第6話 転変


 隆は一五まで千足村で過ごした。

 中学を卒業後、高校進学のため徳島市内に下宿した。確か、一八の年に長兄は兄嫁を、出稼ぎ先の和歌山に呼び寄せた。

 隆の足は千足村から遠のき、年老いた両親だけがひっそり暮らしていた。


 山野に分け入り、宅地を造成して田畑を開墾したのは祖父だった。

 明治の終わり頃、同じ千足村から婿むこ養子にきた。その祖父も隆が二三の時、千足村で生涯を終えた。九四歳だった。

 

             ◆

 隆の齢三〇が近くなり、両親は結婚をかせるようになった。 母親が親交のあった村人に相談すると

「うちの嫁の妹に年ごろのがおる」

 ということだった。


 隆は見合結婚した。待望の孫の顔を見て、両親は幸せの絶頂にあった。しかし、母親は急に衰えが目立ってきた。

 検査を受け、病魔に蝕まれていることが判明した。母親は病院に入院した。

 隆の妻は一歳の長男を連れて両親の世話をしに帰った。隆も一度、母親を見舞ったことがあったが、一九八四年(昭和五九)七月、東京で母親の訃報を聞いた。


 隆は取る物も取り敢えず、千足村に駆け付けた。一人になった父は葬儀の後、長男夫婦のもとに身を寄せた。七三歳と平均寿命に満たなかった母に比べ、父は九四まで生きた。


             ◆

 生家が空き家となり、隆は帰省すると、義姉の家に滞在した。たいてい一泊だけのあわただしい日程だった。


 義姉宅の真向かいに隆の生家跡が見える。眼下には千足谷が流れている、はずだった。ところが、目に入るのはコンクリートの巨大な堰堤えんてい。いわゆる、砂防ダムだった。


 最近、この砂防堰堤は母親が亡くなった年に建設されていたことが、分かった。


 戦後、国を挙げて植林した杉が四〇年ほどの間に、成木となっていた。その一方で、外国産木材の輸入自由化が拡大され、八〇年(昭和五五)をピークに国産木材価格は低迷、林業従事者の減少と相まって、大半の森林が手入れされないまま放置されることとなった。


 杉に限って見れば、下草が刈られることがないと、地表は荒れ、生物は生育しにくい。間伐や枝打ちがされない人口林では、地表に太陽光は届かず、土地の荒廃に拍車がかかる。クヌギや樫などの落葉広葉樹なら落ち葉が雨水を蓄え、地下深く浸透させるが、荒れた杉林に降った雨は地中に浸透することなく地表を流れ下る。


 近年の異常気象による集中豪雨は、全国各地で土砂災害を引き起こすようになった。とりわけ、濁流に乗って民家や橋を襲う流木は、もはや凶器でしかない。


 砂防堰堤は頻発する土砂災害への対応策として建設が進められたものである。千足谷では二〇〇六年(平成一八)、少し上流にも砂防堰堤が増設されている。


              ◆

 甚大な被害をもたらす集中豪雨の裏で、当然のことながら、渇水も進んでいた。この二つは表裏一体である。

 地中深く染みた雨水や雪解け水は、何年あるいは何十年か後に湧き水となって再び地表に出てくる。荒れた山地では、この保水機能も著しく低下している。

 千足村においても、いたるところにあった湧き水を、あまり見かけなくなった。千足谷の供給源が涸れてきたのである。

 千足谷の恩恵に最も浴してきた中流域では、今や大部分を堰堤に堆積した土砂が覆う。かつての流れは伏流水となり、谷の片りんさえ留めていなかった。

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