五章ー1 揺らぐ


 翌朝、医者から事態を聞いたシスカがバドと一緒に謝りに来た。

「申し訳ありませんでした、まさか王子様がご存知ないとは思わず……」

 どうして気にせずに剛樹にぶどうをあげたのか、シスカは理由を話す。ユーフェが人族の助手を雇ったから、雇用主である彼が、人族と銀狼族の違いについて、最低限のことは知っているものだと思い込んでしまったのだという。

 剛樹が聞いていても納得の誤解のしかたに、ユーフェも苦い表情を浮かべた。

「私の勉強不足だな。シスカ、お前をとがめはせぬ。人族が食べられて、我々には毒になるものについて、教えてくれぬか」

「は、はい」

 ユーフェに教えをこわれたシスカは恐縮しきりだったが、剛樹も同席して一通り説明してもらった。ユーフェはそれをメモにとりながら、一つ一つに驚きを示す。

「ネギ類も食べられるのか? 人族は雑食なのだな」

「しかし多くの人族に食べられても、体質で受け付けない食べ物もあります。卵などのアレルギーがないか、本人に確認したほうがいいですよ。命にかかわりますので」

「なるほどな。モリオン、どうなのだ?」

 話を振られ、剛樹は困った。

「アレルギーはありませんけど、食べたことがないものは分かりません」

「そうだな。では、こうしよう。初めて食べる物は、朝に食べること。夜に症状が出たら、医者にかかるのが大変だが、昼間なら安心だ」

 剛樹より真剣に考えているユーフェの様子に、シスカとバドは微笑ましげに目を見かわす。

「なんだ、どうして笑っている」

「申し訳ありません、王子様。モリオン君のことを心配しているのがうれしくて。王子様は人族に優しい方みたいですね」

「この国に住む者は、種族にかかわらず我が国の民だ。心配するのは当たり前だ」

 ユーフェはこともなげに言ったが、バドは苦い顔をする。

「人族蔑視の銀狼族もいますよ。村は大丈夫ですが、町にはたまにいますから」

「わざと道でぶつかってきたりして。あちらのほうが体が大きいので、僕達には怖いですね。モリオン君も、そういう怖い目にあったんでしょう?」

「え?」

 シスカに予想もしない質問をされて、剛樹は固まった。それを肯定と受け取ったみたいで、シスカは同情をこめて言う。

「分かるよ。町で怖い思いをしたことのない人族なんて、滅多といないから。僕がバドと出会ったのは、知らない獣人に難癖をつけられて困ってたところを、助けてくれた時なんだ」

「町にそのような者が……。モリオンはカモにされそうだな」

 ユーフェが心配の目を剛樹へと向けた。シスカとバドまで頷いているので、剛樹は首をすくめる。剛樹みたいに人見知りで、おどおどしていれば、そりゃあ鼻につくだろうし、反抗しなさそうだから的に選ぶだろう。自分でもよく分かっている。

 話を終えると、シスカとバドは帰っていった。

 昨晩のうちにユーフェとのわだかまりは解いたが、ユーフェが近くに来ると、剛樹は少し構えてしまう。体を押さえられて身動きできなかったのが怖かったのだ。ユーフェは困った顔をして、剛樹から距離を取る。

(野生動物にするみたいな対応をさせてしまった……)

 ちょっとだけ落ち込んだ剛樹だが、剛樹を怖がらせないように気を付けてくれるユーフェには、改めて親しみを感じた。

「村で聞いたぞ。災難だったな、モリオン」

 仕事に来たイルクがそう言って、剛樹とユーフェのぎこちない距離についてからかう。ユーフェの剣幕がすごかったとかで、すでに村中に噂が広まっているんだそうだ。これにはユーフェもばつが悪いのか、急にこんなことを言い出した。

