第11話 美味しすぎる料理は語彙力を奪う
「達哉君、ゲストテーブルのバッシング終わったら上がっていいよ」
「うっす」
ウェディングプランナーの松本穂乃果さんが、俺の背中をとんと叩いて声をかけてきた。
「今日の式も大成功だったね! ゲストがメインディッシュのロッシーニを食べたときのあの顔! そして新郎新婦のしてやったりって言う顔! 最高だったね!」
穂乃果さんは結婚式が成功に終わったことがよほど嬉しいのか、ニコニコとした笑みを絶やさない。そしてそんな様子を見たブライダルスタッフ達も嬉しそうな笑みを浮かべている。
アットホームな雰囲気の小規模ホームウェディング。それが俺のバイト先だ。そしてこの式場の目玉はシェフである穂乃果さんのお父さんが作る料理である。料理にはダンジョンで取れた食材を使用していて、その味は絶品以外の何物でもない。時々賄いで食べさせてもらえることがあるが、美味しすぎて笑顔を超えて真顔になるほどだ。
ちなみにダンジョン食材と呼ばれるものは基本的にどれも高価だ。大量生産できず、獲りに行くのは命がけ。そして味も良しとなれば、値段が高くなるのも当然である。
ここの結婚式場ではそんなダンジョン食材を格安で提供している。
「今回はお母さんがたくさん食材を獲ってきてくれたから、賄いもあるって言ってたよ。楽しみにしててね」
「まじですか!? もしかして……」
「もちろん、メインのロッシーニも!」
「っしゃ!!」
思わずガッツポーズが出る。あまりに美味しそう過ぎて、テーブルに持っていくときに涎が垂れないように必死だった。あれが食べられるのだ。正直言って、バイト代よりも賄いの方が目的になりつつある。ロッシーニなんて高校生の身分で早々食べられるものではない。
穂乃果さんのお母さんが食材を調達し、お父さんが調理する。なので格安で提供できるという訳だ。
「ダンジョントラフグもあるみたいだから、期待していいよ」
「フグ! 高校生なのにそんなにいいもん食って良いんですかね……」
「あはは、舌が肥えて将来大変かもね。その時はうちに就職すればいいよ。いつでもお父さんの料理が食べられるよ」
「めちゃくちゃ魅力的な提案っすね。あ、そうだ。厚かましいお願いなんですけど、持ち帰ることってできますか? 今日友達が来る予定で、そいつにも食べさせてあげたいんで」
「良いよ、お父さんに頼んでおくね。その子もウチの料理の虜にしちゃって!」
穂乃果さんは俺の頼みに嫌な顔一つせずに、笑顔でパントリーへと歩いて行った。おそらく、穂乃果さんのお父さんに頼みに行ったのだろう。
◇
「ただいまー」
アパートに戻り鍵を開けると、フワリと良い香りが鼻孔をくすぐった。シャンプーなのか、柔軟剤なのか、少し甘い香りだ。一人暮らしの男の部屋から出る匂いではない。
返事がないので、もしかしたら出かけているのかと思ったが、ベッドの上の布団が膨らんでおり、金の髪が見えている。机の上には飲みかけのコーラと食べかけのスナック菓子。
どうやら凉夏さんは一日ダラダラと過ごしていた様だ。こっちは朝からバイトしていたというのに。怠惰な専業主婦を妻にした夫はこんな気持ちなのかもしれない。
少し前なら自分の布団に少女が寝ているということにドギマギしていただろうが、今となってはそんな気持ちはもう湧かない。どうしたってエッチなことなど出来ないのだから。
「ちょっと腹立つな」
イラッと来たので腹いせに布団の中に手を突っ込む。凉夏さんがどんな体制で寝ているか分からないのでどこを触っているのかは不明だが、やわらかな肉体をまさぐり、その素肌へと手を触れた。
「…………っっっ!! …………………………♡♡♡♡♡っ!!」
布団が数回ビクンビクンと跳ねたところで手を離す。布団の中から何やら荒い息が聞こえるが、無視してご飯の準備。
持ち帰りを渋々許してくれた穂乃果さんのお父さんに言われた通り、ほんの少しだけフライパンで加熱した牛ヒレ肉をお皿に盛る。味が変わってしまうことが嫌らしいが、正直、俺も涼夏さんも舌が肥えている訳では無いので、そんな繊細な違いは分からないと思う。
机にロッシーニとフグのカルパッチョ、もらってきたパンを置いたところで、急に凉夏さんが跳ね起きた。
「っ!!!」
「うわビックリした! 凉夏さん、どうしたんですか?」
凉夏さんはボサボサの頭で、寝ぼけ眼のままキョロキョロと見回してから言った。
「めっっっっっちゃ、エロい夢見た」
中学生男子ですかあんたは。
「なんか、めっちゃ旨そうなのがあるんだけど」
「性欲に食欲に忙しいね。今日バイト先で賄いが出たから、特別に持ち帰らせてもらったんだ。もちろん、凉夏さんの分も」
「まじ!? 神じゃん! 今日おかししか食べてないからお腹すいてんだよね!」
寝起きだというのに食欲があるのか、ベッドから降りてきてちょこんと机に座る。
「……」
そんな素直な様子がゴールデンレトリバーのようで、何となく凉夏さんの頭を撫でてしまう。
「……あんだよ?」
「いや、なんか可愛いなって」
「はぁ? ……うっせ」
口は悪いが、頬が少し赤い。照れているのだろう。
気を取り直して箸を握る。ナイフとフォークなんて気の利いたものはこの部屋にはない。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます!」
箸を押し当てると、まるで温かいバターのようにフォアグラとフィレ肉がスッと切れた。生唾を一度飲み込み、口へと放る。
「……駄目だ、駄目だこれ。高校生が食べていいものじゃないよ」
噛んだ瞬間、弾けるように口いっぱいに広がるジューシーでかつ繊細な旨味。その後舌に訪れる濃厚でクリーミーなフォアグラ。そして黒トリュフの香ばしく熟成されたような香りが、赤ワインで作られた絶品のソースでまとめられており、もうとにかく旨い。繊細なのに暴力的に旨い。
「……やばい。ヤバいヤバいヤバい」
凉夏さんもヤバいヤバいと呟いている。語彙力は皆無だが、美味しいということは伝わって来た。
美味しすぎるものは人間から語彙を奪うらしい。結局俺と凉夏さんは、会話らしい会話をしないまま晩ごはんを食べ終わった。
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