第5話 悠久の流れ
隆の家は村の最奥部にあった。水田の水や生活用水は、さらに奥の小さな渓から引いていた。
一年中、水が
◆
千足谷も多くの村人に恩恵をもたらしていた。水量の豊富な中流域では広い田んぼが作られ、ちょっとした水田地帯となっていた。
ほかの家でも、飲み水は千足谷に頼るまでもなく、あちこちに小さな渓や湧き水があった。
水を引くのに、竹を二つに割り、節を抜いて繋げたものを使った。そのため、木の葉などがよく詰まった。水が来なくなると、子供の出番だった。
「隆、早う行って見てこい」
父親は決まって、隆にそう声をかけた。
◆
通学は祖谷川と松尾川を越え、片道四〇分くらい歩いた。隆の場合は千足谷の土橋を渡らなければならず、欄干がないために気が抜けなかった。
小学校の低学年の頃、下校途中で幼馴染みと千足谷に降りて、よく道草をした。
隆は初夏の千足谷が好きだった。風が草花の香りを運んでくる。岸にはネコヤナギがかすかに風に震える。聴こえるのは、サラサラと行く水音だけだった。
そっと近づくと、ムツゴやカワエビが素早く姿を消す。岩に吸い付いたジンゾク(カワヨシノボリ)は落ち着き払っていた。
中学生になると、千足谷につけ針をした。
タコ糸に針を結び、先にミミズを刺しておくという簡単な仕掛けだった。夕方、中流から祖谷川まで浸けて歩き、早朝に回収する。たいてい二、三匹のウナギが獲れた。
◆
千足谷はまた、子供たちに天然のプールを提供していた。
中流の流れが緩やかな場所では、谷をせき止めてもらって遊ぶ、幼い子も見受けられた。
上級生になると、子供たちは上流の滝つぼに遊び場を移した。
滝は二〇メートルほどの落差があり、幅一〇メートル弱、奥行き二メートル余、深さ一・三メートルほどの滝つぼを作っていた。
これだけの岩を穿つには、気が遠くなるような年月を要したものと思われた。また、滝つぼの幅からして、当時より何倍もの水量があったはずだ。谷の水は、鋭角のV字に山を削った。滝の北側の絶壁は人を寄せ付けていなかった。
厳しい自然の営みが残した滝つぼだが、夏は子供たちの歓声が溢れた。盆が過ぎると、水温が急に冷たく感じられるようになる。
やがて落葉が水面に漂い、周囲の山々が冠雪する。千足谷に沈黙の季節が訪れる。滝は凍り、中流域でも流れは氷に閉ざされる。
村で動いているのは、空を行く鳥くらいだった。
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