「怖がらせた詫びだ。何か欲しい物があれば買ってやる」

 剛樹は恐縮して、ぶんぶんと首を振る。

「え……、でも、俺、十分お世話になってますから。いりませんよ」

「しかし」

「充分です、いりません」

 剛樹が固辞するので、次第にユーフェがいらだち始めた。

「いいから、何かないのか!」

 ユーフェが牙をむきだして言うので、剛樹は青ざめる。

「ひっ。そ、そんな、怒らなくても」

「私が悪かったから、おびえないでくれ。頼む」

 ユーフェが慌てて言った。この有様に、イルクが笑い出した。

「はははは、ユーフェ様は、モリオンには形無しですなあ。モリオン、ユーフェ様はお前の機嫌をとるのが照れくさいだけだろうから、そう構えるなって」

「しかたないだろ、イルク。思いついたのがこれくらいだったのだ!」

 鼻の頭に皺を寄せて、ユーフェはむうっと口を引き結んでいる。

「モリオン、これは何か答えるまでしつこいと思うぞ」

「しつこいとはなんだ、失礼だぞ、イルク」

「すみません」

 イルクは謝ったが、ユーフェはこちらをじーっと見つめてくる。イルクの言葉通りのようで、いらないと断ったところで、ユーフェの気が済まないのだろう。こんなふうに催促されるほうが気になるので、しかたなく剛樹は思いついたことを口にする。

「それじゃあ……紙と絵の具が欲しいです」

「そんなものでいいのか?」

「はい。パールちゃんに、誕生日プレゼントを作ろうと思って」

 言ってみて、すぐに後悔した。

 やっぱりこれはないか。自分の給料で買ったほうがいいだろう。

「あ、やっぱり……」

「モリオン!」

「わあっ」

 急に腕に抱き上げられて、剛樹は悲鳴を上げた。

「なんて良い奴なのだ。お詫びだと言っているのに、誕生日プレゼントにするとは。紙と絵の具くらい、部屋いっぱい買ってやる」

 剛樹は即座に拒否する。

「え。そんなにいらないです」

「謙虚なのも素晴らしい!」

「ひぇ」

 しまいには高い高いのような格好をされてしまい、剛樹はその高さにめまいがする。

(なんなんだ、いったい……)

 剛樹はイルクのほうへ助けを求め、イルクには呆れた様子で肩をすくめられた。ユーフェのほうはしみじみと呟いている。

「王族が欲しい物を買ってやると言ったら、普通は宝飾品くらい言うのに。欲が無い奴だな」

「そ、そうなんですか? それは厚かましいって言うんじゃ」

「王侯貴族ならば、そんなものだぞ」

「へー、ロイヤルってすごいんですね」

 剛樹の感想に、イルクが腹を抱えて笑っている。

「なんだ、その感想。面白すぎる」

 ユーフェは剛樹を床に下ろすと、「ふむ」と頷いた。

「それならば、善は急げ、だな。これから町に行くか。どの道、仕立屋でお前の冬着を注文せねばならなかったのだ。それから、靴も。昨日、私のせいでサンダルを失くしてしまったから、それも買おう。いつもの靴は悪目立ちするから履かないほうがいい。イルク、今日は料理だけ置いたら、洗濯物を持ち帰って、次に持ってきてくれればそれでいい」

「畏まりました。ユーフェ様がお出かけなんて、珍しいですね。荷車で良ければ、町まで送りましょうか?」

「いや、たまには歩かないとな」

「ですが、モリオンにあの距離は厳しいかと」

「ん? 私が抱えていくから問題ない」

 二人の会話を聞いているうちに、剛樹はいつものように、ユーフェに腕に抱えられて運ばれることが決まっていた。

「えっ」

「まあ、そのほうが牛より早いっすかね」

「ええっ」

 イルクの返事に、剛樹はさらに驚く。止めないのか。

「ああ。モリオンの足は、牛より遅い」

「どんくさいからなあ」

 イルクの言葉に、ユーフェは頷いている。

「もしかして、俺、悪口を言われてる……?」

 剛樹が抗議しようにも、事実だった。



 日差し除けにフードをかぶせられた剛樹は、裸足のままユーフェの腕に座らせられた。

 ユーフェは袖なしの白い上衣に青い帯をして、裾がゆったりしたズボンを履いている。シンプルな装いなのはいつも通りだが、よく見ると銀糸で刺繍がほどこされていて、ひと目で上等な布地だと分かった。外出着なので、いつもと少し違うようだ。

