第1話 【無】

 世界にダンジョンが出現した。しかしダンジョンそのものは、人類の半数にしか影響を与えなかった。

 ダンジョンに入れるのが、女性だけだったからである。

 いや、それは正確な表現ではない。男性もダンジョンに入ること自体は可能だ。可能だが、男性にはレベルが存在しなかった。

 迫りくるモンスターを倒し、経験値を得て、レベルが上がって強くなる。そんなゲームの中のような話は女性にしか適用されなかった。

 レベルが上がらなければ、強くなれない。つまり男達は強くなれないのである。

 数年前までは野球もサッカーも、ほとんどのスポーツが男性優位であったが、ダンジョンが発生して全てがひっくり返った。

 ダンジョンに挑みレベルの上がった女性達に、男達は太刀打ち出来なかったのである。

 レベルの代わりという訳でも無いのだが、男達にだけ発生した概念がある。それが、『経験値』だ。

 精通を迎えた男子は身体の何処かに数値が浮かび上がる。千だったり、万だったり、はたまた一だったり。それが『経験値』だ。

 勿論、女性が男性を殺して経験値を得るだなんて、そんな殺伐とした話ではない。


「……食塩水も、砂糖水も、濃度の低い方から濃い方に水が移動する。これは他のものでも同様で……」


 殺伐どころか、エロエロとした話なのだ。

 女性が男性から経験値を得る方法。それは例えば手を繋いだり、キスだったり、ハグだったり。恋人が行う様な性的肉体接触なのである。


「半透膜にも種類がある。お前たちも知っているナメクジ。彼らの身体は半透膜で包まれているから、潮を書けたら水分が抜け出してしまう。もちろん砂糖でも同じことがおこる。そして、人間でも同じようなことがおこる」


 ダンジョンでは命懸けの戦いをして経験値を得なければならない。しかし、男性とチョメチョメしても経験値を得ることが可能だ。

 命の危険は無く安全。そして気持ちが良い。それでいて経験値が得られる。いいこと尽くしである。


「……という訳で、指数関係のグラフを描いて移動する容量は上がっていくことが判明している。では、それを理解した上で計算して見ろ」


 もちろん男性が持つ経験値は多いほうが良い。万を超える経験値を持っていると、かなりモテモテになるし、億の経験値を持つ男はスーパーアイドル波にモテる。というか、もはや襲われるレベルである。

 ダンジョンでレベルが上がり、さらには魔法やスキルまで習得した女性に抗うことなど出来るはずもない。億を超える経験値を持つ男性は早々に政府に保護さるらしい。そして、それはそれは羨ましい生活を送れるとか。


「各自自分の経験値を当てはめて、どのような行為でどれほどの経験値の移動が発生するかを……おい無良むら達哉たつや、聞いてるか?」


「イテッ」


 いつの間にか先生が横に立っていて、頭を教科書で叩かれた。ポニーテールを揺らし、切れ長の目でこちらを見下ろしている。

 ちなみに叩いてきたのは右手で、反対の手はない。昔ダンジョン攻略に行った時に魔物に喰われたそうだ。それから引退して教員になったらしい。とは言ってもまだ25歳の若い先生ではある。


「せんせー、体罰っすよ」


「おーおー、訴えるか?」


 俺の言葉を何も気にした様子もなく、もう一度俺の頭に教科書を振り下ろしてから教壇に戻っていく。今は化学の授業中……ではない。保健である。なので今は教室に男子しかいない。先生を除いて。

 何故男子の保険の授業を女性教員がやるのだろうか。まじめに聞けと言う方に無理がある。


「つまり、お互いの粘膜を接触させ激しい性行為を行うと、より多くの経験値が女性へと渡るわけだ。この時経験値の流入量に比例して女性は快楽を覚える。分かったら無良も恥ずかしがらずに計算してみろ。大切な事だぞ」


 大切なことって言ったってなぁ。


「サガラッチェせんせー。無良は経験値無いっすよー」


 クラスメイトの一人がからかい気味な発言をする。相楽さがら知恵ちえ先生。だからサガラッチェ先生。


「……そうなのか?」


 経験値を持たない男性はほとんど存在しない。先生が疑いの目を向けて来る。俺はシャツの袖を捲って、さらにその下のアームカバーをずらす。右の二の腕に『無』という文字が覗いた。遠目でも分かるそれを見た先生は驚きで目を見開く。


