身勝手な私は紫色のパンジーの花束

ヤマノカジ

身勝手な私は紫色のパンジーの花束

私は改札を抜けて、少し都会ぶれた故郷を見渡す。多少変わった様子はあるがあの時とあまり変わっていない。あの花屋もきっと健在なのだろう。

私は駅付近の人の声が反射する街を通り抜け、人通りの少ない住宅街に出た。

街の奥の方に花屋が見える。

姉がよく連れて行ってくれた花屋だ。連れて行ったというか、連れてかれたか?私は花に疎かったが、毎回姉に付き合わされていた。

そう、その時間は、いつも不機嫌そうな姉が雄一笑顔を見せてくれる時間だった。

花屋の前で、ふぅ、と一呼吸置いて私は一歩を進める。

「すみませーん、予約していた山田なんですけどー?」

奥の方にいた人がこちらへ歩いてくる。

「はいはいはい、山田さんね…」

メガネをかけて少し白髪まざりの女性が出てきた。私はこの人を知っている。小林さんだ。

小林さんは私が姉と一緒にここにきていた時からこの花屋を1人で切り盛りしている。

そときにはもう息子さんも独り立ちしてしまってもう閉店まで進むしか道が取り残されていないといった感じだった。

「あれ…勝彦くん…?」

小林さんがメガネと鼻の隙間からこちらを覗き込んでくる。

「あ、はい。」

「そうよね!勝彦くんよね!」

「あっら〜まーたこんなに大きくなっちゃって〜」

「はい…まぁ…」

「あんなことがあったのにもっとこんな立派な男になっちゃ…」

私は小林さんの言葉を遮りにいく。

「その話はやめてください。今も、これからも。」

静寂が駆け抜ける。住宅街の一角に立っている花屋でカラスの鳴き声だけが二人の間で響く。小林さんは焦った様子で後ろを向き思い出したように口を滑らせながらも喋る。

「ごめんなさいアタシったら…そうよね。ごめんなさい勝くん。そうね!予約の花よね!

ちょっと待ってて!」

といって小林さんは奥の方にまた戻った。数分して帰ってくると小林さんは紫色のパンジーの花束を持ってきた。

私は財布から一万円を取り出して小林さんに渡す。

深く息を吸い落ち着かせる。

「つりはいらないです」

「えぇ…?そんな勝くん、ダメだよ。アタシ受け取れないわよ…?」

「今までお世話になった分のほんの少しですが、受け取って欲しいんです。」

「そうかしら…。うーん…」

「じゃぁ、ありがとうございました。」

「あ、ちょっと勝くん!」

パンジーの花束を抱えて私はコツコツと音を立てながら花屋を後にした。

後ろで小林さんがどのような顔をしていたって、今の私にはもう関係ないことなのだ。



「おーい」

私は手を上げながら自分の存在をアピールする。その後タクシーが私の目の前に止まりドアが開かれる。堂々とした態度で客としてタクシーに入る。

私は花束を脇に置いて目的の地を伝える。

「すみません、ここ知ってます?」

私は自分の携帯電話のGoogle mapをさして運転手に伝える。

「あぁ、ここですか。いーーけますね。」

ドライバーが顔をしかめながらスマホを見る。風貌から歳はかなりくっているのだろう。顔をしかめないと少し距離が空いたスマホを見るのに顔をしかめるのも無理はない。

「じゃあ、お願いします」

「はいっ、わっかりました〜」

運転手はメーターを起動して道路を走っていく。

タクシーというのもいつぶりに乗るものだろうか、こういった一対一の空間というのは何度行っても慣れなく、貧乏ゆすりでもして落ち着くことしか出来ない。喋りかけてくるなと必死に頭の中で思考するが、思考するだけじゃ物足りないのが世の性である。