 ユーフェは獣の足に布を巻いているが、ほとんど裸足と変わらない。行李のようなものを背負い、紐に下げた財布を首から下げて懐に仕舞う。金と門の鍵を入れているそうだ。

 森の小道を通り抜け、村人にあいさつしながら村も通過し、あとはひたすら森や草原の間の道を行く。のんびり歩いているようでいて、気付くと村が小さくなっていた。

「さっきの棒みたいなのがお金なんですか?」

「棒貨のことか? 金貨、白銀貨、銀貨、銅貨、鉄貨があるが、庶民が使うとしたら、白銀貨までだな」

「ボウカ……」

「モリオンの国はどんな形なのだ?」

「紙とコインですよ」

「なんと、紙を? 小切手なら分かるが……偽造されないのか?」

「特殊なインクや模様を付けてるんですよ。俺の国の紙幣は信用が高いですね」

「ほう、それはすごいことだな」

 棒貨は、偽造防止に小さな焼印がほどこされているんだそうだ。偽造は大罪で、罪人だけでなく親類まで処刑されるほど重いのだとユーフェは教えてくれた。

「お前の世界では、紙幣に名高い文化人や政治家の顔を描くとは面白いな」

 棒貨は上のほうが輪になっているから、種類別に紐で束ねておくらしい。

 そんな話をしながら、町にやって来た。それほど高くもない塀に囲まれた、小さな町だ。

 まさか王子が人族を抱えて、徒歩でやって来るとは思わないのだろう。ユーフェが門番に朗らかにあいさつしたが、門番はにこりともしないで一瞥しただけだった。面倒くさそうだ。

 怒らないのかなとユーフェの様子を伺っていると、ユーフェは気にせず返す。

「王家の紋章を見せても構わぬが、このほうが気楽だ」

「はあ……」

 気にしていないのなら、剛樹もどうでもいい。

 剛樹としては、一時間もせずに町に着いただけで驚いている。最初に靴屋に寄ってもらい、やわらかくなめした革のサンダルを買ってもらった。

 ついでに冬靴として、内側が毛皮になっているブーツも買う。十代半ばくらいの子ども向けの品で、剛樹は複雑な気持ちになったが、すれ違う人族は背が高い。西洋人のような彫の深い顔立ちなので、剛樹とは特徴から違うようだ。

 仕立屋では、「店で一番良い品を」なんてユーフェが言うので、店主に代金を払えるのかと疑われたが、王家の紋章を見せて黙らせていた。塔に住む王族のことは知っているのだろう、青ざめた顔で良い品を出してきた。

「うむ。モリオンは落ち着いた青が似合うな。これを。また後日取りにくる」

「畏まりました。一週間後には仕上がっていると思います」

「分かった」

 青灰色のコート、白や灰色のセーター、毛織の内着に、靴下を三足、革製のズボン、綿のズボンと、めまいがするくらいの量を次々に注文し、今回、引き取れる分だけ行李に詰めていた。

 仕立屋を出ると、剛樹はユーフェの傍らを歩きながら問う。

「王子ってばれないほうが気楽だったんじゃ?」

「身元を説明するのが面倒だった」

「なるほど……」

 紋章だけで手間が省けるならいいのだろう。

 小腹がすいたからと、町の食堂で一休みし、雑貨屋で絵の具と紙を買ってから、帰路につくことになった。

 町の雰囲気を見ていると、中世ヨーロッパみたいな雰囲気だ。石造りの建物はどっしりしていて、窓が小さい。そこに木製の鎧戸がついている。銀狼族向けの住居なので、剛樹には一軒家でも大きく見える。

 しかし着ている服は前合わせで、帯を締めている。和服のような中華服のような、不思議な雰囲気だ。

 雑踏をゆったりと進みながら、ユーフェは面白そうに店や民家、行きかう人々を見ている。そして、ぽつりと独り言みたいに言った。

「外に出たのは久しぶりだ。民の暮らしを間近で見られるのはいいものだ」

「もしかして、二年、ずっと塔に……?」

「催事があれば王宮に戻っていたが、それ以外はほとんどな。モリオンがいなければ、外に出るつもりはなかった。引きこもるうちに、少し怖くなってな。周りの者が、私の体の小ささをあざ笑って、噂でもしているのではないかと」

