第37話 本当に何かを撫でているかのようだ

「よっ! ほっ! それっ!」


 没入型VRゲームが世間に浸透してから結構経つが、その危険性は当初から今までずっと叫ばれ続けている。例えば脳への悪影響だとか、視覚異常発生の懸念だとか、はたまた周囲への物理的損害だとか。


「ぁっ! もうっ! 次はこっち!? えいっ! ていっ!」


 いろいろと危険性はあるが、確かにこれは危険かもしれないと、俺は今身をもって体験している。

 目の前でVRヘッドギアを装着して架空の敵と戦っている美少女。攻撃を避けるためにしゃがみ、敵を倒すために虚空を蹴る。たまにジャンプなんてしちゃったりして。

 つまり何が言いたいかと言うと、見えそうなのである。VRゲームに夢中になっている奥村さんの、スカートの奥村さんが見えそうなのである。前かがみにしゃがんだ時に、襟の隙間のから奥村さんが見えそうなのである。てゆうかちょっと見えてる。可愛らしいピンク色の下着が。危険だ。これは危険だ。股間が危ない。

 『私のパソコンを使うんだから、私からねー』とか言って俺のメタフォーカスを装着し始めたときはちょっとイラっときたが、そんな苛立ちはすぐに吹き飛んだ。

 俺は奥村さんのベッドに座り、考える人のポーズで真剣に奥村さんを眺める。

 本当に買ってよかった、メタフォーカス。まだプレイしてないけど。


「そこだっ!!」


 奥村さんが足を大きく上げてケリを放つ。俺の方を向いて大きく上げられた足。めくれ上がるスカート。太ももの絶対領域が艶めかしく、ピンクの下着が鮮やかで、艶やかで。興奮して鼻の奥から血が……


――ドゴォ!!


「ぐはぁっ!!!」


 眺めるのに夢中で向かって来る足を避けるという考えに至らず、俺はその足に側頭部を思いっきり蹴られた。


「きゃっ! え? だ、大丈夫?」


 慌てて奥村さんがメタフォーカスを外した。


「あ、うん。大丈夫、大丈夫……」


「あぁ! 鼻血出てる!! ティッシュ! ティッシュ使って!!」


 どうやら鼻血が出てしまったようだ。受け取ったティッシュを鼻にあてると、赤い液体が付着した。

 奥村さんが心配そうな、申し訳なさそうな表情でのぞき込んでくるが、申し訳ないのはこちらも同じである。だってこの鼻血は蹴られたこととは関係がないので。しかし『あなたのおパンツを見ていたら興奮して鼻血が出ただけですので、心配ご無用ですよ』などと言えるわけもない。


「ほんと、大丈夫だから。ほら、もう鼻血も止まったし。次は俺の番ね!」


「う、うん」


 俺が手を伸ばすと奥村さんは素直にメタフォーカスを手渡してくれた。蹴ってしまった後ろめたさがあるのだろう。


「アクションは危ないから、穏やかなゲームにしよっと」


 気を取り直して、いざVRの世界へ。

 VRヘッドギアを装着すると世界が変わった。ノイズキャンセリングの効いたヘッドフォンのおかげで外の世界の音は完全に遮断される。もしかしたら奥村さんが何か言っているかもしれないが、俺の耳には何も届かない。

 視界に広がるのはどこまでも広がる若草色の草原。ちょろちょろと流れる小川。温かい日差しに照らされて、本当に外にいるような感覚になる。しばらく待っていると、やって来たのは一匹の子猫。


「うっわ、かわいい……」


 しゃがみ込んで撫でると、子猫は可愛らしく鳴いておなか上に向けて寝転がった。


「なんか、本当に撫でてる感触があるみたい」


 脳が錯覚しているのか、本当に何かを撫でているかのようだ。後方から聞こえたニャーと言う声に振り向くと、後ろにも数匹の猫が。


「うわぁ! うわぁ! やばい! 天国だこれ!」


 夢中になって撫でまわす。膝に乗ってきたり、手にすり寄ってきたり。今まで理由も無しに犬派だったけど、猫派に鞍替えしそうだ。

 後から聞こえた愛らしい声に振り向くと、毛の長い猫がこちらを見あげていた。すぐにその子に手を伸ばす。ゲームに没入しすぎて脳が錯覚を起こしたのか、指の間を毛が流れて行く感覚がした。


「…………………………………………………………………………ぁ♡………………………………………………………………………………………………ん♡」


「ん? ……気のせいか」


 猫の鳴き声に混ざって、女性の声が聞こえたような気がした。きょろきょろと見回すが、周囲は草原と猫。そして猫、猫、猫。

 あまり深く考えるとホラー的な意味で怖くなってくるので、気のせいという事にして俺は猫との戯れを楽しんだ。

 十分に堪能したのでゲームを終えることにして、VRヘッドギアを外す。


「はぁ~~~~。めっっっっっっっちゃ幸せだった~~~~」


 仮想空間から現実に戻る。こんなに幸せな空間にいられるのなら、10万の出費も痛くないかもしれない。


「そ、そう。それは良かったね」


「うん! マジで楽しかった! あれ、奥村さん大丈夫? 息が上がってるけど」


 奥村さんはベッドに座って、はぁはぁと荒く息をしていた。心なしか顔が赤い。


「さっきのゲームで疲れちゃっただけ」


「結構激しいゲームだったもんね。あーでもやっぱVRゲームっていいなぁ。俺もパソコン買おうかなー」


 俺がつぶやくと、奥村さんは少し慌てたように言う。


「ま、まだ早いんじゃない? ほら、メタフォーカスの性能を活かせるパソコンってかなり高いし、他のゲームが面白いとも限らないし! あいにゃんちいつでも来ていいし、もうちょっと真剣に考えたほうが良いって! そのままやっぱりいらないってなったら、あいにゃんが買い取ってもいいし!」


「んー。それもそっか。っていうか、そういって借りパクするつもりじゃないよな?」


 俺が冗談気味に言うと、奥村さんは一瞬だけポカンとして、慌てて言う。


「へ……? あ、そ、それもいいかもしれないわね! あんた間抜けそうだし!」


「あ、ひでー。まぁいいや。とりあえず奥村さんの連絡先教えてくれる? また遊びに来ていい?」


「も、もちろん。メタフォーカスはアンタのなんだから、たくさん遊びに来ればいい。うん、そうすれば良い」


 まるで自分を納得させるかの様に、奥村さんは何度も頷いて言う。


「ていうか、奥村さんって呼ぶのやめて。愛七って呼んでよ。あいにゃんでもいいけど……」


「そう? じゃあ愛七で。愛七も俺の事好きに呼んでいいよ」


「じゃあ『タツにい』って呼ぶね」


「へ? 達にい?」


 思ってもいない呼び方に思わず聞き返してしまった。


「な、なんで?」


「私、一応そこその有名な動画配信者だから。生配信で間違ってアンタの名前をしゃべったら不味いでしょ? 達にいって呼び方だったら、親族にお兄さんがいるってことでごまかせるし」


「あー、なるほど?」


 確かにアイドルとかが他の男性の名前を呼んでいたら、一部の過激なファンが暴動を起こしそうだ。親族ならセーフという事だろう。


「それじゃ愛七、今日は楽しかった。また連絡するね」


「うん。あいにゃんが恋しくなったらいつでもきていーよ」


「ばーか。恋しいのは俺のメタフォーカスだっての」


 そんな軽口を言いながら、俺は隣の家に帰る。

 今日初めてまともに話したっていうのに、気の置けない年下の幼馴染が出来たような感じがして、ちょっと嬉しかった。

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