第19話 ヴェルト・シューゲイズの憂鬱な一日

 カイキの事件から、早くも三週間の時が過ぎた。

 あれから俺達も「魔王」を名乗る男について調べてみたが、何も成果は無かった。大きな事件も起きず、ただただ平和な日々が続いていた。


「お、ヴェルトおはよう」


「おはようアズト。……ところで、冷蔵庫の中のプリンはいつになったら無くなるんだい? あれのせいでロクに冷蔵庫が機能していないんだが」


 俺とクリエは、カイキの逮捕に大きく貢献したという事で、警察から二百万の報酬金を貰えた。うち半分は魔王荘全体の資金として徴収されたが、残りの百万のお陰で俺は毎日10プリン生活を続けられている。


「あー、確かそろそろ買い溜めてた分が無くなる頃だったか。追加分を注文しないとな。ヴェルト、教えてくれてありがとう」


「私はそういう事を言いたいんじゃないんだが……」


 ヴェルトは深めのため息をついて、朝食の準備を再開した。

 ちなみに、この三週間の間に俺の部屋はだいぶ綺麗になった。お陰でようやく、体を十分に伸ばして眠れるようになった。掃除してくれたヴェルトには感謝しかない。


「それにしても、今日はアイツら起きてくるの遅いな」


「今日は土曜日だからね。アイツらもゆっくり寝たいんだろう。私は今日も仕事だけど」


「あぁ……ヴェルトいつも本当にお疲れ様」


 そろそろ魔王荘に来て一カ月が経つが、ヴェルトの労働状況はかなり深刻そうな様子だ。


 休みは毎週日曜日のみ。六日のうち最低でも三日は残業して帰ってくる。スマホで調べてみたが、この労働時間の割には、ヴェルトの給料はかなり少ないみたいだ。


「それじゃあ行ってくるよ。悪いけど、アイツらが食べた食器の片付けをお願いできるかい? 今日は大事なプレゼンがあるから、急いで行かないといけないんだ」


「任せてくれ。ヴェルトも頑張ってな」


 ヴェルトは今日も、せわしなく出勤していった。


 ~~~


 Side:ヴェルト・シューゲイズ


 私の一日はいつも、せわしなく始まる。

 毎日朝の五時半に起き、五人分の朝食を作る。必要に応じて作り置きも済ませておき、七時には魔王荘を出発する。


 魔王荘には車が無いので、通勤時間で混みあっている駅まで走って向かう。七時二十分の電車に間に合わなければ、遅刻確定だ。


 電車で数駅分移動し、電車を降りてから五分ほど歩いた場所に、私の勤め先・株式会社HUTO保馬支店はある。

 株式会社HUTOは、豆腐を中心としたメニューを扱う大手食品メーカーだ。その保馬支店は、一階が豆腐直売店、二階と三階が業務フロアになっている。


 私はタイムカードを切り、二階の職場へと向かう。私は営業部の一員だ。


「おはようコウ。君も朝早くから来ていたんだね」


「あぁ、おはようヴェルト。今日はプレゼンもあるからな。朝早くからやっとかないとノルマ達成できないってもんだ」


 私より早く来て仕事をしている彼は夜夢よるゆめコウ。営業部では唯一私と同じ三十歳で、職場で最も仲の良い男だ。魔王荘のアイツらを放っておいて、二人で飲みに行く事もよくある。

 そんなコウだが、今日はいつもより少し疲れているように見えた。目に深いクマができている。


「コウ、今日は少し疲れてるんじゃないか? この仕事は私がやっておくから、君は少し休んでるといいよ。始業まではまだ一時間ある。それまで仮眠でも取っていなよ」


「……いいのか? ありがとな、ヴェルト。それじゃあ俺は少し休ませてもらうよ」


 コウは嬉しそうに笑って、仮眠室へと向かっていった。その足取りがややおぼつかない様子だったので、少し不安になってくる。

 結論から言うと、保馬支店営業部はかなりのブラック体質だ。あまりに高いノルマに加え、本部に過度な残業がバレないようにする細工も平気で行われている。ノルマを達成できなければ、部長から指導という名の鉄拳が飛んでくる。


 全ての元凶である部長は、始業の五分前になってようやく現れた。


「おはよう諸君。今日は大事なプレゼンがあるから……って、コウはどうした?」


 まだ仮眠室から戻らないコウに気付き、部長は機嫌を悪くする。あれはいつ拳が飛んできてもおかしくない時の顔だ。


「部長すいません! 遅れました!」


「遅いぞコウ! 何を呑気に仮眠を取っていたのだ! 他の皆は朝早くから来て準備していたというのに、お前は今日のプレゼンがどうなっても良いと言うのか⁉」


 仮眠室から戻って来たコウの頭を、部長は鷲掴みにして怒鳴りつけた。助けてやりたい所だが、こういう時の部長には手出しできない。逆らったら即刻クビにされるからだ。


「……申し訳、ございませんでした」


「ったく、余裕こきやがって。これで今日のプレゼンが上手くいかなかったらお前のせいだからな」


 コウにそう言いつけながら、部長は自分のデスクに向かった。

 本当に理不尽な話だ。部下に何時間も働かせておきながら、自分は始業の五分前にやって来る。この部長は部下を何だと思っているのか。


「朝から災難だったな、コウ。大丈夫だ。プレゼンさえ成功させれば、部長も機嫌を直してくれるはずさ」


「……あぁ。そう、だな」


 やはり今日のコウはいつもより元気が無い。本当に心配になってくる。

 九時になり、始業のチャイムが鳴る。今日もまた、地獄の労働が始まった。