 周りに壁を作ることが良いことだとは思っていない。だが、どうしても一歩を踏み出せなかった。ユーフェはそうこぼす。

「お前への詫びは、口実みたいなものだな。外に出られて良かった。自意識過剰だったと恥ずかしくなったよ。皆、毎日を生きるのに忙しくて、私のことなど興味もない。良い意味でな」

 王宮と違って注目されないのがうれしいと、ユーフェは目を細める。

「ユーフェさん……。俺、分かる気がする。俺の家族はスポーツで名を上げているんだ。そのせいで俺は小さい頃から、嫌でも注目されて……。俺は運動音痴だから、周りががっかりするのが嫌だったんだ。兄ちゃん達にはかなわないのに、兄ちゃん達は良い人だから、弟の俺を放っておかずに構うんだ。それで余計に目立って」

 あの憂鬱な日々を思い出すと、勝手にため息が出る。両親も兄も良い人だ。だから余計に、その好意を嫌がる自分が小さく思えて苦しかった。

「視線が苦手で。前髪で目を隠してるんだよ。そのうち誰かが笑ってるんじゃないかって、それを確認するのが怖くて、目を見られなくなったんだ」

「銀狼族なら目を見ないほうが正解だが……。隠すのがもったいないくらい、綺麗な黒い目だな」

「……う」

 剛樹は息をのんだ。

 ユーフェが指先で剛樹の目元を払い、横から目を覗き込んでそんなことを言うので、反応に困る。照れてしまって、頬に熱が浮かんだ。

 パッと横を向いて、やんわりとユーフェの手を押しのける。

「ユーフェさん、そういうことは女の子に言わないと駄目だよ」

「何故だ」

「り、理由はともかく……。っていうか、俺のよりユーフェさんの青い目のほうがよっぽど綺麗……」

 そこまで言って、剛樹は眉をしかめた。男同士で、何を言い合っているのだ。気恥ずかしすぎる。

(いやいや、ここはびしっと褒めて、ユーフェさんに自信をつけてもらったほうがいい!)

 こんな良い人を放っておくなんて、銀狼族の女性は見る目がなさすぎる。剛樹は息を吸い込んで、必死に言い放つ。

「だから、ユーフェさんは、とてもかっこいいってことです!」

「あ、ああ、ありがたいが。……そう叫ばれると、さすがに恥ずかしいものだな」

「へ?」

 ユーフェの返事を聞いて、剛樹はここが往来だったことを思い出した。周りの人達がこちらを見ていて、すれ違った女性二人が「見て、可愛い」とささやきあっている声がした。

 カーッと真っ赤になり、剛樹は羞恥のあまり、その場から逃げ出した。後ろからユーフェの弾けるような笑い声が聞こえる。結局、追いついたユーフェに迷子になると困ると言って腕に乗せられてしまい、剛樹はいたたまれなくてうつむいた。

 ユーフェは相変わらず喉の奥で笑っている。

「そういうお前だから、世話を焼きたくなるのだろうなあ。いやあ、可愛いものだな」

「なんとでも言ってください……」

「だが、迷惑なら言うのだぞ。私は、お前の保護者をすることで、心の隙間を埋めている気がするのだ」

 雑踏のざわめきの中で、その声が届いたのは剛樹だけだろう。横顔は寂しげで、剛樹は胸が痛む。

「俺、居場所がなくなったんです、ユーフェさん」

「……ああ」

「俺はユーフェさんの痛みに、つけこんでますか」

 ユーフェがハッと目線を上げ、剛樹のほうを見た。その目には、所在ない剛樹が映っている。

「お互い様だと思ってよいのか」

「そうですよ。少なくとも俺は、保護してくれたのがユーフェさんで良かったと思ってますから。あんまり自分で自分を追い込まないで欲しい。その理由に、俺を使わないで。でないと俺、ここにもいられなくなる」

 剛樹の存在が、ユーフェを傷つける理由になるなら、剛樹は塔を離れなくてはならない。今はまだ外で生きていける自信がなかった。

「自分勝手なお願いだって分かってるけど……ごめん」

「いや、いいのだ。そうだな。体はどうしようもないが、心は大きくなりたいものだな」

「充分、大きいと思うけど」

「お前は優しいな」

 思ったことを言ったのに、ユーフェはそうは思っていないようだ。

 なんだかそのことに苛立ちを覚えた剛樹だが、どう言葉にすればいいか分からない。結局黙り込んだまま、ユーフェの肩に少しだけ近づいた。



     ◆



 町から塔へ帰り着いた頃には、すっかり夕方になっていた。

「グゥ」

 門の上で、変わった鳴き声がした。ユーフェは剛樹を地面に下ろすと、伝書鳥のグーグに左手を差し伸べる。バサッと羽音がして、グーグがユーフェの左腕にとまった。筒から取り出した手紙に、さっと目を走らせる。

