第8話 ……ヤるに、決まってんじゃん

「む、無量大数……? なんだよ、それ……」


 俺の二の腕を見て、凉夏さんが呆然とつぶやく。


「数の単位。簡単に言うと、めちゃくちゃ多いってこと」


「なん……なんでそれを早く教えてくれなかったんだよ!」


 激高して詰め寄ってくる凉夏さんを、触れないように押し戻す。


「もしかしたら、死ぬかもしれないから」


「はぁ!? 死ぬって、アタシのお母さんがか!?」


「違うって。凉夏さんが、だよ」


「いや、意味分かんないんだけど……」


 俺はスマートフォンで検索する。高校生の保険体育の情報が乗っている教育サイトを。


「経験値の移行量はさ、男女の行為のはげしさによって、指数のグラフを描くように上がっていく。知ってるよね?」


「そりゃ、常識だし……」


「だから手をつないだり、ハグしたり程度じゃ、経験値の移行は微々たるもの。ほんの一も動かない人がほとんど」


「だから、だからなんなんだよ!」


「でもそれは万とか、億の世界の話」


 次に見せるのは算数の教育サイト。そこに乗っているのは数の単位。

 一、十、百、千、万、億、兆……


けいがいじょ?、じょ、じょう?、こう……、かん……なに、これ……どこまで……?」


 凉夏さんが見慣れない単位の羅列を、戸惑いながら読み上げていく。


「あそうぎ、なゆた、ふかしぎ……」


 そして、無量大数。


「桁が違うどころの話じゃないんだ。例え対数のグラフを描いたとしても、そもそもの量が多すぎて、手を繋ぐだけでもやばい量の経験値が移行する」


「あ、だから手袋を……」


「一度計算して見ようと思ったんだ。この経験値量で手を繋いだ場合、どのくらいの移行が発生するのかを。そしたらさ……」


 凉夏さんがゴクリと息を呑んだ。


「無理だった。そんな計算が出来る電卓なんて無かった。桁が入り切らないんだ」


「そんな……」


「今までに2人、手を触れた女性がいる。一人は元ダンジョンダイバーだった。だから身体も心も強いはず。なのに、手を触れた途端に叫び声を上げて失神した」


「……」


「もう一人は、体も鍛えてない、男性経験もないだろう歳の子だった。俺に触れた直後に倒れて、そのまま救急車で運ばれていった。その後どうなったのかは、分からない。病院で目が覚めたのか、それとも……」


 一生目を覚まさなくなったのか。言外の言葉は、凉夏さんにも伝わったようで、その腕で自らの身体を強く抱いている。


「多分、凉夏さんが求めていた人は、目の前にいる。俺だ。だけど、俺は凉夏さんを『壊して』しまいかねない。最悪、『殺して』しまうかも知れない。それでいいなら……」


 手袋を外し、凉夏さんへと差し出す。天国で、地獄で、希望で、絶望の手を。


「俺の経験値を、あげる」


 ブルリと身震いしながら、凉夏さんが大きく深呼吸した。


「……ヤるに、決まってんじゃん」


「……後悔しない?」


「しない。アタシが達哉の経験値、喰らい尽くしてやる」


 凉夏さんの青い瞳が、俺を真っ直ぐに貫く。先ほどの自暴自棄な覚悟とは違う。前を向いて、一歩踏み出す覚悟だ。


「じゃあ、俺の指に、指先だけ触れて」


「……」


 もう一度、深呼吸。少しずつ凉夏さんの指が近づいて来る。全神経が指先に集中する。凉夏さんの、白く、柔らかな指先が、ほんの少しだけ掠めるように、俺の指に、触れた。


「……ちょ……嘘……ぁ、ぁ、ぁ……」


 触れている面積が少ないからか、凉夏さんはすぐに気を失うことは無かった。しかし、瞳が虚ろになり、頬を上気させ、身体を震わせる。


「ンンンッ!! ……ヤバイッ……ヤバイってこれ……ア……」


 快感に呑み込まれない様に耐えているのだろう。ギリリと強く奥歯を噛む。気力で、焦点を合わせる。


「こんな……こんなの、しらな……しらないよぅ……ヒアアァァァッ!!」


 たったほんの少しだけ触れている指先から、一体どれほどの経験値が移動しているのだろうか。凉夏さんが今、どのような感覚なのだろうか。俺にはそれは全く理解できない。

 ただ、凉夏さんが耐えてくれることを祈るだけだ。


「く、くっそ……っ!! ま、負けない、負けない……お母さんの、ために……あ、あ、あ……」


 凉夏さんが耐える。瞳を潤ませて、半開きの口からツゥとよだれを垂らして。着崩した制服の胸元が、汗ばんでやたらと色っぽくて、制服のスカートが乱れ、そのきれいな太ももが露わになる。

 エロい。

 凉夏さんが、母のために苦痛(という名の快楽)に耐えているというのに、俺はその姿をみて、どうしようもなくムラムラしてしまう。無良だけに。


「えっ? えっ? なぁっ!?!? 急に、急になんか……っつぁ! 激しく……あ、ああ、あ……アアアアアアアアァァァァァ!! ンアアアァァァァァァァ!!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」

※指先が触れ合っているだけです。


 凉夏さんが大きく仰け反り、俺と触れ合っていた指先が離れた。


「何なんだ、マジで、マジでなんなんだよぉ……」


 怯えたような、それでいて縋るような、期待するような瞳で凉夏さんが俺を見る。


「だ、大丈夫?」


「大丈夫なわけ、ない、でしょっ!!」


 ガクガクと膝を震わせながら、何とか立ち上がり、キッとこちらを睨んできた。


「きょ、今日は帰るっ!!」


「あ、凉夏さ……」


 よろけながらも、内股の小走りで凉夏さんは帰っていった。

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