第18話 軟金桃
結局あの日の翌日、西村さんの番号で謝罪のショートメールが送られて来て以降は特に音沙汰は無くなった。凉夏さんも恐らくダンジョンで頑張っているのだろう。まだ帰ってきたという連絡はない。
「凉夏さん、大丈夫かな……」
広くなった部屋でポツリと独り言を漏らす。
時刻は午前4時。一週間前に凉夏さんがダンジョンへと足を踏み入れた時間だ。
何となく眠れなくて、時計の針を眺めながら考える。ダンジョンって一体どんなところなんだろう。
現代の医学では治療することの出来ない病を治す植物があったり、この世のものとは思えない程に美味な生き物がいたり。鉱物等の地下資源やエネルギー資源も多く見つかっているらしい。男子禁制の夢の宝物庫、それがダンジョンだ。
少し前に企業の社長が大量の護衛を引き連れて下層へと赴いたが、社長だけが死体となって帰ってきたという事故もあった。
「流石に行こうとは思えないな」
この世界において男の役割は、女性に経験値を与えることだけだろう。
そんな風に物思いに耽っていると、部屋のドアがガチャガチャドンドンと音を立て始めた。
「達哉!! 達哉!! いる!?」
「うわびっくりした!!」
突然の声に跳ね起き、急いでドアを開ける。そこにはボロボロになった凉夏さんの姿があった。制服は肩やお腹のところが裂け大きな切り傷があり、ブラ紐も片方が切れている。スカートもかろうじて体を保っているものの大きくスリットが入っており白い太腿が顕になっている。擦り切れてしまったのか、靴はもう無い。頬やおでこ、腕や足に切り傷が入っており痛々しいが、その瞳は蘭々と輝いている。
凉夏さんはリセサックから何かを取り出すと、俺の眼前に突きつけて来た。
「ほら! 見てよこれ!」
「これって、もしかして……」
凉夏さんの手に握られているのは、柔らかく金色に輝く桃であった。軟金桃の何ふさわしい見た目である。
「そう! 軟金桃! やっと見つけた! ほら、病院に行くよ!」
「行くって、今から?」
「当たり前じゃん! せっかく見つけたのに間に合わなくなったらどうすんだよ! ほら!」
急かす凉夏さんに気圧されて部屋着のまま靴を履くと、身体を掴まれて引っ張られる。
「はやく! ほら走って!」
「いや、病院って結構遠くない!?」
「大丈夫だって、アタシがひっぱるから!」
「ひっぱるって言ったって……」
「ああもう! 遅い!」
凉夏さんは苛立たしげに頭を掻きむしったあと、俺をお姫様抱っこした。
「うわっ! 何すんの!?」
「舌噛むなよっ!」
「まさかこのまま……ってうわぁ!!」
俺を抱っこしたまま、凉夏さんはものすごい速さで走り出した。
◇
大きな病院の夜間入口に到着して、ようやく凉夏さんが俺を地面におろした。地に足が着いてるって素敵だ。
ふらついている俺を置いて、凉夏さんは夜間受付の窓口であくびをしている警備員のおじさんのところへ向かう。警備員は凉夏さんの姿を見て、驚いたように目を見開いた。
「ど、どうしたんだい!? 急患はこっちじゃないぞ! い、いま連絡するから!」
ボロボロの凉夏さんの姿を見れば勘違いもするだろう。
「ちがうの、お母さんのお見舞い! 507号室の鳴瀬加奈子の娘! 危篤だから急いできたの、開けて!」
「そりゃいかん! 今開ける!」
おじさんがボタンを押すと、自動ドアが開く。凉夏さんがすり抜けるように中に入ったのであとに続いた。
「そっちの子は!?」
「弟!」
俺、凉夏さんの弟でしたっけ? 警備員は特に疑うことなく頷いた。
「しっかりお母さんを応援してあげるんだよ!」
優しい警備員の声を背中に受けて、病院をかける。エレベーターを待つ時間もじれったいのか、凉夏さんは階段を跳ねるように駆け上がって行くので、何とか見失わない様についていく。かろうじて見失わずに病室までたどり着いた。
薄暗い病室のベッドの上に、一人の女性が酸素マスクを付けた状態で横たわっていた。呼吸は浅く、目は少し開いている。弱々しく、今にも呼吸が止まってしまいそうだ。それでも、まだ生きている。
この女性が、凉夏さんのお母さんの加奈子さんなのだろう。
「……」
凉夏さんは少しの間横たわる加奈子さんを眺めて、リセサックから軟金桃を取り出す。酸素マスクを外して、加奈子さんの口に軟金桃を絞って果汁を垂らす。
意識はないように見えるが、喉がコクリと動き、果汁を飲み干した。
「ママ……お願い……」
5分ほど、静かな時間が流れる。心電図モニターの電子音と、加奈子さんの弱々しく呼吸音だけが聞こえる。
すると、急に心電図モニターの音の感覚が狭まった。急かすように電子音が鳴る。モニターを見ると、何かの数値が上がっている。40台だった数値が、60、70、80……
「こ、これ、大丈夫なの!?」
「わ、分かんないよ! ママ、ママ! 大丈夫!?」
凉夏さんが取り乱してて加奈子さんの身体を揺する。俺も凉夏さんも医療の知識など皆無。心電図モニターから何かを知ることはできない。俺はすぐにナースコールのボタンを押した。
心電図の異常は遠隔で看護師も見ていたのだろう。短く『すぐに向かいます』との声が聞こえたあと、通話が切れる。
「ママ! ママ! しっかりして! ママ!」
苦しそうな表情で低く唸る加奈子さん。その身体を凉夏さんが揺らす。
3分ほど後に、女医と看護師がバタバタと駆けつけてきた。
「あなた達、何をしているの!?」
「先生、ママが、ママが!」
凉夏さんが女医の白衣を掴み、縋るように叫ぶ。
「ママが苦しそうなの! 助けて! ママを助けて!」
「こら! 離しなさい!」
女医が凉夏さんを引き剥がそうとするも、強くなった凉夏さんに力で敵うはずもない。
女医の目が加奈子さんに向けられる。外された酸素マスク、濡れた唇、潰れた何かの果実……
「あなた、まさか……」
「ママが死んじゃうよぉ! ママが、ママが……! 嫌だぁ!」
取り乱す凉夏さんの頬を、女医が強く叩いた。パァンと高い音がなる。突然のことに呆然となった涼夏さんの身体を女医が強く抱いた。
「確か、娘の凉夏さんだったわよね。落ち着きなさい。大丈夫だから、落ち着きなさい」
身を離し、ボロボロの凉夏さんの身体を見て、その頭を撫でる。
「貴女、頑張ったのね。本当に頑張ったわね。大丈夫だから、落ち着いてお母さんの方を見なさい」
女医がそっと凉夏さんの身体を押し、ベッドの方へ身体を向けさせる。凉夏さんの目に映ったのは、ベッドの上で上半身を起こしている加奈子さんの姿。
「……………………ママ?」
「加奈子……おはよう」
「ママ………………ママ! ママ!」
凉夏さんはよろよろと歩き、ベッドの上の加奈子さんにの膝の上に崩れるように倒れ、縋りついて泣き始めた。
「ママが、ママが生きてる! うあーーん! 良かった、良かったよぉ!!」
自らの膝の上で泣きじゃくる娘を、加奈子さんが優しく撫でた。
どうやら、軟金桃は間に合ったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。