「……二週間後に着くよう、近衛を送る。異界の人族と荷とともに、王宮に参内せよ」

 ユーフェは眉をひそめて呟く。

「第一王子が結婚する。嫁と顔合わせをするように」

 ユーフェの声は強張っていた。

「ユーフェさん?」

「ああ、すまぬ。兄上が結婚するそうでな、顔合わせついでに、お前も連れてくるようにという伝書が来た」

「俺も……?」

 一気に不安になった。

 だって王宮だよ、王宮!

 華やかな人々の陰で、陰湿な闇がうごめいている。そんなイメージがある。

 ユーフェが剛樹の肩を優しく叩く。

「私も一緒だから、心配するな。後ろ盾として守ってやろう。家族は良い人ばかりだから、大丈夫だとは思うが……」

「が……?」

「貴族にはいろんな者がいるからな。だが、私が後ろ盾と分かれば、お前に危害を加える真似はせぬだろ」

「そうですか……?」

 剛樹の不安は晴れない。

 異世界から漂着した人族。実験体にもってこいではないか。研究用のモルモットにされたらどうしようと心配するのは、ごく当たり前のことだと思う。たぶん映画の見すぎだろうが、剛樹にはそう思えてしかたないのだ。

「ああ。いくら私が小柄でも、王族の端くれだ。人族一人くらい守れる権威はある」

 そう言ったものの、ユーフェの横顔には憂鬱さがにじんでいる。グーグを腕に乗せたまま、門の鍵を開けて中へ入る。

「ユーフェさん、どうしました?」

「私の元婚約者が選んだのは、第一王子なのだ」

「え、それって……」

 剛樹はどう返していいか分からなかった。修羅場だ、どう考えても。

「婚約者さんのこと、まだ好きなんですね……?」

「いや、吹っ切ったよ。だがな、婚約パーティーで噂のさかなくらいにはなるだろう。見世物にされるのはな……」

 想像するだけで、気持ちが暗くなるのは当然だ。

「それじゃあ、他のことで噂になりましょう! あの手押しポンプ以外にも、話題になりそうなものがあれば持っていくとか……。身に着けるとか!」

「どうせ噂されるなら、別のことで、か。お前は宮廷人のような考え方をするなあ」

 門の裏に木の板を渡して鍵を閉めると、ユーフェは意外そうに言った。

「俺の家族、有名人なんです。だから、嫌な噂を立てられた時に、違う噂を作って対処してるのを見たことがあって。周りの人って、よりインパクトがあるほうを取り上げるものですから」

 研究室を漁って、めぼしいものを探そう。

「ふっ、モリオンは頼もしいな。では、明日からそうしよう。今日は夕食を食べて、風呂に入るかな」

 夕立が降ることがあり、雨水タンクにはそれなりに水がたまっている。

「それじゃあ、俺、お風呂を焚いておきます!」

 沸かすのに時間がかかるから、食事の準備と並行したほうが早い。

 ユーフェは行李を研究室に置いて、後で整理するように言い、まずは着替えるからと塔の上へ向かった。


     ◆


 どうやら銀狼族の王侯貴族とは、体を鍛えるのが好きらしい。

 ユーフェが自分の体をコンプレックスにするのも当然で、体が大きくて強い者に賛辞を贈る傾向が強いようだ。人族と違って、女性も戦士のほうがモテるらしい。体が弱い者もいるので、鍛えていない女性もいるようだが、とにかくタフなほうが人気なんだそうだ。

