報告
三日三晩、飲まず、食わず、寝ずに走りに走った。
満身創痍の俺たちはついに郷田家の門前に辿り着いた。
疲労が全身を覆い、体中が痛み、血にまみれた姿ではあったが、それでも俺たちは止まらなかった。
馬の蹄の音が郷田家の門前で止まり、俺はゆっくりと馬から降りた。
「着いたな……郷田家だ」
俺はかすれた声で呟き、剣と琴を振り返った。
剣の顔には疲労と悲しみが漂い、琴もまた、その凛々しい顔立ちには深い哀しみが刻まれていた。
郷田家の大門が音を立てて開かれると、そこには急報を受け走ってきた一樹が立っていた。
彼は一瞬、俺たち三人の無残な姿を見て驚いたが、すぐにその表情は険しいものへと変わった。
「隼人……どういうことだ?」
一樹の声は厳しく、同時に兄としての深い心配も滲んでいた。
俺は一樹の前に歩み寄り、深い息を吸ってから静かに言葉を紡ぎ出した。
「兄さん……大谷家で……翼が……反乱を起こしたんだ。光政様も、玲二も……そして剛蔵や勇太も……もう、いない……」
その言葉に、一樹の顔は一瞬、凍りついた。
表情が硬直し、信じられないといった様子で俺を見つめる。
「剛蔵も……勇太も……死んだのか……?」
一樹の声は震えていた。俺は頷き、拳を握りしめた。
「剛蔵は俺たちが逃げるために、敵を食い止めてくれた……そして勇太も……俺を逃がすために、最後まで戦ってくれたんだ……」
言葉を絞り出す俺の目に涙が浮かぶ。
剛蔵と勇太の最後の姿が今も焼きついている。
そして、俺が彼らを置いて逃げたことへの悔しさがこみ上げてきた。
「そうか……勇太……剛蔵……」
一樹は目を閉じ、静かに彼らの名前を口にした。
その瞬間、彼の中で何かが崩れ落ちたように見えた。
だが、それでも一樹は毅然とした態度を崩さなかった。
「……よく、ここまで帰ってきた。お前たち、無事で何よりだ」
一樹は俺の肩に手を置き、次に剣と琴に目を向けた。
「こちらは大谷家の……?」
一樹の声に、俺が剣と琴を紹介する。
「この二人は大谷家の剣と琴だ。剣は光政様の息子、そして琴は長女……兄さんに是非会わせたかった人だ」
俺は琴を示し、一樹に視線を送る。
琴は静かに頭を下げ、凛とした態度で一樹に応えた。
「私は琴。大谷家の娘です……一樹殿、お目にかかれて光栄です」
琴の言葉に、一樹は一瞬、驚きを見せたが、すぐに彼女を見据えた。
その凛とした佇まい、そして武人としての気品が一樹を圧倒した。
「……隼人が俺に会わせたかった理由がわかる気がする。琴、よくぞここまで逃げ延びてきた。これからは俺たち郷田家が力になる」
一樹は穏やかに琴に言い、そして剣に向かって言葉を続けた。
「剣……光政様の無念を、我々が必ず晴らす。大谷家は、これで終わりではない」
剣は涙を浮かべながらも、毅然として頷いた。
「俺も……父や兄弟の想いを無駄にはしない。隼人殿、一樹殿……どうか、力を貸してくれ」
その決意のこもった言葉に、一樹は深く頷いた。
「俺たちは一緒に戦う。大谷家の誇りも、郷田家の誇りも、必ず取り戻す」
一樹の言葉に、俺たちは力強く頷いた。
そして、俺たち3人とも倒れるようにその場で意識を失った。
翌日。
俺がゆっくりと目を覚ましたのは、まだ夜が明けきらぬ時刻だった。
しばらく天井を見つめていたが、次第に意識がはっきりしてくると、琴と剣が俺の隣で静かに寝ていることに気づいた。
琴の顔は青白く、疲れがその表情に色濃く残っていた。
まだ目を覚ましていないことに、俺は不安を覚えた。
俺は重い体を起こし、隣の琴の肩にそっと手を置く。
「琴…剣…大丈夫か?」
俺は小さな声で呼びかけたが、琴のまぶたは微動だにしなかった。
琴の額に手を当てると、冷たく、わずかな汗が滲んでいる。
剣も同じような状態だ。
「琴…剣…」
俺はもう一度呼びかけた。
今度は少し強めに肩を揺らしたが、それでも琴は目を覚まさなかった。
その瞬間、俺の胸の奥に恐ろしい不安が押し寄せてきた。