私は運転席を横目に流れていく単調的な街を眺める。閑静な住宅街を一つ、また一つと抜けていく。

静寂が私の心を、いや私の世界全体を包む。

タイヤと道路が奏でる音や、ウィンカーの機械的な音も含め、全てが静寂なのだ。

静けさとは心の安寧である。

深く息を吸い、より遠くを眺める。

もう、このまま眠ってしまいそうなほど安らかに、意識がこのまま深海に行って、もう戻れないくらいに。

私は落ち着いていた。


タクシーの動きが止まる。少し眠ってしまっていたのか、時計がさす針が思いの外進んでいた。

「つきましたよ」

「あ、はい。すみません。ちょっと待っててくれないですか?あの、行ったらまた、使いたいんですよ」

「そうですか…うーん…」

運転手は白い手袋で包んだ指をハンドルにトントンとリズムを刻み思考していると感じさせてくる。

「わっかりました。なるべく早くお願いしますよ」

致し方なく、といった感じだがそれが普通の反応だろう。まぁ正直、これがきっと最初で最後の付き合いなんだから人のことなんて気にしていたらもう私の人生は巻き返せない。


私は脇に置いてたパンジーの花束を持ち、席から立つ。

まだ勘繰っているのか運転手は私の方を眉をひそめて見上げる。

「ちゃんと戻ってくださいよ?」

「もちろんですよ」

私はその言葉を残し、タクシーから一歩ずつ離れて行った。


潮風が香る。鼻の感覚だけで、あぁ、海にきた。というのを感じられる。水平線に月が反射して空と地の境を海が曖昧にしている。

秋の少し肌寒い感覚が私を刺す。

それは痛々しくもあるが、心地よい。

ここは姉との大切な場所だ。

姉は死んだらしい。

本当かどうかは知らない。聞いただけだ。

でも私はそんな情報でしか姉の今を認識できない愚かな人間なのだ。

姉が死んでしまった理由。

私の人生の大きな分岐点。

それはきっと姉がまだ十五の夜のことだ。



父親は酷い人間だった。だったのだが、街での顔はなんとなくよい評判だった気がする。

案外あうゆう人間は頭の小回りが聞くものなんだろう。相手によって自分を抑えたり、出すのがうまかった記憶がある。

母親は私が物心つくときには死んでいた。

癌による死だったような。

姉曰く、父は母が死んでしまってからあんな人間になってしまった。と。

私にそんなイメージはない。父は酷い人間なんだ。家族でもない。ただの他人だと思っていた。

私が10歳になったあたりから、姉は月に2回ほど、私が寝ている時に私の隣から離れどこかに行っていた記憶がある。

きっと父親にレイプされていたんだろう。

十四というまだ弱い体で。

寝つきに寝付けない日にその日が被った時は酷かった。

父親の荒い息遣い。泣くような姉の声。

全てが最悪だった。九歳ながらも、私は感じていた。何かをされているんだろうと。


私は何もない夜の日が好きだった。

静かな日だ。

父親の貧乏ゆすりも、怒鳴り声も聞こえない静かな日。

ただ周りを走る車の音が聞こえてくるだけの日。

それが続くだけで幸せだった。


そして、ついにあの日がきてしまったのだ。

その日は熱帯夜であまり眠れず、天井と睨めっこしているような状態だった。

隣からごそごそ、と物音がして、ああ、この日かと私は悟っていた。

姉は当然、私の隣からいなくなっていた。弱い私には深いため息を虚空に吐くくらいしかできなかった。


いつものような音がなり始めたと思っていた。

だが違った。

父親の息遣いはいつもより誰でもわかるくらいに荒かった。

姉の泣きじゃくる声も、一段と大きかった。

動かなければいいものの、私は好奇心に負けいつもはいかないはずのその行為が行われている音の方向に向かった。

向かっている時にはもう父親の息遣いは聞こえなかった。

暗い道を、壁を頼りに進んでいく。

どんどんと転んで擦りむいた時の臭いを濃くしたような臭いがする。

そして、私はそこで見た。

姉が、包丁を持って、赤にそまった父親の上でごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。と何度も、何度も。もういないはずの父親に謝っている姉を。