 それを聞いて、ますます王宮に行きたくなくなった。

 剛樹みたいなタイプは、きっと見下される。憂鬱でしかたがない剛樹を、ユーフェが笑う。

「人族に、銀狼族の価値観を押し付けたりはせぬよ。人族がか弱いのは、獣人ならば誰でも知っているのだからな」

「そうですか?」

「心配いらぬと言っているだろう。ところで、それはなんだ」

 研究室で、引き出しの隅に追いやられていたバランスボールを見つけ、ついでに空気入れも見つけ出し、空気を満タンにした。その上に座って、今から体幹だけでも鍛えようかとささやかな努力をしている剛樹に、ユーフェがとうとうツッコミを入れた。

「体幹を鍛える道具ですね。ユーフェさん、使えるかな。人族用だし……」

 大人の男向けのほうを出したのだが、ユーフェは身長もあれば体重もあるのだ、バランスボールが破裂しないか心配だ。

 試してみたいというユーフェにゆずると、ユーフェは恐る恐る腰かける。

「おお? おおおお?」

 不思議な感触らしく、ユーフェの耳と尻尾がピンと立ったが、やがて面白そうに揺れたり弾んだりする。

「これはなんとも面妖な!」

「ゴムっていう素材ですけど、ここにはあるのかな」

「ゴム? むう、分からぬなあ。だが、子どもの体幹を鍛える訓練にはいいだろうから、王宮に持っていってみよう。同じ物があちらの保管庫にもあるかもしれぬしな」

「ああ、子どもなら大丈夫かな」

 ユーフェが遊んでいる間に、剛樹は子ども用や女性用などのバランスボールを全て引っ張り出した。空気が入っている物は一つもなく、なぜか綺麗にパッケージされている物ばかりだ。店から消えて、盗難騒ぎになっているのではと、他人事ながら心配になる。

「あと、これ、殺虫剤のスプレーです」

 奥の危険物入れから持ってきた、比較的安全な物を見せると、ユーフェはしげしげとスプレー缶に描かれている絵を眺める。

「ああ、だから虫の絵が描かれているのだな」

「スプレー缶は暑い場所に置いていると爆発することがあるので、使わないなら中身を出してしまったほうが安全ですよ。それと、人に向けてかけたら駄目です」

「それはそうだろうなあ」

 研究室の外に出て、試しに地面の蟻に向けてシューッと殺虫剤を吹き付ける。

「ぐっ」

 ユーフェが鼻を押さえてうめいた。

「なんだ、そのにおいは! 最悪だ!」

「あ、ごめんなさいっ」

 剛樹でも嫌なにおいがするのだから、ユーフェには大ダメージだろう。慌てて使用をやめた。

「むうう。しかし、確かに蟻が死んでいるな。白アリ駆除に使えるかもしれぬが、これは世に出すには危険かもしれぬな。成分も分からぬし」

「そうですね。中にはガスが詰まってるので、穴をあけて出してしまうほうがいいでしょうけど……ユーフェさんにはきついかも」

「とりあえず倉庫に戻そう」

「はい」

 よほどきつかったみたいで、ユーフェは鼻をぐずぐず鳴らし、目から涙までこぼしている。剛樹は台所のかめから水を汲んできた。

「洗い流したほうがいいですよ」

「うう、すまぬ。しゃがむから、顔にかけてくれ」

「はい」

 何回か顔に水をかけると、ようやくユーフェは息をついた。剛樹は自分の部屋からタオルを取ってきて、顔をぬぐってあげる。

「どうですか?」

「もう大丈夫だ。しかし、ひどいにおいだった」

「殺虫剤は動物には毒ですよね。俺ってば、すみません!」

「動物扱いするな」

「すみません!」

 ユーフェに注意され、剛樹は再び謝る。

「毛をすいてくれ。それで手打ちとしよう」

「はい、分かりました」

 倉庫にあった犬や猫用のブラシを試しに使ったら、ユーフェが気に入ったのだ。お風呂上がりに毛をすきながら乾かすうちに、ふわふわの毛に変わり始めている。

「もうすぐ換毛期だからな。あのブラシは素晴らしいぞ。木の櫛や馬毛のブラシより良い。毛が引っかかると痛くてなあ。それがあのブラシは痛くない上に、生え変わる毛だけ取ってしまう」