 ~~~


「何をしているんだお前らは! 事前準備が足りなかったんじゃないのか⁉」


 時刻は17時50分。部長は大激怒していた。

 理由は単純、先方へのプレゼンが上手くいかなかったからだ。今回の先方は中々有名な会社だったので、皆気合いが入っていた。それだけに、断られた時のショックは大きかった。


「誠に、申し訳ございませんでした」


 私達はただ、機械的に頭を下げる。この部長に何を言っても無駄だ。好き勝手に言わせておくのが、最も早く事を片付ける方法。


「特にコウ、お前が今朝呑気に仮眠なんてしてないで、もっと準備してれば結果は違ったんじゃないのか⁉ 言ったよな? 失敗したらお前の責任だって」


「すいません……本当に申し訳ございませんでした」


 コウはかなり疲れが溜まっているのか、虚ろ気にそう呟く。その態度が余計に気に入らなかったのか、部長の腹パンが飛んできた。


「ぐえっ」


「何だそのふざけた態度は! お前は仕事を舐め腐っているのか⁉ ロクに仕事もできないくせに、そのふざけた態度……便器にこびりついたクソ同然だな、お前は。本当に使えない」


 六時。定時になった。部長は荷物を片付け、一人足早に帰ろうとする。


「……部長、待ってください! これ、明日の会議の資料です。まとめたので目を通していただけませんか⁉」


 コウは部長の手を掴んで、別件の資料を渡そうとするが、部長はコウを振り払った。


「煩わしい! 明日の朝読むから、俺のデスクにでも置いておけ! お前は反省でもしていろ!」


 部長がいなくなったのを確認して、私は床に伏したコウに駆け寄る。


「コウ、大丈夫か⁉」


「……あぁ。ありがとな、ヴェルト」


「アイツ、自分でまとめろって言っておきながら、少しも目を通さずに帰るなんてふざけてる。これは絶対、今日中に見てもらわないとダメな資料だろ。私が届けてくるよ」


「ヴェルトやめろ。大丈夫だから……」


「部長に殴られる覚悟くらいはできてるさ。友人が理不尽な目に遭っているのを、これ以上見過ごせないってだけだよ」


 私はコウのまとめた資料を持って、部長を追った。

 部長は既に、駅への道を歩いている所だった。部下に仕事を押し付けて自分は定時で帰るなんて、やっぱりふざけてる。


「部長! ちょっと待ってくださいよ!」


 部長に声をかけると同時に、私はある事に気が付いた。

 ———部長の左手の甲に、青白く光る紋章が浮かび上がっている。部長がそれに気づいている様子は無い。

 だがそれ以上に、衝撃的な事が起きた。


「そこの人、危ない!」


 近くにいたお婆さんが叫ぶとほぼ同時、車が猛スピードで部長に突っ込んだ。


「……部長!? 大丈夫ですか部長!?」


 私は急いで部長に駆け寄るが、既に手遅れだという事は火を見るよりも明らかだった。頭が潰れ、見るも無残な死に方をしている。

 そして、左手にあった紋章は跡形も無く消えていた。


 部長が紋章に気付いていなかったという事は、恐らくこれはミュータント能力によるものだ。

 だが、紋章に気付いたのは恐らく私だけ。状況を見ても、誰もが事故だと思うだろう。


「これは……とんでもない事になったな」


 とんだクソ野郎とはいえ、一応上司だった人間の死を目の当たりにしてしまった。私は動揺のあまり、事態を呑み込み切れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る