姉は父親の胸に顔を押し付け、泣きじゃくる。父親の胸は腐った果実のように柔らかい肉を吐き出している。

姉が父を触るたび、ぐじゅ、ぐじゅ、と汚らしい音を立て、涙と血を混濁させている。

1時間ぐらいたったのだろうか、私はずっとそばで見ていたし、姉はずっと泣いていた。


少し落ち着いた様子を見せた姉が私の方に気づいた。

「勝彦…?」

姉が私の名を言う。私は首を縦に振る。それが今は一番いい選択肢だと思っていた。

「ごめんね…なんか…うん…」

言葉を紡ぎながら姉は包丁を私に見えないように端に置く。

姉は記憶を引き出しているのか、天井を見上げ始めた。そこからまだ滴ってしまう涙が、私はみていてただ辛かった。

「海、海、そう、海行こうよ。今から、2人でさ。海好きだったでしょ、勝彦って」

確かに海は好きだ。

場所を選べば聞こえるのは自分の心音と、潮の満ち引きだけだ。前、友達に誘われた一回だけでこんなに好きになれるくらいには好きだ。

私はただ首を縦に振り、肯定した。

それが一番の選択肢だからだ。

その後、血だらけの姉は一回シャワーを浴びてくることになった。死体がある部屋からは遠ざかるように言われた。死体といったような言葉は使われず、濁された言い方だった。


シャワーを浴び終わった姉が戻ってきた。

多少準備をして、私たちは家を後にする。

暑く、熱い夜の私達の逃避行だ

今まで歩いたことのない夜の街をただ、海に向かってコツコツと歩いて行く。

電柱の光が2人の影を作る。その影だけが、私達がまだこの世界にいるということを証明してくれる。

海に着く頃には私達2人は疲れきっていた。

だが、海の美しい光景を見た私の体力はみるみる回復していった。

「見るだけでいいの?」

姉がそう、私に喋りかけてくる。

暑いから私はもちろん入りたかった。だが、少し感じていた。もう、姉とは会えないんじゃないかって。

「うん。今はただ、こうやって見ていたい」

「そっか」

姉が私に微笑む。

潮の満ち引きと、私の心音。そして、私以外の呼吸音が聞こえる。

静寂だ。月明かりによって、家にいる時よりも景色が鮮明に見える。

「手、つなぎたい」

姉は何も言わずに身長の低い私に手を下げる。

私はぎゅっと、その手を握る。

人を殺した手。家族を殺した手。

他人からそう言われると忌まわし手だ。

だが、私には姉の手にしかすぎない。

いつも不機嫌そうな姉だったが、優しい。

大好きな姉の、温かい手だ。

「アンタが小さい頃にはよく、お父さんが連れてきてくれたんだけどね」

そう、姉は言った。


それからは悪夢のような日々だった。

姉は留置所に。

私は孤児院に。

時々私のとこにも事情を聞かれるようなことがあったが私は何も言わなかった。

そこから私と姉は引き裂かれ、会うことがなくなってしまった。

孤児院はいろんな人間の声が混じり、ずっと気分が悪かった。


それから何年かして、私は孤児院から卒業して、1人で暮らせるようになった。


姉の死を知ったのは花屋の一件だった。

私は耳に噂を聞いた。

親を殺した娘が働いていると。

そこで私は今まで怖くて逃げていた姉に会おうと決心して花屋に向かったのだ。


花屋が見えてきて、懐かしい顔の小林さんに言われた。久しぶりの後にただ、一言。

「ご愁傷様です」


私はその日の記憶が曖昧だ。

泣きじゃくり、あの日の姉のように泣いた。

姉に謝った。ごめんなさい、ごめんなさいと。

その日はそれしかもう覚えていない。気づいたら自分の家の天井を見ていた。

自殺らしい。


私がもっと早く知って会っていたら姉は自殺に至っていなかったもしれない。

だが、そんなことを考えようとすること自体、私にとっては罪なのだ。


私は、また姉に会いたい。そして、また手を繋ぎたい。謝りたい。


姉の十回忌。

私は海に来た。

手を繋いだ海だ。


パンジーの花束を砂浜におく。

あの時立っていたはずの場所。

ごめん。お姉ちゃん。俺、、僕。ごめん。ごめん。ごめん。

砂浜に倒れ込んで泣きじゃくる。

僕は泣いた。ただ泣いた。

ずっと泣いた。

タクシーのことなんて忘れて。帰る場所も忘れて。

砂浜というキャンバスに涙が落ちて砂浜の色を変える。


姉はもういない。

僕ももう。いなくなってしまいたい。

そんなのは許されない。

僕は、姉を殺してしまったのかもしれないのだから。

姉の辛さを支えられず。

何もできずに。

僕が悪いから。

僕が悪いから。

自分勝手な僕が悪いから。


お姉ちゃん。ごめんなさい。





静寂の中に、タクシーのクラクションが響く。

私は重い体を起こす。

私は、私は、。

まだ、涙が出てくる。必死に抑えようとするが、涙は出てくる。

置いた花束を後にする。

大丈夫。ここの海は何かがない限り人が来ない。きっとあの花束は姉に届く。花が好きな姉に。

タクシーに戻る。

私は息を荒くして言葉を出そうとする。

「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。海にでも入ってきたんですか?びしょ濡れですよ」

私は深く呼吸をして落ち着かせる。

「と、東京までお願いしていいですか…?」

「東京ですか!?めっちゃかかるけどいいんですか?」

「はい」

「そーですか。じゃあ、行きますね」

メーターが動き始める。

そしてあの海からどんどん離れ始める。

窓から景色を眺めれば、砂浜が見えてくる。


どんどんと離れていく海に比べ、私と姉の引き裂かれて離れてしまった距離はなんとなく、どんどんと近づいた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

身勝手な私は紫色のパンジーの花束 ヤマノカジ @yAMaDied

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