に、儀式の後、居心地の悪そうだった聖職者たちはコソコソと囁きながら広間から退出していった。

 取り残された皇子の顔色が悪い。


 ……。

 ところで誰もわたしに声をかけてこないんだけど。良いのかなあ。テンプレの勇者召喚ならあなたは勇者だとか、偽物だとか、おまけだとか、せめて相手にしてくれるものだけど。どれもない。召喚しておいて無視とかどうよ? 召喚かどうかも知らんけど。せめて説明ぐらい欲しい。郷に入っては郷に従えとは言うけれど、ここはわたしも退出した方が良いんだろうか。迷っていると皇子から縋るように見つめられた。

 その捨て犬みたいな目は止めろ。


 髭と皇子とわたしと犬以外の人が全て広間からいなくなったのを確認した髭がおもむろに口を開く。


「貴方は先刻から誰と会話されておられるのか」

「ゆ……勇者だ。今度は召喚に成功したのだ」

「愚か者が。世迷い言で大人を煙に巻こうとするんじゃない」

「ちがう」

「いい加減に理解して頂きたいですな。私はこの国の宰相として、貴方を正しく教育する義務があるのです。なにも憎くて虐めているわけではない」

「わ、わかっている」

「なのに! どこまで! 愚鈍なのです!? 貴方がこの宮殿でなに不自由なく肥え太っていられるのは私の後ろ盾があればこそでしょうが!? 違いますか? 私の足を引っ張るのは止めろ! 身の程をわきまえろ!」

「……」

「……返事は?」

「はい」

「聞こえない。また鞭で打たれたいのですか!?」

「はい、わかりました! ごめんなさい!」

「お尻を出しなさい」

「ごめんなさい」

「ああ何度言えばその贅肉だらけの脳みそは理解するのですか? 忙しい私に同じことを二度言わせるんじゃあない」


 のろのろと、皇子は髭の前に立って後ろを向く。

 宰相の手に握りしめられた黒い警棒からは黒い紐が伸びている──鞭だ。

 眉を顰める。下手な武器より威圧感ある。いまいち現実味がないけれど。

「皇子、私は優しいですから服の上から軽く叩くだけですよ。貴方の汚い尻など見たくはないですからね」

 皇子の割に言葉遣いの悪さが不思議だったけど身近に悪い見本がいたんだなんてぼんやり考える。


「屈みなさい」

 宰相が皇子にする。


 迷う。止めるべきだろうか。

 でも、さすがに皇子様にひどいことはしないだろうし。


 ……本当に?


 皇子はのろのろと時間を稼ぐように、でも逃げられないのがわかってるような慣れた動作で尻を突き出す。

「ああ、このぶるぶるとみっともなく震える肉……本当に貴方は美しくない」

 迷っている間にひゅんと風を切る音。次に肉を叩く鈍い音が響いた。

 さっきの錫杖が当たったのかよくわかんない音より余程、痛そうに見える。


 宰相の、目が爛々と喜色に輝いていて気持ち悪かった。



   ◇ ◆◆◆ ◇



「……皇子さま」


 顔だけは顰め面を取り繕っていたけどあきらかに満足げな宰相が広間から出て行ってから、わたしはさっきから考えていた疑問を口にする。


「もしかしてわたしと犬の姿って、皇子さまにしか見えていないんですか?」


「……」

 皇子は迷ったあと、

 子供みたいな仕草で頷いた。


 なるほど。


 犬を撫でながらつぶやく。

「つまり、わたしは幽霊なんですね」


 成仏、しそこねたらしい。



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