俺は慌てて布団から飛び起き、廊下に飛び出す。
目の前にある障子を開けると、そこには一樹兄貴がいた。
俺の兄であり、郷田家の当主としての威厳を持つ一樹兄貴は、俺の血相を見てすぐに異変に気づいた。
「どうした?」
一樹兄貴は低く問いかけた。
「2人が……まだ目を覚まさないんです」
俺の声には焦りと恐怖が滲んでいた。
一樹兄貴は深いため息をつき、俺の肩に手を置いた。
「落ち着け、隼人。琴は強い娘だ。剣もそうだ。お前が思っている以上に、彼らは耐え抜くだろう。だが、医者に診てもらう必要があるかもしれないな。とにかく今は焦るな、まずは様子を見るんだ。」
俺は一樹兄貴の言葉を聞き、少しだけ心を落ち着かせようとしたが、それでも2人の安否を心配する思いが消えない。
その後、俺は父上と母上の前に座っていた。
俺が無事に郷田家に帰還したことを知った二人は、安堵しつつも、大谷家で起こった惨劇に対して複雑な感情を抱いていた。
「隼人、あの……翼のことは、本当なのか?」
母上が静かに問いかける。
その声は震えていた。
俺は何度も話を整理して、母上に伝えなければならないことを確認していた。
「はい、母上……翼伯父上が……」
俺は言葉を選びながら、できるだけ落ち着いて話し始めた。
「伯父上が、相撲大会の最中に反旗を翻し、光政様を……皆を……」
母上の目が怒りに燃え上がる。
「まさか、あの翼が……光政や剛蔵、そして勇太まで手にかけたとは……許せない!」
母上は拳を握りしめ、立ち上がろうとした。
「母上、待ってください!」
俺はすぐに母上を止めようとしたが、母上は俺の手を振りほどいた。
「止めるな、隼人! あの翼は私の兄だが、もはやそれは関係ない。息子を殺された以上、私は母として、そして戦士として、奴を倒す義務がある!」
俺は必死に言葉を続けた。
「母上、それでも今は無理です! 今は郷田家を守ることが最優先です! 今、無策で飛び出しても、逆に私たちが危険にさらされるだけです!」
母上の目は怒りに燃えていたが、俺の必死の言葉を聞いて、少しだけ冷静さを取り戻した。
「それでも……勇太や剛蔵の仇を討たねば……」
その時、一樹兄貴が静かに部屋に入ってきた。
「母上、隼人の言う通りです。今は、郷田家の力を整え、しかるべき時に動くべきです。今は私たちが一致団結し、郷田家を守ることが最も重要です。」
母上は一樹兄貴の言葉を聞き、しばらく沈黙した後、ゆっくりと息を吐き出した。
「……わかりました。一樹、お前がそこまで言うなら、今は従いましょう。」
その時、廊下の方から声が聞こえてきた。
ゆっくりと剣が入ってきた。
「琴が……まだ目を覚まさないんです。」
母上と父上、一樹兄貴、俺はすぐに琴の元に向かった。
琴はまだ布団の中で静かに横たわっており、青白い顔は変わらずだ。
しかし、呼吸は安定しており、命に別状はないように見えた。
「医者を呼んで診てもらおう」
父上が言った。
父上は琴の顔を見つめ、眉間にしわを寄せていた。
「彼女がこのまま回復しなければ、一樹、お前が責任を取って郷田家として大谷家を支えねばならん。」
一樹兄貴は静かに頷いた。
「もちろんです、父上。」
その時、ふいに琴の口が動いた。
声は小さいが、はっきりと聞こえた。
「……腹が減った……」
俺たち一同が驚き、琴の顔を見つめた。
琴の目はゆっくりと開かれ、ぼんやりと天井を見上げていた。
「琴!」
剣が琴の手を握り、驚きと安堵の表情を浮かべた。
琴はしばらくの間、状況を把握するように目を瞬かせた後、もう一度呟いた。
「本当に……お腹が減ったんだ……何か食べるものはないか……?」
その一言で、部屋中の緊張が一気に緩み、皆がほっと息をついた。
「まったく……心配させやがって」
一樹兄貴が小さく笑い、父上もまた、琴の回復を確認して「こいつは凄い女だな」と感心していた。
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