「おっと……すまない。そういう人も、いるにはいるな。まぁなんだ、経験値だけが男の全てじゃないからな気は落とすな。一応授業はちゃんと聞いておけ」


「うぃーっす」


 あの幼少の頃、二の腕に浮かび上がってきた【無】の文字。百から千、時々万に至る友人だっていた。なのに俺は【無】である。

 それがバレてからは、男友達に散々揶揄われたし、女子たちからは敬遠されているわけだ。

 ちなみに男子が経験値の仕組みについて学んでいる間、女子はダンジョン攻略の授業を受けている。攻略と言っても、第一層で簡単な説明を受けるだけらしいが。

 俺も女に産まれていれば、ライトノベルの主人公みたいに剣と魔法で大冒険できたのだろうか。そんな無意味な事を考えていると、授業の終わりを告げるチャイムがなった。

 

「君たち男子は『喰われる』側であることを肝に銘じておけ。レベルの上がった女性に、男性は勝てないんだ。どんなに信頼できる相手でも油断するんじゃないぞ。それじゃ、今日の授業はここまで。無良は放課後保健室に来い。以上」


 颯爽と去っていく先生を見送った後、教室内は下世話な話でざわつく。保健の授業の後なんてそんなものだ。教官が美人で巨乳であれば、なおさら。


「粘膜を接触させた激しい性行為、だってよ!」


「やべー! 俺もうギンギンだぜ!」


「喰われる側だってよ! 早く喰われてぇ!」


「お前経験値三百だろ? 誰からも喰われねぇって」


 そんな会話を背中で聞きながら、俺はため息をついた。



「お邪魔しまーす」


「失礼しますだろうが。まぁいい、座れ」


 放課後保健室に入ると、先生がこちらに目も向けずに言う。何やらパソコンで調べ物をしているようだ。

 画面に目を向け、右手でマウスを動かしながら、先生の前にある椅子を足で小突く。あまりお行儀が良くないが、元ダンジョンダイバーであればそんなものだろう。


「授業を聞いていなかった件のお叱りっすか?」


「そのことについては説教してやりたいが、まぁ別件だ」


 俺が椅子に座ると先生は身体をこちらに向け、真っ直ぐに俺の目を見て言った。


「無良。お前に経験値がないことを知らなかったとはいえ、不躾な事を言ってしまった。まずはそれについて謝罪したい。すまなかった」


 先生が深々と頭を下げる。今の時代、ここまで生徒と真っ直ぐに向き合える先生も少ないだろう。


「謝らなくていいっすよ。皆知ってることですし、俺も気にもしてないっすから」


「そうだとしてもだ。すまなかった」


「……うっす。こちらこそ、気を使ってくれてありがとうございました」


 俺が答えると先生は顔を上げて微笑を浮べた。


「でだ、謝罪をしておいて早速こういうことを言うのもあれなんだが、もう一度見せてもらってもいいか?」


「別に良いっすよ」


 授業中と同じようにシャツとアームカバーを捲る。そこには変わらず【無】の文字が。先生はそれをしばらく眺めたあと、パソコンに目をやった。


「確かに【無】だな。しかし、妙だ。私はダンジョンダイバーをやっていたこともあるから男性の経験値について多少は詳しいのだが、知る限り【無】という文字は見たことがない」


「そりゃ、経験値がない男なんてほとんどいないっすからね」


「いや、そういうことじゃない。これを見てみろ」


 先生がパソコンの画面を見せてくる。


「経験値がない男性は、【零】や【0】の表記なんだ。【無】は見たことも聞いたこともない」


「はぁ。まぁ、経験値がない奴なんてほとんどいないっすからねぇ」


「……なぁ無良。お前は本当に経験値が無いのか? 試したことはあるのか?」


「せんせー。それ、セクハラじゃないっすか?」


「っ! す、すまない! 不躾な事を聞いた……」


 試したことがあるのかと聞くということは、女性関係があるのかと言う問いとほとんどイコールだ。


「まぁ、良いっすよ。それに【無】だろうが【零】だろうが、経験値がないことには変わりないっすから。じゃ、俺はこれで」


 そう言って立ち上がると、先生が慌てたように俺に手を伸ばした。


「無良、待ってくれ! もう一度それをよく見せてくれ!」


「あ、やめっ…!!」


 俺が避けるよりも早く、先生が俺の腕を掴んだ。


「やばっ!! 離してっ!!」


「へっ? ……ぁ、ぁ、ぁ……ああああぁぁぁぁぁっっっっ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」


 先生が目にハートマークを浮べて仰け反った。


「先生っ!!」


「♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡チョ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡もぉ"♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ラッ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ンマアァッ!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」

※先生が無良の二の腕を掴んでいるだけです。


「せ、せんせえぇぇぇーーーーーー!!!!!」


「♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ちょぉぉぉッ!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡モッッ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ンラァ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ン"ン"ン"ン"♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡マアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」

※先生が無良の二の腕を掴んでいるだけです。


「せんせええぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーー!!!!!!!!」 


 なんで、なんでチョモランマなんですかせんせええええぇぇぇぇーーーーーーーー!?!?!?!?!?

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