「それじゃあ、このブラシやコームを広めるのは?」

「おお、それはいいアイデアだな! この素材なら似た物を作らせるだけでいい」

 毛玉取り用のコームなんかもあるが、剛樹が楽だと思うのは、手袋の手のひら部分にプラスチックのイボがついていて、櫛になるタイプだ。手の平の大きな銀狼族には使いにくいだろうが、人族にはもってこいである。

 この一週間、あれこれと引っ張り出して、どれを王宮に広めるか話していたが、結局、銀狼族の毛の手入れ道具に決まった。

「お前のほうはどうだ、誕生日プレゼントは?」

「もう出来てますよ。ほら」

 剛樹が衝立に囲まれた部屋から紙人形のセットを持ってくると、ユーフェは感嘆の声を上げた。

「おお、これは新しい! なるほど、下着姿の女の子の絵に、服や飾りを付け替える遊び道具なのだな。男の子に、母親と父親、銀狼族の男女もいるのか?」

「人形にも家族がいるほうが楽しいかと思って。ジュエルにも見せたら、こういうのは持ってないから喜ぶって言ってくれました。それで、急だけど、ジュエルとダイアで、人形を入れる家型のケースを木工で作ってくれるって」

「考えたな。人形と、人形の家か!」

「で、その壁紙にこれを貼って……」

 壁紙用に描いた紙を見せると、ユーフェは手を叩く。

「面白いな。これも王宮に持っていけば、話題の的になるぞ。銀狼族の女も戦士がモテるが、彼女達は可愛い物も好きだからな」

「そうですか? それじゃあ、俺、お土産分も作ります。そうしたら、いじめられないかな……」

 剛樹が役に立つと分かれば、銀狼族達も一目置いてくれるかもしれない。

「だから、私がいるからいじめられないと言っているだろうに」

「いじめる時は、ユーフェさんがいない所で何かするんですよ。俺と四六時中一緒にいるわけじゃないでしょ?」

「しかたがないな。お前は臆病だから、その分、警戒心も強いのだろう。無警戒よりマシか」

 そう言ったユーフェだが、剛樹がユーフェに頼りきらないことに、少しすねているようだ。口元を引き結んで、面白くないとあらわにしている。

「ユーフェさんってば……」

 お互いに弱い面を分かち合い、気の置けない友人にまでなれたようだ。素を見せてくれるのがうれしい反面、年上の男にすねられて、剛樹はどうしていいか困ってしまう。たまに兄もこんなふうにして気を引こうとしてきたが、その時も剛樹は困っていた。

「よし、ここを片付けてしまおう。毛をすいてもらわねば」

「はい」

 剛樹が困っているのに気付いたのか、ユーフェが話題を変えたので、剛樹はほっとした。それから、王宮に運ぶ物以外を片付けると、剛樹はユーフェの後について塔のほうに移動した。


     ◆


 結論から言えば、誕生日プレゼントは大成功だった。

「すごーい! 可愛い! 綺麗!」

 パールは喜んで、家族に紙人形を見せてはしゃぐ。家族の人形も作っていたおかげで、シスカやバドにも大好評だった。

「これが僕で、こっちがバドだね。ふふ。パールに、ダイア、ジュエルもいるよ」

「ケースを家の形にするっていうのは、よく考えたもんだな、ダイア、ジュエル」

 バドはダイアやジュエルが何か作っているのを知っていたのだろう。二人を褒めた。

「いや、アイデアはモリオンだよ」

「でも鋼木の端材で、こんな可愛いケースを作ったのは二人だよ。小さい家具まで作るなんて思わなかったな」

 剛樹がジュエルにそう返すと、ジュエルとダイアは照れくさそうに目を細めた。

「家とペットを作ったのは俺で、ミニチュア家具はダイアだよ。ダイアは俺よりも手先が器用なんだ」

「へえ、そうなんだ。二人で人形の家とミニチュア家具セットを作って、町で売ってみたら? こういうのって、子どもだけじゃなくて、大人でも好きな人はいるからうけるかもよ」

