第17話 裏切りの代償
現在五八歳となる帝国貴族出身のジーク・バンカーは、今から六年前にグスタフ帝の命を受けシャリアと共にマーサ砦へと着任する。
帝都で更なる出世を目論んでいたジークは、当初この役目を引き受けるつもりはなかった。
しかし、当時のグスタフ帝から『シャリアには近いうちに死んでもらう。その時、お前は帝都に返り咲き、我が側近として帝国を支えてもらうつもりだ』と二人だけの時に説明された。
ジーク自身もシャリアがすぐに事故死または暗殺されるだろうと考え、この役目を引き受けたのである。
だが、予想に反してシャリアは死ななかった。
暗殺者が送り込まれても返り討ちにし、マーサ砦の危険な最前線に送り込まれても兵士達を鼓舞して生き延びる。
ジークが事故に見せかけて暗殺しようと、秘密裏にシャリアを何度か孤立させたこともあったらしいが、それでも彼女は悪運強く生き延びたのだ。
いや、此処まで来ると、ジークや皇帝の殺意より、シャリアの生への執着が勝ったというべきなのかもしれない。
帝都で同年代の者達が次々と昇進している話を聞かされたジークは、臍【ほぞ】を噛んでいた。
『ジーク。未だにシャリアが生きている理由。それは一重にお前が無能だからではないか』
数年が経つとグスタフ帝の発言は徐々に変わっていった。
暗殺失敗はジークの監視が行き届かず、情報不足にあると判断され始めたのだ。
『このままでは帝都に戻ることはおろか、昇進すらままならない。これでは、辺境に左遷させられたのと実質的に変わらないではないか。何とかしなければ……』
焦るジークに転機が訪れたのが、グスタフ帝の逝去である。
瞬く間に帝国内で皇子チャールズと皇女シャリアによる皇位継承権争いが勃発。
ジークはどちらに付くべきを思案する。
そして、彼が選んだ道は『どちらにも付かず漁夫の利を得る』ことであった。
シャリアとオリナスには、自らがグスタフ帝から監視の命を受けていた事を告げ、実際にある程度有力な情報を二人に与え続けた。
そんな折り、グスタフ帝が残していた伝を使い、チャールズがザクス達を通じて接触してきたのである。
『ジーク殿。貴殿の中心に我が父は応えなかったようだが、私は違う。近いうちにシャリアは死ぬことになる。その暁には貴殿に帝都で相応の立場を確約しよう』
ザクスから告げられたチャールズの言葉を聞き、ジークは歓喜した。
『これで、私も帝都の中心に返り咲ける』
二重スパイとなった彼は、シャリアをチャールズに売れる絶好の機会を待った。
そして間もなく、その好機が訪れる。
ガドラスが言いだした『超越者【アンリミテッド】の助力を得てはどうか』という提案にシャリアが乗ったのだ。
表向きは強く反対していたジークだったが、内心では絶好の好機だとほくそ笑んでいた。
彼は反対しながらも、それでも行くというならマーサ砦でも精鋭中の精鋭を百名以上同行させるべき、と提案して譲らない。
シャリアの身を案じているように聞こえるが、人数が多ければ多いほど移動に掛かる時間も多くなる。
特に彼女の護衛となれば、装甲兵が中心だ。
防御力は高いが機動性と柔軟性に欠ける部隊となれば、機動性と柔軟性に長けた暗殺を得意とする特務実行01部隊にとっては格好の獲物である。
加えて言うなら、シャリア亡き後はオリナスを暗殺する必要があった。
その際、邪魔となる優秀な兵を事前に削る目的も果たせる。
シャリアとオリナスは、決してジークを信用していた訳ではない。
しかし、マーサ砦にいる兵士達は誰もが左遷されてやってきた人物ばかりあるため、様々な帝国貴族や各国の要人と強い伝を持つジークを切りきれなかったのである。
また、ジークがシャリアを監視するように、シャリアもジークへ密かに監視を付けていたが、彼は監視の目を逃れる術に長けていた。
そして彼は怪しまれつつも監視と周囲の目を誤魔化し、ザクス達にシャリアがマーサ砦を出立するを伝えたのである。
なお、ジークが伝えた日にちと、シャリア達が実際に出立した日には多少誤差があったようだが、ザクス達は柔軟に対応したようだ。
「……とまぁ、抽出したザクスの記憶を見る限りこんな感じだ」
あらましを語り終えると、ジークは真っ青な顔で頭を振った。
「馬鹿なことを申すな。殿下、私は味方でございます。このような何処の馬の骨ともわからぬ輩の言うことを聞いてはなりません」
彼は撃たれた右太股を抑えつつ、城壁に身体を這わせながら必死に立ち上がる。
そして、許しを請うようにシャリアの前に出ようとするが、再び銃声が轟いた。
「跪け、そう言ったはずだ。誰が立って良いと言った」
「が……⁉」
左太股を打ち抜かれたジークがその場に倒れ込むと、シャリアは彼の衿を掴んで無理矢理立たせ、城壁の凹部分に押しつけた。
「アランが得たザクスの記憶から証拠も見つかった。いくら帝都の情報を得るためとはいえ、貴様のような蛆虫を傍に置いたことは私の失態だ。故に、私自らの手で裁きを下す。楽に死ねると思うなよ」
彼女が凄むと、ジークはがっくりと項垂れる。
