第33話 それでも俺は、やってない

 無事に運行が再開した電車へと乗り込む。休日の昼前だったためか、無理矢理乗車する人は少なく、満員ではあるがすし詰めにはならなかった。

 左手でつり革を掴み、右手には未知なる性体験を大切に抱える。十万円もしたのたから、こんなところで壊すわけには行かない。

 両手が塞がっているためスマートフォンを弄る事も出来ず、何気なく電車内を見回していると、見覚えのある真っ黒な姿が目に入った。隣に住んでいるVRChat女子だ。彼女も腕に俺と同じ紙袋を抱えている。どうやら目的地は同じだったようだ。


「……ん?」


 小さな彼女の肩が少し震えている。様子がおかしい。良く見てみると、彼女の後にピタリとくっついている中年男性が。


「もしかして……痴漢?」


 ダンジョンが発生してから強い女性が多くなり、痴漢の数は減ったというが、それでも撲滅はされていない。ダンジョンダイバーではない女性を狙った痴漢は今も枚挙に暇がないらしい。とは言っても、痴漢現場に遭遇するのは始めてだ。


「た、助けるべき、なんだよな……?」


 おそらく、多分、9割以上の可能性で彼女は痴漢されている。後ろの中年男性の息は荒いし、手が下半身の方に伸びているし。

 颯爽と駆けつけて助けるべきなんだろう。でも、もし痴漢じゃなかったら? 俺の勘違いだったら? もしかしたら同意の上かもしれないし。こんなにたくさんの人の中でかっこつけて、恥ずかしい想いをするのは嫌だ。それに、中年男性が暴力的だったらどうする?

 そんな風にぐるぐると考えていると、少女が顔を上げた。

 黒いパーカーのフードの中、長い前髪の隙間からその目が見えた。

 助けを求めるような、うるんだ瞳。怯えた表情。


「っ!」


 反射的に体が動いた。恥をかいたらどうしようなんて、なんて馬鹿なことを考えていたのだろうか。今まさにか弱い女の子が恐怖で震えているというのに。俺のプライドなんてどうだっていいに決まっている。

 人ごみをかき分け、少女の方に進み、彼女のお尻に伸びている手を掴んだ。


「こ、この人痴漢です!!」


 おっさんの手を掴み、高く掲げて宣言する。一斉にこちらに向く周囲の人の目。その目は非難の色ではなく、珍獣を見るかのような色で染まっていた。


「……あ」


 しくじった。セリフを間違えた。これでは俺が痴漢されていた様に見えるに決まっている。

 高身長の根暗男子高校生に痴漢する、中年太りのハゲおやじ。周囲にはそんな風に見えていただろう。


「あ、いや。俺じゃなくて、こっちの子をですね……」


 しどろもどろに説明している途中で、おっさんが強く俺の手を振り払った。


「ち、痴漢なんてしてねぇよ! 冤罪だ!」


「俺じゃなくて、こっちの子にしてましたよね!? 次の駅で降りてください!」


「う、うるせぇ!」


 逃げようとするおっさんと、逃がすまいとする俺。しばらくわちゃわちゃしていたが、結局振り払われてしまった。おっさんはそのまま人混みを無理矢理かき分けて後方車両へと逃げていった。


「くそっ!」


 追おうとする俺の背中が、クイと引かれる。


「あ、あの……もう、大丈夫……」


 根暗少女が俺の服を引っ張っていた。


「でも、痴漢されたんだよね? 許せないよ」


 そう問うも、彼女は首を横に振った。


「助けてもらったから、大丈夫。無理に捕まえようとすると、危ない」


「……そっか」


 どうやら俺の身を案じてくれている様だ。問題を大きくしたくないのかも知れないし、痴漢された本人がそういうのなら、そのとおりにしたほうが良いだろう。


「あの……助けくれて、ありがと」


「どういたしまして。もっと早く助けてあげれば良かったね」


 彼女を安心させるため、パーカーで覆われている頭をポンポンと撫でる。

 その時、ガタンと車両が揺れた。


「おっと」


 バランスを崩した彼女な倒れないように、そっと

支え、その手を掴む。


「大丈夫?」


「…………………………ぁ」


 急にプルプルと震える少女。遅れて痴漢の恐怖がやってきたのだろうか。


「どうしたの? 怖くなった?」


「………………………………………………して、放して……」


「放す?」


「……………………………………て、てぇ♡」


「手?」


 俺は彼女を掴んでいる手を見る。痴漢とのワチャワチャで手袋が脱げてしまった俺の手を。その手に握られている彼女の手を。


「あ」


「……………………………はなひ……て……………………………て、てぇっっっっ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」


 ビクリと跳ねて、力の抜ける彼女の身体。どうやら気を失ってしまったらしい。


「えっ……と。ど、どうしよ……」


 周囲から向けられる怪訝な視線。そして聞こえる『……痴漢?』という声。

 痴漢から助けたヒーローになるはずだったのに、何故か痴漢と疑われてしまっている。

 それでも俺は、やってない。

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