 剛樹の提案に、バドが豪快に笑って二人の肩を叩く。

「それはいい。家具作りの勉強にもなるし、やってみたらどうだ。収穫祭の市で、試しに少しだけ売ってみろ。売れた分はお前達の小遣いだ」

「やる!」

「がんばろう、エル兄!」

 ジュエルとダイアは目を輝かせ、前のめりで頷いた。

「もうっ。今日は私の誕生日なんだよ。私を一番にしてくれなきゃ、やだ!」

 新しい赤いワンピースを着て、花飾りをつけたパールがわがままを言い、家族はそろって頬をゆるめる。

 パールをお姫様扱いしてちやほやしまくると、パールはにっこりした。自分で言い出すあたりが可愛い。剛樹もきゅんとして、これはシスカ達がパールに甘いはずだと納得した。



 誕生日会で盛り上がりすぎて、塔に戻ってきた時には、辺りはだいぶ薄暗くなっていた。

「今日はお邪魔させてくれてありがとう、エル」

「いや、こっちの台詞だよ。パール、めちゃくちゃ喜んでた。ありがとな。あいつ、途中で疲れて眠っちまったのに、紙人形は離さないんだもんな。それにしてもモリオンがあんな可愛い絵を描くなんて、意外だなあ」

「うん。俺、ああいう絵が得意なんだ」

 子ども向けのテイストにしたが、コミックアートで描いた女の子の絵を描いたのだ。なじみがない画風のようだったが、パールは可愛いと喜んでくれた。あんなふうに絵を喜んでくれるとうれしい。

「それじゃあ、俺は帰るよ。しばらく王子様のお供で王宮に行くんだって? 気を付けてな」

「うん、ありがとう。バイバイ」

 剛樹はジュエルに手を振って、ジュエルが薄闇の向こうに駆け去るのを見送る。

 さて、呼び鈴を鳴らそうかと紐に手を伸ばすと、道の向こうから声がした。

「モリオン!」

「え?」

 一瞬、ジュエルが戻ってきたのかと錯覚したが、声が違う。薄闇に目をこらすと、銀狼族の青年がこちらに駆け寄ってきた。黒みがかった銀毛で、ジュエルより少し背が高い。

「なあ、俺、お前に相談があってさ」

「君は……確かロスだっけ?」

 前にジュエルと喧嘩していた少年だ。すぐに思い出した。

「相談って、何かあったの?」

 彼はザザナ村の住人だし、わざわざこのタイミングで話しかけてきたのだから、深刻な内容かもしれない。剛樹は少し迷ったが、慎重に問い返す。

「ああ。実は俺、人族と一回やってみたくてさ」

「何を?」

 どんな内容なのか検討もつかないのだが、ロスがにやにやしているので、なんとなく嫌な感じがした。

「困っているなら、ユーフェさんと一緒に聞くよ」

 改めて紐に手を伸ばすと、その前に体が宙に浮いた。

「え!?」

 ロスの肩に担がれていると気付いて、剛樹は目を丸くする。

「やるって言ったら、一つしかないだろ。セックスだよ。村の奴とは何人か試したけど、未婚の人族は町に行かないといないからさ。お前に話しかけたくても、ジュエルが傍でガードしてるだろ。しばらく観察してたら、ここが一番警戒が薄いって気付いたんだよな」

「え? 観察?」

 まさかストーカーしていたのか? 

 だが、それが自分のこととなると、どうも結びつかない。剛樹みたいな男を、銀狼族の男が付け狙う意味が分からないのだ。

「ちょ、ちょっと! 俺は男だよ! 君も男でしょ!」

「だから? 俺はどっちもいけるけど、男のほうが好きなんだよな」

「えっ」

 そうだった。この世界では人間は花から生まれるので、恋愛にも結婚にも性別は障害にならないのだった。ユーフェに気を付けるように注意されていたのに、元の世界の常識のせいで、すっかり忘れていた。

 ここに来て剛樹は焦り始め、足をばたつかせて暴れる。

「やめろ! 離せ!」

「大人しくしろっ」

 足を振り回した拍子に、サンダルが片方どこかに飛んでいった。ユーフェに買ってもらったサンダルで、やわらかくなめしてあって履き心地が良いものだ。思わずそちらを気にした拍子に、ひざ裏を押さえられて動けなくなる。

 ロスはそのまま鋼木の林に入っていき、急に剛樹を地面に下ろした。

「うっ、い、いたっ」

 背中から地面に落ちて、一瞬、息が詰まる。咳き込んでいる間に、ロスは上からのしかかってきた。


(※以下、軽い性描写なので非公開にしています)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る