しかし、彼は不敵に口元を緩め、大声で笑い始めた。
「馬鹿め、今更気付いたところでもう遅いわ。チャールズ殿下は帝国中から数万の兵を集め、数千台の魔戦車を用意している。準備が整い次第、マーサ砦に攻め入ってくるだろう。それも間もなくだ。私を殺したところで何も変わらんぞ」
勝ち誇ったように笑う彼の言動を目の当たりにし、ガドラスは額に青筋を走らせ、兜で顔が見えないオリナスからも怒り雰囲気が漂っている。
「……その通りだな」
シャリアは動じず、小さく頷いた。
「だが、これが逆襲の一歩目だ」
「な……⁉」
彼女は冷たく言い放つと、ジークを城壁から突き落とした。
叫び声が響き、次いで下から鈍い音が轟く。
上から覗けば、咳き込んではいるものの落下したジークはまだ生きていた。
足から落ちたのだろうが、あれではもう動くことはままならないだろう。
「最後の情けだ」
シャリアはそう言うと、手にしていた回転式魔拳銃をジークに向かって落とした。
「弾は六発、お前の足に二発使った。残りは四発だ」
「ぐ……⁉ ふざけるな」
彼は足を引きずって銃を手に取ると、城壁に立つシャリアに銃口を向けた。
二回の銃声が轟くが、魔弾は私の結界によって弾かれる。
「愚かだな、ジーク。貴様、自分がどちら側に落とされたのか。理解していないようだな」
「な、なんだと」
シャリアの指摘にハッとしたジークが周囲を見渡せば、彼の周りは木々に囲まれている。
彼が落とされたのは砦側ではない。森側である。
「すぐに『血に飢えた狼【ブラッドウルフ】』共がお前の血の香りに気付いてやってくるぞ」
「な……⁉」
ジークは顔面蒼白となり辺りを見回すと、必死に足を引きずって城壁側によっていく。
ブラッドウルフとは血の匂いに敏感な森に巣くう魔物だ。
数が多く、遠く離れていても優れた嗅覚で血の匂いから獲物の状態を察知し、徒党を組んで襲ってくる魔物である。
血さえ出していなければ、危険度は低い。
しかし、今のジークでは、逃げることも立ち向かうこともできず、生きたまま奴等の餌になるだろう。
シャリアも酷いことを考えるものだ。
「た、頼む。帝都やチャールズの情報なら全てやる。だから、だから助けてくれ」
「愚か者め。アランがザクスの記憶を得ている以上、もう不要だ。それに、死んだところで何も変わらん。そう貴様が言ったばかりではないか」
「そ、そんな……」
必死の嘆願が彼女に受け入れられず、ジークの表情が絶望に染まったその時、森の奥から遠吠えが轟いた。
ブラッドウルフが獲物【ジーク】の存在を察知したのだ。
森の奥から獣の足音が多数聞こえたかと思うと、一匹の赤黒いブラッドウルフが姿を現してジークに勢いよく飛びかかった。
「ひ……⁉」
引きつったジークの声と共に一発の銃声が轟き、最初に飛び出したブラッドウルフが悲痛な声と共に力なく横に倒れた。
気付けば、ジークの周囲には取り囲むように多数のブラッドウルフが集まっている。
彼等は鋭い歯を露わにし、涎を垂らしながら唸り声を鳴らしている。
最早、逃げ道はない。
「く、くそが。シャリア、貴様を呪ってやる。呪ってやるからな」
呪詛を吐いたジークは、自らのこめかみに銃口を当てて引き金を引いた。
銃声が周囲に再び轟き、ジークの頭がゆっくり動く。
「……な、なんだ。どうして死んでおらん」
ジークはこめかみに銃口を当て、何度も引き金を引くが弾は出でない。
弾切れを知らす音が空しくなるだけである。
「残念だったな、ジーク。最後の一発は空砲だよ。潔さがあれば、まだ楽に死ねたんだがな。貴様のように腹の腐った輩は、畜生の餌となるのが丁度良かろう」
「こ、この、女狐が……⁉」
シャリアが冷たくそう告げた時、獲物から脅威が無くなったと察したブラッドウルフたちがジークへ一斉に飛びかかった。
「や、やめろ。やめろ、やめてくれ」
彼は阿鼻叫喚しながら必死に手を動かして抵抗する。
しかし、魔物がその程度で止めるわけもない。
ブラッドウルフの鋭い犬歯がジークの身体に食い込み、肉を食いちぎる鈍い音が聞こえてくる。
やがて、ブラッドウルフ達は血まみれで動かなくなった肉を引きずりながら森の中へと消えていった。
「裏切りの代償、か。まぁ、自業自得だな」
私が一部始終を見ていた感想を述べると、シャリアは頭を振った。
「奴のせいで、優秀な部下を大量に失った。これでも処罰として甘いぐらいだ。そんなことより、ガドラス」
「は、はい」
急に名前を呼ばれ、彼は姿勢を正した。
「お前はジークが行っていた業務を早急に引き継ぎ、必要なら後任者を用意しろ」
「わかった。すぐに取り掛かる」
ガドラスは会釈すると、足早にこの場を去った。次いで、
彼女はオリナスに視線を向ける。
「私達とアランで、今後のことについて話す。場所を変えるぞ」
「畏まりました」
裏切り者の断罪が終わった私達は、場所を変えるべく歩き出すのであった。
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